p.15 水中戦

 透き通った水中において、ルーシャとナーダルは水草に巻き付かれたまま身構える。水草がもつ魔力が湖の魔力に影響され二人を襲い、巻き付かれた上に徐々に締め上げるようその力が強くなっていく。最初は気にならなかったが、植物とは思えぬ力で身体中が締め付けられていき、胸を強く圧迫されることで徐々に息苦しささえ感じる。息ができなくなるということは想像以上にルーシャの恐怖心を煽る。保護ノ羽織で直接的に濡れたりすることはないが、水草独特の滑り感は伝わってくるため言いようのない気持ち悪さも感じずにはいられない。




 美しい湖の世界を愛でている場合ではないが、泡が立たなければ水中ということを忘れてしまうほど透き通っている世界に目を奪われそうになる。あまりにも美しく、差し込む光が神々しくさえ感じられる。




 ナーダルはすぐに魔力を使って二人を縛る水草を切り刻む。体が自由になり身軽さを感じるなか、ナーダルは左手でルーシャの手を引いて湖底を目指す。すぐに水草は再生しルーシャとナーダル目掛けて伸び、急いでも水中のため地上ほど俊敏かつ自由には動けない。ルーシャの足には切り刻まれた水草の一部が付着しており、さらに驚異的な速度で伸び始めた水草はルーシャの両足に絡みつき始める。




 焦りながらもルーシャはとっさに数少ない使える魔法──弾きの魔法を構成・発動させる。この魔法も構造がかなりシンプルなので呪文がなく、魔力の勉強を初めて間もないルーシャでも、わりと簡単に出来る魔法だった。弾きの魔法はその名の通り、術者が意図する相手を弾き返すものだった。ルーシャは構造を組み立てる際、自分にまだ付着していた水草の魔力を利用し、水草を弾くよう魔法を組み立てていた。襲いくる水草たちはこと如く弾き返され二人の前から姿を消す。




「ナイス」




 ルーシャの機転の利いた行動にナーダルは笑い、更に湖の底へと進む。上を見上げると太陽の光がまっすぐと差し込み、緊迫した状況なのにも関わらず美しいと思ってしまう。静寂に包まれた世界に降り注ぐ光が神々しく、光が無数に降り立つさまは絵画の世界に入り込んだようだった。よく見れば周囲を泳ぐ魚も色鮮やかだが派手すぎない。だが、悠長なことは言っていられずアルマベアの集団と思しき影がまだ小さいが見受けられる。




(こういう時ほんと助かるよ)




 湖底を目指すナーダルは自分の右手を見つめる。身体中の魔力が疼くかのように活性化しているのを感じる。魔力の性質はそれぞれに異なり、類似しているものはあっても同じものはない。個人の性格だけではなく、魔力の性質や特質によっても扱う魔法や魔術に得意分野があらわれる。ナーダルの場合は水に精通したものを得意とし、とっさの判断だったとはいえ水中に身を投じたことはある意味ラッキーだった。




 湖底に足をつけたナーダルとルーシャは遥か水面を見上げる。随分と深い湖だが、透明度が非常に高いため水面まで見ることは可能だった。




「マスター。アルマベアって潜れるんですか?」




「・・・いや、どうなんだろう」




 凶暴化したとはいえ相手は熊なので、最初はこれだけ深い湖底まで来てしまえば安心かと思っていた二人は眉間にシワを寄せて上を見上げる。アルマベアの集団が徐々に大きくなってきている。熊の潜水など聞いたことがないが、実は潜れたのか、それとも魔力の影響を受け獰猛化したため潜水までしてしまっているのか・・・。




 ナーダルはルーシャの手を取ったまま湖底を泳ぎ歩き、少しでも前に進む。出来ればアルマベアとの戦闘は避けたいが、今のままではそうも言ってられない。水中で避けられたとしても、目指す先は湖の向こうなので地上に上がる必要がある。地上に上がれば自ずとまた一戦交えなければならないだろう。




 だが、少しでも戦闘を避けたい二人はアルマベアから離れようと、慣れないなか湖底を先へ先へ進む。湖底を蹴る度に体が浮き、少しずつ移動していく。ゴツゴツとした岩場と、さらさらの砂地が入り混じる湖底は水中での移動に慣れない者には試練のように立ちはだかる。湖底を蹴り進みながら岩場を避け、砂地を蹴る度に細かい砂が美しく舞い視界をわずかに遮る。




