p.138 告白
少しずつ夏の香りが強くなる。昼間の暑さや湿気た空気が、いつの間にか朝晩にも侵食している。気付けば日差しも随分強くなり、眩しいほどの陽光が大地に降り注ぐ。
気づけば夏もすぐそこまで迫っており、ルーシャは時の流れの速さに驚く。春にルベリア村に来たばかりだと言うのに、魔力協会の支部ができたり、村や周囲の集落の人間から何かと頼まれ事をしたりと、ルーシャはすっかり村に馴染んでいた。
道を歩けば井戸端会議に引き込まれ、家には頼まれごとのお礼として野菜や料理が届けられる。村の子供たちが物珍しく遊びに来ることも多く、ルーシャは割と忙しい毎日を過ごしていた。
オールドとの会話も時折思い出しながら、自分の感情と向き合うこともあった。自分の中で芽生えた気持ちはもはや、なかったもののように扱うことはできない。かといって、なにか行動を起こしてしまえば今の関係性を失うことになる。
悶々と考えながらも、どこかで待ち人を待つような気持ちでいることも多くなる。進めたいけれど、壊してしまうのも怖い──そればかりを考えてしまう。壊さないために何もないように振舞って過ごすことも考えるが、嘘偽りで固めた表情や言葉で自分を武装することはルーシャのなかでは引っかかるものがあった。
常に嘘偽りなく誰にでも何でも正直に話している訳では無いし、時と場合によっては言葉を選び嘘をつくこともある。そのときどきに合わせた立ち振る舞いがあるのは分かっているが、今回の悩みに関してはそういうものではなかった。
単純にルーシャがリルトに嘘をつきたくない──それだけだった。
(かと言ってなぁ・・・)
何度目か分からない自問自答のループに陥り、ルーシャは愕然とうなだれる。自分の中でどうするか決めていれば、あとは覚悟を決めて行動するのみだが、まだ覚悟もなにも出来ないルーシャはひたすらに悶々とする。
窓から初夏の風が窓から家の中に入り、独特の湿気た空気が部屋の中に広がる。ソファでクッションに顔を埋め、ルーシャは再度ため息を着く。
(なんで好きになっちゃったかなぁー)
悶々とした気持ちを抱えたまま、ルーシャはどうしようもないことを考える。特別な何かを意識した訳では無いし、何かのきっかけがあったわけでもない。恋に落ちる瞬間もなければ、これといって何かに胸きゅんしたわけでもない。それなのに、どうしてか気付けば恋していた。
ルーシャは一瞬、この気持ちは勘違いなのではないかと思ったこともあった。どこが好きなのかと考えても、特にこれといって具体的な答えがすぐに出てくる訳ではない。共に過ごす時間が長かったこと、楽しい時間も沢山すごしたこと、危険で命懸けな旅路に同行してくれたこと・・・そういう状況で錯覚を引き起こしたのかもしれないと思った。
(でも、マスターも同じような状況なんだよなぁ。でも、別にシスターに嫉妬とか感じないし)
状況が似ているナーダルとの日々を思い出す。過ごした時間だけで言えばリルトよりは長いであろうし、その分楽しいことや腹を抱えて笑うこともあった。危険な旅路も多く互いに協力もしてきていた。けれど、ナーダルを想っているオールドへ嫉妬など全く抱かないし、良いように進めば良かったのにと残念な気持ちしかない。
(あー、やっぱりドロドロしてるなぁ。ヤだなぁ)
リルトのかつての恋人の話を思い出すと、どうしても嫉妬心が沸き立つ。自分の知らない表情で自分の知らない誰かと過ごした時間や、きっとそこに向けられたであろう優しい顔や声を思うといたたまれなくなる。どうしたってその時のことを知ることは出来ないし、その時にルーシャ自身がいることもできなかった。
どうしようもないと思っていても、考えてしまうし、何も知らない元恋人に妬ましく思い、そして羨ましく思う。
魔法術を使っても、人は過去には戻れない。決して過ぎてしまった時に行くことはできないし、過ぎてしまったその時をもう一度過ごすことも出来ない。
だからこそ、ルーシャは元恋人が羨ましい。
ルーシャが絶対に知ることの出来ない、かつてのリルトの声や表情、何もかもを知っている。たとえ、元恋人が故人であり今はライバルですらないとしても、羨ましいし嫉妬もする。
(やっぱり特別になってるなー)
今までナーダルやオールド、セトなど様々な人とそれなりに関わってきたルーシャだが、そこまで相手のことを深く気にすることもなければ気になることもなかった。人それぞれに人生はあるし思うところもあるし、知られたくないこともあるだろうと。だから、相手が自ら開示しない限り踏み込むこともあまりなかった。
けれど、リルトのこととなると土足で踏み込んでしまいたくなるほどに気になる。
ため息をつき、ルーシャはクッションから顔を上げる。うじつじしていてもどうしようもないと、軽く散歩にでも出かけて身体を動かそうと立ち上がる。
チリン、リーン
立ち上がると同時に家の呼び鈴が鳴る。
(うわっ・・・!)
