第55話「仮想の国、八つ目の国」
その名も高き【聖王女】プリスニス・ロシュ=ベルナールの笑い声は、たっぷりと続いた。
空気を求めてあえぎ、侍従から渡された水を飲むことですら何度も止まる。
やっと笑いがおさまったのは、たっぷり数分の後だった。
「なるほどそうか、冒険者……いや、アミノとロウリーだったな。くっく、余を友と呼ぶか」
未だに口から洩れる笑いをこらえ、目の端からあふれる涙をぬぐって、プリスニスはすとんと椅子に腰を下ろす。
ふぅーと大きく息を継ぎ、プリスニスはなおも面白そうにアミノたちへと視線を向けた。
「しかしな、この【聖王女】の名、そなたらが考えるよりも厄介だぞ。それでもなお、余を友と呼ぶか? 余を救うと申すか?」
アミノとロウリーは顔を見合わせ、一斉に俺を振り向いた。
その顔に不安はない。
それは確認。
俺の冒険者としての矜持が、いまだ正しく心にあるのかという無言の問いかけが、そこにはあった。
二人の澄んだ瞳に射すくめられ、逆に俺のほうが肩に力が入る。
しかしそれでも、俺は腹の底に力を込め、ゆっくりとうなずいた。
俺を待っていた二人がプリスニスへと視線を戻す。
「ええ、お救い致します」
揺るがぬ信念だった。
アミノはその美しい瞳をまっすぐに向け、にっこりとほほ笑む。
あわせてロウリーも、八重歯を見せてニッと笑った。
「……そうか、ベゾアール・アイベックス。冒険者とはかくも面白い……いや、自由なものだな」
「ああ、冒険者は自由で、誇り高く、いつだって人類すべての味方だ」
「ふっ、それは楽しそうだ。……余も冒険者に生まれてみたかった」
プリスニスが小さくつぶやく。
その言葉には憧憬と……少しの悲しみが含まれているように俺には見えた。
「なればいいよ」
「そうです、聖王女殿下。冒険者は生まれるものではありません、なるものです。心に矜持をもってなろうと思った時から、だれでも冒険者になることができるんです」
「あんたさっき自分で言ったろ? 冒険者は自由だって。平民だって王族だって、だれでも冒険者になれんだよ。だって自由な冒険者だかんな!」
当たり前のことのように、ロウリーとアミノが答える。
一瞬驚いたプリスニスの口角がふっと上がった
「そこで、でございます。聖王女殿下」
部屋の空気が和らいだのを見計らって【
彼の
それでも俺には、ここというときに冒険者が放つ、一種独特の気のようなものが、強く感じられた。
アルモリカもマグリアも、そしてもちろんプリスニスの瞳にも、真剣な光が宿る。
「よい。申せ」
姿勢も表情も変えないまま、プリスニスは短くそう告げる。
この場の
「恐れながら申し上げます。現状を愚考いたしますに、現在すべての国々の持つ問題の根源は、第六層への直通路、これにつきます」
七王国間の緊張の原因は言わずもがな。アングリア内部の政治的対立も、ドゥムノニア国民の不満も、突き詰めれば高額なアーティファクトの所有権の問題に帰結する。
それは誰もが知っていて、だれにも解決できない問題だった。
「しかし、例えばどうでしょう? この第六層への直通路を、今までに存在しなかった新たな国……八つ目の王国が治め、七王国の承認のもと、世界中すべての人に向けて門戸を開放するとしたら」
「そんなものは夢物語だ」
「はたしてそうでしょうか?」
プリスニスの即座の断言に、【静謐】は顔を上げた。
冷静に瞳だけを動かして顔を見下ろし、プリスニスはつづけた。
「アングリアとドゥムノニアが同意せぬだろうよ。そんな存在もせぬ新興国の可能性など、論じてみても詮無きことだが、両国の軍勢に一揉みにされよう」
「一揉みにできぬ軍勢が……たとえば数十人の第五層冒険者と、誉れ高き聖堂騎士団に、世界中の冒険者が加勢するとなればどうでしょう?」
以前の俺たち冒険者部隊の戦いを思い出しているのだろう。
プリスニスは右手で自分のほほに触れ、目を伏せた。
部屋がしんと静まり返る。
思慮の海に沈んだ主に代わって、アルモリカが口をはさんだ。
「恐れながら、殿下。いかに歴戦の第五層冒険者といえども、多勢に無勢と申します。ドゥムノニア・アングリア両国の軍勢、最大十五万ともなれば、数日ともちはしますまい」
「失礼ながら聖堂騎士団長殿。それは冒険者を幾人と試算の上のお考えでしょうか」
「三十人ほどと聞き及んでいるが」
アルモリカと【静謐】のやり取りの後、プリスニスはふんと鼻を鳴らした。
「回りくどいのは好かぬ。アンティミル・イソライト、隠し立てせずに申せ」
本名を呼ばれた【静謐】はかしこまって頭を下げる。
しかし、横から見ていた俺には、その口元に笑みが浮かんでいるのが丸見えだった。
「先ほども申し上げました。世界中の冒険者が加勢すると」
「ひとところに冒険者が集結するにも時間がかかろう。両王国の号令の下、軍が出陣するよりも早いとは思えん」
「そこはそれ。我が
頭を下げたままの【静謐】以外、全員の視線が俺に集まる。
【静謐】アンティミル・イソライト。
彼は青い髪をそびやかし、もう一度プリスニスを見上げた。
「高名なる【聖王女】殿下の檄文と、我らが第六層冒険者【運び屋】ベゾアール・アイベックスのギフトがあれば、王国間会議までの三日で、少なくとも千を超す冒険者を集めることができましょう」
あとは、【聖王女】殿下がドゥムノニアと決別する勇気をお持ちかどうか。
そう言い放ち、【静謐】は薄い唇をぺろりと舐めた。
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