p.52 最強の女騎士

 真夏の暑さなのか極度の緊張からなのか、ルーシャとナーダルは汗をかきながら静かな渡り廊下を歩く。聖堂を出てからは幸いにして誰にもすれ違うことはなく、それがルーシャには嵐の前の静けさのように感じられた。いくら聖堂がそうそう人の立入る場所ではないとしても、王城でこれほど人に出会わないことがあるのだろうか。




 警備兵の姿もまだ目にしておらず、この城の防犯がどうなっているのかと思えてしまう。セルドルフ王国の王城にはそれなりに警備兵が配置され、巡回もされていた。最強の女騎士の居城に入り込む者などいないという考えなのか、入り込んだところでリーシェルにより断罪されるということなのかと考えてしまう。




(それにしても、魔力探知網らしきものがないのもおかしい)




 ルーシャはもとより、警戒心マックスのナーダルは何度も魔力探知を行っている。もちろん、リーシェルの居場所を把握するためでもあるが、罠となる魔法術がしかけられていないか、逆探知されていないかという確認を何度もしている。だが、現時点でそれらしき魔法術は見つかっておらず、どこか無防備なように感じられる。




 不気味なまでの平和で穏やかな時のなか、ふたりは目的地にたどり着く。渡り廊下を進んでいくと、今までは一本道だったのだが分かれ道に差し掛かった。T字の分かれ道の右手には目的地──城で働く者たちの寄宿舎が、左手はそのまま王城へと続く道だった。この辺りまで来ると、遠目にも人が動いている姿が見え、ルーシャのなかの緊張感が跳ね上がる。




 だが、ルーシャの心配をよそに人が二人の元に来ることもなく、誰かに怪しまれることなく寄宿舎にたどり着く。ひと息つきたいところだが、安心するにはまだ早い。王城で働く人間の多くは一年中働いており、彼らの仕事はシフト制であることが多い。休日の者や夜間勤務の者などもいるため、寄宿舎で誰かと鉢合わせる可能性は非常に高い。そんな中から怪しまれず城をうろくつくための適当な職業服を失敬しなければならない。




 ナーダルは躊躇う様子なく、自然な手つきで寄宿舎の扉に手をかける。ルーシャは師匠の行動に緊張し、思わず生唾を飲み込む。扉の先に誰かがいるのではないかと覚悟をしたルーシャだが、自体は思わぬ方向に動いた。






(っ!しまった!)






 扉の取っ手に手をかけたナーダルは咄嗟にその取っ手から手を離すが、時すでに遅かった。取っ手にかけられた術式が瞬時に反応し、ナーダルはその場に倒れ込む。




「ま、マスターっ?!」




 小声ながらもルーシャは派手に倒れ込んだナーダルに駆け寄る。一体何が起きたのかと驚きながら、その意識を確認する。どこかぼんやりとし、今にも意識を失いそうなナーダル。








「用心深いあなたが引っかかるなんて想定外よ」




 どこからともなく一人の女が姿を現す。こつりと響く足音がとても嫌な音に聞こえてならないのは、敵の牙城に身を置いているからだろうか。


 意識が薄れるなか、ナーダルはその存在を確認する。




「お久しぶり、セルト王子」




 流れる艶のある長い黒髪をひとつに結い、その髪が風になびく。その艶やかな黒髪を風になびかせる姿が戦場では勝利の女神とも、死神とも呼ばれてきた。美しい黒髪が兜から解き放たれるのは、相手に勝利し武装の必要がなくなり彼女が兜を脱ぐからだった。勝利に喜ぶ味方からは勝利をもたらした女神に、尽ことごとく惨敗した的にとっては死神に見えていた。




「・・・リーシェル」




 薄れゆく意識のなかナーダルは確かにその存在を瞳にとらえ、憎くもあり恐怖でもあり、かつては頼りになった将軍の名前を呟く。かつてはその姿がどれほど頼りに思え、リーシェルほどの将軍など現れないと思ったことさえもあるほど、最強の女騎士は王国にとってはなくてはならない存在となっていた。




 だが、あの反乱以降ナーダルの瞳にはリーシェルほど恐ろしい人間などいなかった。リーシェルは、まるで息をするかのように人の──両親の命を奪った。そこには躊躇いも情もなく、そうするのが当たり前かのような行動とその表情があまりにも怖かった。




