p.14 湖

 数日、ルーシャとナーダルは野営を続けながら主を目指し歩き続けた。幸いにして自然豊かなため、食料には困らなかった。それに田舎で貧乏育ちのルーシャは、魚はもちろんウサギやタヌキといった小動物なら獲られるし捌けた。もちろん野草の類にも精通しているため、ナーダルが魔法でハーブ類を乾燥させることでジビエの香草焼きなどといった料理まで食べられることができた。思わぬ特技をもつ年下の少女に感謝感激中のナーダルだった。




「一緒にいるのがルーシャで良かったよ」




 旅の魔法術師のナーダルだが、彼は魚も動物も捌けない。旅をしながら日持ちする食料を携え、集落があればその民家に泊まらせてもらっていた。サバイバル能力で言えばルーシャのほうが遥かに上だった。ナーダルはこんな森でまともな食事にありつけることを奇跡のように感じ、ルーシャはここ数日の野営生活を故郷での生活のように感じていた。




「マスターって育ちが良いんですか?」




 田舎育ちのルーシャにとって、魚も動物も獲れず捌けないのは都会育ちか、金持ちの家庭に育ったかのイメージが大きい。ルーシャの村の人間は皆ふつうに何でも獲って捌いていた。雪国のセルドルフ王国では冬が長く厳しいため、春から秋にかけてとにかく農耕と狩猟で食料を確保することが重要だった。




「普通の家庭だよ。ルーシャが特殊すぎるんじゃないかな」




 知人にそんなワイルドな特技を持つ人間がいないため、ナーダルはルーシャのほうは特殊な気がした。魚ならもしかしたら誰か捌けるかもしれないが、動物は難しいだろう。




「王太子も捌けるの?」




 ふと、ルーシャと共に数年前まで田舎の村で生活していた彼のことを思い出す。あまり話したりしたことはないし、プライベートな話など一切知らない。




「そうですね、一応は。ただ、可愛そうだとか良く言ってましたね」




 共に生きるために身につける必要があったため、アストルも実はサバイバル能力には長けていた。ただ、彼の場合は優しい性格のため魚や動物を捌きたがらなく、代わりにルーシャがさんざんその役目を請け負ってきていた。








 そんな二人が歩き続け辿りついたのは巨大な湖だった。対岸が見えないほどの規模で、水は美しいほど透き通っている。空の青が反射したその湖は絵画にでもなりそうなほどの美しさだった。




「この先なんだけどな」




 真っ直ぐと見えない対岸を見据えながらナーダルは困ったように頭を搔く。見据える先の対岸の奥には立派な山がそびえ立ち、ナーダルの瞳は対岸とその先の山を捉えているようだった。ルーシャには分からない魔力をまっすぐと見つめる瞳は、いつにも増して真剣に光っている。




「湖岸を歩きます?」




「うーん。・・・とりあえず、そうしようかな」




 少し悩みながらも、とりあえず進まなければ話にならないので二人は湖岸を歩き出す。目的地はナーダルが魔力探知をしているため迷うことはないが、随分と巨大な湖なのでそれを歩いて周回することは時間がかかりそうだった。




「綺麗ですね」




 思わず水をすくいたくなる。手を伸ばすルーシャの腕をナーダルは掴む。




「やめといたほうがいいよ」




「え?」




「魔力を感じる」




 そう言われ、ルーシャは魔力探知を行う。確かに微弱ながら湖から魔力を感じるが、ナーダルが警戒するほどではない気がした。だが師匠の忠告なのでルーシャも素直に腕を戻す。




「マスターはこまめに魔力探知をしてるんですか?」




 未知の土地なのでルーシャもそれなりに魔力探知を行うよう心がけているが、ナーダルはいち早く魔力に反応している。




「してるというより、感知できるかな。魔力探知を極めると、意識しなくても魔力を感じられるようになるよ」




 基本的に魔力探知は難しい。その方法を知っていても、実際に行っても魔力をなかなか探知できない人もいる。ある程度のセンスが必要な技術だが、極めれば意識しなくても周囲の魔力敏感に感知することができる。魔力の存在を知ることができるということは、相手が魔法術師なら力量や時には相手の使う魔法や魔術を知ることが出来るということ。




 二人は無言でひたすら歩く。ここへ来てから一度も雨に見舞われることなく、晴天に恵まれる。気候も穏やかで暖かいため野宿をしているが体調を崩すことは今のところない。美しい風景に癒され、ひたすら歩くという作業が繰り返される。初めに感じていた緊張感は徐々に薄くなっていく。








