14.人懐こいスミレ色

 部屋で昼食を頂いたロザリアとオリヴィアが、また仕事に励もうと魔導具の保管されている部屋へ戻る、ある日の午後だった。

 春にしては陽射しが強く、比例して気温も上がっている。珍しく風もない日で、暑さに耐えかねたロザリアが、いつも下ろしている髪を括っている程だった。



「ロザリア様、お疲れさまでございます」


 声を掛けてきたのは侍女の一団。

 にこやかに笑みを浮かべているが、彼女達は濃くも薄くも悪意の靄を纏っていて、オリヴィアはそっと姉の後ろに一歩下がった。


「お疲れさまです、では――」

「まぁ、今日のお召し物も素敵ですね」

「髪を上げているのもお似合いです。リベルト様にご覧になって頂いてはいかがですか?」


 愛想もなくその場を立ち去ろうとしたロザリアの言葉を遮って、侍女達はロザリアを囲んでしまう。そしてちらちらと時折オリヴィアに棘のある視線を向けてきた。


『相変わらず陰気な妹ね』

『もっと愛想良く出来ないのかしら』

『どこかの国に嫁ぐらしいけど、お嫁に貰った国の方が可哀想なくらい』


 相変わらず、悪意の声が細かな棘となってオリヴィアに突き刺さる。無意識にアミュレットを握るけれど、それで防げないのはオリヴィアも重々分かっていた。それよりも――オリヴィアには気にかかる事があった。


(どこかの国に嫁ぐ……?)


 自分にはそんな予定はまったくない。これは……姉がこの国に嫁ぐ事を望んでいる、あの老臣ルーゲが何かを画策しているのかもしれない。あとでリベルトに確認しなければ。

 オリヴィアがそんな事を思いながら、そっと輪からまた距離を取った時だった。


 靄が姉に向けられている。

 侍女達の悪意の殆どが自分に向けられているけれど、うっすらとその悪意が姉に突き刺さっているのが見えた。

 オリヴィアはその事に不安を覚えた。自分に悪意が向けられるのはわかっている。そこに姉の意思があるかは別として、姉は妃にと請われている。そんな姉の重荷になっている妹だから。

 でもいままで、姉に対して悪意が向けられた事はなかったのに。一体自分達は何に巻き込まれているのか、それを思ったオリヴィアは込み上げる嘔吐感に顔をしかめた。



「大丈夫?」


 掛けられた声に顔を上げる。

 そこに居たのは、スミレ色の髪をした穏和そうな男だった。右の目元に小さなほくろが二つ並んでいる。


【大丈夫です。ありがとうございます】


 オリヴィアが魔力黒板を使って言葉を紡ぐと、その男は驚いたように目を瞬いた。この城の殆どの人は、声が出ないのを知っていると思っていたオリヴィアもまた、不思議そうに首に角度を持たせた。


「あー……ごめん。声が?」

【声が出ないんです】

「そうか、それは失礼。でもその黒板、いいね」

【ありがとうございます】


 黒い瞳を細めて笑みを深めた男は、オリヴィアの背に手を添えて侍女達に向き直った。


「ほら、君たち。仕事に戻らないと」

「いけない、そうだったわ。ありがとう、キリル」


 侍女達は賑やかにその場を去っていく。

 キリルと呼ばれた男はそれを見送ってから、オリヴィアの顔を覗き込んだ。キリルの耳に飾られた幾つものピアスが光を映している。


「本当に大丈夫? さっきよりも顔色が悪いね」

「ありがとう、あとはあたしが面倒を見るから大丈夫よ」


 割って入ったのはロザリアだった。オリヴィアを背に隠すようにして、キリルの様子を伺っているようだった。


「そう、じゃあ俺はこれで。……ええと、君達の名前を聞いても?」

「あたしはロザリア。この子はオリヴィアよ」

「俺はキリル。あー……もしかして君達が噂の魔女姉妹?」

「どんな噂になっているのか聞きたくはないわね」

「竜王様のお妃候補でしょ」

「違うから」


 キリルが明るく笑う。未だにロザリアは警戒を解いていないが、それもキリルは気にしていないようだった。

 オリヴィアは目の前の姉の背に額を預けた。体は限界を訴えているけれど、ここで倒れるわけにはいかない。少しだけ姉の温もりを分けてもらおうと思ったのだ。


 妹の様子に気が付いたロザリアは、後ろに手を回してオリヴィアのそれと繋いだ。冷えきった指先を暖めるように強く握り、軽く揺らす。


「俺は庭師なんだけど、最近出仕したばかりなんだよね。よく温室にいるからさ、必要なものがあったらいつでも声を掛けてよ。他の庭師仲間にも言っておくから」

「ありがとう」

「オリヴィアちゃんの調子が悪いなら、何か薬草でも選んでくる?」

「大丈夫よ、薬はあるの」

「そっか、さすがは魔女だね。薬草も結構種類があるからさ、遠慮しないでね」

「ええ、何かあったら温室に伺うわ」


 ロザリアがそう答えると、キリルは満面の笑みを浮かべた。成人しているだろう姿なのに、幼ささえ感じさせるような、人懐こい笑みだった。


「じゃあねー」


 手をひらひらと振って立ち去るキリルに、オリヴィアも姉の後ろから軽く頭を下げた。――それが限界だった。

 オリヴィアは体を支えていられなくて、その場に膝をついてしまう。ロザリアは慌てたように振り返ると、目線を合わせるように自らも膝をついた。


「ごめんね、オリヴィア。そんなに悪意が強かったのね……もっと早くにあの侍女達を振りきれたら良かったんだけど。次からはもう逃げちゃいましょう」


 適当に相手をすれば、いつもなら侍女達は満足して去っていく。今回もそう思って、侍女達の意識を自分にむけたはずだった。それなのにオリヴィアはここまで悪意に晒されて衰弱してしまっている。ロザリアは後悔に眉を寄せた。


「キリルが侍女を散らしてくれて助かったわ」

【ちがう】


 震える手でオリヴィアが魔法黒板に魔力を流す。オリヴィアの動揺を映してか、その文字はいつものものより震えていた。


【あの人、あのキリルって人……あの人、恐い】

「……恐い?」

【悪意の靄を纏っているどころじゃない。あの人は、悪意の塊】

「……それは、あたし達に向かって?」


 濃淡は様々だが、人は悪意の靄に包まれている事が少なくはない。それがオリヴィア自身に向けられているのでなければ、妹がこんなにも弱ってしまう事はないはずだ。

 あの穏やかな男は一体……。そんな事をロザリアは考えていた。


【あの人は、全てを憎んでいる】


 オリヴィアはそう魔法黒板に文字を紡ぐと、黒い瞳の奥深くに宿る翳りを思い出して体を震わせた。

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