p.32 嵐の中心

 永久凍土の雪原は基本的に分厚い曇空か、吹雪に包まれている。雪と吹雪の白か、分厚い曇の灰色が世界を支配しているような、そんな殺風景な場所だった。夏は一年の中でもごく限られた日数しかなく、この地に好き好んで種を落とす植物はほとんどない。陽光とはかけ離れた世界が王女失踪事件の犯人と、五名の王女たちの住処となっていた。




 ルーシャたちが彷徨い歩く雪原のとある場所に、圧倒的な自然の力に屈することなくそびえているものがある。高度な魔法と魔術が織り成された結果創られた、透き通るほどの透明度を誇る氷の城が健在する。




 その美しくも全てを凌駕するような氷の城の最上階に一人の魔法術師がいる。氷の窓を静かに見据える先には、吹雪しか見当たらないがその瞳は確実に何かを捉えている。緑の瞳は何かを見据え、強く光る。




(来たか)




 この血に足を踏み入れた誰か、侵入者を拒むための複雑に組み込んだ魔法術を破った誰か、ここへ向かう誰かを見据える。














「オールド姫」




 名前を呼ばれ、金髪の姫君は振り返る。ぼんやりと氷でできた窓から外を眺めていたオールドは、少し前に城主から聞かされた情報に不安を感じていた。驚く自分を含む王女とは別に、城主は至って冷静な顔をしており何かを覚悟しているかのように見受けられた。




「こんな緊急事態にぼさっとしないでくれません?」




 腕を組んでオールドを睨むのは、ピジュアン王国第一王女のローズだった。赤茶色の巻紙が美しく結われ、淡い緑の瞳は非常に勝気だった。部屋には他の王女たちも集まり、会議を開いているような状態だった。




「ごめん、ごめん」




 素直に謝りながらオールドは窓の外から意識を離す。




「まったく、お気楽なもので羨ましい」




 長方形のテーブルでオールドとちょうど正反対にいる銀髪、碧眼のキーファ王国第二王女・アリアがわざと声を荒らげて口を開く。それを笑顔でやり過ごしながらも、オールドの心中は穏やかではなかった。




(ほんと、一刻も早くこの部屋から出たい)




 王家のなかでも異端児と言われているがゆえ、同じ王家の人間であってもオールドは他の王女から隔絶されている。たまに親切心で近づいてくるものもいるが、表面上の付き合いなだけで親しいものがいるわけでもない。王家や貴族の人間よりも魔力協会で協会員と関わっている方が随分と気も楽だし楽しい。




「空間を断ち切っていた遮断魔術と封印魔法が破られたんですよね、どうしましょう」




 淡い茶髪と金色の瞳のおしとやかなラナーシェン王国第三王女のリリアがおずおずと発言する。リリアは集められた王女の中で最年少かつ大人しい。リーダーシップのローズは王女たちをまとめ、城主からの伝言や方針を一番に言付かり他の王女に伝えることが多い。キーファ王国のアリアは高圧的で、軍事国家として名を馳せる国由来の独特の空気を持っている。アリアは王女でありながらも戦場に赴くこともある、オールドとはまた別の異端性をもつ王女だった。そして先程から机の上に面倒くさそうに突っ伏しているカサンミ王国第一王女のユーナは非常に面倒くさがりで、基本的に積極的には動かない。引っ込み思案なリリアは空気を読んで行動することが多く、庶民派のオールドは持ち前の社交性でここの生活に順応している。そんな個性豊かで相性も良いとは言えない王女たちが部屋に会していた。




「監視魔術では別に小隊が来た形跡はないし、放っておけば?」




 ユーナは相変わらず机に突っ伏したまま発言する。




「だが、あの人の封印魔法は並大抵のものじゃない。各王家の秘術と並ぶ最高難度で最高峰の技術が詰め込まれている、それを破ったとなると相当の腕の持ち主ということだろう」




 腕を組み難しそうな表情をするアリアは目の前の模型を凝視している。そこには王女たちのいる氷の城と、その周囲を魔術で再現したものがあり、監視魔術を応用することでリアルタイムに警備魔法の状態や、侵入者の位置や状態を知ることが出来る。ただ、エリアが広大なだけ侵入者を見つけることは困難であり、封印魔法が破られてから必死に捜索しているが、侵入者をこの目で見ることは出来ていない。




