p.138 春待つ君

 


 初夏の風を肌をかすめ、陽の光の強さに季節の移ろいを感じる。ルベリア村に来た時はまだ初々しかった植物の緑も、今はたくましい緑に成長していた。


 ルーシャが村に住み、村に魔力協会の支部が設立され、田舎の村が少し活気づく。今まで村の外からの人の出入りは少なく、村の商店に品物が搬入される時くらいしかなかった。しかし近隣の村や町に魔力協会の支部がないため、魔力協会に仕事の依頼や相談に来る人間が増え、村全体が活気づく。


 人が増えたことで必然的に数少なかった村唯一の公共交通機関のバスの運行回数が増え、村の商店や飲食店の経済が回る。多少の治安の乱れはあるが、村の生活に大きく響くほどのものではなく、さらに人の出入りが増えたら対策を講じようという話になっていた。



 そうして村が賑わう中、ルーシャはぼんやりとして過ごす。



 村に定住するにあたり、ルーシャは日帰りで行ける範囲の距離での依頼仕事をこなす。しかし、近隣の村や町ではそれほど大した依頼はなくルーシャは在宅でできる内職などで追加の収入を得ている。

 竜が目覚めたばかりであり、世界の動乱は大きい。そんななか、ルーシャは何かあった時のためにすぐに連絡がつき駆けつけられる自由度が求められるため、あまり拠点である家を離れるわけにはいかなかった。


 欲を言えば、竜が目覚めた世界というものを見て見たかった。未だに不思議に思えてしまうほど、世界は魔力で満ち溢れている。それが今、どんな影響を与えて、どんな風に世界があるのか見てみたい。


 だが、それが叶わない今は世界中を旅しているセトからの手紙や連絡が唯一リアルタイムで世界を知る術だった。




「はぁー・・・」



 何度目か分からないため息を漏らしながら、ルーシャは1枚の手紙を手にしていた。初夏特有の湿気を帯びた風が窓から部屋の中に入る。少しのベタつきを感じながらも、ルーシャは手にした手紙を何度も見ながらソファに寝転がる。


 手紙の差出人はここへ一緒にたどり着いたリルトからであり、近況報告とともに近々またルーシャのところに遊びに来ると書かれている。


 共に旅をして命を預け合い、この村に来た時には村に馴染むことにも協力してくれた。それ以前にも一緒に遊びに行ったり、食事をしたりと楽しい思い出は多い。けれど、ルーシャはそれよりも別のことばかりを思い出す。







 まだ竜が目覚める前、リルトやリヴェール=ナイトたちと竜の封印を解きに行く旅をしていた時、ルーシャたちはリルトが禁書に閉じ込められた経緯を聞いた。動乱と混乱の時代であり、争いの炎が絶えなかったその時にリルトは生きていた。


 そして、その中でリルトは反魂の術を使い誰かを生き返らせようとした。術の発動の前に止められたため、その術が発動していればどうなっていたかは分からない。術が成功し目的が達成されたのか、術は失敗に終わりその反動が術者に返ったのか──すべては謎に包まれたままだった。



「俺の禁術は個人的な理由だよ」



 昔を懐かしむかのように遠くを見すえるリルトが、近くにいながらも手の届かない距離にいることにルーシャはもどかしさを覚えた。決してルーシャの知ることの出来ない世界、その時のリルトと彼が生きた時間がそこにはある。



「俺はとある国で奇術師やってて、政治とか神事とか諸々のことに駆り出されてた。そんななか、マークレイで一人の奇術師と出会って恋仲になった」



 その声が自然と柔らかくなり、瞳に映す光が明るくなる。言葉にならない仕草や空気だけで、リルトが今どういう感情で語っているのかは明白だった。その瞳に映るのはルーシャが決して知り得ることの無いリルトにとって大切な人で、リルトがどんな風にその時を生きていたのかさえルーシャには分からない。知りたいような、知りたくないような、なんとも言えない感情が心の中で渦巻く。



「でも、その人は仕えていた王家の人間の魔力の暴走に巻き込まれて死んだ。世界情勢も緊迫していたし、俺自身も役割とか責任とかに押しつぶされそうで・・・。こんな不合理な事があるのかって・・・感情が先走って禁術に手を出したんだよ」



