p.30 北限

 目の前には、ただただ白いだけの景色が広がる。永久凍土の上に雪が降り積もり地面を白く染め上げ、周囲も吹雪いているため目の前すべてが白く見える。時差があるとはいえセルドルフ王国を発ったのが昼過ぎであり、空間移動では時間をほぼ消費しないため、ここも昼過ぎであろう。吹雪いているため太陽の位置がわからないし、分かったところで最北の地で太陽の位置で時間を知ることは難しい。吹雪く中、どこか明るく感じられるため日はまだ落ちていないのだろうということだけが推測できた。




 空間移動の間に手にもっていた防寒具を身につけ、完全防寒に徹したルーシャとナーダルは頭を抱える。雪国・セルドルフ王国が国中の知識と技術と素材を集めて作りだした、最高峰の防寒を誇るコートや手袋、ブーツが大自然の脅威から二人を守る。




「想定外すぎるんだけどなー」




 ナーダルは心底困ったと言いたそうな声色と表情で目の前に立つ人物を見据える。




「こ、こっちだって、わ、訳が・・・」




 何かを訴えようとするセルドルフ王国王子・アストルだか、あまりの寒さに震えて言葉が出ない。王女たちを救出するため世界の北限の地・ハッシャール雪原に来る算段だったナーダルとルーシャは、初めから防寒具を準備していたが、なぜか付いてきてしまったアストルは長袖を着ているとはいえ極寒を耐えられる服装ではない。春へ向かう穏やかな国から、突如として永久凍土に放り出されれば誰でも震え上がるだろう。




(王太子の魔力介入を警戒した神語を構成したんだけどな)




 手際良く自分が着ているものと同じようなデザイン、素材のコートを魔術で創り出しナーダルはアストルに防寒具を手渡す。素材や作り方を知っている訳ではないので、ナーダルたちと同じものではないが、魔法で防寒機能を付け足しているのでそれなりに暖かいものが仕上がる。付いて来られた上に、こんな極寒の地でアストルが体調を崩し命に関わられてはナーダルが困る。魔法や魔術で、ある程度の怪我や体の調子を整えることは可能だが、ナーダルは魔導士であって医者や騎士ではない。怪我や病気を治すことはできないし、アストルを自分の命にかえてまで守ることも出来ない。何かが起きては対応に困るため、まずはアストルの身の安全を最優先に考える。




 アストルは魔力を扱えない人間で魔力の流動性がないにも関わらず、神秘の鏡の一件では魔力に非常に過敏だった。大きな魔力に当てられたことで頭痛を引き起こし今にも倒れてしまいそうだった。つまり、魔力に感化されやすい体質であり、アストルの近くで魔法や魔術を発動させれば何らかの影響を互いに与えてしまうかもしれない。




(王太子か・・・、付いてこられて本当に困るなぁ)




 防寒具に身を包んだアストルを見据えながらナーダルは頭を抱える。アストルを頑なに連れてこなかったのは、唯一の王位継承者に何かあっては困るから。それこそ下手をして命を落としてしまってもナーダルは責任を負えない。さらにもうひとつ、ナーダル個人として困ることもある。




(計画狂っちゃったな。かと言って放置するのもできないし)




 本来ならばセルドルフ王国に送り返したいが、往復分の魔力を消費するのは避けたいと言ったのが本音だった。魔力の回復は体力と同じように時間がかかるものであり、それぞれ個人で回復を助長させる要因も異なる。ナーダルは睡眠をとれば魔力が回復しやすい体質であり、逆に言えば魔力を大量消費すると強制的に体は眠りを求め意識を失うことがある。




 魔力を温存させたいという本音もあれば、アストルを何がなんでも同行させたくないという気持ちも大きい。責任も取れなけれない上にもうひとつ、ナーダルの個人的事情で困ることもあるのだった。だが、警戒して構成した魔法をかいくぐり無意識に魔法に乱入してきたアストルを送り返したところで、おそらく上手くいかない。一度出来た道は繋がりやすくなっており、アストルが単独でここへ至ってしまう可能性が捨てきれない。




