p.54 青ノ間

 ハルの墓参りを終えたナーダルは、そのままの足で別の場所に向かう。城の敷地内にぽつんと存在したハルの墓とは異なり、そこは城の中でもそれなりに名の知れた場所でもあった。


 城内の廊下を歩くとナーダルのことを二度見する人間が何人かいる。その中にはナーダルがナーセルト王子だと気づくものもいるが、かつては王子を裏切ったという手前、声をかけてくる者はいない。




 なぜ、逃げたはずの王子がここにいるのかと疑問に思う彼らだが、下手に騒ぎ立てることなどなかった。そんななか、ナーダルは一人の人物と遭遇し再会する。




「セルト王子」




 そう呼ばれることが妙に懐かしい。


 真正面に立っているのは、背が高く体格の良い四十代の男だった。濃い茶髪の男は深々と頭を下げ、その態度にナーダルはなんとも言えない表情を浮かべる。




「久しぶりだね、ライン騎士長」




 彼はかつてナーダルの直属の騎士で、ハルの上司でもあった男だった。第二王子直属近衛騎士、そのなかでも騎士長を務めていた男であり、ナーダルが一番信頼していた人物だった。だが、それほど頼りにしていたにも関わらず彼はリーシェルのほうについた。最も信頼していた人物に裏切られたナーダルは何もかもに絶望した。




「お元気そうで何よりです」




 真っ直ぐとこちらを見つめるラインに対し、ナーダルは何とも言えない表情のまま口を開く。




「本当に?」




 裏切られたナーダルにとって、彼の言葉など耳に入らない。




「お、王子──」




 何かを言おうとするラインを、ナーダルの手が遮る。




「謝罪も言い訳もいらないよ。あなたの立場も分かるつもりだしね」




 そう言いナーダルはかつての部下と別れる。裏切られたこともは何よりも傷ついたし、命を狙われたことに憤りや悲しみもある。だが、城で働いているものも自分の命は惜しいし、彼らには守るべき家族もいる。守るべきものがある人間にとってリーシェルに歯向かうことなど簡単なことではない。




 冷静に考えれば分かるが、それでも裏切られた傷は深い。だからこそ、ナーダルはラインを責めるつもりもないし、謝罪や何か罰を求めている訳でもない。彼らの身の上もわかるが、ひとりの人間として許せる訳でもないナーダルは皮肉を言うだけが精一杯だった。




 モヤモヤした気持ちを持ったまま、ナーダルはひとつの場所にたどり着く。そこは城の中でも荘厳な雰囲気に包まれている。部屋全体が薄暗く、揺らめく蝋燭の光が重厚な空気を生み出す。




「ただいま」




 ナーダルの目の前にはふたつの肖像画が掲げられている。そこに描かれているのは亡きロータル国王と王妃、つまりナーダルとレティルトの両親だった。ここは歴代のルレクト家の人間が眠る場であり、王家の墓でもあった。肖像画の前には遺骨の一部が納骨されており、国王や王妃だけではなく歴代の王子や王女も眠ってきていた。




 リーシェルが反乱を起こしたため、もしかしたら旧王家のものなどは一切排除されてしまっているのではないかと思っていた。だが、リーシェルは王家の墓も、代々受け継いできた書籍や家宝なども残していた。




 今は亡き両親の前に立ち、ナーダルは今までの事を話しかける。もう話しかけたところで反応してくれるわけでもないし、その声が聞こえる訳でもない。分かっているし、なにかを求めているわけでもない。だがこうして両親のもとへ訪れたかった。




 反乱のあの日、あまりにもあっさりと周囲はナーダルとレティルトを裏切った。それがリーシェルへの単純な恐怖だとしても、王国として長年積み重ねてきた歴史も、信頼も何もかもを否定された。国に、王家に命をかけて忠誠を誓えというのは本来のスタイルでもあり、使えるべき主人を何がなんでも守るのも当たり前ではあった。




