p.31 番人
冬将軍の本拠地であるハッシャール雪原にやってきて、数日が過ぎ、その間に野営を繰り返しながらルーシャたちは王女たちが囚われている場所を目指した。来訪者を拒絶しているかのように吹雪は止まず、底のないほどの絶対零度は容赦なくルーシャたちの体力も感覚も奪っていく。生物が生息するにはあまりにも過酷な環境であり、王女失踪事件の犯人がなぜここを選んだのか分かるようで分らない。
確かにこれだけ過酷ならば追っ手や魔力協会の人間がそう易々とここへ来ることはないだろう。それに、ここはどの国の土地でもないため余計な国際問題を引き起こすことはない。だが、それらの条件と引き換えに環境は過酷そのものであり、生きていくにはあまりにも不向きだ。ましてや、過酷な環境を知らないであろう複数人の王女を引き連れるとなるとその難易度は格段に跳ね上がる。寒いだけではなく、食料もなければ獲物もない。食べることが出来なければ生きてはいけない。
魔力は心の力であり、生物や食糧を創り出すことはできない。生物の育成を促すことなどは出来るが、所詮はその程度であり空腹になったからと言ってすぐに何か食べ物を準備することはできない。いくら優秀な魔法術師や魔導士であったとして、飢餓には抗えない。──となると、やはりこの土地を選んだことがルーシャには謎でしかない。メリットよりもデメリットのほうが格段に大きい。
悶々としながらも確実にルーシャたちは目的の場所へと近づいており、そこへ近づくたびに感じる魔力の大きさに恐ろしさを感じる。ナーダル曰く、犯人はグループではなく単独犯であり、計画から実行まですべて一人でやり遂げていると推察される。
(何これ)
たった今、たどり着いたそこにある魔力と神語にルーシャはただ呆然とする。空間を遮断すると言っても、それなりに経験のある魔法術師ならば案外簡単にやってのけられるもので、ナーダルも野営のたびに防寒対策として遮断魔術を使っていた。ルーシャも方法や神語くらいは知っているし、どうしてもやらなければならない状況になれば頑張れば出来るかもしれない。
ゆえに、ナーダルに空間が遮断されていると聞いた時は「遮断魔術ならすぐ破れるなー」なんて軽い気持ちでいた。だが、目の前の遮断魔術は非常に広範囲かつ、複雑な神語が羅列し、どこから解読すれば良いのか分らない。見たことのない配列や単語があらゆる角度や方向に並び、まるで神語の帯が何重にも様々な方向からこの先の空間を包み込んでいるようだった。その構造はよくよく見れば遮断魔術だけではなく他の魔法術も織り混ざっており、そのひとつひとつの術も相当高度なものだった。
遮断魔術、防音魔法、封印系統の魔法術、反射魔法──見習いのルーシャが見ても、ざっとそれくらいの魔法術の構造が見つけられ、もっと知識も技術のあるナーダルは他にも多数の魔法術を見つけられるだろう。系統の違う魔法術をひとつにまとめるとなると、それぞれの魔法術を完成させるだけでなく相性に応じた組み立ても必要となるし、その複雑な魔法術を創り出しただけでなく維持するとなると更にレベルは高い。それを一人でやってのけた犯人がいるということが信じられない。
「これはちょっと・・・」
無理なんじゃないか──という言葉をルーシャは飲み込む。いくら大魔導士の弟子で、魔導士試験に一発合格したナーダルでも、この複合魔法術はあまりにも複雑すぎる。神語解読には基本的に文章構成の始まりを見つけなければならないし、幾重にも神語が重なっているため正しいスペルや文章が読みづらい。
だが、ナーダルの目は何かを捉えたかのように鋭く光る。その瞳の宿す光が、纏う空気が一変し、いつもの穏やかで面倒事をとことん嫌う師匠の姿は消え失せる。
瞬時に指を動かし、神語の一部を消して書き換える。それだけで目の前の遮断魔術の一部に穴があき、人ひとり通れる隙間が生まれる。あまりの手際の良さにルーシャは実は、わりと簡単な神語構造だったのではと思いもう一度だけ神語を見るが、やはり複雑に絡み合ったいくつものそれらは簡単ではない。
「大丈夫だよ、きっと二度とこんなものには出会わないから」
何も分からず出来ず、愕然としたルーシャの肩をナーダルは優しく叩き、自信満々にそう言う。どこにそんな根拠があるのか、それはこの魔法術を破ることの出来た強者の余裕なのではないかと思えてしまうが、ここでナーダルに突っかかっても何にもならない。大人しくルーシャは兄と師匠のあとをついて行く。