 城主曰く、破られた遮断魔術の場所は分かっており、その周囲を徹底的に調べたが誰も見つからなかったらしい。侵入者が高速で移動し場所が特定されないようにしたのか、監視魔術に映らないよう細工したのかは不明だが、一筋縄の人物では内容だった。




 それに、この氷の城の周囲にはいくつもの警備システムがあるが、それらひとつひとつに場所や侵入者を知らせる機能はついていない。すべての警備システムにその機能を付けることは可能だが、城主ひとりの魔力で維持することが難しく最低限のものにしか映像や位置情報の機能は搭載できなかった。つまり、その機能のある警備システムと侵入者が鉢合わせしない限り、城主も王女たちもこの地へ足を踏み入れた人物が誰なのか、どこにいるのか分からない。




「協会が重い腰でもあげたんじゃない?」




 同じく模型を見ながらオールドは口を開く。今までこの場所のことは魔力協会でさえも気づけなかったし、封印魔法だって破られたことはなかった。だが、世界的権力を誇るあの組織がただ王女たちが消えていくのを黙って見ているだけのことはしないだろう。いくら、この氷の城の城主が高度な魔法術を扱えたとしても、魔力協会にはさらに上をいく魔法術師も魔導士も存在する。さらに、魔法や魔術の扱いに長けた呪術師という存在も少ないながらに存在する。彼らはあらゆる魔法術に精通し、魔力を研究し新たな魔法術を開発する魔法術のプロだ。




 もうひとつ言えば、いざとなれば生きる伝説とまで言われる大魔導士・シバが動くだろうし、そうなれば王女たちがここから開放される日も近い。年老いた身の上となった今でもその力は衰えることなく、魔力協会の誰もが彼女の言葉には逆らえないという。




「で、あの人の方針はー?」




 心底面倒くさそうだが、ユーナの瞳の奥には心配そうに震える光が垣間見得る。




「私たちは一切動くなということです」




 瞳を伏せ、ローズは先ほど城主から言付かった伝言を全員に伝える。




「信用ないわけ?」




「確かに私たちは秘術は扱えませんが・・・」




 ローズの言葉にアリアは憤慨し、リリアは落ち込む。




「あたしたちを巻き込むわけにはいかないんでしょ」




 口を尖らせ不平不満を述べる王女たちに、オールドは静かに現実を突きつける。城主の性格を考えれば、その言葉の真意は想像がつく。単純にオールドたちを巻き込む訳にはいかない、何がなんでも自分一人でしなければならない──そんな考えの持ち主だった。王女たちからすればとっくに巻き込まれているのだが、でも城主の思いも考えも無碍にはできない事情がある。




「ひとりで何もかも背負い過ぎ」




 ユーナのぼそりと呟いた一言に、誰もが何も言えなくなる。




 王女たちは確かに城主に拉致されてきた身の上だが、彼女たちは城主の全てを否定することはない。むしろ、どこか慕って協力的な姿勢を見せている。




「私たちに出来ることに専念いたしましょう」




 ローズは覚悟を決めたように全員を見渡す。オールド以外の王女たちは首を立てに振り、席を立つ。




「では、今宵の夕餉ゆうげを楽しみにしてる」




 意地悪くアリアは笑い、オールドにそう声をかける。「そりゃ、どーも」とオールドも投げやりに返しながら、部屋を去っていく王女たちを見送る。






 ナーダルの見立て通り、城主の狙いは王家に伝えられている秘術だった。だが、城主のさらってきた王女たちには秘術の継承権はなく、存在は知っていても術を一切知らなかった。秘術の正しい効果も、神語構造も、属性やそもそもの分類、消費魔力や道具や条件の有無も分からない。だが、秘術の存在は知っているし、秘術があるということはそれに類似した魔法術を幼い頃から習得しており、秘術に関連のあるであろう魔法術には長けている。