(そうなったら一番厄介か。目の届く範囲にいたほうがマシかもしれない)




 寒さで震えるアストルを見詰めながらナーダルは何が最善策か考え込む。もともとリスクのある作戦であり、何が起きても不思議ではない。冷たい空気が容赦なくルーシャたちに襲いかかり、到着して数分で体の芯から冷える。いくら最新鋭の技術を詰め込んだ防寒具といえども完璧ではない。すきま風もあれば、露出した部分からどんどん冷えていくこともあり、雪原で立ち尽くしていることは命の危機に直面してもおかしくない状況だ。判断を誤れば、その判断が遅ければ全員の命に関わる。




「王太子」




 ここにいても仕方がなく、意を決したナーダルは目の前の王子を呼び、震えるアストルがこちらを見る。




「僕らから離れないでください」




 個人的事情も大きいが、やはりアストルの安全が今最も優先するべきことだった。渋々ながら一国の王子を引き連れ、ナーダルたちは雪原を歩き出す。何が起こるかわからないのでナーダルが先頭となり、後方をルーシャが援護し、アストルは二人に前後を挟まれて移動することとなった。








 止む気配のない吹雪は容赦なく三人から体温を奪っていき、深い雪は足取りを重くし体力を奪う。淡々と歩きながらもナーダルとルーシャは常に魔力探知を行い敵襲がないか、何かに遭遇することはないかと周囲に気を配る。たとえ相手が魔力を扱えない人間や動植物であったとしても、命あるものは必ず魔力を宿しており、魔力の本質のひとつ──基体性がある限り魔力探知は有用な情報収集のひとつだった。張り詰めた緊張感を肌で感じながらも、アストルの頭の中はひとつのことでいっぱいだった。




「オールド姫はどこにいるんだ?」




 すっかり旅の一員となったアストルは前を歩くナーダルに訊ねる。




「この先ですよね?」




 ナーダルが答える前に後ろにいたルーシャがとある方角を指さす。辺り一面は吹雪いているため真っ白で、厳しい環境の雪原には植物も生えていない。どこかにもしかしたら、木々の群生があるかもしれないが目の前には何もない。だが、ルーシャの目はハッキリと何かを捉えたように前を見据える。




「そうだよ」




 頷きながらも、めきめきと日々魔力探知の精度と範囲を広げていくルーシャにナーダルは感心する。ルーシャが捉えているのはハッシャール雪原の中央あたりに集合している複数人の魔力と、その周囲に施されているいくつもの魔法術の魔力だった。魔法術の魔力はその術の難易度に比例して強く大きくなり、探知しやすくなるとは言え離れた場所にいてピンポイントでそれを容易に見つけることは、一人前の魔法術師でも苦手な者にはできない。




「遠いのか?」




「広範囲に空間が遮断されてますからね」




 事態の早期解決のため、できれば敵の本拠地のすぐ近くにまで行きたかった。だが、王女たちのいるであろう場所を中心に円を描くように空間が遮断され、あらゆる他の魔力の介入が遮断されていた。さらに遮断魔術のさらに数キロ外の範囲には制御魔法がかけられており、遠隔から魔力介入ができないようになっていた。そのため、ナーダルは本拠地の随分遠くにしか空間の道を繋げられず、今は円形の遮断魔術の施されているどこかにたどり着き、魔術を解くことが最優先だった。




 先頭を歩くナーダルは背後を気遣いながら進む。絶え間なく続く吹雪は容赦なく訪れた者の体力と体温を奪い、足元の分厚い雪がルーシャたちの行く手を阻む。雪国育ちのルーシャとアストルがいかに寒さに慣れているとはいえ、手つかずの自然界の猛吹雪は未経験だった。かじかむ手足は痛いほどだったのに、徐々に感覚がなくなっていく。吸う息はあまりにも冷たく、体の中から凍っていきそうで、雪のカーテンのような吹雪は周囲の風景を閉ざす。音といえば吹雪の物悲しい音と、自分たちの足音しかない。