 しかし、人は誰しも我が身が大切でもある。城に仕える彼らにも彼らの人生があり、家族があり、守るべきものもあるとナーダルは思っている。裏切られたことは言いようのないほど悲しくもあり虚しく、そして信頼関係を築けなかった、彼らに何があってもついて行こうと思えない王家であったことに悔いもした。まるで、王家であることを、この国の王政そのものを、そして自分の存在や価値を否定されたかのように思えてならなかった。命を狙われることに危機感も恐怖もあったが、なによりナーダルにとって全てを否定したこの世界はあまりにもどうでもいいようなものに思えてならなかったのだった。












 ***




 ナーダルが目を覚まして数日が経過した。リーシェルよりナーダルが目を覚ましたことは聞いていたが、師匠に会わせてもらうことなどなく、ルーシャは客室に監禁されていた。客人という扱いではあるため、豪華な食事は提供されるが自由に部屋を出られないため窮屈さしか感じない。




 師匠はちゃんと無事なのか、これからどうなるのかという不安を抱えていたルーシャの前に数日ぶりにリーシェルが姿を現す。




「この手は使いたくなかったのだけど」




 部屋に入るなりリーシェルは腰に差していた剣を鞘から抜き、ルーシャの喉元に突きつける。突然の出来事にルーシャはフリーズして冷や汗をかく。敵の牙城にいるのだから、いつ殺されてもおかしくはないと思っていたが、こうしてそれが現実となると焦りや緊張が一気にルーシャを襲う。冷たい剣先を感じながら、身動きひとつ簡単にとることができずに静かにリーシェルを見返すことしか出来ない。喉元に突きつけられた剣先を気にして、うかつに声を発することすらできない。




「魔法術が効かない以上こうするしかないのよね。ついてきて」




 にこりと笑うその顔があまりにも圧倒的で、恐怖に支配されたルーシャは喉元に感じる冷たい剣先にせいで頷くことさえもできない。有無を言わせない態度のリーシェルに剣を向けられながら、彼女の誘導で城を移動する。道中で城で働く人間に出会うが、彼らは剣を突きつけられた客人を見て見ぬふりをしてそそくさと二人の前から姿を消していく。




 いつ喉元を切り裂かれてもおかしくない状況にルーシャは抗うことなど出来ず、ただただ言われるがままに進んでいく。


 リーシェルの魔力に対して鉄壁の防御は行っているが、こうして武力でかかられてはルーシャはどうしようも出来ない。




 いくつもの角を曲がり、階段を降りては登っていく。異国の城内を楽しむなどという悠長なことが出来ないまま、ルーシャはいつ喉元を切り裂かれてもおかしくない状況に心臓の鼓動ばかりが強く感じた。剣先の冷たさはもとより、リーシェルから感じられる切り裂かんばかりの気迫に圧倒される。




 やがて、ひとつの部屋の前にたどり着く。リーシェルに扉を開けられ、そのまま中に入る。




「ルーシャ!」




 中にいた人物が驚きの表情と声をあげる。数日ぶりに見た師匠は思っていたよりも元気そうで安心はするものの、今はそんなことよりも自分の身の危険をルーシャは感じていた。




「私の本気度、分かってくれたかしら?」




 にこりとナーダルに笑いかけるリーシェルは不敵だった。緊張感が迸るなか、ナーダルは表情を引き締め、目の前の女騎士を見据える。




「そこまでして、こだわる理由は?」




 リーシェルが今求めているのは、ナーダルとレティルトがひた隠している城の秘密だった。だが、秘密くらい歴史あるところにはいくらでもある。なにかの情報に固執するならば、本来はそれを知りえる王や王妃から情報を聞き出して殺していただろう。




「私とは絶対に顔を合わせたくないはずのセルト王子が、わざわざここまでやってくるなんて・・・気になるじゃない」




 くすりと笑うその声でさえ、容易にルーシャを恐怖へと誘う。




 リーシェルはかつて、ロータル王国で王国軍将軍を務めており王族との関わりも多かった。そんな彼女から見た王たる資質のあるレティルトは公私共に隙がなく、頭も切れて責任感も強い。やるべき事を理解し、それを成すための努力も時間も惜しまず、必ず責務を果たす。それが避けたい現実であろうと、見たくないものであろうと、面倒くさい案件であろうとレティルトは逃げることなくすべてを受け止める。




