p.125 覚醒

 

 ルーシャたちが竜人ノ民の巫女が眠っていた湖城へたどり着き、今日で四日目となる。

 この三日間は様々なことを考えながらも楽しいキャンプであり、空と湖の青が限りなく美しかった。


「いよいよか」


 緊張した面持ちのリルトが口を開く。湖畔でキャンプをしていた一同は荷物をまとめ、再び湖城へと向かう。あの湖城は竜の眠りを繋ぐ最後の術が施されており、本来ならば他の封印が解けた時に巫女が起きて、最後の封印を解くという手筈はずだった。


 しかし、ロナク=リアの想定よりも封印期間が長くなり、ほかの封印が解けてもなお巫女たちは夢に囚われてしまっていた。


「素朴な疑問があるんですけど」


 湖を渡りながらルーシャはリナ=メイトを見る。


「今更なんですけど、なんで言葉が通じるんですか?」


 初対面で出会った時から巫女たちは普通にルーシャたちと言葉を交わしていた。こちらの言葉を理解し、こちらが分かる言葉を発している。

 ルーシャたちが今話している言葉は万国共通語のテオス語であり、神語を元にした言語だった。神語はイツカが魔力協会創設後に開発したものであり、眠りについていた巫女たちが神語やテオス語を知っているわけが無い。


 それなのに、リナ=メイトの一言目からルーシャ達には理解出来た。同じ竜人ノ民のリヴェール=ナイトや七百年前の奇術師リルトだけが理解出来たのならまだしも、昔の言葉も何も知らないルーシャ達と何の隔たりもなく会話出来たことに今更ながら疑問となる。


「私たち竜人ノ民は言葉の奇術を使います」


 リナ=メイトはにこりと笑う。


「翻訳魔法の元になった奇術だよ。魔法術にそれぞれの歴史あれど、翻訳魔法は殆どそのまま言葉の奇術を引き継いでるんだよ」


 不思議そうな顔をするルーシャに対しリルトは解説をする。翻訳魔法はその名の通り、知らない言語を自分の知っている言葉に変換する便利な魔法だった。しかし、いまの世界では殆どがテオス語を使用するため言葉の壁がほとんど無い。そのため翻訳魔法は存在や方法は知っていても、ルーシャたち一般人が使うことがほとんどない。


「そんな昔からあったんだ、翻訳魔法」


「言葉が通じないってのは何をするにも不便だったからな。多分イツカさんはそういう不便さを魔法術師以外の人もなくせるよう、言葉の開発をしたんだろうな」


 しみじみと頷きながらリルトは口を開く。イツカはマークレイを創設し、魔力協会をも創設し、魔力の発見と神語の開発まで行った偉人だった。動乱の世を生きたこそ、何がなんでも少しでも平和のためにと研究し、活動した結果がそこにある。


 古代術である言葉の奇術というものが未だに正しく発動し効果を発揮することに驚きながら、ルーシャたちは湖城へと再び足を踏み入れる。



 リナ=メイトたちは躊躇うことなく湖城の一階部分へと向かう。本人たち曰く、ロナク=リアの術はこの古城を中心として施されており、城の敷地内ではどこで開封の儀を行っても問題ないという。形式上、古城の中心部の方が良いだろうということでリルトが座標を割り出したのだった。


 三人の巫女はそれぞれ距離を取り位置取る。

 巫女たちは同じ時ノ巫女と呼ばれる存在であるが、その役割は少しずつ違うという。開封の儀をメインで取り仕切るのがリナ=メイトで、魔力の扱いが格段に上手いという。ラドーナ=ベルスは魔力量が桁違いに多く、ルーシャはその圧倒的な魔力に驚く。今まで出会った誰よりも魔力があふれでている。そして、エリィナ=ローナは魔力の仲介が上手く、開封の術ために必要な魔力をラドーナ=ベルスからリナ=メイトへと渡す役割がある。


 巫女たちが位置に着いたことを確認したフィルナルはリュカに連絡を取る。全協会員へこれから何が起きても担当内のひとを全力で守ること、そして自身も生き残ることを伝達する。この三日の間に全協会員に緊急任務が言い渡され、それぞれが任務地を割り振られた。


 任務地での異常に対する対応で、基本的には人命救助が任務となる。余裕があれば家屋保護や異常の記録なども言われているが、何が起きるか分からない状況に誰も余裕など感じることは出来ていない。基本的には二人以上での行動を促しているが、人員不足は否めずベテラン魔法術師や魔導士、呪術師は一人での任務にあたっている。


 本来ならばルーシャやリルト、シバも任務にあたる方が良いのだが、竜の開封となれば術を執り行う場所でこそ何かが生じうる可能性がある。そのため、古代術に現在一番詳しいリルトと世界最高峰の腕前の大魔導士・シバはこの場にいる必要があった。そして、ルーシャは言わずもがな〈第三者〉であり、このことに無関係の人間では無い。出来ることはなくても立ち会うことに意味があった。


