第五章 定めの刻印

p.39 呪い

 どんよりとした分厚い雲が空を覆い、初夏の爽やかさはどこかへ消え去っている。春にセルドルフ王城を離れ、旅をはじめたルーシャはナーダルとともに様々な国や地域を訪れていた。城を発って早二ヶ月ほどが過ぎ、季節は徐々に夏へと向かっている。風の便りでセルドルフ王国のウィルト国王が魔力協会と公に契約関係を結んだこと、協会より派遣された魔導士を王宮魔導士にしたことを耳にした。ルーシャが「あのウィルト陛下がっ?!」と驚愕したのに対し、ナーダルはセルドルフ王国と魔力協会に繋がりが出来たことに安堵していた。




 この二ヶ月でルーシャの覚えた魔法術はかなりの数となり、専門性が高い治癒や浄化系統の魔法術以外ならそれなりにこなせるようになっていた。特に旅をしていると風をしのいだり、火をおこしたり、時には雨や害虫から身を守る必要があったりと魔法術を使う機会が多い。田舎育ちのルーシャにとって、それらは自然界にあるものでなんとかなるものなのだが、こうして魔法術を使っていくと快適に旅をすることができるのだった。




 旅をしているもののナーダルには目的地がなく、彼の旅の目的はリーシェルに見つからないこと。そのため、フィルナルからの個人的な雑用を数多く抱えているナーダルは、その仕事をこなすために様々場所を訪れる必要があり、仕事をこなしながら旅を続けていた。




 フィルナルからの依頼は謝礼が出るとはいえ、会長のポケットマネーから支払われ生活や旅をするには少ない。そのため、魔力協会に数多く寄せられる様々な依頼をこなしていく。ルーシャは旅のなか、ナーダルに魔法術を教えてもらいながらも依頼仕事をともに手伝うことで実践的な魔法術の腕を磨いていく。




 魔力協会に寄せられる依頼は様々であり、探し人や捜し物の手伝いから貴重な植物の採取、依頼人の近辺警護、恋人へのサプライズの協力などなんでもありだった。魔力に関連する仕事内容であれば魔力協会は一般の人々からの依頼を拒否することは滅多になく、社会奉仕を掲げる組織なだけにすべての依頼を捌くことに躍起になっているところがあった。




 また、依頼には他にも逃亡中の犯罪者の捕縛や盗品の回収などといった危ないものも存在している。危険度が高いほど報酬は高くなっていくのだが、実力の伴わない者にはその手の仕事を受けることは出来ない。ナーダルは魔導士であること、今までに難易度の高い依頼をこなしてきたという実績があるため、よほど専門性の高い仕事以外は断られることがない。だが、ナーダルはルーシャと二人である程度の生活ができれば良いという考えのため、危険な橋を渡ってまでの高難度の依頼を受けることはなかった。元王子というのに当たり前のように庶民的感覚でなんの疑いもなく生きているナーダルを不思議に思いながらも、ルーシャは感覚が掛け離れていなくてよかったとも思うのだった。






 そんな二人はいまレナート共和国にいた。フィルナルの仕事でレナート共和国の山奥にわざわざ消息不明の協会員を探しに行っていたのだった。一介の協会員ならわざわざ会長命令で捜索することはなく、協会の人事部が動くのだが、今回探しに行ったのは先々代の会長の右腕と謳われた凄腕の魔導士であり、フィルナルが少し知恵を借りたい人間であったためナーダルに捜索の役目抜擢されたのだった。




 捜索対象の魔導士は、山奥の洞窟で暮らしていた老人で話がかなり長かった。ナーダルとルーシャの話など聞きもせず、洞窟での生活やかつての功績を延々と語られ一泊させられてしまうほどだった。なんとか本題を切り出し、本部へ顔を出すとやっと言ってくれたところで二人は彼の元をそそくさと去ってきたところだった。




「やー、おじいちゃんの相手は疲れるね」




 相手が偉大な先輩魔導士だというのにも関わらず、ナーダルは大きく伸びをしながらそう口にする。数々の功績を残してきた魔導士であっても、彼の現役時代をあまり知らないナーダルたちから見れば、元気な老人というイメージしかない。さらにナーダルの師匠は大魔導士であり、どうしてもそこと比べてしまうと他の人が見劣りしてしまうということもあった。




 長い山道を降り、小さな街道へとたどり着いた二人は地図を片手に人里を目指す。周囲はまだ自然豊かで人の気配を感じることのない風景が広がり、初夏の太陽は曇天の先にあり姿を拝むことは出来ないが、その熱気は容赦なく二人に降りかかる。吹く風がどこかじっとりとしており夏の気配を感じることが出来る。雪国育ちのルーシャは暑さに弱く、良いとこ育ちのナーダルは過度の暑さや寒さに弱く、二人して真夏には避暑地へ行きたいなどと話していた。フィルナルの急ぎの用事がない限り、ふたりは暑い場所は避けようと意気投合する。