 足どりは重く、容赦のない冷気に体力も気力も奪われていく。無言での旅路は思いのほか精神的にもまいるが、お喋りをする気力と体力がもったいない上に、いつ敵襲があるかわからない状況で呑気に雑談もしていられない。雪原に行くと聞いた時、寒さや吹雪が一番の難敵かと覚悟していたルーシャだったが、そんなことよりも張り詰めた緊張感と、集中し続けなければならない状況に精神的にキツいものを感じる。




 何がやってくるのか視界が悪ければ気づきにくく、魔力探知に引っかからなければ奇襲だってされかねない。ちょっとした吹雪の音の変化や、幻覚まではいかなくとも吹雪の中に見える錯覚にいちいち気を取られ心が休まる瞬間がない。自分の命のことだけではなく、一国の王子を抱えての旅路がここまで責任が重いものなのかと痛感せざるを得ない。




 吹雪く雪原をひたすらに歩き、どれだけ時間が経ったのかもわからない。周囲が暗くなってきたため日が落ち始めたのであろうということだけが、時の経過を示す。




「とりあえず、野営しましょう」




 どれだけ進んだのか、どれだけの時がたったのか分らない。ただただ、容赦のない冷気に襲われ体力も何もかもを奪われる。もう何時間も歩いた気もするが、それが異常に疲れたから感じられるものかもしれない。ルーシャはやっと休息が出来ることに内心ガッツポーズをとる。兄のアストルもさぞや疲れているだろうとその瞳を垣間見て、ルーシャの背筋が正される。




(すごい)




 ルーシャとナーダルは垣間見たアストルの瞳の強さに心の中でハモる。


 目に見えるゴールや目標があるわけでもないのに、アストルの瞳はまっすぐと前を見据え、気力が失われていない。ルーシャとナーダルは絶え間なく魔力探知を行うことで、目的地の方向も自分たちとの距離も測っているため、景色の変わらない状況下でも着実に目的地に近づいているという実感がある。だが、アストルにとって現状は同じ景色だけが続き、厳しい自然が襲いかかり、婚約者の囚われている場所に近づいているのかさえ分らない。そんな状況下にも関わらず、諦めも、何かを疑うこともなく前を強く見据える精神力の強さは並ではない。




「凍え死ぬんじゃ・・・」




 変わらずの吹雪と足元の雪にアストルは心配そうに周囲を見渡す。だが、そんな王子の言葉など気にせずナーダルは荷物の中から折り畳まれたテントを取り出す。ナーダルとルーシャの持っているリュックは見た目は大きくはないが、二人が施した魔法により見た目よりも大容量となっていた。雪原に行くとナーダルが決断してから出発するまで、時間は限られており準備できるものも少なかった。




 夜営用のテントや毛布、食料が数日分、食器や調理器具、いくつかの魔道具など旅をするための最低限の装備が入っている。だが、二人分のものしかなくアストルが来ることは想定していなかった。




「突っ立ってないで手伝ってよ」




 テントを器用に組み立てるルーシャは呆然と立ち尽くす兄を叱咤する。ルーシャ同様に田舎育ちのアストルは手際良く共にテントを組み立てる。


 そのあいだ、ナーダルはテント周囲に空間を遮断させる魔術を施す。テントのなかで吹雪を避けられても、北限の地の冷気は圧倒的でありアストルの安全を最優先に考えると、敵襲や彼の体調を崩す要因を徹底的に排除させたかった。空間を遮断することで外部からのあらゆる侵入がなくなり、それは冷気という自然現象も同様だった。ただ、空気が入り込まないと窒息してしまうため最低限の空気穴は確保する。




 テントを張り終えたルーシャはリュックから食料や調理器具を取り出して三人分の食事を準備する。もともと二人分の食料しかないため、この先どれくらいこの雪原に留まるかわからない以上、食事は最低限の量しか準備できない。いくら魚や小動物を獲って捌くことの出来るルーシャであっても、獲物がいなければ食料を確保することは出来ない。この厳しい環境下で、どれくらいの生物が生存しているのか分からず、そもそも生存していても見つけることは困難を極める。




