p.137 君の人生
初夏の風を感じながらも、その手にじっとりと汗を握る。1度来たことがあるとはいえ、貴族の屋敷に単身で訪れるのは緊張する。豪華な外観も、広大な敷地も、そこを守る衛兵も見るだけで鼓動が強くなる。
今までに王城と呼ばれるところにも何度か行ったことはあるし、必要な時には権力者の元を尋ねたこともある。けれど、今回に限ってはそういう時とは別の緊張感が高まる。
事前に訪問を伝えていたため、邸宅の門まで辿り着くと一人の黒服を身にまとった老人がルーシャを待っていた。以前ここに来た時にエリスが「じぃや」と呼んでいた人物だった。
優しそうな目元を細め、にこりと笑い老人はルーシャに一礼する。それだけの挨拶の仕草なのに、不思議と気品と尊敬を感じずにはいられない佇まいがある。ルーシャも一礼し挨拶をし、邸宅の中に案内される。
客間にはすでに邸宅の主人であるマルクが椅子に腰かけてルーシャを待っていた。ルーシャは約束の時間より少し早めに来たのだが、マルクはそれを見越して待っていたようだった。
「いらっしゃい」
優しい微笑みにルーシャは一礼し口を開く。
「この度のガロン公爵への口添えの件、ありがとうございました」
開口一番にルーシャはお礼を述べる。マルクはルーシャに座るようにすすめ、ルーシャはその言葉に素直に従う。お茶とお茶菓子が運ばれ、ルーシャは実父とふたりきりの空間をはじめて体感する。
何を話すべきなのか戸惑うルーシャに、マルクはルーシャの今の生活や村について関心を寄せていた。ガロン公爵とオーティス公国は特にそれ程有名というものではないが、貴族としての歴史の長いダルータ家にとっては貴族君主というものに少し関心があるようだった。
他愛のない日々の生活や村でのこと、最近知ったオーティス公国のことなどを話しながら穏やかな時間が流れる。
ルーシャは元々、故郷の村を出てセルドルフ王城での生活が始まってから自分の居場所というものが特になかった。確かにセルドルフ王城では下働きとして働いて色々な人と関わって、その中で仲良くなった人もいたけれど、それでもそこは自分にとって一時的な場所だろうと思っていた。
ナーダルと出会い、師事してからは弟子としての立ち位置はあったし師匠のことも尊敬して大好きだった。自分の存在としての居場所は見つけたけれど、世界を旅していたため定住して自分が常にいる場所というのは無かった。それが不安だとか不満だとかはなかったし、ナーダルとの日々はそんなものなのだと思っていた。だから、1人前になっても世界を旅していた。
今こうして、ルーシャは初めて自分の居場所ができた。自分がいるべき場所があり、自分がこなすべき役割があり、自分を訪ねてくれる友人たちがいる。ここに来るために随分と世界を歩き回って遠回りした。
「ルイーズお義姉さん──君のお母さんだけど」
ふいにマルクが話題を変える。
「とても優しくて、頼りになって、私達も随分とその強さに甘えてしまっていた」
「・・・」
「お義姉さんが君をたくさんの愛情をかけて育ててくれたのは分かっているよ。だから、君は我々のことをそこまで気にかけなくてもいいんだよ」
微笑むマルクの声は優しく、凛とした意志の強さを感じる。
「君が私たちにどう接するべきなのか迷っているのは分かっているよ」
ルーシャがマルクたちとの距離感を決めあぐねていたのと同じように、マルクとシアもルーシャとの距離のとり方を思案していた。ずっと既に死んだと思っていた我が子が生きていたこと、たくさんのことを乗り越えて立派に育っていたことは嬉しかった。しかし、ルーシャはずっと伯母のルイーズを母親だと思っており、そこには確かに絆がある。本当の親だという理由だけで、ルーシャとルイーズが大切にしてきたものに割り入っていいのだろうか。
「お義姉さんから連絡がずっとなかったし、それに対し我々は何らかの行動をとることはしなかった。何もしなかった時点で私たちは君に実の親だということだけで、君の人生に割り入るものではない」
「でも、だからといって全くの無関係って割り切るのは・・・」
確かにマルクのいうとおり、ルーシャは今更ふたりのことを親だとは思えないし、実の親だからといって今後なにかを求めるつもりもない。けれど、知ったからには気にするなと言うのはルーシャにはできない事だった。
「ルーシャは優しいね。拾うばかりの人生は疲れてしまうよ」
知ったからといって、それを自分のことに全て関係付けなくても良い。知ったからという理由だけでひとつひとつをすくい上げていてはキリがない。
「そういうつもりでは・・・」
「全くの他人ではない、たまに頼れるかもしれない人・・・そういうので私たちは良いと思ってるよ」
ルーシャと同じように距離感をさぐっていたマルクたちはそこにたどり着いた。親として、正直言えばもっと過ごせなかった時間を取り戻すかのように過ごしたい。
けれど、本来なら親としてしなければならなかったこと一切をマルクたちは放棄し続けてきた。今さら親ヅラをするのは話がよすぎる。
「いいんですか?そんなんで」
ルーシャは何でもかんでも拾い集めるような性格では無いし、どんなに人の話に共感しようとも基本的には他人のことは他人事だと思っている。しかし、マルクたちにはそうではなかった。他人のように思えるけれど、やはり家族というものはルーシャのなかで特別だった。好きでマルクたちがルーシャを手放した訳では無かったし、色んな要素や出来事が重なって本来帰るべきところに帰ることがなかった。
何かが少しでも違っていたら、ルーシャは恐らくマルクとシアと姉妹とで暮らしていた。
ルーシャの問いかけにマルクはにこりと笑って首を縦に振る。
「人の器量には限りがあるし、君の人生は君のものだ。ルーシャにとって大切なものや、手に持つことのできる分を見極めなさい」
目に見えるなにもかもを気にかけ、手にしていてはいずれ手一杯になってしまう。たくさん出会うものの中から、その手に収めるべきものを見極めなければならない。
ルーシャにその気がなくても、ルーシャは無意識にマルクたちのことを気にかけている。相手の心中を思い、そのために自分かどうするべきなのかを考えてしまっている。それがいけないわけでも、そうするのが正解という訳では無い。
「せっかく来てくれたのだから、君のお母さんについて少し話を聞くかい?」
答えを出し切れていないルーシャに、マルクは変わらぬ笑顔を向けてひとつの提案をする。ルーシャとマルクたちの間に距離はあるし、気にするなと言われて言葉のまま過ごすことは難しい。真剣に向き合い続けても、すぐにどうこうなるものではない。
だからこそ、マルクはあえてその話題から話をそらせる。考えても向き合ってもどうしようもないなら、今はもうそこから一旦離れるほうが良いだろうと。
「はい、是非」
マルクの問いかけにルーシャは首を縦に振る。ルーシャにとって母親のルイーズは、よく知っているけれど知らないことも多い人物だった。母親が貴族であったこと、魔法術師であったことなど全く知らなかった。大好きな母親の知らない一面を聞くことは、とてもワクワクするものだった。
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久々にダルータ家をたずねた。しかも1人で。
めちゃくちゃ緊張したー。
場違い感が半端ない。
マルクさん達と、どう接すればいいのか、距離を取ればいいのか分からない。
気にするなと言われてもなぁ・・・。
気にしちゃうよー。
だからといって、家族みたいに過ごすってのはちょっと難しいんだけどなー。
だめだ、私めちゃくちゃ中途半端だ。
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