魔力探知で来訪者の魔力を感じとり、歩き始めていたルーシャは思わず足が止まる。会いたいと思っていたのに、いざ来ると足がすくむ。躊躇いながらも無視するわけにはいかず、会いたいけれど今はまだ会いたくない客人を迎え入れる。
「久しぶり。いやぁ、フィルナルにこき使われててさー」
変わらぬ笑顔と態度のリルトにどこか身構えていたルーシャも思わず笑顔になる。その顔を見る直前まではどんな表情をしたらいいのか、何を話したらいいのか──そんな息をするかのようなことすら、どうすればいいのか分からなくなっていた。
「会長は無理難題ばっかりだからね」
今まで散々フィルナルからの仕事を請け負ってきたルーシャは深く頷き、リルトを家の中に案内する。さっきまで悶々としていたのに、こうして実際に会って顔を見て声を聞くだけで先程まで抱いていた感情が一瞬で払拭される。それはまるで・・・──。
(魔法みたい)
率直にルーシャはそう感じた。魔法術がどんなもので、どうやって使うのか、どんな効果を生み出すのかは分かっている。だからこそ魔法が決して偶然奇跡を引き起こすものではなく、何らかの現象を引き起こすためには知識と技術が必要で、それをなす為には地道で長い作業が必要なことも多い。
そんなことを知っているから、ルーシャはこうして何かがなんの音沙汰もなく突然ひっくり返る時に「魔法のようだ」と感じる。
「でさ、この前」
手土産のお茶菓子と共に二人の会話は盛り上がる。
竜が目覚めてからの世界の変動について、ルーシャは多くを知らない。覇者の帰還は世界の魔力の補填を意味し、世界中で魔力の活性化が巻き起こり、その結果として世界のそれぞれの土地は変わったところも多いという。
青竜の魔力は水を統べ、その魔力により枯れていた水源が復活し砂漠にオアシスや干上がった土地に井戸ができる。
緑竜の魔力は風を統べ、閉塞した土地に新鮮な風を送り、世界中の大気が活性化したことで世界の天気を大きく動かす。
赤竜の魔力は炎を統べ、地熱により世界各地で温泉が湧き出す。
黄竜の魔力は大地を統べ、痩せこけた土地に緑を与え、土砂崩れの絶えない土地の地盤を強化する。
世界中で奇跡のような現象がみられる一方、弊害も報告されている。
活性化した河川による氾濫、暴風による砂嵐の頻発、火山の大噴火、豊満になりすぎた土地は人の手にあまる。
魔力協会が全力で世界中のあらゆる場所の調査や対応に当たっているというが、その全貌全てを把握することはできないし、何もかもを救うことも出来ない。
さらに目覚めた竜や生き残っていた竜人ノ民たちとの関係を築き、今後どうしていくのか、世界中の国と人とどう関係性を構築し共存していくのかの課題も多い。
「魔力の違和感もまだ慣れないしね」
覇者の帰還は長年にわたり喪失していた魔力の補填も意味しており、その世界で生きてきたルーシャを初めとする魔法術師たちは違和感を抱えている。ルーシャたちからすれば有り余るほどの魔力を感じられ、少しずつ慣れたとはいえ、やはり長年の感覚は健在している。
「世界の様相も、竜の存在も、魔力の世界規模での増加も・・・色々一気に世界が変わったからな。落ち着かないのは魔法術師だけじゃないしな」
今まで当たり前だと思っていた目の前の景色が、ある日突然変わった。地形も気候も変わり、架空の存在が目の前に現れる。今ここにいる世界は紛れもなく自分が生きてきた世界なのに、まるで異世界に突然迷い込んだような感覚に陥る。しかも、その違和感を抱えたままこの先ここで生きていかなければならない。
そういったこともあり、世界のあちこちでは暴動や反社会運動がみられることもあった。
魔力協会は何をしていたのか、何を隠していたのか。
世界を掌握し操ろうとしているのではないか。
様々な憶測と噂が交錯し、危うい均衡状態であることは否めない。
「まあ、でもフィルナル会長なら何とかしてくれるでしょ」
「まあ、でもフィフナルなら何とかするだろ」
不安要素もあるなか、ルーシャとリルトのふとした言葉がハモる。特別に親しいわけでも何かを知っている訳でもないが、ルーシャとリルトはフィルナルを魔力協会の会長として信頼している。無茶な仕事ばかり頼んでくるし、権力者特有の圧力も感じる。
それでも、そういった中にフィルナルの優しさや思いやりを感じることは多い。決して言葉にも態度にも出さないが、相手への誠意や尊敬をフィルナルは持ち合わせている。
