p.42 黒騎士

 やや薄暗い封書庫の空気は重苦しく、どこか湿気ている。ひとつひとつの書架はずっしりと天井まで本が積み重なり、見上げるだけでもなかなかの圧巻だった。何かが巣食っていても不思議ではない不穏な空気さえ感じられる──それが、一般協会員には開放されていない封書庫の空気感だった。




 そんななか一人の人物がひとつの書架の前で本を手に取り読んでいた。たまたま視界に入っただけなのに、漆黒の髪と瞳の細身で長身な男にルーシャは無意識に見入ってしまう。肩まで伸びた髪は吸い込まれそうなほど深く、物静かな瞳は鋭く本の世界を捉えているようだった。どこかその男の周囲の空気だけが静止したかのように流れ、息をすることさえどこか躊躇われる。静かに書架の本を手に取って読んでいるだけなのに絵になる様子に只者ではないオーラが漂う。




 どこか気品のような、常人とは思えない雰囲気の割には男の身につけている服装はラフなワイシャツに黒のズボンといったカジュアルなものだった。腰には刀剣に詳しくないルーシャでも分かるほど、良品と思しき長剣が携えられている。






「あんた、黒騎士だな」






 目の前の男に対し、レティルトは躊躇うことなく話しかける。その瞳は確信に満ち、目の前の男を捉える。




「いかにも、レティルト王子」




 声をかけられ男は少し驚きながらもこちらを見つめ、口を開く。レティルトを見て多少の驚きはみせたが、そこにレティルトがいるのが至極当然のような対応だった。男の重低音な声がどこか耳に心地よく響き、ルーシャはその存在を改めて見つめる。黒い髪は艶々しくも美しいが、同じような黒い瞳は光さえも吸い込みそうにみえる。レティルトよりも長身だが、すらりとした体格だからか見下ろされていても威圧感はない。本から離された瞳はレティルトとルーシャを見据え、見つめられただけでたじろってしまいそうになる。




「まさか生きているうちにお目にかかれるとは思わなかった」




 目の前に立つ男に対し、レティルトは心底意外だと言いたげな表情を浮かべる。レティルトは割とはっきりした性格で、対人関係にもそれが顕著に現れる。目上や尊敬している人間と、気さくに話せる同等と思っている人間では言葉遣いがはっきりと違う。だが、黒騎士と呼ばれる彼に対してはその線引きが曖昧なように見える。どこか探りを入れるかのようなレティルトの対応が、この男が何者なのか捉えきれずにいるルーシャをいっそう不安にする。




「こちらこそ。不肖な弟子が多大な迷惑と、あなた方に癒えぬ傷をつけたことは陳謝しきれない」




 黒騎士は手にしていた本を閉じ、こちらに向き直りレティルトに頭を下げる。思わぬ展開にルーシャはレティルトを見るが、彼はどこか複雑な表情を浮かべる。




「そのことであんたを責める気はない」




 頭を下げる黒騎士に対し、レティルトは首を横に振る。黒騎士の不肖な弟子とは、世界最強の女騎士・リーシェルのことを指していた。彼はリーシェルの師匠であり、彼女をあそこまで鍛え上げた本人だった。黒騎士の魔法術の腕前はそこそこだが、剣術は頭一つ抜きん出ており、それはリーシェルに受け継がれていた。長年黒騎士は魔力協会に在籍しているが、公認の弟子はリーシェルただ一人しかいない。ロータル王国の反乱は彼が一切関与しておらず、彼の知らない間にリーシェルが勝手に一人で行ったことだった。当初は師の黒騎士の指図があったとか、策略があったとかの噂もあったが黒騎士がロータル王国を滅ぼすメリットも意味もないことから、噂は自然消滅した。さらに黒騎士を糾弾することで彼やリーシェルが協会に牙をむくことを恐れたという事情もある。




 リーシェルの行動に対し、師匠として黒騎士は魔力協会の議会に頭を下げたらしいが、議会はリーシェルや黒騎士を裁くことなく現在まで至っている。事前に黒騎士がリーシェルの行動に気づいていれば止められただろうし、彼こそが唯一のブレーキ役だった。しかし、現実には黒騎士は気付けず、弟子の暴走で一国が滅び、ひとつの王家が没落した。リーシェルのやったこと、黒騎士がそれを止められなかったことは確かに世界的に見ても罰を受けていいレベルのものだが、魔力協会は世間体よりも貴重な人材の流出防止に傾いた。それに、何があっても魔力協会には黒騎士を協会から追い出すことができない理由もある。




