p126 祝杯
ハッとルーシャは目を覚ます。
眠った記憶がなく、いつの間にか意識を失っていたことに気づく。何が起きたのか・・・記憶をよりも前に、ルーシャはひとつの異変を感じる。
(魔力がありすぎる)
魔力は通常、魔法術師であってもそう簡単に感じ取ることは出来ない。魔力探知でそのか細い存在を探し出すことは難しく、ルーシャや他の魔力探知に優れた人間にとっても魔力探知せずに魔力を感じ取ることはできない。
しかし今、ルーシャは特に意識して魔力探知をした訳では無いのに魔力が溢れるように感じとれる。あまりに濃く多量の魔力が爆発してしまうのではないかと思えてしまうほど、魔力の量が多くて濃い。
「よ、起きたか。シバとフィルナルもさっき起きたとこだよ」
むくりと起き上がったルーシャにリルトが声をかける。周囲にはリルト以外誰もいない。
「さすがにシバの婆さんが倒れた時はドキッとしたよ」
笑うリルトにつられ、ルーシャは先程まで感じていた緊張感が和らぎ少し落ち着く。
「リルト。魔力が・・・」
「ああ、満ち溢れてるだろ?今までの700年は魔力が極端に枯渇した状態だったんだ」
ルーシャが最後まで言葉にせずとも、リルトはルーシャの言わんとしていることを察して返事を返す。覇者の眠りにより世界に充満する魔力が減るとは聞いたことがあったが、それにしても今ある魔力はルーシャが生きてきた世界にとっては、明らかに多すぎるという異常事態だった。
「竜の吐息は魔力を含み、竜の羽ばたきは世界の魔力を掻き混ぜる──なんて言われてたくらいだからな。ルーシャたちは突然の魔力濃度の上昇に酔って、気を失ってたんだよ」
リルト曰く、魔力が枯渇した時代を生きてきた人間にとって今の魔力濃度は異常であり、経験のないことに体がついていかないという。数日から数週間で慣れると思われるが、しばらくは違和感を感じ続けるだろうと。
ルーシャは違和感だらけの中、リルトに案内されて湖城の外に出る。もはや湖城は瓦礫と化し、役割を終えたかのように見受けられた。
湖城の外の湖は変わらず美しく、青い空と湖が煌めくように存在している。そんななか、ルーシャは空と湖の岸辺を見て我が目を疑う。大空にはいくつかの大きな影が飛び交い、岸辺には遠目からでも分かる巨大な体がいくつも視認出来た。
リルトと共にルーシャは湖を渡り、そこへと向かう。ここ数日で見慣れた景色だったここが、今ルーシャにとっては全くの異世界のように思えてしまう。竜の眠りを解くということがどういうことを指しているかは分かっていたし、それがどういう結果をもたらすかも分かっていたつもりだった。
しかし、それを目の当たりにするということは理解していたとはいえ、なかなかすんなりと目の前の世界を受け入れることは難しかった。
「お久しぶりですね」
ルーシャの目の前には覇者と呼ばれる存在が数多くいる。人よりも数倍大きな体、太陽の光を反射して光る鱗、背中に翼を携え、その瞳は限りなく美しい。個体により色も大きさも異なる彼ら──竜がルーシャの目の前にいる。
そして、一頭の竜がルーシャとリルトの前に現れ一礼して口を開く。黄金色の体に、黄色の瞳の竜の声には聞き覚えがあった。
「よ、ファントム。あの時以来だな」
リルトは手を挙げて声をかける。
そう、リヴェール=ナイトの命を救うすべを教授してくれたのが礼神・ファントムだった。あの時は人の姿をしていたため、本当に竜なのかと思ったルーシャだったが、今目の前にいるのは紛れもなく竜だった。
「お久しぶりです」
ルーシャも声をかけながら、まだ夢見心地だった。しかし、そんルーシャに構うことなく周囲の竜はお祭りモードで目覚めたことを喜びあい、はしゃぎ回っている。
「無作法なのは許してください、なにぶん随分と長いあいだ空を見ることさえままならなかったものですから」
ファントムは申し訳なさそうに口を開く。そして、そのままルーシャとリルトをとある場所へと案内する。
自分の何倍もある竜が周囲にいることに驚きと共に少しばかりの恐怖も感じる。踏み潰されないか、押しつぶされないかと思うなか歩いていくと、数等の竜が集っている。
