13.優しい小夜

 魔導具の解呪を始めてから、もう一週間になろうとしていた。

 呪いが深いものは簡単には解く事が出来ず、幾重にも重なった魔法式を一つずつ解き明かしていく必要があった。無理に解呪を行えば溜め込まれた力が暴発する可能性もあるからだった。

 ロザリアは魔法式を解いていく事に専念し、オリヴィアはその補助にあたる。必要な魔導具を準備したり、魔力を多く使う時には自らも魔力を姉に流し込んだりと。二人はそうやって山積みになっていた魔導具の半分程を甦らせていっていた。



 ある日の夜だった。

 薄くたなびく細い雲が夜空に路を作っている。


「オリヴィア、出来たわ!」


 喜びに弾む姉の声に、どうしたのだとオリヴィアは首を傾げて見せる。

 ロザリアの手にあるのは魔法黒板。その先を察したオリヴィアは嬉しそうに笑みを浮かべた。


「ふふん、これでもうあの竜王にも負けないわ」


 得意気な姉の様子に肩を揺らしつつ、オリヴィアは魔法黒板を覗き込んだ。オリヴィアの両手を合わせた程の大きさで、前のものよりも小さくなっている。これなら持ち歩きもしやすそうだと、オリヴィアは笑みを深めた。


「もう白墨もいらないわ。ここにね、魔力を流すの」


 ロザリアは両手で魔法黒板を持ち直す。親指があたる場所には魔法石が埋め込まれていて、ロザリアの魔力に応じて天色に輝いた。


「まずは魔言まごんね。【イニツィはじまり】話したいことを思い浮かべて……。【フィルネおわり】こんな感じ」


 ロザリアが終わりを意味する魔女言葉魔言を口にすると、魔法黒板には『話したいことを思い浮かべて』と文字が浮かび上がった。

 満足そうに頷いたロザリアが文字の上に手を翳すと、音もなく文字が消えていく。後には何も残らなかった。


「魔言を起動点にしたの。触れただけで文字が紡がれちゃうと、口にしたくない事まで浮かび上がっちゃうでしょ。やってみて」


 魔女言葉とは魔女のみが扱える言語である。主に詠唱時の魔法式に使われる事が多く、魔女以外には言語として認識されない。


 オリヴィアは唯一のすべであった、唄う為の声を失ったが故に魔法を使う事は出来ないが、魔力を扱う事は出来る。姉の作った魔導具を使う事が出来るのはその為だ。

 魔法黒板を受け取ったオリヴィアは、姉がやっていたように魔法石に親指を添える。魔力を流すとオリヴィアの瞳のような碧色に輝きはじめた。


(【イニツィはじまり】姉さん、ありがとう。【フィルネおわり】)


【姉さん、ありがとう】


 成功のようだ。

 オリヴィアの話したい言葉が魔法黒板に浮かび上がる。その浮かび上がった文字に、ロザリアは嬉しそうに笑ってオリヴィアに抱きついた。応えるようにオリヴィアも、姉の背に手を回して抱き締める。


「これで少しは話しやすくなるでしょう? 本当は早く声を取り戻してあげられたらいいんだけど……」

【ありがとう。でもわたしはこのままでも……そうだった。声を戻して、昔みたいにお姉ちゃんって呼ばなくちゃね】


 書くよりも断然早く、文字が紡がれていく。いままでよりも会話が滑らかに進みそうでオリヴィアの表情も明るくなる。


「そうよ。可愛い声で呼んでもらわなくちゃ。とびきり甘えた声でね」

【それはだいぶ難しいけれど】


 二人は顔を見合わせて、可笑しそうに笑った。

 そんな時だった。不意に一陣の風が巻き上がる。その正体を知っているロザリアは条件反射のようにオリヴィアを自らの背に隠した。


「あんた、また来たの?」

「悪ぃか」

「悪いから言ってんでしょ」


 バルコニーに風を巻き上げながら降り立ったのは、半竜人姿のリベルトだった。ロザリアは不機嫌さを露に、リベルトに人差し指を向けた。


「いい? オリヴィアに変な事をしないでよ!」

「しねぇよ。お前の中で俺はどんな風に見えてんだ」

「夜に女の子の部屋に侵入する不埒な男」

「ざけんな」


 この二人のやり取りも、慣れたものである。

 そう、リベルトは三日に一度はこうしてバルコニーに現れては、お喋りをしていくのだ。最初はもっと邪険にしていたロザリアも、少しずつ慣れてきたのかこれでも棘を落としている。


