p.13 未知

 眩い光に飲み込まれたナーダルとルーシャは地面に倒れていた。鬱蒼と茂った木々と植物が支配し、陽光は木の葉の隙間を縫うように地面に射す。妙に湿気た匂いと植物の青々とした空気が二人を包み込む。




「ん」




 ゆっくりとナーダルは起き上がりあたりを見回す。深い緑の世界は美しくも厳かであり、望んでいないとはいえココへ足を踏み入れたことが恐れ多いと感じてしまう。




(神秘の鏡に引き寄せられたけど・・・どこだろう)




 隣に倒れ込むルーシャを見て、はぐれるという最悪の事態は避けられたと安堵する。手に持っていた剣帯と剣を装備し周囲の魔力を探る。ルーシャ以外に魔力をごく少量感じられるが、おそらく動植物の魔力だろう。強力な魔力に引き込まれたというのに、それらしいものは感じられない。ひとつ気になる魔力はあるが、それよりも今はするべきことがある。




「ルーシャ」




 気を失い倒れ込んでいるルーシャを揺すり、その名を呼ぶ。穏やかに気を失う弟子はしばらくすると、その青い瞳がゆっくりと開く。




「・・・マスター」




 のぞき込むナーダルを見上げながら、ルーシャはぼんやりと上半身を起こして周囲を見渡す。引き込まれるという不思議な感覚をまだ体に感じる。どこか寝ぼけ眼な感覚に囚われながらも、ゆっくりと立ち上がり周囲を見渡す。




「ここって・・・」




「どこだろうね」




 ルーシャの質問にナーダルも首を傾げる。鬱蒼と茂った森の中というのは確実だが、地名などは皆目検討がつかない。そもそも森など入ってしまえばどこも同じに見えてしまう。何か固有種にでも遭遇すれば検討はつくかもしれないが、あまりそういうことに詳しくない二人は首を捻るだけだった。




 聞こえてくるのは木の葉や植物が互いに不規則にその身を寄せ合いこすれる音、吹き抜けていく穏やかな風、何かの虫や動物の鳴き声だった。木々に囲まれ空でさえ遮られており、どこを進めば何があるのかもわからない。取り残された迷子のように、二人は行くべき場所もわからない。




「なんでこんなことに・・・」




 呟くようなルーシャの言葉は風にかき消されてしまいそうだった。状況を理解出来ず、ただ呆然と豊かな緑の中に立ち尽くす。




「うーん・・・。魔力に反応したんだろうけど・・・」




 あまり魔道具に詳しくないナーダルは首を傾げる。魔法術師のなかには魔道具を専門的に使いこなす部類の人間もいるが、ナーダルは魔法や魔術で大抵は解決するため使うことは基本的にない。神秘の鏡が周囲の人間や魔力を吸い込むという作用を引き起こすとは聞いたことがないが、封印魔法の途中にこうなってしまったなら魔力が原因なのだろう。




 考えても事態は解決しないし帰られるわけでもないため、二人は探索することにした。


 鬱蒼とした木々と伸び伸びと成長した植物が二人の行く先を阻む。人が入っていないのか、道らしきものは一切ない。ひたすら伸びた植物を手で押し分けて進んでいくという、地道な作業が繰り返されていく。




 魔法や魔術でもう少しどうにか出来ないのだろうかと、ルーシャは少しだけ不安になる。あまりにも原始的というか、せっかく魔力があるのだから利用しない手はない気がするが、ナーダルにはナーダルの考えがあるのかもしれないと思い言葉を留める。無言で道を切り開く師匠のうしろを従順についていく。




 先程まで暖かいナーダルの部屋にいたはずなのに、今は見知らぬ土地を二人でさまよい歩いている。長袖の服を着ているが特に寒くも暑くもない、程よい気候だった。不思議と心地よい日差しと風に恵まれ、ここが未知の場所という不安さえ除けば空気の美味しい土地で散歩しているみたいなものだった。確かに道などないし、どんな獣が出てくるかは分からないし、流れる空気の中に禁足地のような厳かさもある。だが、それでも居心地のよい気候が歩いているうちに全てを忘れさせてくれる。




「マスターって剣術できるんですか?」




 無言でナーダルの切り開く道を進む中、ふと前を歩く師匠のいつもと違う点に気づく。いつもは身につけていないものが彼の左腰に目立つ。焦げ茶色の鞘には金属でいくつかの装飾がなされて、柄には黒い皮があしわられている。装飾は派手ではなく品の良いデザインがシンプルにあしらわれ、作り手のセンスを感じる。柄の黒い皮は使い込んでいる証か、しなやかな風合いが醸し出されている。のんびりまったりマイペースな性格なナーダルが剣をもつ姿は、正直似合わない。