 リーシェルの断罪がないこと、そもそもその行動に対する糾弾さえもしなかった魔力協会に対しナーダルは絶望したが、レティルトは妥当な判断だと率直に考えていた。悔しいがリーシェルには一国を転覆させるだけの力があり、裏で画策し人を引き入れ動かすだけの才覚があった。剣術の腕前だけ、魔法術の腕前だけでは成し得ない、人を動かす力は組織として失うわけにはいかない人材だ。世界的権威の魔力協会が亡国のためにそれほどの人材を易々と失うとは考えられないし、レティルトは自分が上に立つ立場ならその判断をするかもしれないと思った。




「〈第一者〉のあんたに聞きたいことがある」




 静かに頭をあげた黒騎士に対し、レティルトはさっそく本題に話をうつす。ここに連れてきてくれたケイディがレティルトとは別の意味での情報通がいると零していた。どこかの情報屋かと思っていたレティルトだったが、そこにいたのは謎に包まれた一人の魔導士だった。そして、レティルトの知る範囲で彼ほど魔法術の歴史やその移り変わりに精通した人物はいない。




(・・・〈第一者〉?!)




 その言葉を聞いたことはない。だが、似たような聞き覚えのあるフレーズを思い出し、ルーシャはレティルトと黒騎士を見る。ふたりとも表情を変えることなく見つめあっており、何も知らないのが自分だけなのだとルーシャはすぐに気づく。




「俺で答えられることならば」




 内容を聞くわけでもなく快諾した黒騎士の目の前で、レティルトはナーダルの受けた呪いの構造の一部を創り出す。魔法も魔術も呪いも、その構造は全て神語でできている。常人の目には見えない魔力の文字の羅列は美しく、複雑なほど高度な術となる。ナーダルにかけられた構造そのものはあまりにも複雑ですべてを把握して再現することは不可能なほど、高度な術だった。




「この術──呪いについて知りたい。ここの本を調べてみたが、オレは古代術の系統だと思う」




 いくつか呪術関連の本を漁ったが、似たようなものは一切出てこなかった。確かに呪いは呪う相手に対し発動させるために、構造が多様化し全く同じ構造になることはない。だが、それでも呪いの種類や効果などによりある程度の法則に縛られてくる。千差万別といえども元となる何かが必ずあるが、ナーダルにかけられたそれには大図書館の文献にかすりそうなものは何もなかった。となれば、その存在そのものが知られていない、文献もそうそう残っていない古い術──古代術が最も疑われる。




「マークレイ以前の時代となると文献じゃ厳しい」




 まっすぐと黒騎士を見つめるレティルトの目は確実に何かを捉えている。


 古代術に明確な定義はないが、それでも共通認識としてひとつのキーワードはある。それがマークレイ──魔力協会の前駆組織だった。その組織があったからこそ現代社会の構図があり、魔力の研究や文献が存在している。




 魔力協会は今から約七百年前に創設され、それ以前は前駆組織──「奇術師総会・マークレイ」が世界的組織として存在した。マークレイ自体の役割は今の魔力協会と変わらない。その頃はまだ魔力についての研究が進んでおらず、魔法や魔術といった割り振りもなかった。そんな中、不思議な力──奇力、不思議な術──奇術を使う人間を奇術師と呼び、不思議な力を扱う彼らは為政や神事に深く関わっていた。




 だが、今ほど魔力のコントロールがなされず魔力の暴走も頻繁だったし、ひとつの術に費やされる魔力量も多かった。奇術師の人材確保、奇術の発展、そして奇術師同士が繋がりを持てるように──そういう目的でマークレイは発足された。マークレイ自体は二十年ほどしか歴史がなく、すぐに魔力協会へと移行された。




 マークレイの創設者のひとりが、魔力協会創設者にして初代会長のイツカという魔法術師だった。イツカは魔力を発見したこと、そして神語を創り出したことでその功績を認められている。神語がなければ、万国共通言語のテオス語が開発されることもなかっただろう。今の世界の基礎を築いたといっても過言ではないほど、イツカという人間は偉大な人物だった。




「その呪いの名は分からないが、おそらく血族への呪いだろう。かなり古いがその手の構造が見受けられる」




 レティルトが創り出した構造をじっくりと見つめたあと、黒騎士は静かに口を開いた。彼の黒い瞳が何かを捉えているが、それが何なのかレティルトにもルーシャにも分からない。