 王国史や王家にしか継がれることのない文献類は知っていることから、王女たちは何とか秘術のヒントを得るために部屋でそれぞれ記憶と知識を頼りに魔法術を練っている。




 だが、ひとりだけそれらには無関係な王女がいた。それが、魔力と権力を徹底的に切り離してきたイートゥル家──オールドだった。オールドの知る限り秘術なんてものは存在せず、一応王家にだけ伝わる歴史や文献もあるが、魔力とは一切関係のないものばかりだった。他の王女たちが秘術に近づこうと苦労するなか、オールドだけはすることもなく、いつの間にか王女たちの身の回りの世話をする雑用係となってしまっていた。




 庶民派といえども、一応は王女であるオールドは家事炊事の類は得意ではない。三食準備することが一番苦労することであり、基本的に食べる専門だと豪語してきた今までの人生を少し悔やんでいた。














 夕刻が近づき、オールドはひとり厨房で夕食の支度にとりかかる。氷の城は基本的には寒いが、部屋のひとつひとつには魔法で温められた空気があり風邪をひくことはなかった。空気が温かくても氷が溶けないよう魔法でバランスをとってあり、あらためて城主の魔法術師としてと腕前と膨大な魔力に驚く。




 調理道具はあらかた揃えられており、食材はどこで手に入れたのかは分からないが食べるに困らない程度は常に食料庫に保管されていた。氷の城のため、食料庫は自然の冷蔵庫となり食材が痛むことはない。適当に材料を集めて王女たちと城主あわせて六人分の夕食を作りに取り掛かる。




 野菜の皮をむき一口サイズに切りそろえていく。一人だけの厨房は広く閑散としているが、オールドは気にすることなく黙々と全員分の食材を切る。




「お前を連れてきたのは悪かったな」




 突然、背後から声がしてオールドは危うく自分の指を切りそうになる。驚きつつも声で誰が来たのかは想像出来た。




「気配消して現れるの、心臓に悪すぎるから止めてよね」




 厨房の入口には城主が腕を組んで立っていた。緑の瞳に淡い茶髪の彼は顔立ちが整い、纏う空気で人を圧倒させる。




「お前にこんなことさせるため、連れてきたのわけじゃなかったんだけどな」




 オールドの言葉を気にすることなく彼は厨房に入り、手を洗って調理に参加する。魔法術だけではなく、彼は何でもできてしまう。家事炊事、剣術、その気になれば芸術活動もこなしてしまうだろう。神様はこの男にどれだけの才能を与えれば気が済むのだろうか──と、オールドは密かにそう思う。




「あたしも、こんなことになるなんて予想外なんですけどー?」




 軽口を叩きながら隣に立って調理をするオールドと城主。本来ならば囚われの姫君とその犯人なのだが、二人のあいだには緊張感もなければ敵対心もない。昔からの知り合いかのように並び、自分たちの食事を準備している。




「でも、大丈夫なの?」




「何が?」




 ここに来た当初、どう考えても秘術などないと明言したオールドに対し彼は「仕方ない」とだけ答えた。だから、国に返すというわけでもなく、正体を知られた以上はここから出すわけにはいかないとだけ言われ、特にすることもなかった。だが、ローズが働かざる者食うべからずだと言いオールドは雑用係となり、慣れない家事炊事にとりかかることとなった。




 少し慣れたとはいえ包丁さばきは拙いし、料理は食べられるレベルのものでしかないが、家事炊事のできない王女たちはやや文句を言いつつも高度な要求をしてくることはなかった。それに、彼が何かと手伝ってくれていることも多い。




「あんた、そんなに余裕ないんでしょ」




 手慣れた様子で調理する彼を見上げる。いつもと変わらない様子で表情で声色だが、だからそこ怪しい。彼の施した遮断魔術はかなり高度なものであり、彼だからこそ創り出せた特有のものだった。魔力協会がいかに一大組織で、生きる伝説の大魔導士がいたとしても、彼の術を解くことは正直言えば簡単ではない。だが、それが破られた。現状は彼にとって非常に良くないと言っても過言ではない。




「だって、あの術は──」




 焦りをあらわにするオールドの唇に彼の人差し指が押し当てられる。それ以上は言うな──と静かな視線が警告を示し、オールドは息を飲みそれ以上は何も言えなくなる。








 囚われの姫君たちと、その犯人の住むそこは不思議と平和でのどかで、どこか危うい空気が流れていた。

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