「護身程度にはね」




 振り返ることもなく答える。




「意外です」




 ナーダルの答えにルーシャは正直に答える。争いごとなど全力で避けて、どんな場面でも逃げ切れそうなナーダル。戦うという選択肢など初めからなさそうな印象がある。そう言えば、兄のアストルも今は護身のために剣術の稽古をつけられている。兄も兄で似合わないと思うルーシャだった。




「そうかな」




 気にしていないのか、ナーダルは笑って受け流す。以降は無言で二人はひたすら進んでいく。ナーダルには目的地でもあるのか、迷いなく進んでいくためルーシャはそれに素直に従って行く。




 森はとにかく深く、手付かずだった。動植物がありのままの姿で生きており、ここが人の入ってきていない場所なのだと実感する。深い緑が生み出す空気は澄みきり、独特の湿気と厳かさを胸に吸う。こうして、ありのままの自然の中に身を投じると自分があまりにもちっぽけな存在だと思い、少し怖くなる。このなかでは人など圧倒的な自然の力でねじ伏せられてしまうのではないかと──。




 時折、密集した木々の隙間ができるときに山が見える。堂々とそびえ立つ姿は圧倒的で、思わず見とれてしまう。




 二人は黙々と歩き続けた。水分補給も食事も忘れ、ただナーダルが切り開く道を進み続ける。そもそも、突然吸い込まれてこの森へ来てしまったのだから食料も水もない。だが朝食をとって以来何も口にしていないのに、不思議とそれほど空腹も口渇も感じない。










 歩き続けているうちに、気づけば太陽が徐々に西へ沈んでいく。眩しいほど白かった陽光は、一日の終わりを告げるよう徐々にその色合いを変えていく。淡い橙色から燃えるような赤へ色が変化していくことで、時間の流れを感じる。青かった空も支配者の色が移ろうことで、徐々にその姿を変えていく。青と赤とが同じ空に居合わせ、その領土を刻々と変えていく。




 一日の終わりを感じた瞬間、緊張の糸がほどけたように空腹が襲いかかってくる。




「さすがにお腹が空くね」




 歩きながら周囲を見渡すが、手近に食べられそうな木の実や果物などな生っていなさそうだった。




「魔力で創れたら良いんですけどね、ご飯が」




 同じく空腹を意識し始めたルーシャはため息をつく。魔力は心の力であり、命を創り出すことは出来ない。




「そういえば僕の知り合いも同じような事言ってたよ。その人は、でっかいお菓子の家を創って食べるのが夢だったらしい」




 懐かしいのか、ナーダルの声が妙に優しくなる。確かに巨大なお菓子の家となると、それを創るのも食べるのも夢がある──甘いものが好きなルーシャは静かに心の中でナーダルの知り合いに賛同する。




「川だ」




 歩き続けているうちに木々や植物の群生を抜け、川原へとたどり着く。澄み切った川は浅く、川底が簡単に見えてしまう。川幅もそれほどなく、対岸に渡るのは容易だった。




「魚獲れますかね?」




 まじまじと流れゆく川を見つめ、ルーシャはナーダルに訊ねる。もともとルーシャは田舎暮らしで畑を耕し魚や小動物を獲って生活をしていたた。魚の存在さえ確認できればこちらのものだった。




「・・・ルーシャ?」




 魚の影を見つけたルーシャは袖をまくり、ワンピースの裾を捲し上げて靴まで脱ぎ出す。魚を素手で獲る気満々のルーシャの瞳は鋭く輝き、いつもとは雰囲気が異なる。意外とサバイバルに適したルーシャに対し、ナーダルはその変化に驚きつつも若干引いている。




「まさか魚獲る気?」




「腹が減っては戦はできませんからね」




 当たり前のように素手で魚を獲ろうとするルーシャの瞳はハンターのように鋭く、獲物をじっくりと観察する。まだ川に足を踏み入れていないが、いつ動き出してもおかしくはない。




「網の魔法を使おうかな」




 足を動かしかけたルーシャに対し、ナーダルはひとつの提案を持ちかける。素手でもいいが、せっかく食料に遭遇できたのだから確保しておきたい。ならば、捕獲率をあげるための方法があった。




「やり方教えるから、食料確保は任せるよ。僕は近くを探索して寝床を確保してくるから」




 水分確保が出来るので川沿いの野営でもいいが、贅沢を言えば屋根がある方がいい。魔法や魔術で風雨はなんとか凌ぐことができるが、未知の場所で何があるかわからない状況に魔力は極力温存しておきたい。