炎を彷彿とさせる赤い鱗と瞳の赤竜、流れるような淡い緑が美しい緑竜、深い蒼の体は尾に向け徐々に淡くなるグラデーションをもつ蒼竜がいる。そこにそろっているのは、それぞれの竜の主導者であり、この眠りの解除に関わってきた者たちだった。
そして、そんななかポツンと人影がひとつ見える。
「あれ、フィルナルは?」
竜の主導者たちに囲まれたシバにリルトは問いかける。周囲を見渡してもフィルナルの姿は無い。ルーシャは魔力探知で探そうとしたが、あまりに魔力濃度があがった世界に適応しきれず再び魔力に酔いかける。
「挨拶だけして帰ったよ。火急かつ重要度の高い対応事案が多く発生しているみたいで、リュカからの連絡が鳴り止まなくてねぇ」
シバはいつもと同じ調子で答える。
気を失っていたフィルナルはシバと共に目覚め、巫女たちの案内で湖城を後にした。その時、この場に集まっていたのは竜の主導者たちだけだったという。この場所で、竜や竜人ノ民には分かる封印解除の強大な古代術が施されたため、目覚めた竜たちは一旦その古代術の力を辿ってここに集まっているという。
世界各地で異常気象や天変地異が生じ、魔力協会が尽力したとはいえ、その被害は計り知れない。それに目覚めた竜を目撃している人間もいるため、下手に攻撃などしないよう手を回すのにいっぱいいっぱいだという。
他にも数え切れないほどの報告や対応があるため、フィルナルは主導者たちに挨拶をして、この場をしばに任せたらしい。ロナク=リアの結界が解けたため、この場所に魔法術を施すことができるようになっており、空間移動ですぐに本部に帰ったらしい。
「久しいな、〈青ノ第二者〉の徒弟よ。改めて、蒼竜のソートという」
美しい蒼竜が覗き込むようにルーシャに話しかけてきた。ロータル国のケルオン城にて一度その姿を見たことがあったが、面識がある訳でも言葉を交わしたことがある訳でもない。
よく響く声に圧倒されながらも、ルーシャは意を決して口を開く。
「おひさしぶりです。ルーシャです」
「お前が、あの小僧の師匠か」
ソートに一礼したルーシャに赤竜が話しかける。堂々とした雄々しい姿に、体に残るいくつもの傷跡が目立つ。揺らめく闘志を携えながらも、そこには不思議と優しさも感じとれる。
「小僧・・・セトですね」
ルーシャの言葉に赤竜・ルーグは静かに頷く。
〈赤ノ第二者〉のセトは今回の竜の目覚めに際し派遣されていたのが、ルーグの眠る大火山の麓にある古びた神殿を拠点にした場所だった。あらかじめリヴェール=ナイトにルーグの居場所を聞いたフィルナルが、セトこそ適任だろうとその地へ送ったという。
「礼を言う、ルーシャ。俺ではあいつの命を助けることしかできなかった。世界の広さや生きていく楽しさ、そんなこと教えてくれたな」
ルーグは良くも悪くも情に厚く、元々は仲間の命のために戦争も辞さないという態度だった。今でも仲間の為ならば戦う意思はあるし、そのために命をかけることだって厭わない。人間をことごとく殺すことだってするだろう。
それでも、ルーグは眠りのさなかに自分の懐に捨てられた人間の赤ん坊を見捨てられなかったし、その命を守るためだけにセトを大役ある〈第二者〉にした。自分の庇護下にいれることで手を出して助けることができるからと。
しかし、その世界を生きていないルーグが出来るのはせいぜい命を助けることだけで、その生活を支えることも、その世界観を彩る事も、世界の広さを共に見ることも出来ない。魔力が繋がったことでルーグはセトの動向は分かったが、だからといって他になにかしてやれることも無く、見守ることしか出来なかった。
何も助けてやれず歯がゆい思いのままルーグは見守り続けていた。そんななか偶然にも出会ったルーシャが、セトに魔力のある世界の美しさを、魔力協会という居場所を、広く続く世界を教えた。
「私はただ一緒に過ごしただけですよ、私の師匠がそうしてくれたように」
懐かしそうにルーシャはもう二度とかえることのできない時間を思い出す。ナーダルには魔法術のことも、世界のこともたくさん教えて貰った。教えてもらったことを数えあげればキリがないと思えるほど、師匠から学んだことは多い。
けれど、ルーシャが一番思うのは知識や技術の教えよりも、自分を見つけて受け入れてくれて、隣に立っていてくれたことが一番嬉しかった。同じ世界の同じ場所にいてくれる──そんなことが嬉しく、だからこそセトにも同じようにすごした。