 沈黙で歩いていた二人だが、ハッと同時に反応する。




「マスター」




 湖を囲う森の奥から何かが近づいてくる。ルーシャは後ずさり、ナーダルは剣の柄に手を置き低く身構える。森がざわめき、何かの息遣いが荒々しく感じられる。緊張した面持ちのルーシャとナーダルは近づく何かを静かに待ち構える。




 やがて現れたのは巨大な熊だった。荒い息づかいと、怒りにたぎる目で二人を睨みつける。巨大で黒い体、鋭い手足の爪、急所を保護するかのような鎧のように硬化した頭部や背部、腹部の特殊な皮膚が目立つ。三メートル近くはあるであろう圧倒的な体格と、鋭い瞳は明らかに敵意に満ちている。




(・・・アルマベアの縄張りに入ったか)




 ナーダルは周囲を探りながら思考を巡らす。特徴的な鎧のような皮膚を持つアルマベアは縄張り意識が強い上、集団で暮らしている。おそらく特攻隊長のように今は一頭だけが姿を現しているが、じきに仲間が次々とやってくるだろう。獰猛なアルマベアを一頭ならともかく、一気に数頭の集団を相手にすることは分が悪い。




 勢いよく襲いかかる爪を、ナーダルはとっさに抜いた剣で両手で受け止める。金属の剣と硬化した爪の衝撃音と衝撃波が広がり、ナーダルの後ろにいるルーシャでさえ今の攻撃の凄まじさを肌で感じる。




(重いっ!)




 重量が人間の何倍もあるアルマベアの一撃は、まともに喰らえばヘタをすれば即死レベルだ。ビリビリと腕が痺れるなか、ナーダルはアルマベアの爪を受け止め続ける。




「ルーシャっ!保護ノ羽織ですぐに湖の中に入って!」




 なんとかアルマベアの一撃を押し返し、ナーダルは真っ向から獣と向かい合いながらルーシャにそう命じる。湖そのものから魔力を感じるため危険はあるが、アルマベアの集団と二人でやりあうよりは遥かにマシだった。容赦なくアルマベアはナーダルに襲いかかり、それを避けたり受け止めたりしながら時間を稼ぐ。




 ナーダルは旅をしていくなかで、たまには野生の動物に襲われることもあるので熊一頭の相手ならなんとか出来る。だが、獰猛な熊の群れとなると話が違う。スピードもパワーも圧倒的に劣る人間が真っ向から勝負して無傷で勝てるわけがない。




 ルーシャは故郷の村で動物を森で獲ってはきていたが、大型動物──特に熊のような獣は獲ったことがない。村の畑を荒らされるか、誰かが襲われる被害がない限り村でも熊を狩猟することはなかった。それに熊ほどの獣相手となると、村でも屈指の大人が徒労を組んで狩りに行くためルーシャも兄のアストルもそんな獲物を相手にしたことはない。




 ルーシャはすぐにナーダルの言う通り、保護ノ羽織の魔術を構成する。保護ノ羽織はそれほど高度な魔術ではないが、他の魔力からの介入を防ぎ、また炎や水といったものから体を守ることが出来る便利な魔術だった。これで全身を包めば火傷することも、水に濡れることもないし、炎を水の中でも目を開けて視界を確保することもできる。




 ただ、ルーシャの構成速度はあまり早くないのでナーダルはその時間稼ぎを行う。ナーダル自身の保護ノ羽織は戦いながらでも、すでに構成も発動も済んでいる。ナーダルがルーシャの分も魔術を発動させる手もあるが、獰猛なアルマベアと一戦交えながら他人に魔術を施すことは難しい。それならば、多少時間がかかってもルーシャ自身に魔術を行ってもらうほうが確実で安全だった。




 いくつかの攻撃をさばいているうちに、遅れてやってきたアルマベアが数頭姿を現す。まだ見えないが、数十頭もの獣の気配が確実に近づいてきている。ナーダルは最初のアルマベアの鎧のない足元の部分を深く切り付ける。大声をあげ、アルマベアは倒れ込み、その深い切り傷からはドクドクと血がとめどなく流れ出る。太い血管を狙ったため、しばらくこのアルマベアは動けないだろう。