 フィルナル──魔力協会の準備が整ったことを確認したリナ=メイトは静かに魔力を動かし出す。流れるようにラドーナ=ベルスの魔力が動き出し、最初は小川のような流れだったのがあっという間に大河の流れとなる。ルーシャの見たことの無い動きで魔力が動き、変化していく。


 流れゆく魔力は反応して別の何かに変わり、それがさらに別の何かに変化していく。次々と変わっていく魔力が美しくも、多量で大きい力はそれだけで圧巻だった。魔力が動いていく中、リナ=メイトはルーシャ達には分からない言葉を紡いでいく。聞いた事のない言葉、音、響きにどこか惹かれながらも、それが竜人ノ民が魔法術──奇術を発動させるための呪文なのだということは分かった。


 不思議な余韻を残しながら紡がれる言葉は、全く知らないものなのに聞いているだけで祝詞を受けているかのように思える。圧巻としながらも神秘的で優しいその言葉と力は、どんどん広がっていく。渦巻くそれらは時に混ざり合い、時に反発し合いながら一つの術を形成していく。


 多量の魔力がラドーナ=ベルスから溢れ出て、それをエリィナ=ローナが一切の無駄なくリナ=メイトに繋ぐ。並々と溢れ出る魔力はルーシャが今まで体感したことの無い量で、しかも勢いよくあふれでて来ている。いかにラドーナ=ベルスの華奢な身体に魔力が抑圧されたように存在していたのか、その魔力の勢いと流れが物語っている。


 エリィナ=ローナは余すことの無い多量の魔力の動きを完璧に読み、予測し文字通り全ての魔力をリナ=メイトに橋渡す。ひとつのミスも無駄もないその手つきは、大魔導士シバも息を飲むものだった。


 そして、リナ=メイトは多量の魔力を使って丁寧且つ迅速に術を構成していく。ひとつにまとめられる魔力はいつ爆発してもおかしくはない程の密度を有し、きたるべきその瞬間を待つかのようだった。美しく壮大な術は何もかもを飲み込む勢いで、ルーシャだけではなくシバやリルトたちも息を飲んで見守る。


 やがて、集約された力がひとつの変化を示す。




 枷が外れた──そう表現するしか、それがもっとも適切な表現だとしか、その場の誰もがそう思う。




 固く錆び付いた枷が外れ、それと同時にリナ=メイトの施した術の魔力が逆流するかのように溢れる。


(・・・ちがう、術の魔力じゃない)


 すぐにルーシャは異変を、術の結果を感じ取る。勢いよく噴出する魔力はリナ=メイトやラドーナ=ベルス、エリィナ=ローナの魔力ではない。強く美しい魔力がとめどなく湧き出ていく。






 *****


 雪国・セルドルフ王国はまだ寒さが残り、春の訪れまであと少しという時節だった。朝晩は冷えるが昼間の陽光は優しく、みんな春の訪れを待っていた。


「陛下、王子、屋内に早く!」


 王宮魔道士 マセルは王城の一室のバルコニーに身を置くウィルトとアストルに荒らげた声をかけるが、2人は緊張した面持ちで空を見上げたままだった。


 昨日まで良く晴れて穏やかな気候だったが、今現在の空は昼間とは思えないほど暗く、分厚い雲が蓋をしている。風が強くなり、遠くから雷鳴が聞こえ数分後にはこちらにもその雲が届くだろうと2人は覚悟を決める。暗雲は暗さだけではなく、不気味な緊張感をもたらす。


「行くぞ、アストル」


「はい」


「我々にできることをするしかない」







 *****



 永遠の凍土と名高いハッシャール雪原も異変を起こす。

 永久凍土の真っ白な地は猛吹雪におおわれる。あらゆるものを飛ばし尽くし、あらゆるものを瞬時に氷らせるほどの冷気が激しく渦巻く。大地は場所によって隆起し、陥没し、元の形をあっけなく変えていく。轟音の風がとめどなく吹き荒れ、あらゆるものの侵入や動きを止める。



 *****



 南国のナザ・パパンはいつものリゾート気分の空気がない。陽気で軽やかな音楽も、笑い会う人々の姿も、呑気に昼寝をする猫の姿もない。


 海には荒波が、空には雷鳴が轟く。時折どこかに落雷があり、耳をつんざく轟音、大地を揺るがす振動、胸を引き裂く不安が人々の中に駆け巡る。町の人は屋内に避難し、窓ガラス越しに外の様子を伺いみる。