 宿敵を見ながらナーダルの意識は失われる。




「マスター?!」




 ルーシャは全身の力を抜き意識を失ったナーダルを激しく揺さぶるが、全く反応を示す気配がない。何かナーダルに違和感を覚えたルーシャは、ハッとリーシェルを見る。




「すぐに気づいたのね。さすが、王子の弟子」




 ふふっと笑いながら、リーシェルはこちらに歩み寄る。




「マスターの魔力を吸い取ったんですね」




 ナーダルの傍に寄り添いながらも、ルーシャはどうすべきかと必死に頭をフル回転させる。ナーダルから魔力がほぼ感じられず、魔力は命の存亡にも左右するほど重要なものだった。急激な魔力の枯渇により、ナーダルはその生命の維持のため体が強制的に休息モードとなったのだった。感じ取れる魔力がほぼなく、あと少しでも魔力が吸い取られていれば昏睡などでは済まないレベルでの生命の危機となっていた。




 目の前で黒髪をなびかせるリーシェルはルーシャの言葉に頷きながら、ゆっくりもこちらに近づいてくる。迫り来る城主を前にルーシャは何が最善か考える。ナーダルを連れて逃げるにしても、空間移動でこの場を離れるしかない。だが、魔法術師のリーシェルがルーシャのそんな行動を妨害してこないわけがない。一戦を交えれば確実にルーシャは死ぬし、一人だけ逃げ出すことも不可能ではないが、今ナーダルのそばを離れることは彼の状態を考えてもあまりにも危険だった。




「そんなに警戒しないで」




 ふたりの前まで近づいたリーシェルは、腰を下ろしてルーシャの頬にそっと右手を寄せて撫でる。最強の女騎士のその右手にルーシャは思わずびくっと反応するが、特に何か危害を加えられることは無かった。安心させようとしての行動であっても、リーシェルがすると殺されるのではないかと本能的に構えてしまう。




「王子もあなたも殺しはしないわ、今わね」




 意味深な言葉にルーシャの心臓は飛び跳ねるが、今はリーシェルのそんな言葉遊びに反応している場合ではない。今すぐに殺されることは無いようだが、それでもいつリーシェルの気が変わるかなどわかったものではない。なおも警戒し続けるルーシャとは裏腹に、リーシェルは深い眠りに入ったナーダルをまじまじと見つめる。




「客人としてお迎えするわ」




 すっと立ち上がり、リーシェルが手を叩く。すると、いつの間にやら近くに控えていた兵たちが姿を現す。ナーダルは兵のひとりに担がれ、ルーシャは別の兵に寄り添われる。




「王子は私室にお連れして。あなたはそうね・・・客室に」




 少し考え込みながらそう言い、リーシェルは兵たちにそれぞれ案内するように命じる。バラバラにされることに不安を感じるが、今下手に逆らってリーシェルの気分を阻害する方がルーシャにとってリスクが高い。客人とは名ばかりの人質であることをルーシャは理解していたし、今は現状を把握して最善の策を考えるしかなかった。




 言われた通りに兵はルーシャをひとつの客室に通した。連れられて入った王城はセルドルフ王国の城内とはまた違った意味で荘厳で圧倒されるものだった。行き合う人々は不思議そうにルーシャを見るが、特に声をかけられることもなかった。兵に連れられ、城の階段を上がり三階へとたどり着く。




 案内されたキッチンもトイレや風呂場も完備したその客室は、ルーシャにとって豪華な檻だった。部屋全体は落ち着いた色合いの家具や調度品で揃えられ、ソファもベッドも申し分のないほどふかふかだったし、シーツも肌触りの良いものだった。さらには広いバルコニーまであり、そこからはちょうど南東の聖堂が見えた。




 一応、部屋中を隈無く魔力探知し何か仕掛けなどが施されていないか確認したが、ルーシャの見つけられる範囲の魔法術は仕掛けられていないようだった。だが敵の本拠地に身を置いているだけに安心などはできない。落ち着くことなど出来ないが、いつまでもそわそわドキドキしていてもラチはあかない。




 ソファに腰掛け一息つく。ナーダルが心配だし、リーシェルがどう動くのかも分からない。そもそもナーダルがここへ来た理由も分かっていないし、師匠の兄であるレティルトはナーダルたちがここへ来ていることを知っているのだろうか。




