p.40 呪文ノ書

 ナーダルが呪いに倒れて翌日。





 オールドがルーシャたちのもとに駆けつける。オールドは王家の人間であるが一切の権力を持たず、普段は魔力協会で働いている。考古学を専攻しており、古代文字の研究や解読をし、世界各国の歴史探求に身を投じているのだった。あまりオールドに歴史学者のような雰囲気を感じないルーシャは、その仕事内容を知った当初はただただ驚いた。




 オールド・フレント・イートゥルは一言で言えば、自由気ままなお姫様だ。幼い頃から王位継承権やあらゆる権力を剥奪されているため、国政に関わる勉強や人付き合いはしてこなかった。それゆえ王族や貴族の集まるパーティには第一王女として立場上参加せざるを得ない時は、人付き合いよりも美味しい食事やデザートを片っ端から堪能していた。




 さらに幼い頃より魔力協会に通うことが多く、そこで触れ合う人々との影響で庶民感覚が身についた。国も、民族も、性別も、年齢も──様々な垣根を越えた人々とのつながりの中でオールドの感性は磨かれていった。考え方も文化も何もかもが異なる人との関わりは楽しくも、互いにぶつかるものもある。誰かの正義は誰かの悪であり、誰かの優しさは余計なお世話でもあり、悪意のない一言ですら容易に人を傷つける。理解し合うことは言うほど簡単ではなく、互いを受け入れることは思いのほか難しかった。




 そして、オールドは当たり前のように興味のある分野を勉強し、それに関連する職業を見つけて就職した。古代文字の解明はパズルみたいで面白い──オールドは率直にそう思い仕事に従事している。








「よお、オールド」




「レティルト!」




 相変わらず夢の世界に入り浸っているナーダルを見守るレティルトとルーシャがオールドを迎え入れる。ナーダルは倒れ寝込んで以来、一度も目を覚ますことなく眠りこける。




「なんか分かってることないの?」




 焦った様子のオールドと異なり、レティルトは落ち着いた様子で部屋にあるティーセットの封を開けお茶を入れる。ほのかに立ち上る湯気と、その香りを嗅ぐレティルトは安物の宿にいてもなお気品を感じる。




「一応、王家の保護守ほごもりの情報みてきたけど、特に王家に何かの呪いが向けられた形跡はなかった」




 昨日、宿について早々にレティルトはナーダルとルーシャを置いて魔力協会の支部へ足を運んだ。




 魔力協会と契約関係を結ぶ王家や貴族、権力者には保護守というボディーガードがつけられる。あらゆる魔法や魔術から契約主を守り、時には契約主本人の魔力の暴走すらも鎮圧しその身を守る。魔力に関する最高のボディーガードであり、魔法術の発展が目覚ましい昨今において、為政者や高貴な身分な者は必ずと言っていいほど保護守をつけている。一切の権力がないオールドですら、第一王女という立場があり保護守がついている。




 だが、保護守の情報というものは一協会員が簡単に調べて見られるものではない。国のトップレベルの要人の個人情報が満載で、そんなものを公開した暁にはプライバシー侵害と訴えられても仕方がない。




 そんなトップシークレットでさえ、情報通のレティルトの手にかかれば簡単に手に入れることが出来る。もはや最強の女騎士に追われるだけの身分となったが、レティルトがそれまでに培ってきた交友関係や信頼関係は裏ではまだ生きている。誰もが表立ってリーシェルに反抗できはしないが、彼女の目をかいくぐってレティルトを支持する者は彼に手を貸す。




 大国の王となるべく確実に経験と人間関係を積み重ねてきたレティルトのそれは、今でもはっきりと彼の手の中にある。だが、どれだけ裏で手を貸してもらおうともレティルトは誰も信用しない。表立って関係性を結べないということは、いつリーシェルに密告されてもおかしくはない──慎重なレティルトはいつもそう考えている。




「専門医か呪術師にみてもらわなきゃ」




「・・・それはオレらにとってリスクが高すぎる」




 オールドの言葉にレティルトは冷静な対応で口を開く。呪いを専門とする医師や魔導士、魔力のことを理解しその扱いに長けた呪術師ならば現状を解決する糸口を見いだせるかもしれない。だが、呪いを受けたとなると様々な個人情報を開示しなければならないことが多い。名前や魔力だけではなく、生い立ちや現在の職業、住まい、さらには詳細な対人関係までも求められることが多い。




 呪いは構造そのものが複雑で、呪う相手に作用するためにはその相手を熟知して、その相手のためだけに神語を細かいところまで構成しなければならない。呪うとは膨大な時間、たくさんの手間と、そして片時も相手のことを思い、考えながら過ごさなければならない作業なのだった。簡易な呪いも存在しているが、それは単なる嫌がらせみたいなものでしかなく、心の底から相手を陥れよたり、痛めつけようとするものではない。