「うわっ!」




 突然の水圧にナーダルとルーシャは吹き飛ばされる。水中では浮力により、うまくバランスがとれない。アルマベアの集団が気づけば近くまで迫っており、二人を切り裂かんとした攻撃が水圧となって襲ってきた。急いで移動していたが、人間の何倍もある手足で水をかくアルマベアの水泳速度はなかなかのもののようだった。




「マスター、追いつかれます」




 慌てふためくルーシャに対し、ナーダルは少し悩んだがもう少し進むことを選ぶ。湖底に降りてきてから随分と歩いてきており、徐々に湖のどこかの端にたどり着く。水が透き通っているため視界は開けており、ナーダルは何かを見つける。そこへ賭けようとその瞳はそれを捉える。




 二人が飛び込んだ湖の岸は、砂浜が広がり浅瀬から徐々に深くなっていっていた。だが目の前には絶壁が広がっており、広大な湖の端のひとつは崖となっていたのだろう。




「ルーシャ、あそこに」




 ナーダルはひとつの場所を指さす。絶壁のなかにくぼみを見つける。




(水中洞窟?)




 ナーダルはルーシャの手を離し先へ行くよう手を振る。心配だがルーシャがいても何の役にも立たないため、ルーシャは泳いでナーダルのそばを離れる。




 示された場所へ泳いでたどり着き中をのぞき込む。光が指さないそこは暗く、その暗闇に吸い込まれそうになる錯覚に陥る。




(ダメだ)




 吸い込まれそうな体をなんとか止め、ルーシャはナーダルを見る。




 ナーダルは絶壁を背に立ち止まり、両手を前に出している。アルマベアの集団は前方上部から確実に近づいてきているが、ナーダルに焦りの表情は見受けられない。背後に絶壁があることで退路は絶たれているが、水中戦という特殊な状況下ではこちらの方がやりやすかった。前後左右、そして上下からアルマベアが攻撃を仕掛けてきたら水中で動き慣れないナーダルはあっさりやられてしまうだろう。少しでもアルマベアからの攻撃の方向を絞る必要性があった。




 魔力の構造を練りながらナーダルは周囲を見渡す。基本的にナーダルは呪文を詠唱することはしない。呪文は基本的に必須ではないし、呪文の内容は魔力の構造であり魔法術師や魔導士相手では自分の行おうとしていることを宣言していることになる。それに、彼の師匠のシバは魔力さえ正しく扱うことが出来ればすべての魔法や魔術は成されると、ナーダルにかなり厳しく教え込んでいた。




 だが、それでも高度な魔法や魔術ほど呪文なしに発動させることは難しい。構造が複雑化しているため、神語を言葉にして発することで自分の中でその構造を再び理解し発動のタイミングを見極める必要がある。




 目に見える明らかな変化が見えないまま、ナーダルは魔法を発動させる。その瞬間、湖のなかが異様な雰囲気に包まれる。アルマベアの集団が湖底にたどり着くという、おそらく前代未聞な状況下においてナーダルは静かに両手の指を動かす。それだけで湖の水が波打ち、自然ではありえない動きをする。水は目に見えないが、明らかに様子がおかしいのは見ているだけでわかる。




(何あれ)




 水中洞窟の入口で待機しているルーシャは初めて見る光景に口元を押さえ、驚く。ナーダルの指の動きに合わせ、水が自在に動く。指揮棒に従う奏者のように、水が従順にナーダルの指に合わせ複雑な動きをする。まず、アルマベアの集団のまわりの水を使ってかれらを囲う。多数を相手にするのは分が悪く、様々な方向にちられてはナーダルの身がもたない。




 アルマベアたちも異常を察したようだが、ナーダルがすでにアルマベアたちの周囲の水を四方八方すべての方向を操り、水の中にいながらアルマベアたちは水牢に閉じ込められる。数頭は離れすぎていたため取り逃がしたが、今はまだ距離もあるため放置する。ナーダルはそのまま集中力も魔力も切らすことなく、閉じ込めたアルマベアを水牢ごと力技で飛ばす。腕を前に伸ばしたまま、アルマベアに向かい魔力を噴出することでそれにつられ水も魔力と同じ方向に勢いよく流れ出し、アルマベアを吹き飛ばす。




