和平交渉
第44話「和議」
戦闘三日目の朝。
【聖王女】プリスニス・ロシュ=ベルナールに指定された場所は、まさに戦場のど真ん中だった。
静まり返った草原に俺とロウリーの二人だけが向かう。
プリスニスの書簡には「俺と副官の二名のみ」との指示があったためだ。
本来なら【
冒険者仲間から借り受けた『
近くには戦死者の遺体が放置されているため『闇』系のマナは普段より多かったが、罠となるような魔法の存在は感じられなかった。
振り返り、ロウリーへとうなずく。
大きな革製のマスクでかわいい顔の下半分を覆った彼女は、不敵な笑みでうなずき返した。
リュックから大きなテーブルを引き出す。
椅子も二客引き出して、一番離れた端に置く。
少し考えた後、ドゥムノニア側の椅子の上に大きな日よけの傘を広げて、俺は自陣側へと戻り、立ったままプリスニスを待った。
「ふぁ……あふ」
太陽が少しずつ上ってゆく。
ぽかぽかとした陽気に、ロウリーが大あくびをするころ、やっとドゥムノニアの陣に【聖王女】の旗が翻った。
金糸で縁取られた、鮮やかな緋色の旗。太陽をくわえ、翼を広げたドラゴンの瞳には、それだけで第五層冒険者の一年分の稼ぎにも匹敵しそうなエメラルドが輝いていた。
「なぁ兄ちゃん、こっちもなんか旗とか立てた方がよかったんじゃないか?」
「いや旗と言ってもな……俺は貴族じゃないから家紋の旗なんかないし、独立部隊だから直属の貴族もいないしな……」
そもそも、王族と一介の冒険者が和議を執り行うこと自体が異例なのだ。
少しずつ近づいてくる【聖王女】の旗を見つめながら、改めて俺は事の重大さに気を引き締めた。
昨夜、プリスニスからの書簡を受け取った後すぐ、本陣へは連絡を送っている。
しかし、本陣に連絡が取れたのは早朝だったし、すぐに帰ってきた返事には「無条件での停戦までであれば即決していい」と、ただそれだけが書いてあった。
それも俺たちのもとに届いたのは、俺が陣を出る直前。
本陣では軍議をする時間もなかったので、これはとりあえずの指示であるはずだった。
「アングリア王国、冒険者ベゾアール・アイベックス殿であるか?」
大きな旗を持ち、堂々とした軍服に身を包んだアルモリカが声を張る。
ここまで近づいているんだ、顔は確認できているのだろうが、形式ばったその言葉に、俺は一歩前へ出た。
「いかにも、アングリア王国冒険者部隊の隊長、ベゾアール・アイベックスだ。そちらは【聖王女】プリスニス・ロシュ=ベルナール様であらせられるか」
お互いに何度か形ばかりの言葉を交わし、テーブルの中央に武器を置く。
事前に【静謐】に聞いていた通りに事を運び、プリスニスが席に着いたところで、俺もやっと座ることができた。
「まずは火急の呼び出しに応じていただいたことに感謝しよう。ベゾアール・アイベックス」
それまですべての会話をアルモリカに任せていたプリスニスが口を開く。
表情からその言葉の意図を推し量ろうとしたが、彼女の表情は完璧に制御されていて、気持ちのひとかけらも滲んではいなかった。
淡い笑みすらたたえた、公人。つまり【聖王女】の顔。
昨日のプリスニスではない。それが痛いほどわかる。
俺はごくりと唾をのんだ。
「も……もともとアングリアは戦いを望んでいないんだ。ドゥムノニア側から休戦の申し出を受ければ、話し合いはやぶさかではないさ」
「ふん。どの口で」
「殿下」
「おっと、いかんな。許せよ、ベゾアール・アイベックス」
鼻で笑ったプリスニスを、アルモリカが
こちらもむっとした表情のロウリーを諫めなければならなかった。
「どの口でっていうのは、どういう意味だ?」
「言葉どおりよ。戦争を仕掛けておいてよく言ったものだと思うてな」
「仕掛けた……アングリアが?」
「ほかに戦争を仕掛けた国があるか?」
話がかみ合わない。
この戦争は、第六層アーティファクトを得たドゥムノニアが仕掛けた戦争のはずだ。
そもそも第六層での事件のこともある。
プリスニスの表情を見ても、やはり考えは読めなかったので、俺は助けを求めるようにアルモリカの顔を見た。
「……アイベックス殿は本気で?」
「本気も何も、ドゥムノニアは第六層でアングリアの冒険者を襲撃し、そこで得たアーティファクトの力を頼りに国境を越えた、そうだろう?」
「はっは。無知とは恐ろしいものよの」
「殿下」
「もうよい、アルモリカ。このようなものと話し合いができると思うたのは、余の間違いであった」
話は終わりだとばかりに、プリスニスは腰を浮かす。
アルモリカが何とかなだめすかし、プリスニスはもう一度腰を落ち着けた。
しかしもう、彼女は何も話をする気はないようだ。
変わってアルモリカが旗を地面に突き刺し、テーブルの前まで進み出た。
「
ゆっくりと話し出したアルモリカの話す開戦に至るまでの経緯は、俺たちの知っているものとはだいぶ違っていた。
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