第二章 神秘の鏡
p.10 会長
冬の寒空が季節を支配し、外へ出るのが億劫になる。晴れてはいるが、どこか元気のない太陽が地面を照らす。例の王冠失踪事件が解決してから十日あまりが過ぎていた。
ウィルト国王公認のもと、ルーシャはナーダルの弟子となった。魔力協会に入会も済んだし、協会に師弟関係を申請してなんなく許可も降りた。凄い儀式や手続きがあるのでは・・・と密かに期待したルーシャだが、入会の手続きも師弟関係の申請も書類の郵送だけで終わってしまった。さらに、書類の郵送も魔力を使った特別な方法ではなく、普通にポストに投函するという期待はずれな至って普通の方法だった。
ルーシャは今、渋々ウィルト国王が許可し、非常勤王宮魔法術師となったナーダルに魔力について一から教わる身の上だった。ルーシャは今まで通りの下働きを希望したが、ウィルト国王は勉学が務めだと言い切り、ルーシャの希望を却下した。衣食住が十分すぎるほど整っている王城での生活を、なんの奉仕もなく過ごせてしまうことに居心地が悪く、ルーシャは極力ナーダルの補佐をすることにした。
「マスター」
ルーシャは部屋の暖炉の前を陣取るナーダルに声をかける。
魔力協会にはいくつか規定があり、そのひとつが師匠の呼び方だった。なぜか、男の師は「マスター」、女の師は「シスター」、師匠の師匠は「グロース」と呼ぶことが決まっていた。それなのに弟子の呼び名は特に何も決まりはなく、ルーシャは微妙な不平等感を感じる。ナーダルに聞いたが何故そんな決まりがあるのか、由来は何かなどは彼も知らなかった。
「ここのスペルって」
魔法や魔術を扱うに際し、一番の基礎は神語となるためルーシャはひたすらその文字や文法などを座学していた。ナーダルは一応、王宮魔法術師なのだがウィルト国王が魔法術師に頼るわけがほぼないので、一日中暖炉のお守りをしている。
ナーダルはあまり机に向かって何かをするタイプではないため、彼の部屋にある机にはルーシャ用の本などが並び、彼女はそこで勉学に励む。本は王城内の書庫に魔力関連の本が所蔵されており、基本的にはそれを読む。前々から本の存在は知っていたルーシャだが、ウィルト国王に魔力のことを隠していたため手を伸ばすことが出来なかった。ルーシャが机を使うなか、部屋の主はソファでごろごろするか、ソファの近くに置かれているローテーブルで読み書きすることが多い。
セルドルフ王城内では、あのウィルト国王がついに魔法術師を雇ったとざわめく。なにか思惑があるのではないかという噂が流れるが、ウィルト国王は特に何かを表明することはないし、ナーダルに限っては全く気にしていない。
「んー?」
やる気がなさそうにこちらを向く彼は、のっそりとこちらへ足を向ける。ナーダルはルーシャが思っていたよりもはるかにマイペースであり、やる気のない人物だった。名ばかりとは言え王宮魔法術師となったのに、仕事がないことや役に立っていないことを気にしていない。給料泥棒になることも気にしていない様子であり、ルーシャが税金の無駄遣いを心配する。
魔法も魔術も基本は同じで、魔力を変化させた結果に生じる現象を魔法や魔術といった。魔法は規則や法則に則った魔力の変化を、魔術はそれ以外の魔力の変化を指す。魔法使いは魔法を、魔術師は魔術を扱うのに必要な知識と技術を得た人のことを指し、魔法術師はその両方の知識と技術を有している。
魔力協会に所属する人間は一人前として最低限、魔法術師か魔法使いか魔術師の資格を手にする必要がある。薬師や医師など、さらに他の資格をとるのにもその三つのどれかは持っていなくてはならない。協会員の九割は魔法術師の資格を持っているため、魔法術師が一般的な資格だった。
ルーシャは魔力について学ぶとともに、魔法術師を統括する魔力協会の仕組みも知らなければならない。頭がパンクしそうになりながらも、こうやって魔力について堂々と学べる日がくるとは夢にも思わなかった。
王宮魔法術師となったが、部屋は移動が面倒なのでナーダルは宿泊用客室の一番端のままだった。彼は寒がりなので部屋を出ようとせず、ルーシャはこの部屋に基本的に通って様々なことを教えて貰っている。現在は神語をマスターすることが第一目的となっているため、神語の勉強をメインにする。
「おい、ナーダル」
平穏な時間を突如として誰かが破る。荒っぽく扉をノックする声の主に聞き覚えがなく、ルーシャは少し身構える。そもそも、この城内で彼のもとを気軽に訪れるような者は誰もいない。謎の魔法術師を敬遠し、基本的に誰もナーダルに好き好んで話しかけることがない。
「はーい」
身構えるルーシャとは正反対に、ナーダルは身軽に動き扉を開ける。先程までのさる気のなさやはどこへ行ったのかというほど、軽やかな身のこなしだった。何の警戒もなく彼は突然の来訪者を迎え入れる。
「お久しぶりです」