ルーシャたちは雑談で交流を重ねる。特にシバはフィルナルのいない現在、ここでは魔力協会を代表する者であり現世界を一番知る者として語ることも多い。
湖畔には数多の竜が集い、その景色はルーシャやシバから見れば不思議なものだった。竜の鱗が太陽の光に反射して煌めくのは美しく、どこか幻想的な風景に思える。
「リヴェール=ナイト」
俯瞰的に目の前の景色を眺めていた黒騎士は名を呼ばれて振り返る。そこには黄金色の竜がこちらを見つめている。
「ファントム」
その瞳、その声、その存在全てが懐かしい。年齢も種族も立場も違いながら、ファントムとリヴェール=ナイトは語り合い友情を築いた。友が世界から消えるとわかった時、リヴェール=ナイトは再び相見えるために長い時間を生きるという選択をした。
いつ覚めるかも分からない友の眠りを見守り、いつ自分が死ぬかもしれないという不安も抱えながら、いつ世界が滅びてもおかしくはないと思うほどの大戦もくぐり抜けてきた。時の流れの中で世界がうつり変わっていくなか、変わらない友のいない日々を過ごすことは空虚でしかなかった。
「ありがとう、そして申し訳ありません」
待っていてくれたことは嬉しい──率直にファントムはそう感じる。永遠とも思えてしまうほど眠り続けたファントムたちにとって、目覚めた先の世界で見知った存在がいることは大きな意味を持つ。
しかし、ファントムはこれほどの時がたってしまうことは想定外で、それだけ長い間をリヴェール=ナイトひとりに待たせてしまったことは申し訳なかった。時の枷に縛り、生き続けるという地獄にいさせ続けてしまった。
「俺はあなたのおかげで生きている」
リヴェール=ナイトの命が危うくなった時、ファントムは友でありながら生きる術を教えることに消極的になっていた。それは、再び助けて生られたとしても、それは結局リヴェール=ナイトに生き続けるという枷をはめることになる。十分すぎるほど生き続けて、数々の戦や人の死を見届けてきたリヴェール=ナイトに、まだ地獄を見させてしまうかもしれないと思ってならなかった。
たとえ、ファントムたちの目覚めに立ち会えたとして、リヴェール=ナイトがこれから生きる先に再び竜や人の衝突がないとは言いきれない。希望を持った先に突きつけられる絶望は、容易に人を傷つける。
それでも、リヴェール=ナイトは生きることを願い、リヴェール=ナイトに生きて欲しいと願う人がいた。それだけでファントムは救われるものがあり、リヴェール=ナイトの命を助ける方法を教授したのだった。
「ファントム」
友の名を呼びリヴェール=ナイトは小さな金属製のカップを差し出す。ファントムは頷き魔力を変化させ砂塵を纏い、その巨体を変化させる。数十秒で黄金の竜は、リヴェール=ナイトと同じ背丈の人間の姿に変わる。陶器のように美しい白い肌、陽の光を浴びて光り輝く金髪、全てを見透かすかのような黄色の瞳の青年となったファントムが、リヴェール=ナイトからカップを受け取る。
「おかえり」
「ただいま」
リヴェール=ナイトとファントムは、小さな金属製のカップで祝杯をあげる。久しぶりの友との再会にリヴェール=ナイトが用意できたのは、旅に使う野外用の金属製カップと飲料用の水だけだった。お祝いにしては質素すぎるそれらで、ふたりの友人は再会を祝福する。
──────────
巫女たちの儀式の途中のどこかで意識を失ってしまった。
目が覚めると、あまりにも魔力が多すぎて信じられなかった。
少し目を離した隙に世界が変わってしまった──そんな感覚。
目の前の世界は知っているところなのに、知らないところみたい。違和感と見たことの無い光景に対する妙なドキドキが交錯して、自分でもよく分からない感情になる。
竜が目覚めるとどういうことになるのか、ある程度は想像していたけど・・・実際目の当たりにすると、ふわふわしたような気分になる。
分かっていて、このよく分からない感情に、目の前を受け入れきれないんだから・・・ほんとにこれからどうなっちゃうんだろう。
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