 言葉を選びながらリルトは静かに何かを見つめるように語る。ルーシャの知りえない誰かを、ルーシャの知らない表情で語るリルトを見ていると何故か胸が締め付けられる。

 リルトはかつて存在していた奇術師であり、その時代のことはルーシャたちは知る由もない。それは分かっているのに、ルーシャはどうやっても知ることもできない事があることに言いようの無い感情を感じる。








 そんな、リルトの昔話をたまに思い出しては溜息ばかりをついている。考えても仕方が無いことなのに考えずにはいられず、自分が知りえないことがあることにじれったさを感じる。胸がざわつき、他のことが手につかなくなる。


(何やってんだろ)


 自分で何度もそう思いながらも、その思いに囚われたままルーシャは時間を過ごしていく。



 そんななか、家の呼び鈴が鳴る。

 手紙の主がついに来たのかとルーシャは緊張した面持ちで玄関に向かい、その扉を開ける。



「はーい、久しぶり」



 金髪美女のオールドがにっこりと笑ってそこに立っていた。

 思っていた人物とは違い落胆するルーシャだが、いつもの自分とは違うことにすぐに気づく。もはや癖のように行っていた魔力探知をすることすら、今のルーシャの現状では忘れていた。いつもなら魔力探知で誰が来たのかなどすぐに分かるし、それが魔法術師相手なら尚更だった。


 いつもすることすら意識せぬ間に忘れ、ずっと同じことばかりを考えている。



「お久しぶりです、シスター」



 にこりと笑いながらルーシャはオールドを家に招き入れる。物珍しそうに家の中を見回しながら、オールドは招きいれられたダイニングの椅子に腰掛ける。シンプルな家具しかないなか、オールドがそこにいるだけで家の内装や家具が数段グレードアップしたかのように見える。


「ビックリした?」


 手土産のケーキを手渡しながら、オールドは無邪気に笑う。訪問の連絡がなく、こちらに来る気配もなかったルーシャは完全に不意をつかれた。

 

「そりゃもちろん」


 一国の王女という立場もあり、オールドがこうやってふらっと現れるのは予想外だった。貰ったケーキをわけ、お茶を入れ、ふたりは雑談に花を咲かせる。変わらぬ師匠の様子に安心しながら、そのいつも通りの空気がルーシャを平静に戻してくれる。


「で、なんか悩みでもあるの?」


 脈絡なくオールドは真っ直ぐにルーシャを見据えて口を開く。突然の問いかけにルーシャは口に運びかけていたケーキを宙に止め、師匠の目を見返す。オールドの瞳は鋭くルーシャルーシャをとらえ、気まぐれに発した言葉ではないと、その目が語っている。


「私ってそんなにわかりやすいですか?」


 セトといいオールドといい、妙に勘がいい。久しぶりに会ったのにも関わらず、いつも通りにしているつもりのルーシャの異変にすぐに気がつく。


「まあ、師匠の勘ってヤツかもね」


 そう言ってオールドは笑い、美味しそうにケーキを1口頬張る。いつ見てもオールドは美味しそうになんでも食べるし、そうしている姿が不思議と似合っている。


「考えてもどうしようもないことが頭から離れなくて・・・」


 幸せそうにケーキを食べるオールドとは相反し、ルーシャは手にしていたケーキをフォークごと皿に置く。


「気付いたらその事ばかり考えてるし、こう・・・なんていうかドロドロした気持ちみたいなのもあったりして」


 何をと言わずに抽象的にルーシャは自分の今を伝える。隙あらば同じことを考えてループにハマり、答えが出ないことを考えてしまう。考えれば考えるほど、なんとも言えない負の感情が芽生える時もあり、だからこそ考えないようにしようとするも、頭から離れなくても困る。



「いいじゃない、恋バナなら大歓迎よ」



 何をと言わずにオールドは何かを察し目が輝く。その明るく眩しい声と瞳にルーシャは思わず両手で顔を覆い、小声でつぶやく。


「もー、そういうの言わないでくださいよー・・・」


 楽しそうにニヤけるオールドとは対照的にルーシャは縮こまり、目を閉じる。



 悩んでいることがどういう感情に基づくものなのか、何と言うものなのかなど、ルーシャのなかでとっくに気付いていた。リルトの昔話を聞いた時、単なる知識として知らないことがあるのが嫌だと思った訳では無いことなどすぐに察しが着いた。ドロドロした感情──嫉妬があること、それが単なる友人への感情ではないことなど明白だった。


