p.53 墓参り

 どれくらい暗闇の中にいたのかも分からず、ナーダルは重い瞼をゆっくりと開ける。体全体が妙に重く、目に入ってきた光が眩しく思わずその瞳を細める。まだ眠気を感じるなか、ゆっくりと体を起こす。




(・・・ここは。いや、その前に・・・)




 周りをちらっと見て、ナーダルは記憶を遡る。見覚えしかないここは、ナーダルがかつて使っていた部屋であり、二年前と変わっていない。まるでここだけ時間の流れから切り離されたかのようだった。


 だが今はそれよりも、なぜこれほど体が重いのか、眠気があるのか、そもそも寝る前の記憶が分からない。記憶を遡るが、全く思い出せない。




「おはよう、セルト王子」




 どこか懐かしい呼び名を呼ばれ、ハッとナーダルは声の主の方を見る。声だけで誰なのかははっきりと分かっていたが、その事実をその目で確認する。




「リーシェル」




 その脳裏に焼き付いた美しくも恐ろしい女騎士がにこりと笑って、ナーダルのそばに立っていた。




「お元気そうで何よりです」




「こんな状況が元気だって?」




 にこやかに笑うリーシェルに対し、ナーダルは大きなため息をついて呆れ気味に受け答える。




「荒っぽいことをしたのは申し訳ないと思っているわ」




「で、何用かな?」




 談笑するリーシェルに、ナーダルは冷静な態度でその真意を確かめる。殺すためならばわざわざ意識を奪うことなどせず、さっさと殺しているであろう。もし、どこかでリーシェルに対する不穏因子が動いており見せしめに王家の生き残りを殺し、自分の力を見せしめるということもなくなはない。




「この城、何か隠されているでしょ?」




 鋭い瞳のリーシェルはさながら矢で敵を射抜くようだった。




「秘密のひとつやふたつ、歴史を積み重ねたとこにはあるもんだよ」




 どこか受け流すかのようなナーダルの瞳は同じく鋭く光っている。たとえ秘密があったとしても、そう簡単に口を割る気はない。




「交渉のネタはこちらにあるのよ?」




「ルーシャを人質にでも取る算段かな」




 不敵な笑みを浮かべる女騎士の言葉にナーダルは睨みつけるように彼女を見据える。危険はもとより承知であったし、そんなところへルーシャを連れてくることでルーシャがナーダルの弱点となることも想定していた。




「さすが王子の弟子ね、一筋縄ではいかなさそう」




 だからこそ、大魔導士のシバにルーシャの鍛錬を頼んだ。本来ならばこんな危険しかない場所に連れてきたくはなかったし、それはルーシャとナーダル自身の身の安全のためでもあった。だが、それでもナーダルは〈第二者〉として、〈第三者〉のルーシャに立ち会わせたいことがあった。




「リーシェル」




 その名を呼ぶことが今でもどこか怖いと思う。その姿を見たくもなければ、その声も聞きたくはないし、その存在などなくしてしまいたい。ナーダルにとってリーシェルはそれほどまで避けたい相手だった。




「はい?」




 名前を呼ばれたリーシェルは不思議そうに首を傾げる。




「友人の居場所を教えてくれないかな」




 ナーダルはにこりと笑う。






 ここには戻りたくはなかった、リーシェルがいるから。


 ここには戻らなければなかった、役割があるから。


 ここには戻りたかった、友との約束があったから。






「ええ、もちろん。そして、あれはあなたに渡しておくわ」




 にこりと笑い、リーシェルは部屋にある机の上のものを指さす。そこには黒い鞘の異国の剣がふたつ、ぽつんと忘れられたかのように置かれていた。














 広大なケルオン城の敷地の中、忘れられたかのようなところにひとりの人間が眠っていた。木々がおいしげるそこには木漏れ日が気持ちよく射し、頬をかすめる風が心地よい。




「やあ、ハル。久しぶりだね」




 一つの墓標に向かい、ナーダルは話しかける。この国のものとは違う、異国の墓標が目の前にぽつんと居座る。第二王子直属近衛騎士のハルはロータル国から遥か南西にある島国・倭国わこくの出身で、本名を津草つぐさ はるといった。文化も歴史も何もかもが違う地で生まれ育った彼は、ナーダルの今まで出会ったことのない人間だった。