「あたしはお風呂に入ってくるわ。オリヴィア、何かされたら遠慮なくぶん殴るのよ。違った、何かされる前に殴らないと。ああ、やっぱり何かされなくてもぶん殴って構わないけど」

「なんもしねぇって」


 やり取りにオリヴィアが声無く笑う。それを見てふぅと盛大に息を吐き出したロザリアは、オリヴィアの頭をぽんと一撫でしてから浴室へと消えていった。



「お前の姉ちゃんは俺を何だと思ってんだ」

【さぁ……。でも、本当に嫌だったらバルコニーも開けておかないと思うわ】


 オリヴィアはバルコニーへ移動して、その手摺に両腕を掛ける。隣のリベルトも手摺に体を預けると一瞬で半竜形態から人へと戻った。


「そうかもしれねぇが……ああ、忘れるところだった。みやげだ」


 肩を竦めたリベルトは、着ていたジャケットの懐から小さな瓶を取り出した。リボンが飾られたその瓶の中では、飴玉が部屋の明かりを受けて煌めいている。

 差し出されたそれを受け取ったオリヴィアは中の飴玉を透かして見た。飴の中に閉じ込められた花びらが色とりどりで美しかった。


「街を視察してたら、鬼族の商人が屋台を出してたんだ。疲れた時には甘いものがいいらしいぜ」

【綺麗で食べるのが勿体ないわ】

「なんでだよ。食うためのものだろ」

【そうだけど、とっても綺麗なんだもの。ありがとう】

「どういたしまして」


 嬉しそうに瓶を両手で包み込むオリヴィアの様子に、リベルトも表情を和らげた。


「魔導具の方は?」

【もう少しかかりそう。あとは呪いが強いものばかりだから、少しずつやっていかないといけないの】

「そうか……」

【何かあった?】


 仕事の進捗を問う声が僅かに固い気がして、オリヴィアは改めてリベルトに向き直る。手摺に背を預けるようにして、リベルトもまたオリヴィアに顔を向けた。


「ちょっとな。……国境の防衛にあたる砦が攻められてる」

【戦争になるの?】

「したくはねぇが。砦が落ちる事はまずねぇと思うが、小競り合いが続くようなら俺も砦に向かわなきゃなんねぇ」


 言葉を切ったリベルトはオリヴィアの頭にぽんと手を乗せた。その手は頭を滑り落ち、下ろしたままのオリヴィアの髪先に触れる。一房を指先に絡めてはゆっくりと解いた。


「もしそうなった時、お前たちをこの城には置いてはいけねぇ。妃だなんだと暴走する奴らがいるからな」

【そこまで気を回さなくても大丈夫よ。姉さんがしっかり断るのは、もう分かっているでしょう?】

「姉ちゃんの気の強さは心配してねぇよ。お前ら魔女に手荒な事は誰も出来ねぇと思うが……何があるかはわかんねぇだろ。お前らは俺のせいで巻き込まれたようなもんだしな」

【王様って大変ね。なにもかも抱え込まなきゃいけないなんて】

「そうだな。だがそれが、上に立つ者の責務だ」


 リベルトの声には、こうであるべきというような確固たる信念のようなものがあった。それを感じとったオリヴィアは、小さく頷くだけでそれについてはもう言及することはなかった。


 見上げた夜空にかかっていた薄雲は風に溶け消えて、その代わりに煌星が輝きを放っている。

 穏やかな風に花の香りがふわりと浮かぶ。穏やかな優しい小夜だった。



 

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