 ルーシャが食事の準備をする間にナーダルはテント内の空気を温め、寝床だけは暖炉があるのかと思うほど暖かくなる。さらに、魔術で毛布を作り出し三人分の寝具を整える。




「最悪のケースを避けるため、何かあれば王太子はルーシャと共に行動してください」




 食事をしながらナーダルはルーシャとアストルを交互に見る。この先何があるか分からないし、警備の魔法術は確実に存在しているであろう。アストルの身のことを考えればナーダル自身が側についていたいが、警備の魔法術が高度のものであればルーシャ一人での対応は難しい。ならば、ナーダル一人で襲いくるものを撃破するほうがリスクは少ない。もちろん、ルーシャとアストルのペアが逃げた先に他の魔法術が仕掛けられている可能性は高い。




「ルーシャは、もし僕とはぐれたら目的地に向かって」




「分かりました」




 変にお互いを捜索するよりも効率的な考えだとルーシャも頷く。魔力探知もできるし、互いの魔力を他の魔力と区別することも出来るが時間と体力のことを思えばあまり得策とは思えない。厳しい環境下であり、そのなかで限られた物資と己の力だけでなんとかしなければならない。誰かを頼ろうと思う方が甘いとルーシャも考える。




「僕らで出来る範囲の護衛はします。でも、自分の身は自分で守ってくださいね」




 責任問題もあれば、一国の存亡もかかる──それが王子の護衛というものだった。何かあれば魔力協会に批判が殺到し、責任を取れという意見も押し寄せられるだろう。さらに、ナーダルが大魔導士の弟子だと知られれば師匠の汚名にも関わる話となる。




(さすがにそれはマズい)




 大恩あるのはフィルナルだけではなく、魔力について叩きこまれたスパルタの師匠も同じだった。今こうして不測の事態に落ち着いて対応できるのも、シバの厳しすぎるほどの教えがなければ出来なかったかもしれない。魔力のイロハを知り、そのリスクと可能性を学び、その責任と自由をこの身に染み込ませてくれたおかげで旅の魔法術師として生きていけた。何にも変え難い恩があるからこそ、その名を汚してはならない。












 食事が終わりルーシャはすぐにテントに入り、寝る準備を始めた。




「ナーダル」




 テントの外で魔術の最終確認をしていたナーダルのもとへ、アストルが声をかける。本来ならば見張りを立てるべきなのだが、アストルを見張り役にするにはリスクが高く、そうなるとルーシャとナーダルの二人で長い夜を分け合うことになる。睡眠不足は何よりも体力と気力の回復を妨げ、また魔力回復に睡眠が必須のナーダルにとって寝られないことは致命傷でしかない。いくつかのリスクを背負うが、防護魔術を施した上で全員が睡眠をとることにした。




「気にしなくても大丈夫ですよ」




 アストルが口を開く前にナーダルが笑ってアストルを見る。




「あなたのせいではありません」




 ここへアストルが来てしまったこと、空間移動に魔力介入してしまったこと、自分がいるために二人の計画も行動も制限させてしまっていることをアストルは痛感していたし、ナーダルもそんなアストルの心中は薄々ながらも察していた。もとはただの庶民だったが、今は自分の命一つでさえも自分のものではない。存在することだけでも価値のある人間になってしまい、その責任は重い。




「だが──」




「むしろ、あなたは・・・」




 後悔の言葉を吐き出そうとするアストルを制止して何かを言いかけたナーダルだが、言葉を言いかけて止め、アストルから視線を逸らせ口を閉ざす。




「なんだ?」




「いえ、何でも。寝ましょう」




 いつも通りの笑顔でナーダルはアストルの背を押してテントのなかに入り、三人は川の字に並んで睡眠をとるのだった。




──────────



寒すぎる!


寒いのにはわりと慣れてるつもりだったんだけどなー。やっぱり、世界の最北端となれば全然格が違う・・・。


一向に吹雪がやむ気配もないし、冷えきった空気は痛いし。動植物も一切見当たらない限り、生物が住むには過酷すぎるんだろうけど。


そして、なぜか兄さんがついてきてるっていうハプニング。マスターかなり困ってたなぁ。マスターも想定外ってことは、何で付いてこれたんだろう。兄さんは魔力を扱えないのに。

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