 それに比べ、ナーセルトは兄がすこぶる優秀なせいか、王子の責務という面倒くさいことから尽く逃げていた。レティルトがそんな皺寄せを基本的には受け入れ、ナーセルトはそんな兄の寛大さに甘えてきていた。面倒くさいことは人に押し付け、会いたくない人から逃げ、煩わしいことは避けてきていた。あまりにも自分勝手な生き方であったとしても、最低限のやるべきことをしていたため周りはあまり何も言わなかった。




 そんな、嫌なことから逃げ、会いたくない人物から遠ざかることばかりしていたナーセルトを知っているリーシェルは、ナーセルトを逃がした時から彼とはもう再会する可能性がほぼないと思っていた。憤りや怒りよりも、恐怖を優先しているナーセルトが親の仇である自分の目の前に現れることなどないと思っていたし、今でもこうして逃げることなく目の前にいる元王子に驚く。




 だからこそ、逃げる選択ばかりをしてきた彼がこうしてここにやってきたこと、逃げたい相手に向かい合うその覚悟の先が知りたかった。そこまでしてナーセルトが向き合うものとは何なのか、ルレクト家が遺した秘密とは何なのか。




「君の純粋なその興味というものだけに答えるつもりはない」




 冷静にかつ強気なナーダルの瞳がリーシェルを捉える。普段から温厚なナーダルが見せる、その睨みに似た強い瞳がとても珍しく、ルーシャは喉元に突きつけられた剣先以上の意志の刃を感じる。師匠がひた隠しにしながらも守ってきた何かは、積み重ねてきた歴史の分だけ重く、それを継いだナーダルの責務というものは簡単なものでは無いのかもしれない。




「でも、大事な弟子を見殺しにするつもりもない」




 冷静な態度と言葉を発しながらもナーダルの瞳は優しくルーシャに注がれる。


 そう言い、ナーダルは一歩前に踏み出す。リーシェルは剣を握っていた手の力を強め、それが剣先に沿ってルーシャの元にも伝わる。




「着いてきて」




 すっとリーシェルとルーシャの横をとおりすぎ、ナーダルは部屋の外へと出る。


 弟子の命には変えられないと踏んでの判断に、ルーシャは思わずナーダルを引き止めたくなる。自分のために隠してきたなにかを明るみにして欲しくはなかった。だが、最強の女騎士の剣の前ではあっさりと死への恐怖が打ち勝ってしまう。このひとの前で誰もが膝をおり、手を挙げ、そして守るべき王家に剣を向けた意味が分かる。この気迫と恐怖の前に、それに打ち勝てる者などそういない。それほどまでに圧倒的ななにかをリーシェルはもっている。








 いくつもの階段を登っては降り、いくつもの角を曲がり、いくつかの隠し扉をくぐった。ナーダルの足取りに迷いはなく、リーシェルは淡々と、ルーシャは冷や汗を流しながらそのあとを着いていく。三人の間に会話など一切なく、足音だけが妙に響き渡る。




 古びた廊下の壁にかくされた隠し扉をくぐり、先に広がる地下へと続く階段をひたすら降りていく。古いその階段は石造りで足元は暗く、光もないため三人はそれぞれの足元を魔法の光で照らす。降りていくほどに気温は下がり、湿気た空気が肌をかすめていく。




 どれくらい降りたか分からないほど、続いていく階段が永遠に思えた。響く足音が緊張感を表すなか、ひとつの場所にたどり着く。そこには石造りの壁に対し、扉がひとつだけ存在していた。




 ナーダルは覚悟を決め、ひとつの扉の前に立つ。その扉はどこか重々しく、来るものを拒むように存在している。大きさは人が並んで二人ほどは通れそうな幅、縦は二メートル弱ほどで、不思議なほど白い材質でできている。その扉には紺色の塗料が何かで幾何学的な模様が芸術的に描かれ、まるで芸術品のようだった。