「あれから、もう三年近く経ってしまったよ」




 答えが返ってくるわけでもない墓標に向かって、ナーダルは懐かしさと苦しみを込めた言葉をかける。このケルオン城も、ここの城下町も懐かしい風景ではあるし、ハルの名をこうして口にすることも懐かしい。だが、決して楽しいだけの思い出だけではない。




「君も一緒にいってほしかったんだよ」




 何度も思い出すあの日の光景は、ナーダルのなかで色褪せることはない。誰よりも信頼していた騎士長・ラインから裏切られ、あらゆるものが敵だったあの日、ハルが差し出してくれた手はどれだけ暖かかっただろう。生きる気力のない自分を叱咤し、生きる気がないなら自害しろとまで言われた。




 ハルはナーセルトと共にリーシェルや城中のものから逃げ続け、城を出る直前まで一緒にいてくれた。一緒に城を出ようと言ったのに、彼はリーシェルを足止めする必要があるといいナーダルひとりを城から逃がした。そのあと、彼が追いついてくることはなく、ナーダルはハルがリーシェルに殺されたのだと確信した。逃げて数ヶ月はもしかしたらと、期待することもあったが、ハルがナーダルの目の前に現れることはとうとうなかった。




「君は信念を貫いたんだろうけど、それで良かったのかな」




 ハルは本来、祖国・倭国を治める帝に仕えていた武士であり、彼の家は代々その帝家の護衛を担ってきた由緒正しき血筋だった。そして、その名門武家でハルは長男であり次代当主となるべく生きてきた。帝家を護り、津草家を率いり次の世代を産み育て血筋とその責務を紡いでいくはずだった。だが、ハルはその役目を放棄して海を渡り、ロータル王国へとやって来ていた。




 かつて、ハルが仕えていた帝家の姫君・玲華れいかは国交のためロータル王国に来た。ハルも主君の護衛のため同行し、その際に玲華姫とハルは他の護衛の者とはぐれた上に野党に襲われ、そこにたまたま居合せたナーダルが二人を助けた。そのことに恩義を感じたハルは祖国も役割も家族も捨てて、ロータル王国へとやってきていた。




「ありがとう、ハル」




 改めて礼を言い、ナーダルは頭を下げた。ずっと言いたくても言えなかった一言の礼を告げる。伝えたい相手も伝えたい言葉もいるのに、その彼はもうナーダルの言葉に反応してはくれない。




「あの時、君がいてくれなければ、その信念がなければ・・・僕も兄さんも死んでいたと思う」




 もしもハルがなければ、もしもハルの仕えるべき主は自分で決めるという覚悟と信念がなければ・・・ふたりのルレクト家の王子は最強の女騎士の前にその命を散らせていただろう。


 城中の人間を敵に回しても、彼は自分の主人を守るという信念を通した。




「君に生かされて、未来を繋ぐことができそうだよ」




 何もかもを諦めたあの日、生きることも、背負わされる役目も何もかもを放棄しようとした。信じるものが何一つない世界など、どうでもいと思ったし、そんな世界に自分を生かすために命をかけたハルを恨むことさえした。どうして、生きなければならないのか、どうして一緒に生きてくれないのかと。




「今なら分かるよ、君の言葉の意味が。あれが君の宿命で、僕の運命だったんだね」




 ともに生きたいと、隣にいてほしいと切望したのにも関わらず、それは叶わなかった。助けてくれた彼を失いたくなくて、大切な友人を死なせたくなくて、その手を取りたかった。