 次の目的地を決めるため、旅の物資を調達するため、そして魔力協会で仕事を受領するために人里に向かう。国により魔力協会への信頼度は異なっており、支部の数も変わってくる。今いるレナート共和国は支部もたくさんあり、魔力の研究も盛んに行われている国情であった。都市部には魔道具の街灯が並び、世界的にも珍しい魔法術師になるための国立学校までもある。そんな環境が少し羨ましく思いながら、ルーシャはナーダルとこの国に滞在していた。








 居住地も目に見える範囲で多くなり、街道沿いの木々も野性的なものから人の手の加わった整えられたものへと変化していく。たまに地図を確認しながら現在地と行く先を照らしながらルーシャは隣のナーダルと無言で歩く。




 そんななか、突如として事は起きる。






「マスター?!」






 何の音沙汰もなく、ナーダルが急に地面に倒れ込む。盛大な音を立て受け身もせずに石造りの街道に倒れ、起き上がる気配はない。突然の出来事にルーシャは持っていた地図を放り捨ててナーダルに駆け寄る。なんの前触れもなくナーダルは盛大に地面に倒れ込み、その光景は切迫しているように感じられる。




「っ!」




 ナーダルは今まで見たことのないほどの苦痛表情を浮かべ、痛みがあるのか冷や汗が滲み出ている。左の手首を右手で力強く握り、その力で爪が皮膚を傷つけ血が出てきそうだった。苦痛ゆえかナーダルは声にならない悲鳴をあげる。尋常ではない師匠の様子にルーシャは何も出来ずおろおろする。




 とにかく誰かに助けを頼まなければと、オールドから貰った通信用魔道具──パロマに手をかける。旅をはじめて何回かはオールドに連絡を取ったことがあった。だが、それより先にナーダルのパロマに緊急連絡が入る。当の本人は左手首を力強く握り、苦痛に顔をゆがませることに必死で連絡などとれる様子ではなく、ルーシャが堪らず緊急連絡を取る。




『セルト』




 水晶から聞こえてきたのはレティルトの声で、それを聞いただけでルーシャは安堵する。




「ルーシャです。マスターが急に倒れて・・・手首を抑えてすごく辛そうなんです!」




『おいマジかよ?!どこに・・・いや、すぐ行くからそこを絶対に動くなよ』




 ルーシャの報告にレティルトは声を荒らげ明らかに焦った様子だったが、すぐに冷静になると一方的に連絡を切る。レティルトがすぐに来てくれる安心感はあるが、ルーシャは悶え苦しむナーダルをみてじれったく思う。せめて痛みを緩和する魔法術をと思うが、治癒系の魔法術は失敗した時のリスクが大きい。ナーダルの苦痛の原因がわからない今、下手なことをすれば命に関わる可能性がある。




 普段は何事もこなし、飄々としているナーダルの余裕も何もない様子にルーシャの不安と焦りは一層大きくなる。ただただ痛みにのた打ち、苦悶表情を浮かべるナーダルは息をすることさえ苦しそうだった。起き上がることさえ出来ず、地面にうずくまり、どうしようもなく痛みに苦しむ。街道であるが人影がなく周囲の居住地もほとんど人が見当たらず、ルーシャのほかに誰も苦しむナーダルを見る者はいなかった。




 待つこと数分、突如として目の前に知った魔力が現れる。氷の城で初めて出会った強く、大きく、それでいて包み込んでくれる柔らかさと温かさがある魔力──レティルトが現れる。たかが数分だが、それが随分と長く感じられた。たった数分でどうやってルーシャたちの居場所を割り出して来たのか不思議に思うが、今はそれどころではない。




「セルト、大丈夫か?」




 悶え苦しむナーダルに駆け寄り、レティルトはその右手を強引に離し弟の左手首を見る。強く掴んでいたそこには焦げ付いたように何かの文様が刻まれ、そこから禍々しいほどの魔力を感じる。




「呪いか」




 呟くレティルトは険しい表情を浮かべ、すぐに鎮痛の魔術を施す。手際よく間違いのない手つきでレティルトはナーダルを痛みから救う。




「ありがと、兄さん」




 痛みが引いたのか、ナーダルは一息つきながら礼を言う。だが、その表情はまだ険しく、腕の痛みがなくなったわけではないとルーシャにも容易に想像がつく。上半身を起こすものの立ち上がるだけの気力がないのか座面に座り込むナーダル。