 網の魔法はその名の通り、魔力をあみ上に練り込む。魔力そのものは手で掴むことなどできず、魔力以外はすり抜けてしまう。そこで構造を変化させ実物化することで、魚が引っかかることができる。




 魔法や魔術は魔力を変化させた結果に生じた現象であり、その魔力を変化させるためには神語が必要だった。神語で構造を創り、その構造の組み立て方で魔力が引き起こす現象は変化する。ナーダルが以前ルーシャに説明したとおり、神語は種族を超えて意思疎通できる手段であると同時に、魔法や魔術に不可欠だった。




 神語が開発される以前の魔力の変化は奇術と呼ばれ、その魔力変化は不安定だった。魔力の構造の仕方が人それぞれ異なり、やり方も個人差が生じていたため、術も安定しなければ魔力のコントロールでさえ未熟で今の数倍の確率で魔力の暴走は起きていたらしい。




「これが構造。組み立ても簡単だしやってみようかな」




 構造を創り出し、それをルーシャは見つめる。魔力は普段、目には見えず魔力を介することで見ることが出来る。自分の魔力を目に意識的に集めることで魔力を見ることができるようになり、以前ナーダルが魔力探知の方法をルーシャに教えるために行った方法だった。




 構造はシンプルなもので、魔力同士を繋ぎ合わせるために必要な神語が延々と綴られている。それを必要な方向に描くことで網の形を創り出すことができている。最後に実在化に必要な構造を上書きすることで、触れることの出来る網が創り出されるといった。




 魔法も魔術も神語の構造によって魔力が変化を起こし、それを引き起こすために呪文を詠唱するというイメージが大きいが、実際には魔法や魔術の種類にもよるが呪文は必須ではない。そもそも呪文は魔法や魔術を構成する神語を言葉に出して詠んでいるだけで、言葉を口にすることで自分の中で魔力を変化させるため合図を出しているだけだった。特に簡易な魔法や魔術ほど構造が簡単なため、そもそも呪文というほどのものもない。




 ナーダルの示したお手本通りに魔力の構造を創り出す。もともと簡単な魔法や魔術はナーダル指導のもと、いくつか発動させたことがあったので神語で構造を創り出すことは問題なかった。ただ、構造を創り出せてもそれを発動させるのは慣れなければ難しい。しばらく苦戦した末、なんとか形を作り出せたルーシャ。




 成功したことを確認したナーダルは本日の野営地を探しに出かけ、網をセットしたルーシャは追い込み漁を行う。






 自然豊かなため魚は大漁だったが、ルーシャは二人で食べ切れる分だけを確保し、あとは逃がした。余分に捕まえたとしても日持ちはしないだろうし、保存性を高めるために水分をとばすにしても暮れゆくなか天日干しなど出来そうにもない。魔力を使えば何かしらできるだろうが、ここへ来る途中にいくつかの小動物は目にしてきたので、魚がなければそれらを捕まえれば良いとルーシャは判断する。




 ルーシャが魚を取り終えたころ、ナーダルは野営地を見つけて戻ってきた。魚の鮮度を考え、ナーダルにナイフを作り出してもらいルーシャはすぐに魚を絞める。さらに魔術で器を創り、即席の水筒を入手し水分も確保する。




 沈みかけていく太陽を感じながら、ナーダルとルーシャが辿りついたのは小さな洞穴だった。入口に獣よけの魔法を施し、中で火をたく。幸い森には焚き火に使えそうな木の枝は十分に落ちているため、魔法で炎を創り出してしまえば後は薪をくべるだけで十分だった。赤く燃える炎で獲れたての魚を木の枝に刺して焼き、夕飯の支度に取り掛かる。未知の土地にいるのに、こうしていると少しキャンプをしているように感じられる。




「マスター」




「ん?」




「どうするんですか?闇雲に歩いても・・・」




 ルーシャも一応魔力探知をしてみたが、何かを感じることは出来なかった。ナーダルが適当に歩いているのではと思うが、ふらふら歩いただけでどうにか出来るとは思えない。そもそも、こんなところへ来てしまったのは偶然なのか何かの因果関係があるのか・・・。