 座って悶々としている中、扉がノックされて返事をする前に開かれる。現れたのは先程鉢合わせてしまった、城主のリーシェルだった。


 部屋に入ってきたリーシェルはにこりと笑うと、躊躇うことなくルーシャの向かいにあるソファに腰をかける。




「改めて自己紹介でもしようかしら。私はリーシェル、この国の現当主よ」




 突然の来室に驚きながらも、どこか呑気に自己紹介をされる。




「存じ上げてます。私はルーシャです」




 名乗るほどの経歴はないし、ナーダルのことを「マスター」と呼んでいたのを聞かれているため、リーシェルにはナーダルの弟子であることはバレている。ひとつ願うことは、リーシェルにルーシャの出自がバレないことだった。さすがに不法侵入した相手が他国の王子の妹というのは勝手が悪いし、下手をすればアストルやウィルトにまでリーシェルの剣先が向いてしまう。




「セルト王子がまさかご自分から私の元へ来るなんて結構想定外なのよね。なにか理由を知ってるかしら?」




 心底驚いたと言うような口調にルーシャは静かに首を横に振る。この城にナーダルが危険を冒してまで足を踏み入れたのは、何かするべきことがあると言っていたが、それが何なのかは教えて貰っていない。〈青ノ第二者〉というものが関与しているらしいが、あまりリーシェルに何か情報を握らせることが得策とは思えないルーシャは沈黙を通す。




「王子はどんなことでさえ、リスクを冒すことは基本的になかったわ。敵でしかない私の元に、弟子のあなたをつれてくるなんて何かがあるとしか言えないわ」




 笑顔で話しかけられたところで、その笑顔が見えない圧力をかけてくる。心臓を握られているかのような緊張感をおぼえながらもルーシャは「わかりません」と答えるのが精一杯だった。




 そんななか、リーシェルはすっとルーシャの腕を掴む。驚くルーシャだが、すぐにリーシェルの魔力を感じ取る。複数の神語構造がつくりだされ、ハッとルーシャはリーシェルの意図を察する。心や思考を垣間見る魔法、単に意識を奪う魔術、催眠状態にする魔法などの神語であることはすぐに分かり、対面式の聴取では有用な情報が得られないと踏んだのだろう。




(でも、遅い)




 だが、だてにシバの地獄の特訓についていったルーシャではなかった。複数の神語構造を立て続けにすべて壊し、逆にリーシェルの魔力を対象にした還元魔法の応用を使う。リーシェルの魔力が含まれる魔法術一切が自分に向けられた時、自動的にそれらをすべて還元し打ち消す魔力に対する鉄壁の防御を行う。




 複数の魔法術の神語構造をすべて解読することも、それらを発動前に壊すこともある程度の訓練を受けていればできるが咄嗟のことに人は対応しづらいものだった。だが、ルーシャはシバとの訓練の日々でいつも唐突に魔法術をいくつもしかけられ、しかもその構成スピードも発動も段違いで早い。さらにシバの魔力の扱いは非常に熟練であり、まず魔力探知がしにくいものだった。そんなものにここ十数日間晒されてきたルーシャにとって、リーシェルの魔法術の扱うスピードは遅く思えた。




 自分の魔法術をすべて壊され、逆に自身の魔力だけを特定に無効にされリーシェルは驚いた表情をうかべる。




「驚いた。これじゃ、下手な小細工はきかなさそうね」




 にこりと笑うリーシェルに対し、ルーシャは冷や汗をかく。世界最強の女騎士と呼ばれるリーシェル相手であり、せめて魔法術面では何とか対抗する必要があった。剣術や武道など、その手のことにルーシャは全くの経験がない。ルーシャからすれば、魔法術を封じたところで命の危機であることに変わりはない。




「王子が目覚めるまで待つことにしましょう」


















──────────



マスターが倒れてしまった!


そして、リーシェルさんに捕まった・・・。


いやもう、敵の本拠地だから見つからない方がありえないんじゃないかとは思ってたけど、でもどうしよう。


すぐには殺さないって言われたけど、それって追々殺される可能性あるってことだし・・・


 ヤバすぎる状況なんだけど。


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