12.王の在り方
強い雨が執務室の窓を叩く。
風が吹き荒び、曇り硝子のようになった窓向こうの景色は霞んでいる。
長年磨かれた黒檀の執務机は美しい光沢を放っている。リベルトはすっかりとその机で執務を行うのにも慣れてしまった。嫌いだった書類仕事も、王の座に在るからにはこなしていかなければならない。
空が光った。遅れて雷鳴が轟く。
轟音に紛れて聞こえたのは扉を叩くノックの音。隣の机で仕事をしていたディーターが応じるべく扉に向かう。
「リベルト様、少々宜しいですかな」
にこやかに入室してきたのは、ルーゲだった。ルーゲの肩向こうで、両手を合わせているディーターが見える。
「どうした」
「ロザリア様とのお茶会はいかがでしたか」
何となくは予想していた問い掛けだった。
相談役として既に一線から身を引いたといえども、尚も残るこの存在感は、さすがは元は国務長官といったところか。
「いかがもなにも、別にお前の期待しているような事はねぇよ」
「ふむ、そうでしたか。こちらとしてもお妃様に迎え入れる準備というものもありますので――」
「ルーゲ、俺はあの魔女を嫁に迎えるつもりはない。あっちだってそんな気はさらさらねぇぞ」
「それは困りましたな。リベルト様には何としてでも、ロザリア様をお妃様に迎えて頂かなければ」
「大体、何で姉の方なんだ? そこまで魔女に固執する事もねぇだろうが」
「何を今更。『命を救ってくれた少女なら』とリベルト様が仰ったのではないですか。魔女の姉妹であられますが、残念ながら妹君は魔法を使う
盛大に溜息をついて見せるルーゲに、リベルトは気まずそうに頬を掻いた。手にしていた羽ペンを執務机に置くと、椅子の背凭れに深く体を預け直した。
「あの
「照れ隠しでしょう」
「……ルーゲ、何を考えている? お前は本当に魔女を妃に据えるつもりなのか」
真っ直ぐな金の眼差しに射抜かれて、ルーゲは張り付けていた笑みを崩した。真剣な表情で、またルーゲもリベルトを見据えていた。
「ロザリア様には第二妃となって貰うつもりでおります」
「正妃もいねぇのにか」
「正妃の座には竜王国の貴族令嬢を。現在の第一候補はブルマイスター公爵家の令嬢ですな」
「魔女を利用する事はできねぇぞ」
冷たい声だった。
やり取りを見ていたディーターが息を飲む程に。声と比例するようにリベルトの金の瞳も酷薄に
「魔女を王家に取り込んで、他国への牽制にするつもりか? 姉を妃にして、妹も王家に縁のある者として他国へでも嫁がせるつもりじゃねぇだろうな」
「はっはっは、さすがはリベルト様。この爺が全てを口にせずとも全て理解しておられる」
「理解なんてするわけねぇだろ。嫁ぐつもりがある令嬢なら誰でもいからお前が選べ。あの姉妹は仕事が終われば家に返す。……いいな?」
「おやおや、宜しいのですか? リベルト様の初恋を成就させようと、爺も努力させて頂いているだけなのですが」
「初恋じゃねぇし、余計なお世話だっての」
冗談めかすルーゲの様子に、わざとらしくリベルトが溜息をついた。足を組み、肘置きに頬杖をつくと、睨むように鋭い視線をルーゲに向ける。
そんな様子も気にせずに、ルーゲはまた笑みを顔に乗せた。
「リベルト様、感傷に囚われすぎてはなりませんぞ。竜王たる者、国を繁栄させる為に非情にならざるを得ない時もあるのです。使えるものは何でも使う。それでいいではありませんか」
ルーゲの言葉にリベルトは眉を寄せた。
昨日、話をしたあの姉妹の姿が脳裏をよぎる。使う? 馬鹿を言うな。
リベルトが反論しようと口を開いた時、廊下を走る音が響いてきた。焦りを含んだその足音は真っ直ぐに執務室に近付いてきている。
「……ディー、開けておいてやれ」
「はいはい」
指示通りに扉を開けたディーターが扉を大きく開くのと、一人の騎士が転がり込んでくるのはほぼ同時のことだった。
「はっ、は……っ申し訳ありません、リベルト様……っ、お知らせしたい事が……!」
「何があった」
席を立ったリベルトは、床に座り込んで肩で息をしているその男の前で膝を曲げた。雨でずぶ濡れの騎士と視線を合わせるように腰を落として、言葉を待った。
「……
「なに!?」
息を整えた騎士の声に、ルーゲとディーターが顔色を変えて声を荒げる。だがリベルトは眉を寄せただけだった。
鬼と蛇が入り交じって生まれたと言われているが、その真偽は定かではない。しかし純粋な鬼族とは違う異質な種族。
他種族を贄として呪術の儀式を執り行い、得た力で他国を滅ぼす事を繰り返す破壊の種族。
その牙がとうとう竜族にも向いたというわけか。
リベルトは舌打ちをすると立ち上がった。
「ディー。
「分かったよ。君が出張らなくても済むように、僕とリックで何とかしようか」
「気を付けろよ」
「分かってる。君もね」
リベルトと拳を合わせたディーターは気負った様子もなく、浮かぶ笑みも変わらない。呼吸の落ち着いた騎士を連れて、執務室を後にした。
竜族の翼を使えば砦までの距離も遠くない。砦には勇猛果敢な兵士達が集っている事もあり、リベルトは陥落の心配はしていなかった。信を置く友であり、臣でもあるあの二人が援軍を率いて赴くのなら殊更だ。
「鬼蛇族を滅ぼす時が来ましたかな」
静かになった執務室に、ルーゲの言葉が落ちた。
机に戻ったリベルトは羽ペンを手に執務に入る。視線だけを一度ルーゲに向けたリベルトは首を横に降った。
「撤退させれば充分だ。こちらから攻め入る事はしねぇ」
「それでは鬼蛇族に殺された竜族の無念は、どうすれば良いのです」
「死人が出たって決まっちゃいねぇだろ」
「出ていたら?」
ルーゲの声には苛立ちが含まれ始めている。それに気付いていながらもリベルトは引くつもりはなかった。
「その無念を晴らすために鬼蛇族に攻め入って、それで終わるのか? 無念の連鎖を断ち切るのも、その無念を別のやり口で昇華させるのも
「……リベルト様は甘いお方だ」
ルーゲは低く呟いて、そのまま執務室を出ていった。リベルトは書類から目を離さずに、ペンを走らせる。
甘いことは自覚している。それで昔、足元を掬われた事もある。それでも自分を歪める事など出来なかった。
それでいいのだと頷くように、あの時の歌が聞こえた気がした。
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