ぬしにでも会おうかな」




 魚の焼き加減を確認しながらナーダルは口を開く。パチパチと音を立てながら燃える炎の熱と、焼けてきた魚の香ばしい香りを感じる。




「フィルターをかけているけど・・・いるよ、強大な魔力の持ち主が。たぶん、ここら一帯の主だろうね」




 ルーシャには感じられない何かをナーダルは感じ取っているようだった。この地に吸い寄せられてから、ナーダルは魔力探知を行いひとつだけ気になる魔力を感じていた。




「そこへ行けば帰れるんですか?」




「分からないけど、僕らは呼ばれたみたいだからね」




 吸い込まれてこの場へ来たということは、おそらくそれなりの理由があるのだろう。空間移動で無理矢理にでもセルドルフ王城へ帰還する方法もなくはないがリスクを伴う。空間移動は本来、空間にポイントとなる座標を設けなければならない。だが、セルドルフ王城にかつて設けられた座標は諸事情で破棄され、新しい座標はまだ設けられていない。他にも魔力協会の本部や支部の座標は分かっているので、そこへ移動後に王城へ帰る方法もあったが・・・。




(もし、反応したのが僕の魔力だとしたら・・・)




 ひとつの可能性を考えると、リスクの伴う帰還を選ぶことはできなかった。単なる魔力への反応ではなく反応する魔力を識別していたのなら、おそらく自分たちを呼んだ相手に会わなければならない。




 焚き火を囲み二人はとりあえず、ナーダルが特殊な魔力探知で見つけた主のもとへ行くことに共通認識をおく。ナーダル曰く、とても遠いとは思えないが、徒歩での移動のため数日は要するとのことだった。










 食事を終えたルーシャは、岩場で横になりなる。ゴツゴツしていて寝心地がいいとは言えないが、文句入ってられない。眠りにつく前に服の下に隠れているペンダントを取り出す。母の形見の指輪をいつも鎖に通して身につけており、不安なときや何かを祈るときはいつもそれを見て亡き母を思い出す。指輪には何やら家紋のような模様が描かれているが、それが何なのかを教えてもらう事はできないまま、ルーシャの母はこの世を去った。




(お母さん)




 どうか、一刻も早く戻れますように──と。ナーダルが一緒なので、どうしようもない不安に駆られることはないが、それでも魔道具に吸い寄せられて未知の土地に来たことは不安だった。祈るように指輪を両手で大切に包み込みながら、ルーシャは眠りにつく。






 ナーダルは洞窟の壁にもたれかかりながら、剣を抱えて瞳を閉じる。獣避けの魔法とともに侵入者があれば察知する魔術も仕掛けているため、とりあえず二人揃って睡眠は取れる。焚き火の暖かさとパチパチという音を聞きながら、ナーダルもルーシャに続いて夢の世界に入り込む。








 暗闇の中を歩く。うしろからコツコツと誰かの足音が聞こえ、それが妙に不吉に感じられた。足音から逃れるよう、最初は早足で歩き、徐々にその速度は上がっていく。気づけば必死に走って、正体の分からない不吉な足音から逃げている。とにかく早く遠くへ・・・。だが、必死に逃げる分だけ足音はどんどん近づいてくる。


 もう逃げきれないと悟った時、誰かに背を強く押される。抵抗もできず、そのまま何もない真っ暗な空間に落ちていく。








 夜が更け、焚き火はいつの間にか鎮火する。フクロウの鳴く声が響く中、ハッとナーダルは冷や汗をかいて起きる。




(・・・また、あれか)




 夢を見て目覚める。冷や汗をかき動悸が激しく、心なしか胸も苦しく感じられる。先程まで走っていたかのように、身体中が疲弊しきったような感覚にとらわれる。嫌なドキドキを抱えながら、服の裾で汗を拭う。




(こんなときに・・・いや、こんなときだからか)




 頭に手を当て項垂れながら、ナーダルはルーシャを見る。規則的な胸の動きと穏やかな寝顔に安堵しつつ、彼は洞窟の入口へと足を運ぶ。施された魔法たちは安定しており、特に何も侵入してきた形跡はない。木々の隙間から見える星空を見上げながら、もう寝付けそうにないナーダルは静かに夜が明けるのを待つ。基本的に寝つきがよく、起こされるまで寝てしまう体質だが、悪夢を見た時はその後何度眠ってもその夢を見てしまう。そういう時は寝ることを諦め、静かで長い夜が終わるのを待つだけだった。














──────────




マスターと共に訳の分からないところに来てしまった。来たというより吸い込まれた?感じなんだけど。


主っていうのにとりあえず会うみたいなんだけど、大丈夫かな。いろんな意味で。それにしてもマスター、訳の分からない状況なのにすごい落ち着いてるんですけど。そんなものなのかな、一人前の魔法術師って・・・。

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