 それでも、その感情に向き合うのが怖くて見ないようにしていた。


「相手は誰?リルト?」


 変わらずニヤけたままのオールドは身を乗り出す。大の甘いもの好きのオールドがケーキなど目にもくれず、今は恋バナに食いつく。

 ルーシャの交友関係を全て把握している訳では無いが、1番関わりが多くて深そうな人物は1人しか思い当たらない。噂では一緒に世界最高峰の山に登り、神たる存在とも一悶着起こしたという。


 ニヤニヤが止まらないオールドにルーシャは顔を手で覆ったまま首を縦に振る。恥ずかしいのと、どうしていいのか分からないのとでルーシャの心はいっぱいだった。そのためオールドを直視することが出来ない。


「いいわねぇ、甘酸っぱい!」


「はしゃがないで下さいよ」


「人の恋バナほど面白いものはないじゃない」


 楽しそうに笑うオールドのその言葉にルーシャも内心で頷く。恋バナは他人事を聞くのがいちばん楽しい。自分のことなど恥ずかしくて仕方がなく、オールド相手に相談したことを少し後悔する。



「あの時のあたしだってあんたにナーダルのこと指摘されて、結構恥ずかしかったんだからね」



 にやにやしながらオールドは、かつてルーシャにナーダルのことを想っていることがバレた時のことを思い出す。何の気なしにルーシャが話し出したかと思えば、オールドがひた隠しにきてきた甘酸っぱい感情をすぐに見抜いていた。


「そんな事もありましたね」


 オールドの言葉にルーシャは顔を隠していた両手をほどき、オールドを見返す。今となっては随分前のことのように思うが、あのときは不思議とオールドの立場を知りながらも、その感情を不謹慎だとは思わなかった。


「この先どう進むにしろ、私は応援するわよ。進展の可能性があるのは良いことじゃない」


「シスター・・・」


 笑顔を向けながらもその表情は少し切ない。



「あたし、ナーダルが呪いにかかった時に勢い余って告っちゃったのよねぇ」



「え?!」



 突然の姫君の発言に今度はルーシャが身を乗り出す。二人の関係を横で見ながらも、ルーシャは特に変わった様子はないと思っていた。


「まあ、そのあと色々あって結局は進展も失恋もなーんにもなく今に至るんだけど」


 頬杖をつきながらオールドは遠くを見すえる。

 告白した時、ナーダルはリーシェルの件が解決するまで待ってくれと話してくれた。それを聞いた時は、世界最強の女騎士相手にナーダルの抱えている問題が解決するとは思えなかったし、何かを期待していなかった訳では無いがはぐらかされたのかもしれないと感じていた。


「あたしはずっと片想いなのよねぇ」


 遠くを見据える瞳は少し寂しくも、どこか優しさで溢れている。報われない願いを抱える姫君は、再び美味しそうにケーキを口に運ぶ。


 初夏の風が窓から吹き込み、ルーシャはどうしようもない想いを抱えたまま師匠との時間を過ごす。











──────────


シスターが遊びに来てくれた。突撃訪問はちょっとびっくりした。

セトとかなら何も思わないけど、普段からそんなに色んなとこに行くタイプじゃないし。

一国の王家の人間だし、たぶん私が思う以上にシスターが色んなとこに行くって、実は大変なことなのかもしれない。


・・・そういえば、私は今まで一回もシスターの護衛の人とか見たことない。魔力とか気配も感じたことないなぁ。




そして、もやもやとかドロドロが・・・。


分かってはいたんだけど、認めたくなかったというか、向き合う勇気がなかったというか。


リルトといると、楽しくて楽しくて、いつの間にか隣にいてくれるのが当たり前になってた。共通の目的とか役割だから一緒にいることが多かっただけなのに、そういうことすらも忘れてしまうほど・・・。


恋って、もっとキラキラでワクワクしたものだと思ってたんだけど。


めちゃくちゃ悶々とすること多い・・・。

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