 一瞬でアルマベアの集団は吹っ飛ばされ、姿を消す。まるでそこには最初から何もいなかったかのような静寂があたりを包み込む。




 ホッとルーシャが一息ついたのも束の間、取り残した四頭のアルマベアがナーダルに襲いかかる。ナーダルは水中にも関わらず紙一重でアルマベアの一撃を避け、近くにいた一頭の周囲の水を瞬時に凍らす。ナーダルとアルマベアの距離は手が届く範囲なのだが、ナーダルの周囲の水は一切凍っている気配がない。




(すごいコントロール)




 寸分違わぬ緻密なコントロールと瞬時に水を凍らす魔力の構成スピードがなければ、不利な水中で動く相手の周囲のみの水を凍らすことなどできない。それに一歩間違えてしまえば自分も凍ってしまうことなのだが、ナーダルはそれを危なげもなくこなす。




 次に左右から挟み撃ちに攻撃してきたアルマベアに対しては、その攻撃を回避し、両手を軽く合わせる。それだけで二頭のアルマベアの周りの水があっという間になくなり、かき集めた水中の空気で二頭を包み込む。




 空気で包まれた二頭はあっという間に水面に向かって浮力により、水面に押し上げられていく。アルマベアはもちろん抵抗したがそんなに簡単にナーダルの魔法が壊れることもなく、あっさり二頭は姿を消していく。




 最後の一頭は慎重にナーダルとの距離を保つ。集団生活をするアルマベアは獰猛な一面もあるが、それは種族を──仲間を守るため。仲間と縄張りを共有しているため社会性が高く、適応能力も侮れない。互いに睨みをきかせながら動きをさぐり合う。




 先に動いたのはナーダルだった。小さく右手の人差し指と中指で小さく円を描き、ナーダルの周囲の水が動き出す。彼を中心として水が渦を作り出し、その大きさはどんどん勢いをまして大きくなる。時計回りに円を描く水は周囲にあるすべてを飲み込むかの勢いで成長していき、湖底の砂もナーダルの近くを優雅に泳いでいた魚もそれに巻き込まれて渦に飲み込まれる。




 だが、台風のような猛威を振るい始める渦に対しアルマベアは屈することなく果敢に勢いをつけて飛び込む。この渦の元凶である、術者のナーダルを目掛けてその爪先をのばす。獣の強靭な脚力は成長途中の渦を難なく超え渦の中心へたどり着き、ナーダルの目前までその鋭利な爪は迫る。




「じぁあね」




 焦った様子もなく、ナーダルは瞬時に右手を高くあげる。それだけで渦の勢いはさらに増し、渦の中心までもその激しい激流にさらされる。台風の目のように平穏だった渦の中心だが、今はもう中心でさえもそこに立つことは困難なほどの激流が支配する。




(同時にいくつの魔力構造をコントロールしてるの?)




 まだ知識も技術も圧倒的にナーダルに追いついていないルーシャだが、師匠が今現在やっていることが並のことではないことは安易に想像がつく。水を──それも自分たちを排除しようと動く魔力を含む水を操り、水中で自在に動き、時には周囲の水を凍らし、空気を集め、渦を作り出す。ひとつひとつの技術は本にも載っていることだが、だがどれも簡単にすぐに出来るものではない。それなりに難解で複雑な構造であり、一つ一つ順番に構造を創って発動していてはこれほどのスピードで魔法は発動できていない。




 先を読み、あらかじめいくつかの構造を同時並行で組み立てているのだろう。それが平時ならともかく、命の危険のある現状で間違いもタイミングのミスもない。






 激流と化した渦の中心にいながらも、ナーダルは一切それらに引き込まれる気配はない。彼のいる場所だけが別空間のよう、穏やかで周囲を荒らす渦とは相反している。ナーダルが上げた手のひらをぎゅっと握り拳をつくると、渦はナーダルだけを置いて勝手にさらにその勢力を増したまま、中心が動き出す。




(魔力を切り離した・・・!)




 魔力で集めた渦の中心はその魔力に依存し、それをナーダルから切り離したことで魔力は固定されず水の中を漂う。その魔力を中心とし渦も湖の中を彷徨い出す。激流に巻き込まれたアルマベアは圧倒的な水の流れに逆らうことも、出ることも出来ず渦の中をただただ回り続ける。










──────────




未知の土地に来て、まさか水草に巻き付かれて、アルマベアに湖の底まで追いつかれるとは・・・。


マスターは呼ばれたかもしれないって言ってたけど、そうなのかな。呼んだわりに襲われてるのに放置されてるし。


大丈夫なのかな、主に会って・・・。もはや不安でしかない。


あー、早く帰りたい!!


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