p.7 思惑

 宝物庫の大理石の床にはナーダルが書き記した記号と文字で溢れていた。魔力を練り込んで書いてあるそれらは、いくら踏んでも消え去ることはない。もはや床の模様と化した文字をナーダルは静かに書き続け、カツカツとチョークが床に当たる音が響き渡る。




「さすがに疲れるね」




 十数分がすぎたころ書き終えたのか、ナーダルはそう言い大きく伸びをする。部屋中に書き記された文字をまじまじと見つめ、ルーシャはひとつのことに気づく。




「テオス語と似てますね」




 基本的に世界中の人々は、万国共通の公用語・テオス語と母国語を学んでいる。もちろん国内だと母国語だけで十分なのだが、国際化が進んでいる国ほどテオス語を普段使っている。ルーシャたちもテオス語を普段から使用しているし、客人も基本的にそうだった。




「それは神語だよ。テオス語の元となった、魔法や魔術を使うのに必要な言葉」




「神様の言葉なんですか?」




 聞いたことのない言語を言われ、ルーシャは首を捻る。そもそも神様がいるかどうかすら半信半疑なのだが・・・。




「魔力を使った言語で、魔力さえ扱えれば種族の垣根を越えて意思疎通できるから、神様みたいに凄いってことで命名されただけ」




 神様がいるなら会ってみたいよ──と笑って言いながら、ナーダルは魔法の最終確認を行う。緻密なそれらはひとつ間違っただけで魔法が発動しなくなり、下手をすれば全く望んでいない結果をもたらすという。違いなどわからないが物珍しいルーシャはナーダルとともに、床に書き示された文字たちを見る。




「ここだけ何か違いますけど・・・」




 知らない言葉と言えども、しばらく見てればどこかでその法則や文字の配列に慣れる。そんな中、明らかに文字も配列も異なる箇所が出てきて声をかける。




「あー、やっちゃった。見つけてくれて、ありがとう」




 一目みてナーダルは違いに気づき指の腹で文字をいとも簡単に消し、新しく正しい文字を書き込む。その手を集中してよく見てみると、チョークを伝い彼の魔力が文字に流れ込んでいく様子が観察できた。




「母国語ですか?」




 始めてみた文字と配列にルーシャは何気なく話をふる。そう言えば、ナーダルが魔力協会の人間だとは知っているがそれ以上のことを知らない。




「まあね。油断するとつい」




「どちらの出身なんですか?」




 特に何も考えず話を振り、ルーシャは読めないし意味もさっぱりわからない文字列をひたすら見ていく。いつもならトントン拍子に進む会話が停滞し、不審に思ってナーダルを見ると少し躊躇っているようだった。




「・・・ロータル国」




 少し考えた後にそう答え、ルーシャはなんと返答して良いか分からず曖昧に「そうなんですね」と答える。




 ロータル国はつい最近まで「ロータル王国」といい、世界でも古くからある大国として名を馳せていた。セルドルフ王国より歴史は古く、約700年は続いていた王家により統治されてた。時期国王と噂された第一王子は王たる資質を持ち合わせた人物だということは有名な話であり、異国民のルーシャですら知っている。そんな歴史ある大国だが、二年前に一人の裏切りにより国王と王妃は殺された。ロータル王国軍部の将軍・リーシェルという女騎士が一夜にして城を血の海に染め、長く続いた王政に終止符を打った。このことは瞬く間に世界中に知り渡り、ロータル王国の国民はリーシェルに慄いているという。




 さらに彼女は魔力協会に所属する魔法術師なのだが、彼女の蛮行に対し協会はその牙が自分たちに向くのを恐れたため、何の制裁もできなかったという。当代最強の女騎士が今はロータル国を治めている。恐怖の独裁政治を強いているという噂はないが、国王を裏切るまで何の兆候も見せなかったため、ロータル国民はおろか他国民も出来るだけ関わらないでおこうとしている国情だった。なのでロータル国民は出身国を言いたがらないし、聞いてしまったこちらも反応に困る。




 何とも言えない重い空気を引き出してしまいルーシャは空気を変えたかったが、気の利いた話題を振ることが出来ず床に書かれた文字列の確認が終わる。




 ナーダルはすり減ったチョークをポケットにしまい、部屋の中心に立つ。そしてパンっと勢いよく両手を合わせ、魔力を放出する。ルーシャもすぐに魔力に気付き、足元の文字が変化していくのを見つめる。




 幾何学な記号や文字が勝手に動き出し、部屋中へ移動していく。もそもそと壁や棚をつたい文字が動き出していくのは、何とも不思議な光景だった。ルーシャたちの足に踏まれている文字も例外なく動き出し、それぞれが定められた定位置へ向かう。床、壁、天井、そして棚やガラスケース、王冠があったであろう机にも文字がはびこる。




『眠りしたね 延びるつた ひらけ蕾』




 文字たちが定位置についたことを確認したナーダルはそう言い、一斉に文字と記号が光り出す。部屋のあちこちから光が指し、その光は徐々に強くなっていく。点と点で存在していた魔力がツタが這うように繋がっていくのを感じながら、ルーシャは目を細めながら部屋の変化を見守る。