思わぬハモりにルーシャたちは笑う。こういう小さな出来事が楽しくて、嬉しくて、幸せで仕方がない。何を話したのか記憶に残ることが殆どない些細なこと、なにか建設的なことをした訳でもないダラダラとした時間を過ごすことが楽しくて、ずっと続いて欲しいと思ってしまう。
「うわ、フィルナルからだ。噂をすればってヤツかよ」
楽しい時間の中、リルトのパロマが作動する。フィルナルからの連絡に少しげっそりした様子のリルトはそのままパロマに応答し、突然の緊急指令に嫌そうな表情をうかべる。
楽しい時間はあっという間にすぎ、突然の幕引きとなる。
ルーシャは名残惜しくリルトを外まで見送る。大きな敷地では無いため玄関を出て、家の庭を歩き、その先にある門へと辿り着くのにそう時間はかからない。
隣を歩き、その息遣いを感じると胸が締め付けられるかのように痛む。
「じゃあ──」
「リルト」
またな──そう言おうと口を開いたリルトは名前を呼ばれる。
「私、好きなんだけど」
何気なくぽつりと零すかのような物言いで、ルーシャはそう口走っていた。
「え?」
突然の言葉にリルトは思わずルーシャを見つめる。あまりに自然で独り言かのような物言いに何かを聞き逃したかと思う。
「え?」
その反応にルーシャは驚いたようにリルトを見て同じ言葉を返す。そして、ハッと我に返り思わず視線を外す。
「ちょっ、ちょっと待って。違うというか、違わないというか・・・。いや、そうじゃなくて」
無意識の自分の言動にルーシャは顔を背けたまま手を振り慌てる。混乱したまま恥ずかしさで赤面し、それを隠すかのように明後日の方向を見るしかない。急に心臓の鼓動が強く早くなり胸を突き破ってくるのではないかと思えてしまう。
(え、まって。私いま告った?え、なんで?自分が怖いんだけど)
相手の顔を見ることすら出来ずに焦り、ルーシャはあまりの無意識の行動にパニックになる。適当に別れの挨拶でもして退散しようと思い立つルーシャだが、リルトがルーシャの真正面に立ちその両肩を掴む。急に目の前に現れたリルトに驚きながらも、ルーシャは視線をそらせるので精一杯だった。
「もー、ルーシャー」
リルトは軽くうなだれ困ったような、恥ずかしそうな表情をうかべる。名前を呼ばれ反射的にその顔を見る。
「何で先に言うんだよ、しかも何で今のタイミングなんだよ。不意打ちすぎだろ」
「・・・え、ごめん」
リルトの反応と言葉に驚きながらもルーシャは反射的に謝る。改めてリルトは深呼吸し、ルーシャの肩から手を離す。お互いに視線を合わせ、お互いの顔を見る。ずっと見てきたのに、こうして改めて向き合うと緊張するし、どこか気恥しい。当たり前のように隣にいて手を伸ばせばそばにいたのに、何故か今はこんなに近くにいるのかと意識してしまう。
「俺も・・・好きです。次はデートしましょう」
顔を赤らめ視線を外しリルトはそう告げる。初めて見るリルトの表情と声色にルーシャはどこか楽しくなる。
「なんで敬語?」
その言葉が嬉しく、予想外の告白に驚き、色々な感情がごちゃ混ぜになりながらルーシャは思わず笑ってそう言う。
「何ででもいいだろ。恥っず・・・」
視線を合わせることなくリルトは手を振り去っていく。その姿が見えなくなるまでルーシャは見送り、湯気が出そうなほどの顔の火照りと張り裂けそうな胸のドキドキを感じる。息を吸えば不思議と空気が真新しく感じられ、日の光を浴びている世界が輝いて見える。
「デート・・・」
リルトの言葉を思い出し、そう口にしたルーシャは思わずニヤけるのだった。
──────────
リルトが来てくれた。それまで悶々としてたのに、顔を見たらそういうもの一切合切が吹き飛んだ。
凄い力だなー。
そして、ちょっと自分が怖かった。
なんであんなタイミングで、言おうとも思っていなかった告白しちゃったんだろ。
恥ずかしすぎる。
いや、ほんと何でよ私。
もっとちゃんとしたタイミングとか雰囲気とかシチュエーションとか色々あるのに。
でも、次はデートかー・・・。
普通に嬉しすぎて楽しみすぎる。
駄目だ、ついついデートのことばかり考えてしまう。
恋ってやっぱり、キラキラワクワクしたものかもしれない。
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