第54話「プリスニス・ロシュ=ベルナール」

 貴族街のとある邸宅に【聖王女】プリスニス・ロシュ=ベルナールの美しい姿はあった。

 聖堂騎士団第一部隊長のアルモリカに連れられ、俺を先頭に奥まった座敷へと入ると、背後で扉は閉じ、すべての窓が閉じられた部屋には、アーティファクトによる明かりが灯った。


「殿下、ベゾアール・アイベックスどのをお連れしました」


「うむ」


 アルモリカが身を引き、俺たちには椅子を勧められる。

 黙ったまま俺と【静謐せいひつ】はテーブルにつき、アミノたちはその後ろに並んだ。


「……久しいな【運び屋】ベゾアール・アイベックス」


「いや、まだあの戦争から半月も経っていないだろう」


「そうか? ……いや、そうであったな」


 プリスニスはそう言って目を伏せる。

 大麦の色をした髪がサラリと流れ、彼女の顔を影に隠した。

 誰も声を上げられないまま、時間だけが過ぎる。

 やがて小さく息を吐き、顔を上げたプリスニスは、以前と変わらぬ強い意志を秘めた表情で、俺たちを見つめた。


「すまぬ」


 突然、プリスニスが頭を下げた。

 それは、俺たちにしてみれば「会釈」程度の頭の下げ方ではあった。

 それでも、王族が一介の冒険者に頭を下げると言うのは、尋常な行為ではない。

 現にアルモリカは慌てて主に駆け寄り、プリスニスの姿を俺たちの視線から隠すように立ちはだかった。

 俺たちもどうしていいかわからずに視線をそらす。

 ほんの短い時間ではあったが、室内には妙な空気が流れた。

 やがてアルモリカが脇へ下がる。

 そのときにはもう、プリスニスはいつものように俺たちを見つめていた。


冒険者おまえたちをドゥムノニアで受け入れることはできなくなった」


「話が違う。どうしてそうなったんだ」


「兄上の……国王ヴォーディガン二世の名の下、純血のドゥムノニア人以外はすべて粛清の対象となる、そう決まったのだ」


「粛清?」


 俺の何気ない質問に、またプリスニスの表情が曇る。

 アルモリカは、言葉の止まった主君に変わり、口を開いた。


「……以前から、ドゥムノニア国内ではアングリア商人による富の独占が問題となっていた。国選以外の冒険者も、高価な第五層アーティファクトをもたらすものは、ほとんどアングリアの冒険者だからな」


 前国王の治世から続く、長年のアングリアとの小競り合いで疲弊した国を、若き国王はなんとか立て直そうと辣腕を振るった。

 アングリアとの戦いをやめ、逆に商業的な協力体制を結ぶ。

 しかしその努力も、どん詰まりの経済の前では無駄な努力でしかなかった。

 確かに、一時的には経済が盛り返し、ドゥムノニアに活気が戻りはした。

 それは見せかけの隆盛。

 やがてドゥムノニアの富は、一部の貴族とアングリアから流入した商人に牛耳られることになったのだ。


「国民の不満は、もうどうにもならぬほど高まっておる。兄王陛下は、アングリア人という共通の敵を作り出すことで、もう一度国をまとめようとなさっておられるのだ」


 言葉を引き継いだプリスニスは、輝きの消えた瞳で宙を見つめていた。

 自国のたみ以外に仮想敵を作り、国民の意思を一つにまとめる。

 それ自体は珍しい政策でもないだろう。

 ただ、アングリア人を締め出すという行為は、今までであれば第五層のアーティファクトを手に入れられなくなるという、経済的な問題に直結していた。

 そのため、『自国民の優遇策』をとる国はいくらでもあったが、それ以上の厳しい措置をとる国はない。

 だが、今回発見された第六層への新たなる直通路が、間接的にドゥムノニアの支配下に入れば、経済的な問題はなくなるだろう。

 それどころか、そう遠くない未来に第六層への直通路を独占するであろうドゥムノニアが『純血』の政策を推し進めれば、現在のアングリアとの立場は逆転する。

 第六層アーティファクトはドゥムノニアにのみもたらされ、七王国の盟主にもなりうるだろう。


 ただ、『粛清』とプリスニスは言った。


 第五層アーティファクト、つまりは経済という人質の無くなったのち、長く深くたまったおりのような不満に、初めてできたはけ口である粛清は、歴史に例を見ないほど苛烈になるであろうことは疑いようもなかった。


「……たとえ血筋は違えども、わが祖国に根を下ろし、ともに生きてきた国民への粛清は、是が非でも止めねばならぬ」


 プリスニスは立ち上がる。もうすでに視線は俺たちに向いていない。

 アルモリカが外套を手に持ち、先に立ってドアへと手をかけた。

 すぐにでも国へ帰り、粛清が行われないように行動を起こすのだろう。

 この緊急の事態に、わざわざ俺たちに頭を下げるため、ここまで出向いてくれた彼女に対して、俺は誠実さを感じた。


「あの……お待ちください、聖王女殿下」


 呼び止めたのはアミノ。

 足を止めたプリスニスは、顔だけをこちらに向けた。


「わたくしたちにも、何かお手伝いできることがありませんでしょうか」


 突然のアミノの申し出に、プリスニスよりも俺たちが驚いた。

 厳しかったプリスニスの表情が、ふっとなごむ。

 アルモニカが肩に乗せた外套のボタンを留めながら、プリスニスは笑った。


「第五層冒険者の力が借りられるとなれば、こちらとしてはうれしいが……。良いのか? 我々はもう協力者というわけではない。明日には敵になるやもしれぬのだぞ?」


 アミノはまっすぐにプリスニスの目を見つめる。

 本来ならば王族の顔をじっと見るなど許されないことではあったが、今はだれもそれを諫めるものはいなかった。


「聖王女殿下は、人の命を救おうとなさっておいでです。それは誰のためということもない、人として正しい行いだと思います。冒険者は人を助けるもの。わたくしは、ベアさんにそう教えていただきました。ですから、お手伝いをしたいのです」


「ベア?」


「あぁ、俺のことだ。パーティの仲間にはそう呼ばれている」


 プリスニスの疑問に、俺が答える。

 アミノはその先も何かを言いたそうだったが、心に渦巻く気持ちが整理できず、なかなか言葉が出てこないようだった。

 外出の準備を終えたプリスニスが、静かにアミノの瞳を見つめ返す。

 静まり返ったその場の雰囲気をこらえきれず、口を開いたのはロウリーだった。


「めんどくせぇなぁ。聖王女だか何だか知らねぇけどさ、兄ちゃんが助けるって決めた人だろ? じゃあもう友だちじゃんか! 友だちを助けるのに何の理屈が要るんだよ!」


「そ……そうです! ベアさんが一度助けるって決めたんですから、わたくしたちは最後まで力を惜しみません!」


 ロウリーの勢いを借りて、アミノも言葉を続ける。

 俺と【静謐】は頭を抱え、マグリアは「んにゃはっ」と妙な声を上げた。

 目を丸くして俺たちを見つめるアルモリカの横で、プリスニスの体が小刻みに震える。

 一国の王女を相手にして、貴族でもない一介の冒険者が『友だち』などとは、許されるもの言いではない。

 鋭い叱責が飛ぶかと思われたその瞬間、薄暗い部屋に大きな笑い声が響いた。

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