p.139 最後のページ

 

 強い日差しに肌は焼け、湿気を帯びた空気がベタつく。動くことも、何かをしようとする気力すら奪われそうな暑さにルーシャは項垂れながら列車の揺れに身を任せる。


 規則的な縦揺れと予測できない左右の動きに身を委ね、流れていく景色をぼんやりと見つめる。列車の車内に空調があるとはいえ、夏の暑さはルーシャのやる気も元気も全てを奪っていく。雪国育ちのルーシャにとって真夏の暑さ──特に湿気た暑い空気は何よりも辛いものだった。


 そんなつらい時節のなかルーシャはオーティス公国から離れ、祖国・セルドルフ王国の故郷へと向かっていた。



 少し前にルーシャは実の父であるマルクのもとを訪れ、そこで今まで知らなかった育ててくれた母親のことを知った。



 魔法術と縁遠い家系にありながら、魔法術師としての腕を磨き周囲の人間から頼られていたこと。


 しっかり者で面倒見の良い姉御肌でありながらも、実はシャイで奥ゆかしい一面があったこと。


 貴族の令嬢として様々な教育や稽古を叩き込まれながらも、裁縫や刺繍などの細かいことが苦手で、すぐにその稽古から逃げ出していたこと。



 今まで母親のことなど何も知らなかったルーシャにとって、マルクが話してくれる話はどれも新鮮なものばかりだった。

 ルーシャにとって育ててくれた母親──ルイーズ・サールドは明るく元気でいつも頼りになる存在だった。決して裕福ではなく生活に余裕がなかったが、そんな中でも生活や人生が苦しいとは思わなかった。


 ルーシャたちを養うために仕事を掛け持ち、家にいることは多くはなかったが一緒にいる時は食事を共にし、色んなことを話し、時には家族で出かけることもあった。


 怒られたことも多いし、喧嘩したこともある。時には酷い言葉を浴びせて母親を傷つけたこともあった。


 それでも、ルイーズはいつもルーシャとアストルにたくさんの愛情をくれたし、何でも受け入れてくれた。



「お母さん・・・」



 その呼びかけに答えてくれる存在はもういない。

 母親のルイーズが他界したのはルーシャが9歳の時であり、今からもう10年も前になる。決して忘れていた訳では無いが、ルイーズが亡くなってからルーシャは色々なことがあり、もうそんなに年月がすぎたのかと驚く。


 いつの間にか母と過ごした時間よりも、一緒に過ごせずにすぎた時間の方が長くなってしまった。


 たくさんの思い出があるはずなのに、ルーシャはそれらを随分と長く思い出すことなく過ごしてきている気がした。ルイーズが亡くなってからは兄妹二人でい着ていくのに精一杯だったし、アストルが王家の血筋と分かってからは怒涛の王城生活となった。今まで暮らしてきた生活とは何もかも違う価値観で、常識も何もかもが自分たちの当たり前とは異なった。


 目の前の生活になれることに必死で、おそらくあの時はアストルもルーシャも、寂しさや郷愁など感じる時間すらなかった。


 少し余裕が出てきたと思った頃にはナーダルと出会い、魔法術の世界に足を踏み入れた。何もかもが新鮮で、覚えることも学ぶこともたくさんあった。


 平穏かつ平凡に生きていくと思っていたルーシャにとって、魔法術やナーダルとの出会いは想定外のものだった。こんなにも世界を渡り歩き、その広さと多様性を知るとは思わなかった。こんなにも世界の動向を知り関わることになるとは思わなかった。


 新鮮で、楽しくも大変な毎日に追われていた。




 電車を乗り継ぎ、バスに乗りルーシャは故郷の村にたどり着く。道中、特になんらかの事件や騒動があるわけではなく平和な旅路となる。



 たどり着いたは村は変わらぬ光景だった。

 深い緑の山々に囲まれ、村中の田畑は夏の陽光を浴びた植物たちが青々と輝く。質素な家屋が立ち並び、キラキラした都会の喧騒とは相反する。


 息を吸うと胸いっぱいに懐かしい空気が広がる。湿気た土の匂い、優しい陽光の名残り、少し冷たい山風の香り──ずっと感じてきたそれらが記憶を呼び覚ます。



 懐かしい気持ちを抱えたまま、ルーシャは母親の墓へと足を運ぶ。

 簡素で誰も来ない墓は寂れ、ここに母親が眠っていると思うと少しいたたまれない。


 ルーシャはおもむろに母親の形見の指輪を取り出す。魔力探知を行うと、母親の墓と形見の指輪に魔力と神語を見つける。今まで魔力探知は幾度となく行ってきたし、形見の指輪はいつも身につけていた。しかし、今までその神語や魔力を感じ取ることは無かった。