まるで初めから誰が尋ねてきたのかを分かったような振る舞いで招き入れたのは、ルーシャの見ず知らずの男だった。すらっとした体格に鋭い金色の瞳、濃い茶髪の男が睨むようにナーダルを見据える。威圧的なその雰囲気にルーシャは椅子に座ったまま硬直する。よく見れば魔力協会のシンボルである、三つの柱に支えられた天秤マークの協会章を身につけており、その背景は透明だった。協会章の背景の色は資格や身分を表しており、その透明な協会章を身につけることが出来るのは一人しかいない。
「フィルナル会長」
にこりと来訪者に笑いかけ、ナーダルは自然な流れで魔力協会で一番の権力者を招き入れる。
「お前が一所に留まるとはな」
冷たい物言いだが、ナーダルは怖気付くことなく「色々あって」と普通に受け答えをする。鋭い眼力と威圧的な空気に圧倒されるが、ルーシャは静かに立ち上がりお茶の準備をする。ベッドやテーブルが備え付けられているメインの部屋の隣に、小さいながらもキッチンがあり、ルーシャは目立たないように、そっと湯を沸かし、カップや茶葉を準備する。
「会長がセルドルフ王国に来るなんて珍しいですね」
「ウィルト国王から苦言をいただいた、お前のせいでな」
今にも噛み付く勢いの男とは正反対に、ナーダルは「まあ、座ってくださいよ」などと呑気なことを口走る。どんな誰が相手でも貫かれるマイペースぶりは、ある意味驚異的だった。
鋭い視線はもちろん、目立たないようキッチンでお茶の準備を進めるルーシャにも向けられる。
「で、そこにいるのが噂の弟子か」
どさりとソファに座り込み、まじまじとルーシャの後ろ姿をを見つめる。フィルナルの座っている位置からは、小さなキッチンで背を向けるルーシャの後ろ姿がちょうど見える。一人分の湯はすぐに沸き、それを茶葉に注ぎながらルーシャは蛇に睨まれたカエルのように固まり身を縮こませる。背中越しの視線でさえ刺さるように痛い。暖かな湯気とお茶の香りが部屋の空気を和ませるが、そんなものでルーシャの緊張は取れない。
「噂って?」
ルーシャのそんな様子など気にもしていないのか、ナーダルはフィルナルの言葉に首を傾げる。ルーシャは逃げ出したい気持ちを抑え、お茶の準備をお盆に載せて彼の元へ運ぶ。
「シバの弟子が弟子をとったとな。名前は?」
睨まれるように見られ、緊張しながら「ルーシャです」と小声で呟くように自己紹介をする。心なしか震える手でティーカップにお茶を注ぎ入れ、訪問者の前に出す。
「この人は魔力協会の現会長のフィルナル会長だよ。眼力怖いし口もよくないけど、いい人だよ」
ルーシャを庇うように優しくそうナーダルは言うが、第一印象が最悪な会長に歩み寄れそうなルーシャではない。フィルナルは随分と失礼なことを言われたが気にした様子はなく、じろじろとルーシャを見る。少し見て満足したのか、フィルナルはナーダルに視線を移す。
「ナーダル。近々、魔導士採用試験があるから受けに来い」
腕と足を組み、まるで自分が部屋の主人かのような態度のフィルナルの言葉に、ナーダルは明らかに不満そうな顔をする。
「えー。別に僕は魔導士になりたいわけじゃ・・・」
「お前はそうでも、そういうわけにはいかない。シバの弟子が魔法術師止まりなのは問題だ」
「そんなこと言われてもなぁ」
フィルナルの命令口調に屈することなく、ナーダルは口を尖らせる。マイペースを通り越し、図太いナーダルは所属組織のトップに対しても我が道を貫いている。
「お前の考えなど問題ではない。つべこべ言わず魔導士になれ、そして俺の仕事をしろ」
だが、一協会員に負ける会長でもない。こちらもこちらで譲る気配が全くなく、意見を押し通そうとする。会長に茶菓子でも・・・などと思っていたルーシャだが、二人のそんなやりとりに午後のティータイムなどと悠長な時間ではないと察する。
「だって会長、人使い荒いしー」
「お前にどれだけでかい貸しがあると思ってる?ひとつやふたつ、仕事を終えたくらいで完済すると思うな」
「えー」
文句を垂れるナーダルに対し、フィルナルは相変わらず厳しい態度を貫く。
「会長の魔法に不備がなかったことの証明とか、ウィルト陛下とのパイプ作ったりとか・・・わりと頑張ってるんだけどなぁ」
フィルナルの向かいに座り、わざと呟くようにナーダルは言葉を発する。
「たしかに、王宮魔法術師とはお前にしては機転が利いていたな」
彼の言葉に素直に頷き、フィルナルはお茶を一口飲む。
ナーダルが王冠失踪事件においてフィルナルの警備魔法を確かめたのは、確かに魔力介入の痕跡を調べたかったからだが、目的はそれだけではなかった。フィルナルの魔法が破られていないことを証明することで、ウィルト国王のほんの少ししかない魔力協会への信頼を守る為でもあった。