 だが、油断はできない。次々と襲いかかる遅れてやってきたアルマベアの攻撃を適度に避けながらナーダル自らも攻撃を仕掛ける。ルーシャへと攻撃の対象を変えられては困る。前後左右から飛び交う鋭い爪を避け、剣で受け止めては太い手足を狙って切りつける。攻撃のひとつひとつが重いため、たくましいとは言えないナーダルの腕には負荷が蓄積し長期戦はなるべく避けたい。




「マスターっ!」




 やがて魔術の構成と発動を終えたルーシャが先に湖に入り、師匠を呼ぶ。ナーダルは一瞬で閃光魔法を構成・発動させ、アルマベアが目眩しに苦しんでいるあいだに剣を納め湖に飛び込む。




 そのまま二人は必死に沖の方まで泳ぐ。少しでもアルマベアとの距離を稼ごうと、なるべく沖の方へ移動する。湖の水は思いのほか冷たく、保護ノ羽織のおかげで体も衣服も濡れることはないが鳥肌が立つ。




 ある程度沖の方までたどり着いた二人はなんとかアルマベアの脅威から逃れられ一息つく。ゆっくりと泳ぎながら目指すべき湖岸へと進路をとる。




「いやー、危なかったね」




 フーっとゆっくり息を吐きながらナーダルは笑顔でルーシャに話しかける。先程までの緊張感と集中力に満ちた表情も瞳も一切なく、いつも通りのナーダルはゆっくりと泳ぐ。




「マスター!」




 ホッと一息ついたのも束の間、突如ナーダルが湖のなかへと姿を消す。慌てふためくルーシャだが、すぐにルーシャも湖に引き込まれる。気づけば身体中に水草が巻き付き、湖のなかへ強引に連れ込まれる。身体中に水草が絡みながら巻き付くのは、なんとも言えないほど気持ち悪い。




(息がっ!)




 とっさのことに口から空気が抜けていき、一瞬で酸欠状態へと陥る。だが、ルーシャがもがいたところで水草はとれてくれない。さらにもがけばもがくほど、酸素が消費されていき息苦しくなり、空気を求めるためにさらにもがく悪循環に陥る。息が苦しい上に巻きついた水草が気持ち悪いが、さらに状況が良くないことに水草はルーシャをどんどん湖底へと引きずり込む。




『清新たる水泡みなわよ集え かごを集成せよ』




 ナーダルの声が響くと感じた直後、ルーシャの胸が軽くなる。




(息が・・・)




 呼吸ができた。相変わらず謎の水草にまとわりつかれているが、呼吸ができる──それだけで落ち着けた。とりあえず、乱れた呼吸を整える。




「落ち着いて、ルーシャ」




 同じく隣で水草にぐるぐる巻きにされているナーダルがいた。正直、師匠がなす術もなく水草にぐるぐる巻きにされている姿は幾分か格好悪く見える。




「時間がない。急いで進むよ」




「え?」




 ナーダルは水面を見上げる。




「どうやら、ここの湖の水そのものが魔力をもっていて、他の動植物に影響を与えてしまっているみたい。アルマベアが追いつくのは時間の問題だよ」




 すでに水草により随分と湖の深くまで引き込まれているが、透明度の高い水なので遠く離れた水面の様子もよく見える。いくつかの大きな影がこちらに向かって泳いでいる。アルマベアは確かに泳げるし、縄張りへの侵入者へは徹底的に攻撃をする。だがここまで深い湖にさえ入り込んでくるのは、おそらく湖の魔力に影響を受け、より凶暴性を増しているからだろう。




「どうするんですか?」




 こうやって水草に絡め取られていては身動きが取れない。このままだと、アルマベアが潜ってきたら二人揃ってサンドバッグ状態だ。いや、サンドバッグで済めばいいのだが・・・。




「やるしかないよね」




 ナーダルは参ったというように溜息をつき、その溜息が泡となって水面へ登っていく。どこか腹を括った表情に、ルーシャも覚悟せざるを得ない。














──────────



意外と見知らぬ土地でも生きていけた。魚も動物もいるから大丈夫だし、火を起こしたり、ナイフや調理器具とかはマスターが創り出してくれるし・・・。考えようによってはキャンプみたいなものかな。


ただ、ちゃんと帰れるのかな・・・それが不安。マスターも一緒だから大丈夫だとは思うけど。


そして、アルマベアに終われるという・・・なぞの状況。さすがに熊を相手にするのは怖すぎる。

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