 魔法術のなかには、こうして神語をいくつかのものに分散して構成し、それらを鍵とし効力を発揮するものがある。しかし、基本的にはそれらに関してもひとつひとつの神語は魔力探知で読み取ることが出来る。


 しかし、今ルーシャの目にしている魔法術は全てのピースが揃って始めて神語が発現するものだった。今までそのような形の魔法術を目にしたことがなく、ルーシャは母親の魔法術の腕前を感じる。


 そして、その魔法術から何故か慣れ親しんだナーダルの魔力をうっすら感じる。完遂された魔法術に込められた魔力は、魔力の持ち主の生存に関わらず、その魔法術で魔力が使い切られるまではそこに存在する。


 驚きながらも、もうひとつの魔力を感じる。初めて感じる母親の魔力は新鮮だが、不思議とそこにルイーズの息遣いを感じる。初めて知った魔力なのに、そこに母親がいるような既視感をおぼえる。今まで知る由もなかったのに、ずっと前からこの魔力を感じてきていた──そんな感覚となる。


「ねえ、お母さん」


 魔法術を展開する前にルーシャはルイーズの魔力を感じながら、母親に声をかける。この声と問いかけに答えてくれる存在がいないとは分かっていながらも、声をかけずにはいられない。


「色んなこと知ったよ。兄さんのことも、自分のことも、お母さんのことも」


 小さな墓標の前に立ち、風が頬を掠めていく。


「ありがとう、私を助けてくれて。私たちを育ててくれて」


 ポツリとこぼすようにルーシャは思いの丈を話す。直接本人に言うことは叶わず、こうして自己満足の行動をとることしか出来ない。


「ごめんね、多分たくさん色んなことを諦めてたよね」


 何かを知っている訳では無いが、自分の実の子供でもないのに2人の幼子を引き取って育てていた。簡単に出来ることでは無いし、まだ若くてなんでも出来たであろう時間と自由を失うことになったかもしれない。ルイーズにはルイーズの人生があり、やりたいことを諦めたかもしれない。他にもっと生き方があり、別の可能性があったかもしれない。そういうものをルーシャたちのせいで失ってしまったのかもしれない。


「気にするなってお母さんは言うだろうけどね」


 ずっと一緒に過ごしてきたから、こんなことを言えばルイーズがなんというかは想像出来る。それでもなお、ルーシャはその言葉を口にしていた。



「お母さんのおかげで私は今結構たのしくやれてるよ」



 尊敬する師匠に出会い、魔法術師として働きながら色々な人と関わって、こんなにも毎日が慌ただしかったり充実している。つらいことも、大変なこともある。不安なこともあれば腹が立つこともある。

 それでも、今が十分に楽しいと思える。



 ルーシャは意を決してルイーズの魔法術を展開する。この魔法術を展開するということは、今感じている母親の魔力を使用するということで、消費された魔力は二度と復活しない。ルーシャにとって、唯一母親の息遣いを感じ取ることができる魔力を消費することは少し勿体ないと思うところはあった。


 けれど、こうして遺してくれた思いがあるのならば受け取ろうと決意する。







 *****




「おかえり」



 故郷への墓参りから帰宅したルーシャはオーティス公国の自宅でリルトに迎え入れられる。

 オーティス公国とセルドルフ王国は往復するには数日が必要で、空間移動などの魔法術を使えば時間の短縮は可能だが、ルーシャはあえて今回公共交通機関を使って移動していた。