「シスター、こういう記号とかって見たことありますか?」




 黙りこくるオールドにルーシャが話しかける。レティルトがオールドを呼んだ理由はふたつある。ひとつは、レティルトが動くためには身動きの出来ないナーダルを誰かに看ていてもらうため。そして、もうひとつは彼女の職業にある。




 ナーダルの左手首には呪いの印が痛々しい克明に刻まれており、焦げ付いたように黒々としたそれは見た目だけでもおどろおどろしい。良いものでないことは明白で、そこから感じられる魔力は悪寒が走るほど禍々しい。そんな印にはルーシャやレティルトが見たことのない記号や文字らしきものが羅列されている。魔法術の類は神語が基本であり、それ以外の構造では発動し得ない。だが魔力の歴史は古く、神語が発明される以前の時代の魔法術や呪術もある。そんな古代術には古代文字が使われている。




「・・・結構古い記号ね、この手のものは」




 ナーダルの左手首の紋様をじっくりと見つめるオールドの瞳は真剣そのもので、その言葉は妙に重い。時代が古ければ古いほど、古代術の詳細は分かりづらい。そもそも古代術は伝承者が限られており、著作がいくつかあるが複雑すぎて凡人には理解しがたいものばかりだった。さらに古代術の呪いとなれば複雑が重複する。




「ったく、世話のかかる弟だ」




 頭を抱えこみながらレティルトは眠りにつくナーダルを見据える。呪いなんて複雑かつ高難度な上、歴史が古いとなると一筋縄ではいかない問題を抱えるはめになった。それでも、レティルトもルーシャも簡単には諦められない。














 ナーダルが呪いにかかって二日が過ぎ、まるまる二日ほどを寝て過ごしたナーダル。レティルト曰く、魔力の回復に睡眠を必要とする体質のナーダルだから、おそらくかけられた呪いと己の魔力で拮抗状態となっているのだろうと。侵食する呪いを己の魔力で抑え込み、その反動で魔力回復に費やす必要があるのだろうと。




「とんでもないもん持ってるな」




 レティルトは眠っているナーダルの許可など取らず、勝手にカバンの中身を物色していた。何か呪いのヒントとなるもの、解決の糸口になるものがないかと。ナーダルの鞄から取り出されたのは深い紫色の本で、いくつもの紐で厳重に縛られている。本自体はボロボロで年季を感じるし、紐のひとつひとつには強力な封印魔法が施されている。






「会長からちょっと借りててねー」






 しげしげと本を眺めていた三人とは別の声が響き渡る。死んだように眠っていたナーダルが起き上がり、驚くルーシャとオールドとは別にレティルトは本をナーダルに突きつける。




「んな、ちょっと借りれるもんじゃねぇだろ。これ呪文ノ書だろ」






 レティルトは驚き、ルーシャとオールドはまじまじとそれに見入る。呪文ノ書といえば、禁書であり、そのなかでも三大書物のひとつだった。強力な魔力を秘めた書物で、ほかには魔法ノ書と魔術ノ書がある。




 禁書という分類は、魔力協会により定められたルールで危険な思想や強力すぎる魔法術の構造に関わるものが多い。それが公になってしまえば混乱を招くと考えられるもので、禁書に分類された書物は特定の資格のある人間にしか手にすることが出来ない。




 難しい表情を浮かべ、ナーダルはその封印を解く。紐を解くことで禁書の封印は解かれるが、その封印紐を解くことは簡単ではない。ひとつひとつの封印魔法を解除していくことで、ナーダルが簡単に出来ているのは封印の魔法術に特化した人間であるからだった。ナーダルとレティルトにかかれば、基本的に封印系統の魔法術は特に苦なく施しもできれば解除もできる。




 いつもは簡単なことなのに、左腕の呪いの印が魔力に反応して激痛を走らせる。封印を解いていく中、何度も何度も激痛がナーダルを襲う。雷撃を受けたかのように痺れては、再び次の痛みが左腕を襲う。痛みは雷撃だけではなく、業火に焼かれるかのようなもの、鋭い刃物で傷跡をえぐられるかのようなものと、様々な痛みがナーダルに降りかかる。




 淡い光を放ち本が自然と開き、その光とともに一人の人物が姿を現す。漆黒の長い髪を後ろで1つに結わえ、深い青い瞳が力強く光を宿す。すらっとした一人の若い男は迷うことなく本を手にするナーダルを見据える。