ナーダルを先頭にその穴をくぐって、敵の本拠地に足を踏み入れる。変わる様子のない吹雪と真っ白な地面、冷たい空気が続きどこか嫌になる。
「マスター」
ご丁寧にナーダルは神語を元に戻し、唯一の退路を自ら断つ。何が起きるかわからない状況下でそれは非常にまずいと思い、ルーシャは先を歩くナーダルに声をかける。
「魔術を破られたことがバレれば向こうから敵襲があるからね」
大丈夫だよ──という言葉を追加しながら、ナーダルはルーシャとアストルにそう説明する。確かにこれだけの魔法術を完成させる人物と対峙しているのだから、せめて向こうからの襲撃は避けたい。魔法術の破られている場所が分かればすぐに、こちらに向こうからの攻撃がくるだろう。だが、それでも退路を自ら塞ぐことはルーシャのなかではあまり良い気はしない。
どこか、後ろ髪を引かれる思いでルーシャは列の最後尾を歩くのだった。
飽きてしまうほど、変わらない景色が続く。どこまでも冷たい凍土は広がり、ずっと太陽など見ることなく吹雪のある毎日がもはや日常となる。遮断魔術の内と外で広がる世界に変わりはなく、ルーシャたちはまた黙々と冷たい空気を吸い込みながら目的地へと足を運ぶ。最初こそ魔術を破ったことがバレて敵襲が来るのではないかと、かなり緊張したがそれらしき影もなく、ルーシャの緊張感は少し緩む。
ハッと、ルーシャとナーダルは咄嗟に臨戦態勢を整える。突如として魔力の塊が足下から突き上げるように近付いてきており、ルーシャはアストルを引き連れてその場を離れる。
雪の地面が轟音と異常な揺れとともにひび割れ、それは姿を現す。
「雪像っ?!」
巨大な人のようなものの形をした雪像が七体ほどルーシャたちの前に現れる。ナーダルは現れたそれらの一体の腕を魔法で躊躇うことなく切り落とす。
(再生したっ?!)
驚くルーシャとアストルとは別に、ナーダルは「やっぱ、そうだよねー」と独り言を呟く。七体の雪像のそれぞれの体の心臓部には、雪像の動力源である魔力の塊がある。それを破壊するか、魔力をゼロになるまで消耗させるかさせなければ、雪像は何度でも再生し創り主の意思に従い侵入者を攻撃し続けるだろう。
重さはパワーと比例し、巨大かつ主成分が雪である雪像はかなりのパワーを誇る。軽く振り下ろされた腕を避けたあとの地面を見ると、軽く地面が陥没している。凍土の地面は凍った硬い地面の上に雪が降り積もっているのだが、その凍った地面が陥没している。まともにあの一撃を食らえば全員怪我ではすまないだろう。
「うわっ!」
躊躇うことのない雪像の一撃がアストルを襲い、ナーダルはそんなアストルをつれて逃げ回る。ルーシャもルーシャで雪像からの攻撃を避けていると、いつの間にか二組の距離が離れる。ルーシャを追い回す雪像が一体なのに対し、ナーダルとアストルは六体の雪像に囲まれている。小物だと思われているのかと、ルーシャは少し肩を落とすも、多勢に無勢を相手にするだけの技量も余裕もないため、ある意味良かったとも思う複雑な心境たった。
ナーダルたちのことが気になるが、ルーシャには人の心配をしていられるほどの余裕はない。戦闘経験がないため、何をどうすべきか的確な判断をすることは難しい。だが、先程の雪像の再生をみるに核である魔力を破壊しなければ意味はない。幸いにしてルーシャはいくつか攻撃系統の魔法術を習得しており、さらに雪像は巨体ゆえに動きがわりと遅い。振り下ろされる一撃一撃を避けながら魔力を構成する余裕があった。
雪像自身を構成する神語も、それに追加されている命令系統の神語も至ってシンプルなため、雪像の攻撃は単調だった。基本的に振りかざした手をルーシャに向かって振り下ろすか、たまに巨大なキックが飛んでくる。一撃の威力は絶大だが、当たらなければ問題ではなかった。
『夕凪ノ音 藍ノ空
幾重にも重なった矛盾 螺旋状ノ定め 折り重なった悲しみノ羽織
地を委ねた神ノ歌声 憎悪ノ歌声
宿命が度重なる橋の上で アナタと過ごす最期の
行方も知らずに 別れを告げる瞳
聖なる涙は汚れた地へと落ち 暖かな思い出は冷たき虚空へと羽ばたく
沈まぬ夕陽に祝福をあげ 変わらぬ思いに賛美する
虚夢の
浅はかな欲望を満たすべく 何故に血を分けた同族を殺めよう 彼れらに罪を』