 やがて、部屋中を淡い青色の光の線が覆う。それらは四方八方に伸び、互いに絡まり会いながら淡く光る。魔力が部屋中を駆け巡り、複雑に絡み合い、繋がり合う。




「これは?」




 青い光のツタの下から徐々に引き出されるように、何かがゆっくりと浮き出てくる。




「フィルナル会長の警備魔法の構造だよ。どこかが途切れていたら、魔法をうまく破られたかくぐり抜けられたってことなんだねど・・・」




 浮き出てきたナーダルとは別の濃い紫の魔力は細やかに部屋中に張り巡らされている。徐々にナーダルの魔法のツタは消えていき、警備魔法だけが部屋に取り残される。魔法のツタは互いに絡まり合い幾重にも重なっていたが、警備魔法は細やかに部屋を覆っている。魔力の網に包まれたかのような部屋を見回し、ルーシャは壮大な魔法に目を奪われる。




「見たところ問題はなさそうなんだけどなー」




 床から壁、天井、そして机や棚に至るまで張り巡らされた魔法をナーダルは隅々まで細かく確認していく。ルーシャも一応目を凝らして確認してみるが、素人のルーシャがみて分かるものでもない。




「しかも、ほかの魔力の痕跡も一切ないから外部からの魔力の介入もなさそう・・・」




 頭を捻りながらナーダルは何度も何度も部屋を這いつくばって確認作業を繰り返す。




「誘引性を利用するって言ってましたけど・・・」




 なにせ普通の魔法すらも扱えないルーシャは何が普通と違うのか、皆目検討もつかない。




「僕の魔力を放つことで、それを餌にして他の魔力を引き寄せたんだよ。だから会長の魔力がこうして浮き出てきたし、外部侵入があれば出てくるはずなんだけどなー」




「魔力の残留とか、誘引性を隠すことはできないんですか?」




「魔力の残留は上位の魔法術師なら隠蔽することは容易いけど、本質はどう足掻いても消せないものなんだよ。だから今回は普通の魔力探索ではなく本質を利用した、ややこしくて手間のかかる魔法を使ってみたし」




 考え込みながらナーダルは浮き上がった警備魔法から目を離さない。




「魔力を使わずに王冠を盗んだんですかね?」




「それが現時点では一番辻褄が合うけど、何の音沙汰もなく警備をすり抜けるのも難しいだろうしなー」




 ここは仮にも王城で、宝物庫のあるエリアは特に警備の厳しい場所なためそう簡単に外部からの侵入はできない。内部犯の線もあるがナーダルは部屋の中をなにかヒントを探すように、隅々まで見てかかる。いくつかの所蔵品が床に落ちているあたり、窃盗犯が入った可能性が高いが、そう簡単に侵入し出ていくことはできないはず。




 だが、部屋の中を見て回ったが結局なにも分からずふたりは揃って部屋を出る。現場へ来れば何か解決の糸口が見つかるかと期待していたルーシャの落胆は大きい。









 事件が起きたのはそれから数日がたった頃だった。王冠は見つからず、冬神祭まであと一週間を切り始める。




「兄さん!」




 そんな状況下でアストルが倒れたという情報がルーシャの耳に入り、慌てて兄の私室を訪れる。もちろん監視役なのでナーダルと離れることが出来ず、彼を引き連れている。特に病弱というわけではなく、ルーシャたち兄妹は少々のことで体を壊すことはない割と丈夫な体に恵まれている。




「大事はなさそうです」




 王家専属の医師がアストルの側に佇み、慌ててやって来たルーシャに優しく声をかける。




「疲労ですか?」




 部外者なのだがナーダルはアストルの顔色を覗きながら尋ねる。




「いや、例の宝物庫で倒れていたところを衛兵が見つけてくれたらしい・・・」




 正確には、倒れたではなく──倒れていたらしいアストルの頭には丁寧に包帯が巻かれている。頭を押さえながらアストルは静かにそう答える。




「頭を打ったの?」




 兄の容態を気にするルーシャは心配そうにアストルの顔をのぞき込む。ベッドに横たわるアストルは微妙な表情をし、医師が変わりに答える。




「そのようです。頭を打った衝撃か、倒れる前のことを覚えていらっしゃらないようで」




(例の宝物庫、王太子の頭部負傷・・・)




 何かを考え込むナーダル。




「どうして宝物庫へ行こうと思ったのかは覚えてますか?」




 痛むのか頭を抑えるアストルにナーダルは質問を投げかける。アストルはゆっくりと口を開く。




「魔力による介入はないと聞いたから、盗難だとしたら何かしらの痕跡がのこっていないかと思って」




「それで宝物庫で急に倒れたか、襲われたか・・・」




「悪い、そこまでは思い出せない」




 思い出そうとするが、頭痛がそれを阻む。ルーシャは心配そうに兄を見舞い、ナーダルは何かを考え込む。




(襲撃にしては中途半端だし、王太子に何かを隠している風潮はないし)




 魔力が扱えない人間であっても、感情が揺れれば魔力に変化が生じる。見ている限りアストルの魔力に変化は見受けられない。だが、襲撃事件なら犯人は何らかの要求をしてくるか、アストルを人質にしていてもおかしくはない。




「何か身につけているものがなくなっていませんか?」




「いや?特に何も持ち合わせていないから大丈夫」




 アストルの言葉にナーダルは頭を悩ます。窃盗でもないなら、アストルは襲撃されていないのかもしれない。単に王家の人間を傷つけたかったという動機も考えられなくもないが・・・。




 どんな事件にしろ、鍵を握っているのはひとつしかない。






「王太子、すこーしご協力をお願いしたいことが・・・」






 にこりと笑いナーダルはアストルに向き合う。その怪しい笑顔にアストルは首をひねり、ルーシャは嫌な予感がする。










──────────



ナーダルさんの魔法で宝物庫を探ったけど、なんにも出てこなかった・・・。期待してたのになぁ。


王冠も心配だけど、兄さん大丈夫かな。


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