「この魔力、オレのとこにも同じのが飛んできた。お前なら簡単に相殺出来ただろ」




「油断してたよ」




「バカか。ちょっと見せろ」




 溜息をつきながらレティルトはナーダルの左腕を掴み、そこに刻まれている文様を見つめる。痛々しいほど強く刻まれたそれは見たことのない文様と記号で、レティルトは文様を構成する呪いの神語構造を解析にかかる。その瞳は真剣そのもので、感じる気迫と集中力は並大抵のものではない。




「おい、セルト?」




「ごめん、眠い」




 解析するレティルトにナーダルが倒れ込み、そう口にする。そしてそのままの姿勢で深い眠りに入り込む。




「・・・仕方ないな」




 ため息をつくとレティルトはナーダルを背負い立ち上がる。




「ルーシャ、行くぞ。地図見せろ」




 地面に落とした地図を拾い、ルーシャは広げてレティルトに見せる。




「この街道の先に協会の支部があるのか。ちょうどいいな」




 レティルトはそう言うと歩き出し、ルーシャはそのあとをついていく。突然の出来事になす術もなく、ルーシャは黙ってレティルトについて歩く。レティルトは何かを考え込み無言を貫き、ルーシャは何を聞いたらいいのか、そもそも話しかけてもいいのかと様々なことを考えすぎて無言になる。




 頬を伝って落ちてゆく汗を拭きながら、ふたりは黙々と歩き続け町にたどり着く。そのままの足で支部の近くの宿を手際よくおさえ、宿の部屋のベッドにナーダルを寝かせる。




 相も変わらず厳しい表情を浮かべながらも、レティルトはベッドの端に腰掛ける。ルーシャは部屋にあった椅子に腰掛け口を開こうとした。




「セルトの左腕のあれは呪いの印だ。少し構造をみたが複雑すぎるし、かなり古いものだと思う」




 ルーシャよりも先にレティルトが口を開き、その言葉にルーシャは青ざめる。




「呪いって・・・なんで。解けるんですか?」




「誰がなんの目的かは分からねぇ。オレのとこにもきたから一瞬リーシェルかと思ったが、ヤツはこんな下らない方法はとらない」




 レティルトの目の奥にある復讐の炎が勢いよく燃えており、今は遠くにいる最強の女騎士を見据えているのが嫌でもわかってしまう。




「それに、呪い──呪術つーのはめちゃくちゃ難しいもんで、そこらの魔法術師が簡単に手を出せるもんでもない。オレは一介の魔法術師だし、呪いに関しては素人だからな」




 溜息をつきながらレティルトはそう告げる、専門分野の治癒や浄化は特殊でありルーシャはまだ習得できていないが、それらとは別の意味で特別なのが呪術──呪いだった。魔法術師よりも魔力の性質と特性を理解し扱うのが魔導士で、さらに魔力の真髄を理解しその術を研究する魔力のエキスパートが呪術師である。呪術師の資格は非常に高難度であり、魔力のエキスパートはかなり数少ないと言われている。




「レティルト王子、じゃあ──」




 もう解けないのか、ナーダルは呪われたままなのかと、そう口に出そうとしたルーシャにレティルトがストップをかける。




「ちょい待ち、その王子ってのはやめろ。もう王子じゃないし、そう呼ばれてバレるのも困る」




 確かにそうだなと思いながらも、もはや名前の一部かのように思って呼んでいたのでルーシャは多少戸惑う。




「レティルトさん・・・?」




「それでいこう。・・・セルトは助ける、そのためにまずオレらの安全と寝食が先決ってわけ」




 レティルトは立ち上がりルーシャの目の前にやってくる。そして躊躇うことなくルーシャの頭にぽんと手を置き撫でる。ルーシャよりも大きなその手は温かく、優しく──安心しろと言うようにルーシャの心を包み込んでいくような気持ちになる。第一王子として、兄として人の上に立ち続けて下のものを助けて導いてきたその態度と手は、どこかとても安心できるものがあった。




「ちょっと出てくる。オールドに連絡とっといてくれ、都合つくならここへ来てもらえ」




 そっとルーシャの頭から手を離し、レティルトは宿の部屋を出ていく。取り残されたルーシャは心配そうにナーダルを見つめてから、首にかけられたパロマに手をやるのだった。


























──────────


なんでかマスターが呪いにかかってしまった!誰なんだろ、どうしてなんだろ。何かしたくても私じゃ手を出せないことだからなぁ。


そもそも、呪われるほど誰かに恨みを買うような人ではないと思うけど。




レティルトさんがすぐに来てくれて本当に良かった。的確にいろいろしてくれるし、なにより存在感が安心できる。さすが、マスターのお兄さんなんだなって思ってしまう。




これからどうやって犯人を特定したり、呪いを解くんだろ。呪われたままなのはさすがにキツすぎるし。

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