「・・・やっぱりそうか」




 黒騎士の言葉にレティルトはため息をつくような、納得したような微妙な面持ちで呟く。俯く瞳はやり切れなさのような何とも言えない感情を表す。




「心当たりが?」




「今セルトがこの呪いを受けてる。同じような呪いがオレにも来たし、イートゥル家とヨゼンハ家の保護守にも向けられていたらしい」




 レティルトは難しい表情のままそう口にし、ルーシャはその言葉に驚く。ルーシャの記憶が正しければ、レティルトはイートゥル家の長女・オールドには保護守に動きはなかったと言っていた。




「レティルトさん、シスターには・・・」




「ああ、嘘ついた。オレらの秘密にしといてくれ」




 口を挟んだルーシャの頭をぽんぽんと撫でるレティルトの瞳に迷いはない。なんの考えもなくレティルトが重要なことを黙っているとは思えず、ルーシャは素直に彼の言葉に頷く。




「リーシェルは呪いなど扱える技量はない」




 変わらず呪いの構造を見つめながら黒騎士は呟く。呪いは高度で複雑だからこそ、それを扱える人間はそうそういない。魔法術は失敗すると、術にもよるが大抵は魔力の無駄な消費や魔法術の不発動で終わる。だが、呪いは失敗するとその反動がダイレクトに術者に還る。成功させなければ自身が呪われる──そんなリスクを背負って呪いは発動される。




「ああ。それにあいつなら、こんなちまちました方法はとらねぇ。あとはこの身体に流れる血だ。本家が動いたとしたら、すべての辻褄があう」




 納得したように頷きながら、レティルトは自分の手のひらを見つめる。その瞳は強い光を宿すものの、どこか揺れている。




「あなた方も縛られるものが多い」




 黒騎士は呪い構造から目を離し、目の前に立つレティルトを真っ直ぐと見つめ意味深げに呟く。




「お互い様だろ。情報助かった、この恩はいずれ」




 どこか割り切ったようにレティルトは言葉を発し、一礼する。




「王たる資質は健在のようだ」




 頭を下げるレティルトを見つめながら、黒騎士はどこか感慨深げに呟くように言葉を発する。その瞳が何を見つめているのかは分からないが、単なる協会員同士の関係性には見えない。




「もう背負うべき国もないんだがな」




 笑ってそう言い、レティルトは闇色の男と別れを告げる。踵を返すレティルトについて立ち去るルーシャは黒騎士と目が合う。吸い込まれそうな瞳に感じるのは、恐怖ではなく不思議と関心だった。初対面で只者ではないはずなのに、どこか引き寄せられる何かを感じずにはいられない。




「あなたとはいずれ」




 そんなルーシャの心境を知ってか知らずか、黒騎士は小声でそう告げ手にしていた本を再び開く。どういうことかと問いかけたかったが、レティルトの背中が小さくなっていくためルーシャは会釈だけをしてその場を離れる。




 薄暗い封書庫の元来た道を歩きながら、ルーシャは最も気になっていたことを問いかける。




「あの人は・・・?」




「正体不明の魔導士、黒騎士だ。その名を知るものは少ないが、いずれお前にも関わる男だ」




 黒騎士は年齢も正体も不詳な魔導士で、もう随分前から魔力協会に籍を置いていると言われているが何者なのかは分からない。ただ、魔力協会にとって非常に重要な情報をもっており、歴代の会長と接点を持っていると言われている。彼自身は一介の魔力協会員で特別な権力を持っているわけではないが、その存在そのものが特別だった。




 魔力協会の七不思議のように語り継がれ、同一人物ではなく誰かがその役目を引き継いできているのではないか、そもそも作り話ではないのかなどと噂されている。だが、その真相は闇に包まれている。




「とにかく、まずはセルトの呪いをなんとかする」




 強い言葉でレティルトは真っ直ぐ前を見すえ、ルーシャはその隣をしっかりと歩く。












──────────



ケイディさんの計らいで封書庫に行けた。


そこで黒騎士という人物と出会って、レティルトさんは呪いの糸口を見つけたみたい。


正直、不思議な人だなと思った。深い闇色のような髪と瞳で、オーラも闇に溶けてしまったかのように感じられるのに不思議と怖くない。


いずれ私とも関わるって言われたけど、何でだろう。


そう言えば、レティルトさんは黒騎士のことを〈第一者〉って呼んでた。何なんだろう。マスターだけじゃなくて、レティルトさんも何かを知ってるんだろうなー。


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