 ナーダルはその扉に触れ、そっと魔力を感じ取る。この扉を始点にこの先を覆う壁や天井、床全体に非常に高度な封印の魔法術が幾重にもかさなってかけられている。ひとつひとつでさえ強力で、そのなかのいくつかはルレクト家のみが継承してきた封印魔法術もある。それらひとつひとつの効力を一切下げることなく、すべての魔法術を繋ぎ、その封印を持続させたのはナーダルと兄のレティルトだった。




 反乱のあの日、どうしても二人は逃げ出す前にここでしなければならないことがあり、一時的にこの場の封印を解いた。そして、用が済んだ後は再び二人で強固な封印魔法術を組み合わせ、簡単には解けないよう、ルレクト家の人間だけが解けるように仕掛けた。最後にリーシェルにも、他のどんな魔法術師や魔導士、呪術師に悟られないよう魔力探知無効までも施した。




 幾重もの封印と、それらを繋ぎ止める構造を丁寧に解ほどいていく。簡単なように見えるがひとつひとつ、それらを紐解くことは至難の業だった。複雑に絡みあった切れやすい糸を解くように、丁寧に、確実にナーダルは封印を解く。






 やがて、すべての封印が解ける。






「リーシェル」




 目の前で弟子の首元に剣を押し当てる最強の女騎士に、ナーダルは声をかける。ナーダルの瞳が真剣そのものであり、ルーシャは避けたかった出来事か起きてしまったと絶望を感じる。名前を呼ばれた本人はふっとほほ笑みを浮かべる。




「どうもありがとう、セルト王子」




 すっと、ルーシャの首元から剣を離しリーシェルは一切のためらないなく、ひらかれた扉に足を踏み入れる。


 喉元に剣を押し当てられていたルーシャは緊張感がプツリと切れ、思わず脱力し床にくずれおちるように座り込む。心臓が体から飛び出るのではないかと思うほど、強く激しく鼓動が響く。ナーダルは座り込み、そんなルーシャの頭を優しく撫でる。




「巻き込んでごめんね」




 殺される恐怖から解放されたルーシャに、優しい師匠の笑顔と言葉が染み渡る。巻き込まれることなど百も承知でここへ師匠と共に来たし、最低限の務めとしてナーダルの荷物にだけはなるまいと思ってきた。




「ごめんなさい・・・」




 足でまといとなって、ナーダルが恐らく隠していたかったであろうことをリーシェルに知られてしまうことに。自分がいなければこんな自体になっていなかったのかもしれない。


 自責の念などという言葉では言い表せない後悔が心の中に溢れる。もっとなにか出来ていたのでは、他の方法があったのでは、むしろ着いてきたことそのものが間違いだったのではと思えてならない。




「これもきっと宿命だよ」








 ルーシャはナーダルとともに、その小さくも重い扉をくぐる。




 中は地下室であるのにもかかわらず、不思議と明るい。部屋の天井や壁、床が淡く白く光り、それが照明の役割をしているようだった。部屋全体は広く、天井も高い。そんな部屋の中央奥に、思わず目が釘付けになってしまう異色なものがあった。






「青い・・・ドラゴン?」






 人の丈の何倍もある、それがそこにいた。体全体に深い蒼が輝き、長い尾は先端にかけて淡い色合いへとグラデーションが美しい。その手足の爪は鋭く分厚く、簡単に人間など割いてしまうであろう。


 そんな美しい蒼竜は、淡く光る薄水色の氷で全身を包まれていた。さながら竜の氷漬けといった状態であった。




 一足先にこの部屋に足を踏み入れていたリーシェルは驚いた面持ちで目の前のそれを見つめている。




















──────────


リーシェルさんに脅されて、マスターがひた隠していたところに足を踏み入れた。


剣を突きつけられたの初めてだったし、なによりリーシェルさんが怖すぎた。


マスターの邪魔にだけはならないようにって思ってたのに・・・。



そして、秘密の地下室らしきところで見たのは・・・



青いドラゴンよね?


ほ、本物なのかな。竜とかって昔の書物とか伝説とかにはあるみたいだけど、本当にいたかどうかとかは証明されてないし。




マスターが、ルレクト家が守ってきたものって何なの?


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