タイミングを見計らい、ルーシャは魔法の呪文を口にする。簡単な魔法術なら呪文を唱えなくても発動させることが出来るが、その構造が複雑になれば神語構造を口に出して、魔力を展開させて発動させるタイミングを意識しなければ魔法術の成功が難しかった。
ルーシャの目の前に、青黒い独楽が現れる。超高速で回るそれは単なる独楽ではなく、物理的物質も魔力も破壊する力を秘めている「悲劇ノ独楽」という魔法だった。分類は「攻撃魔法」、属性は「哀」で雪像の芯である魔力の核の属性「怒」を打ち消すには最も良い相性の魔術だった。さらにルーシャの扱えるレベルの魔術であるが攻撃力はかなり高い。名称の由来は、この魔法を開発した経緯にあるがルーシャは詳しくそこまで勉強していない。
高速スピンの独楽を操り、ルーシャは魔力の核をまっしぐらに目指し雪像の破壊を狙う。だが、真正面から飛んでくる独楽に雪像は反応し魔力の核のある心臓部の前に両手を伸ばし独楽の攻撃を防ぐ。
「なっ、なに?」
両手で高速スピンの独楽を止めた石像にルーシャは焦り、たじろく。どうすべきかと、後ろにいるナーダルを垣間見るが、彼は多数の石像を相手にアストルを守っており頼れる状況ではなさそうだった。すでにナーダルはいくつかの雪像を破壊しているようだが、まだ数体残っている。
(どうしよ・・・)
石像からの容赦のない攻撃を避けながら、ルーシャは頭をフル回転させる。複数個の独楽を作り出すこと自体は難しくないが、それをすべて操るとなると、ルーシャの技量では難しい。そこまで緻密なコントロールは今まで出来たことがないし、出来ないことを今して何か重大なことが起きる方がリスクが高い。
となれば、一撃必殺の大技で石像を倒すしか方法はない。だが、ルーシャの扱える魔法術のなかで悲劇ノ独楽以上の攻撃力のある魔法術はない。
(威力を上げるのも、限界があるし。単純に溶かすのが良いかな)
雪原という足場の悪い状況下だが、雪国育ちのルーシャは足を取られることなく雪像と自分の間合いをとる。先ほどナーダルとアストルのほうを垣間見た時、やはりアストルも足を取られることなくそれなりに護身しているようだった。雪ばかり、寒いばかりの国だと思っていたが、案外その環境下で育ってきたことが役に立っている。
ルーシャは間合いを取りながら、再び魔力で神語を構成し呪文を唱えることで悲劇ノ独楽をつくりだす。ルーシャの出来る範囲で魔力を上乗せすることで、攻撃力が幾分かプラスされる。さらに、独楽にもうひとつの神語構造をまとわりつかせる。「
『罪は人を裁き 人は罪を裁く
誠の賢者は裁きを受け 偽の勇者は賛美される
力なき者を虐げる独裁者に裁きは与えられども
偉大なるモノを蝕むものは放置される
星ノ
輝き続ける栄光者は 悲しき犠牲を隠し通すように正義を貫く
信頼には裏切りを 愛には憎しみを 人には罪を』
赤々と燃える炎が独楽に添付され、燃える独楽がつくられる。魔法によってつくられた炎は魔力を芯としているため、基本的に消えにくく、芯の魔力が尽きない限りは燃え続ける。業火を宿した独楽をルーシャは再び石像に正面からぶつける。
石像は再び両手で独楽の攻撃を受け止めるが、業火の勢いは止まらず雪をあっという間に溶かしてゆく。雪像の体を構成する雪という邪魔な物質がなくなることで、独楽は威力を失うことなく目指すべき魔力の核のある心臓部へと突き進む。猛進する独楽と、周囲の雪をすべて溶けさせる炎翔架は瞬時に魔力の核へとたどり着き、雪像に反撃のチャンスを与える間もなくその動力源を粉々に破壊する。
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ハッシャール雪原の感想は、とにかく寒い!
そりゃ、寒いとこで生まれて育ったけど、ほんとに寒すぎる。吹雪は全然やまないし、太陽なんて見られるんだろうか。体の芯から冷えるけど、お風呂にも入れないし。
そして、物凄い複雑な魔法術の塊を見た。なにがどうなってるのか訳が分からなかった。マスターは一瞬でそれを解いちゃうし・・・・・・。仕方ないけど実力の差を感じる。分かってても、自分って無力なんだって思っちゃう。
あと、謎の雪像!警備システムのひとつらしいけど、あんなのがこの先もいっぱいいるのかー。倒し方はなんとなく分かったけど、次も同じものがくるとは限らないしなぁ、困った。マスターとはぐれたりしなきゃ大丈夫だろうけど。
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