 そんな中、ひとりの男が浜辺で荒れ狂う海を見据える。赤黒い髪は風になびき、灰色の瞳は無機質に海を映す。なんの感情も映さない瞳は荒れ狂う海におののくことはない。


 男はつい先日、起きた。そして、寝る前の記憶がなく、自分が何者なのかも分からないまま生きていた。何かを思うこともなく、淡々と目の前の世界をその眼に映すだけだった。



 *****



 大港町・レイズルは混乱している。

 今まで生じたことの無いほどの高潮と荒波に、海辺に近い場所は浸水し始める。街の自警団や魔力協会員が対応にあたるが、荒波と高潮の被害が多く手が足りない。


「お頭ー!」


 そんななか、とある場所にある酒場には街の人間が集まっていた。酒場の常連と家族が外の喧騒とは関係なく、楽しそうに飲食をしている。


「魔力協会の人間っす」


 厨房で他の人間と共にオーダーを捌いていたフェルマーに、元海賊のひとりが慌てて声をかける。身なりの整った男が厨房に入り、丁寧に一礼する。


「協会の人間が何用だ?」


 ぎろりとフェルマーは相手を睨みつける。


「フィルナル会長より、町と人の保全に際し非常事態が発生した場合はあなたを頼るように言付かっています」


「簡単に協会を抜けた人間を頼るんじゃねぇよ」


「はい。しかし、現状は我々の手にあまります。海辺から浸水が進んでおり、人々の避難もままなっていません」


「うちの情報網ではそんな情報──」


 ため息混じりに話していたフェルマーだが、勢いよく酒場の扉が開けられ2人の若い男たちが慌てた様子で駆け寄ってくる。



「お頭、大変だ!高潮と荒波でみんな沈んじまう!!」



 荒い息を整えるまもなく2人は声を揃えてそう叫ぶ。


「連絡遅すぎだ!連絡用魔導具渡してただろ、なんで使わなかった?」


 2人の報告に驚きながらもフェルマーは舌打ちをする。街から緊急事態が生じる可能性があることが通達されており、フェルマーは自分にできる範囲で人を助けるべく従業員と常連とその家族を酒場で保護していた。しかし、どこでなにが起きるか分からないため、連絡魔道具を従業員に持たせ異変を逐一知るために街に出していた。


「すまねぇ、ちょっと爺さんを助けてる間に落としちまったみたいで」


 一人の男が肩を落とす。フェルマーはそんな彼の頭を無造作に撫で「じいさんとお前らが無事なら良かったよ」と呟く。


 しかし、店内にいた従業員と客はすぐにフェルマーたちのやりとりを聞きパニックになる。ざわつき、外に出ようとする。



「狼狽えるなっ!!」



 そんな彼らをフェルマーの怒号にも似た一声が鎮める。瞬時に人々は動きを止め、口をとざす。


「協会員、権限も何も無い俺に助けられるのはせいぜいここの人間だけだ」


「承知してます。これを預かってます、フェルマー総長」


 協会員は懐から何かを取りだしフェルマーに渡す。そこには魔導士資格を証明する協会章、フィルナル勅命のフェルマーを一時的に魔導士として認め海軍総長(臨時増員)に任用する証書、そして協会の中でも限られた人間しか持つことの出来ない会長やその他幹部と連絡を取れる特別連絡魔道具があった。


 フィルナルはルーシャからフェルマーの所在を聞いており、万が一に備えてフェルマーを最前に立たせる準備をしていた。元海軍総長のフェルマーの魔法術や人を動かす才能は抜きん出ており、大港町の収拾を任せるのには十分すぎる。それに、レイズルは大きな街であり他の町との交流や街道も豊富であり、レイズルを拠点に周辺の町もフェルマーに任せる算段でもあった。


(大盤振る舞いじゃねぇか、フィルナル)


 会長といえども、脱会した協会員のためにこれほどのものを準備することは骨が折れたであろう。にやりとフェルマーは笑い、それら一式を受け取る。



「お前らっ!1時間でレイズルに平穏を取り戻すぞ!!」



 フェルマーは酒場の従業員たち──元海賊たちにそう宣言する。怒号のような歓声が沸き立ち、外の惨状を吹き飛ばすかのような熱気が溢れる。


「ついでに周りの町の連中も助けてやろうぜ」


 やる気と自信に溢れるフェルマーの言葉は自然とその場にいた人々の士気を上げる。元海賊たちや酒場の客たち、そして協会員を巻き込みながらフェルマーは動き出す。





 *****




 世界各地で暗雲たちこめ、雷鳴が轟く。風は嵐となり、雨は豪雨と化す。大地が脈打つように形を変え、山は崩れ谷は深くなる。火山は活動を活性化させあたりに噴煙とマグマを撒き散らし、海では海流が大きなうねりを生み出す。それぞれの変化が互いに影響を与え、世界中で怒るそれらは世の終わりかのような激しさを増す。


 家は壊され、町は形を失い、それぞれの命すら容易く奪われかねない。


 そんな全てが終わりそうな状況下、魔力協会員たちは己の使命を遂行するため激走しているのだった。








──────────


リナ=メイトさんたちの儀式に立あった。

全く知らない魔法術、知らない言葉なのに、不思議と見入ってしまうものがあった。

魔力の量が桁違いで、今にも爆発してしまいそう。それを緻密にコントロールするのもすごい。



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