 でもそれは叶わないことで、ひとりで生きていくしかなかった。




「君ならばリーシェルを・・・と思ったんだけどね」




 迷いのない眼差しと、強く磨かれた剣術は近衛騎士のなかでも群を抜いていたハル。異国ならではの武術と空気感は独特で、自分の周囲の人間を斬り殺してしまうのではないかというほど、ハルのもつ空気は並外れていた。ハルはナーダルとレティルトを襲うものを誰一人として容赦せず、その刀で斬りつけてあたった。例えそれが上司の騎士長・ラインであろうと、プライベートでも仲の良い同僚騎士であろうと、慣れない異国での生活を教えてくれた友人であろうと関係なく、ハルは主人を裏切り傷つけるものすべてにその刀を振り下ろした。




 城中の人間を敵に回してもハルは顔色を変えることなく、淡々とナーダルたちを守り続けた。上司を、同僚を、友人を傷つけることにハルはなにを思ったのか、心が動かなかったのか分からない。冷徹だとも捉えられるほどの信念で、彼は二人の王子を生かし、今現在の未来へ繋げた。




 圧倒的な強さで城中の人間を斬り倒していくさまを見ていたナーダルは、ハルがリーシェルを倒すのではないか、生きて追いかけてきてくれるのではないかと期待せずにはいられなかった。




「国を捨て、家族を捨て、役割を捨ててまで・・・そうまでしてここに来て、君は何かを得られたかな。ハル」




 ロータル王国にも、騎士一族はいるし、代々王家に仕える騎士の血筋というものも存在していた。だから、国が違うとはいえハルの立場や役割はなんとなく分かるし、それが簡単に放棄できるものでもないことはナーダルにも容易に想像がつく。由緒ある家だからこそ、誰が当主となるのか、跡継ぎ問題はどうなのかと抱える問題はデリケートだが重いものだ。それに果たすべき役割を担うための教育や鍛錬も簡単なものではない。名門武家の長男として生まれ育ったハルが抱えていたものは、ナーダルがかつて背負っていた王家の人間としてのものと似ている。




「兄さんも、リーシェルも・・・君の存在を渇望していた。君がそちらにいっていたなら、きっと今はこんな風ではなかったかもしれない」




 ハルという男を欲したのはレティルトと、そして今は一国の君主と成り上がったリーシェルだった。信念を持って、それを曲げることのない生き方をするハルを兄は自分の側近に置きたがった。信頼できるものが少ないレティルトにとって、ハルとその生き様はまさに腹を割って話す側近にふさわしいものだった。




「あまり、自分を卑下にすると君は怒るかもね」




 こうして反応のない冷たい話しかけながらも、ナーダルのなかではハルの反応や言葉が浮かんでは消えていく。




「君を主人の、家族のもとへ返してあげられない力ない王子でごめん」




 異国の地でハルは眠る。ここには彼を知る人間などほとんどいないし、眠る彼に言葉をかけに来る人間も珍しい。安息の地ではないのに、彼はここで眠らざるを得ない。全てを捨ててきたとはいえ、命を張ったという事実がそれらすべてを無効にしてくれる気がする。




 本当ならばナーダル自身に権力やコネがあれば、その亡骸だけでもせめて家族のもとに帰してやりたかった。




「悪夢の中でさえ、君はいつも僕のそばにいてくれてる」




 暗く、何かに追われる悪夢の中でいつもこの背を押してくれるのは、紛れもなく暖かく大きなハルの手だった。その温もりがいつも悪夢から目覚めさせてくれ、こうしてもうこの世にいないのに今でもナーダルを救ってくれる。


 いかにその存在が自分にとって大きいのかと、いつも思い知らされる。体だけではなく心も救われる──そんな存在など、この先の人生でそうそういないかもしれない。




「思っても仕方ないけど、今でもここに君がいてくれたらって思ってしまうよ」




 ハルが信念を貫いたこと、そのおかげでナーダルとレティルトが今をこうして生きていられることは分かっている。亡くなった人間が戻ってこないことも分かっている。


 それでも、今こうしている隣にハルがいてくれたらと思ってしまう。きっと、ハルが生きていたらナーダルは今の状況ではない。シバに弟子入りしてたか分からないし、ルーシャにも出会っていないかもしれない。それでも、考えてしまうほどハルの存在はナーダルにとって大きいものだった。




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