 家を数日間空ける必要があり、フィルナルには声をかけていたがいつ何時だれかが尋ねてくるか分からない。そのため、その間だけリルトが留守番をすることになった。


「ただいま」


「風呂沸いてるし、飯ももう出来るよ」


 さすがに数日間移動しっぱなしのため疲れが溜まっている。


「完璧すぎる」


 帰宅早々に欲しいものが全て揃っており、リルトの家事能力の高さに驚きにながら感謝する。言葉に甘えルーシャはお風呂に入って疲れを取り、リルトが作ってくれた食事を食べる。


 ホッとした時間を過ごしながら、今回の旅路のことやルイーズの魔法術について話す。


「パズル魔法だな、めちゃくちゃマイナーな魔法だよ。使う人、初めて見たかも」


 様々な魔法術や古代術に精通しているリルトはすぐにルイーズの施した魔法術を見破る。パズルのように全ての神語の構成が揃って初めて神語の構成が発現するというもので、隠し事などをする時に使うという。しかし、全てのピースが揃わなければ神語が現れないという造りのため、ピースをなくしたり忘れたりすれば永遠に神語が発現されず忘れられ続ける。そのため、好んで使う人はほとんどおらず存在すらも知られていない。


 驚きながらも母親の遍歴の一部を知ったような気になり、ルーシャは今は亡き母を思う。


 今になって初めて知ることばかりで、どうして一緒に過ごしていた時に知ることが出来なかったのかと思ってしまうところもある。もっとたくさん母親のことを知っておけば、もっとたくさん親孝行しておけば良かったと思ってしまう。


「私、魔法術師になって良かった」


 今までは何となく魔法術師になって、なんとなく魔法術を使って生きてきた。特に誰かの役に立ちたいわけでも、名を馳せたいわけでも、偉大な功績を残したい訳でも無く、ただ魔力に目覚めたからその道を歩いてきた。漠然とした思いのまま、特に深く考えもせずにこの道を進んできた。


 しかし今、すでに他界して10年以上経つにも関わらずルーシャはルイーズの思いを知ることが出来た。その魔法術で、決してもう聞くことの出来ない声を今聞くことができた。ルーシャが魔法術師でなければ知りえないことだった。


 ルイーズはルーシャが魔力に目覚めるか、魔法術師になるかどうかも分からないなか魔法術を遺した。



 これからの世界の動向の渦中に身を置くことは、不安や心配もあるし心労も募るかもしれない。重責あることを務めあげられる自信もなければ、多少の面倒くささも感じる。


 あの時ナーダルに出会わなければ、関わらなければ、こんなところに自分はいなかった。


 けれど、あの時出逢えたからこそ人生が彩り今がこうして楽しい。



(これが魔力の導きとか運命ってやつなのかな)



 ルーシャは巡り巡って辿り着いたような今を噛み締め、そう思うのだった。









────────────



今になって初めてお母さんのことを色々知った。


今までも知りたいとは思っていたところもあったけど、お母さんが親戚のこととかそういうのは話したこと無かったし、何かを探すすべもあるわけじゃなかった。


だから、諦めていたし、大事な思い出だけ持ってればいいかなって。


それにわりと毎日生きるので精一杯だったし。お母さんのことを考えたり、思い出すことも少なくなってた。



マスターに出会って、マスターがお母さんのことを見つけてくれて・・・。ほんと、すごいなぁ。


私が赤ちゃんのときに魔力に目覚めてたから、お母さんが封印してくれたとはいえ魔力はたぶん動きやすくはなってたんだろうな。だから魔力に目覚めたし、魔法術師にもなった。お母さんはそういう可能性を信じて、魔法術を遺してくれたのかもしれない。


でもまさか、お母さんも兄さんが王家の人間だとは思ってなかったんだろうなぁ。


ほんと、人生何があるか分からないなぁ・・・。


私の予想では、なんかもっと普通の生活してるつもりだったんだけどなぁ。こんなに偉い人と知り合いになったり、王族や貴族の人と何らかの関係になったり、世界がどうのこうのって話に関わることになるとは。


これがきっと、マスターの言ってた運命や宿命ってやつなのかもしれない。できれば面倒なことはしたくないんだけどね。



不安も多いし、ストレスで胃がキリキリするし。

まあ、でもやるしかないか。


がんばろー、適当に。



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