「何用・・・って、あんた《第二者》、しかもソートの」




 ナーダルを一目みて、男は驚いたように口を開く。じろじろと頭の先から足先まで見定めるかのような視線を浴びながらも、ナーダルにはそのことにかまう余裕はなかった。




「ふーん、そっか。やっと動き出すってわけか」




「色々納得してるとこ悪いんだけど、契約を申し込むよ。リルト」




 呪文ノ書をベッドの上に置き、ナーダルは左腕を押さえる。その手は力強く、痛みに耐えていることが分かる。表情も冴えなければ顔色も良くない。




「俺を起こしたからにはそうだろな。で、願いは?その呪いの解除?」




 男──リルトはあっさりとナーダルの左腕を指さす。




「いや、さすがにそれは代償が大きいよ。呪い主の判明と居場所の特定をお願いするよ」




「了解」




 何かを聞くこともせず、リルトはあっさり頷きそのまま姿を消す。突然の出来事に驚くルーシャとオールドとは別にナーダルは「じゃ、おやすみ」と言って何のためらいもなく再び布団を被って眠りの世界へ旅立つ。




「禁書ってわりには何にも書いてないし、怪しげな人が現れるし・・・。何なのよ、呪文ノ書って」




 オールドは眠ったナーダルの枕元に置いてある呪文ノ書を手にする。ペラペラと呪文ノ書をめくり、そのページすべてに目を通したオールドが不満げに声を発する。ルーシャも隣から覗き込んでいたが、目に入るページすべてが白紙だった。禁術や怪しげな呪文などは一切書かれている様子がない。




「書物って分類になってるが、禁書のなかには魔道具に近いものもあるからな。三大書物はまさにそれで、魔力を対価に契約を結べば願いを叶えてくれる」




 レティルトはオールドから呪文ノ書を受け取りながらそう説明し、自らも中身を確認する。




「本当に魔法の本って感じですね」




 ルーシャは率直に感想を述べる。魔法や魔術、魔力を学んでいるとそれらが偉大な力だと思う反面、制約が多く面倒なことが多いと思うことがある。魔法や魔術で出来ることは限られているし、大きなことをなすためには膨大な知識と時間と手間がかかってしまう。




「まあな。だが、魔法ノ書と魔術ノ書はもう相当数の契約を結んだから使えないがな」




「あんた、何でも知ってるのね」




 口を開けば次から次へととめどなく溢れてくるレティルトの情報に、ルーシャだけでなくオールドも驚く。ルーシャはまだ半人前で分からないことだらけなのは当たり前だが、オールドは一人前の魔法術師で魔力協会に在籍して日も長い。それなりに物事を把握していると自負していたが、レティルトの情報量には頭が上がらない。




「情報は多く持つに越したことはない」




「情報屋にでもなったら儲かるんじゃない?あんたなら貴族や王家のスキャンダルも持ってそうだし」




 姫君の言葉とは思えない台詞をオールドは躊躇いなく口にし、感心したようにレティルトを見つめる。




「生きるのに困ったら、その道を検討するのも悪くないな」




 満更でもなさそうにレティルトは頷き、改めて呪文ノ書に向き直る。その瞳は真剣で強い光を宿す。そういうレティルトの表情を見るたびにルーシャは彼の責任感の欠片を垣間見たような気になる。その強い光は眩しくも、張り詰めすぎているのではないかと心配にもなる。




「ただ待ってるのもじれったいし、オレは聖本部に行く。そっちはどうする?」




「あたしはここに残るわ。ルーシャは連れて行ってもらいなさい」




「え・・・?でも」




 魔力協会本部へ行ったことはないし、行ってみたい思いは重々にある。大図書館のある聖本部ならばあらゆる知識が集まり、何らかの呪いの手がかりがあるのかもしれない。だが、倒れ込んだナーダルを置いていくことは気が引ける。




「大丈夫よ。ナーダルはちゃんとみとくし」




「大丈夫だとは思うが、ヤバけりゃ早めに連絡よこせよ」




 レティルトは表情を引き締める。呪い主がナーダルのもとへ出向いてくる可能性はゼロではなく、オールド一人にこれほどの呪いを発動させた何者かの相手をさせるには荷が重い。オールドは確かに魔法術だが、一国の姫君に過ぎない彼女は戦闘などという状態に陥ったことがない。




「そりゃ、遠慮なくすぐ連絡するわよ」




 どこか自信満々にそう言うとオールドは笑う。オールド自身が一番自分の腕を分かっているし、レティルトに比べて実戦経験がないことも理解している。平和な国の姫様が喧嘩や戦慣れしているほうが問題であるが、オールドは自分の不甲斐なさを感じつつも、足を引っ張らない一番の方法が早くヘルプを呼ぶことだとも分かっていた。










──────────


シスターが駆けつけてくれた。けど、問題は変わらずで・・・。


早くなんとか呪いを解きたいけど、どうしたらいいんだろ。



呪文ノ書の人?にマスターが呪い主の捜索とか頼んでたけど、どうなるんだろう。見つけたところで、解くことなんて出来るのかな。


あー!ダメだ!!弱気になってる!




とにかく!


レティルトさんと聖本部へ行ってきます!


なんか情報を探そう!!


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