また、ルーシャのマスターとなったとき、ルーシャを連れて旅に出る選択肢もあった。いくらウィルト国王がルーシャの意思を尊重し、城での生活を許したとしても、ナーダルにも急ぎではないと言え、旅をしているのにはそれなりの理由や目的がある。ルーシャの意思さえあれば、ここを早急に去ることもできたし、魔力嫌いのウィルト国王の側に居続けることは、協会員としてあまりやりたくないのも本音だった。
それでも、わざわざ王宮魔法術師を打診したのは、セルドルフ王国と魔力協会のパイプを作るためだった。ウィルト国王の魔力嫌いは相当であり、魔力協会と公な契約関係はない。だが、魔力溢れる昨今において魔力対策をしていないということは、いろんな意味で危険であり、会長のフィルナルが裏取り引きでなんとか魔力対策をさせてもらっているという立場だった。
単なる個人の好き嫌いや、利益・不利益の判断で魔力対策をしないのは個人の責任であり魔力協会が尽力することではない。だが、ウィルト国王の場合は事情があり、魔力協会は放っておくわけにはいかなかった。
裏取り引きで魔力対策をしているとはいえ、こっそり行っているため出来ることが限られている。そこでナーダルは、とりあえずセルドルフ王国と魔力協会の繋がりを作ろうと、王宮魔法術師という立場を買って出た。
「あと、アストル王子に気を配れ」
ふと、フィルナルは何かを思い出したかのように話題を変える。
「え?」
「・・・王女が二名失踪している。家出なのか誘拐事件なのかは分からんが、概ね後者だろうと俺達は判断している。まだ協会の力で公にはしていないが」
フィルナルの言葉にだらけきっていたナーダルの表情が変わり、雰囲気が引き締まる。
「・・・犯人の目処は?」
「分からん。王女の行方もしれず、要求もない。全容が掴めていない。王子の被害報告はないが・・・。とにかく、お前がここにいる限りアストル王子にもしもがないようにしろ」
突然のフィルナルの言葉にナーダルもルーシャも驚く。
「ちなみに、誰がいなくなったんですか?」
ナーダルはやや前のめりになり、話に感心を示す。どちらかと言うと面倒ごとなどに消極的な彼が関心を示すのは珍しい──と、ルーシャは勝手ながら思う。
「・・・ローズ姫とリリア姫だ」
フィルナルは少し迷った後、その名を口にする。どこかの国の王女であることは分かるが、ルーシャは名前くらいしか知らない。
「たしか、二人とも協会員ですよね?他の王家の協会員は・・・?」
「今のところ無事だ。確か、アストル王子に婚約者がいたな。誰だ?」
ナーダルと話し込んでいたフィルナルの視線がルーシャに注がれる。なぜ自分に問われるのかと不思議に思ったが、そんなことを問える雰囲気でもないのでルーシャは素直に答えるしかない。
「べタル王国第一王女のオールド姫です」
「・・・イートゥル家か」
ルーシャの言葉にフィルナルは何かを考え込み、ナーダルもナーダルで何かを考え込む。真剣な話に入り込めず、ルーシャは居心地が悪いが何も出来ず、ただ話が終わるのを待つ。
「とにかく、魔導士採用試験は必ず受けに来い。必ず合格しろ」
「選択の余地はなさそうですね」
「当たり前だろ」
フィルナルはそう言うと、そそくさと立ち上がり部屋を出ていく。お茶の香りがほんのりと残る中、嵐のような人だとルーシャは去っていったフィルナルのことをそう思う。
「親しいんですか?」
フィルナルはオブラートに包むことのない態度と言葉でナーダルに向き合い、ナーダルはそんなフィルナルの態度に嫌な顔もせず、むしろ流すかのような対応だった。ただの協会員と会長といった関係ではなさそうだった。
それに、ナーダルから教わった通りだと魔力協会は世界的権力を誇る一大組織であり、その頂点に立つ者は権力者であり実力者だった。会長になるには、魔力協会で何らかの功績をあげるだけではなく、所定の部署での部長などを経験しなければならないし、会長選挙に当選しなくてはならない。誰でも気軽になれる地位ではない。
「僕は会長の個人的なパシリみたいなもんかなー」
笑いながらナーダルは去っていったフィルナルを思う。圧倒的な権力者であり、実力者である彼は何かにつけてナーダルに厄介事を押し付ける。会長としてやらなければならないことは多く、公な任務として議会に挙げられないことも多い。そういう案件は、フィルナルに大きな借りがあり頭の上がらないナーダルのもとに降ってくるのだった。
──────────
毎日毎日、覚えることばっかり・・・。選んだ道だけど、頭が痛くなる。
魔力協会の会長に会ったけど、正直こわかったなー・・・。雰囲気が威圧的だし、睨まれてるみたいだし。苦手だなぁ。そうそう関わることなんてないと思うけど。
あと、王女様たちがいなくなっているらしい。何かの事件なのかな。
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