5.竜王の憂鬱

「おい、ルーゲを何とかしろ」


 魔女姉妹が王の間を去ったあと、頭に載せていた冠を乱暴に外したリベルトは綺麗に整えられた黒い短髪を手で乱した。冠を玉座の背凭れに引っ掛けると姿勢を崩して足を組む。


「君があんな事を言うからじゃないか。嫁取りに熱心なルーゲ殿だ、逃げられないと思うよ」


 リベルトの声に応えて近付いてくるのは、灰色の髪を後ろで結んだ文官――ディーターだった。彼らは幼馴染みの間柄でもあり、王と臣下という上下関係がありながらも、友人という意識の方が強かった。


「まさか本当に探してくるとは思わねぇだろ」


 リベルトが深い溜息をつく。

 竜王となって一年ほど。臣下のルーゲに嫁を取るよう強く言われ、嫌気がさしていたリベルトが何の気無しに漏らした言葉。それが今回の発端でもある。


『命を救ってくれた少女なら考えてもいい』


 別にあの時の少女に、愛情を持っているわけではない。感謝の思いはもちろんあるが、それが恋慕に変わっているかというときっと違う。ただ、あの歌が、優しい声が、この八年間の支えになっていただけで。


「で、久しぶりに再会してどうなの? 気持ちは盛り上がった?」

「なるか、馬鹿。再会ってもな……俺はあの時、殆ど目が見えなかったから顔が分からねぇ」

「それでルーゲ殿も二人連れてきたのかな。ルーゲ殿は姉君の方を推しているみたいだけどね。でも助けてないって、はっきり言われちゃったねえ」


 揶揄を含むような親友の言葉に、リベルトは深く溜息をついた。あのロザリア・バルディの声がそうかと言われても八年も経っている今では分からない。覚えているのは幼い声、それから歌、柔らかいピンク色の髪の毛は何となく見えていたと思う。


「向こうが助けてないって言うなら、そうなんだろ。お前はルーゲがあれ以上暴走しないように見張っとけ」

「もう無理だと思うけどねえ」


 肩を竦めるディーターを一睨みしてから、リベルトは立ち上がった。謁見の際に身に付ける赤い豪奢なマントを玉座に脱ぎ捨て、大きく伸びをする。


「仕事に戻る。魔女らの事はお前に任せるぞ」

「分かった」


 ディーターはマントと王冠を両手に抱えてひとつ頷く。玉座の後ろにある扉に向かうリベルトに追随したのは青い鎧に白い肩マントを身に付けた騎士――パトリックだった。短く整えた緑髪と同じ緑の瞳が眇められる。


「リベルト、俺はお前を送ってから詰所に戻るぞ」

「おう」


 このパトリックもリベルトの幼馴染みだ。昔から三人で集まっては悪戯ばかりをしていて、よく怒られたのをリベルトは今も覚えている。あの頃は三人並んでいた距離が、いまではパトリックは一歩後ろだ。友人でもあり臣下でもある、距離感。


「それで、お前はどうするんだ?」


 執務室へと向かう廊下を歩きながら、パトリックが問いかけてくる。リベルトは肩越しに振り返ると、何の事だとばかりに眉を寄せた。


「妃の件だ」

「娶るつもりなんてねぇよ。向こうだって寝耳に水だろ。仕事が終わればそれでおさらばだ」

「ルーゲ殿が諦めるとは思えないが」

「それをディーディーターに頼んでんだろ。まったくしつこい爺さんだぜ」


 今回の妃騒動は、初めての事ではなかった。

 リベルトが小さく漏らした呟きを耳敏く拾うまでは、竜王国の高位貴族の娘を娶るよう言われ続けていたのだ。


「心配しているんだろう、お前の事を」


 親友の窘めるような響きに、リベルトは肩を竦めるばかりだ。

 確かに世話になっている。国を想う忠義な臣下だとは思うが……言われるままに嫁を娶る気にはなれないのだ。


「向こうにもその気がないって分かれば、諦めるだろ。なんせ相手は魔女だぜ? 誰にも靡かず従わない。それが魔女だろ」


 到着した執務室の前には兵士がふたり。リベルトの姿を見ると、びっと音がしそうな程の美しい敬礼をする。


「……何事も起きなければいいがな」

「そういう事言うのやめろ。当たりそうで気味が悪ぃ」


 パトリックが扉を開きながら呟いて、リベルトは盛大に顔をしかめた。 

 この親友の勘は妙に鋭いのだ。なにかが本当に起きてしまいそうで、リベルトは盛大な溜息をついた。


「溜息ついたら幸せが逃げるよ」


 掛けられた声は執務室の中からだった。

 リベルトの執務机の隣に誂えられた机で書類に向き合っていたのは、先程、王の間に置いてきたはずのディーターだった。


「……ほんっとお前の足ってどうなってんの」


 リベルトは怪訝そうに眉をひそめながら、自分も机へ向かう。ゆったりとした椅子に腰掛けるとまた手荒に髪を乱した。

送ってくれたパトリックに手を挙げると、彼は頷いて執務室を離れる。所属する騎士団の詰所へと向かうのだろう。


「君達が遅いんだよ」


 何でもないようにディーターが笑う。

 この男はいつの間にかいなくなるし、いつの間にか側にいるのだ。それは幼い時から変わらない。魔法や呪術などを使っているわけではなく、ただ単に足が早いだけだというのが未だにリベルトには信じられなかった。


「魔導具の解呪だけど、さすがに数日かかるみたいだよ。ふたりは町に宿を取るつもりだったらしいけど、居館の客間を用意した。ふたりに確認したら一部屋でいいって言うからその通りにしたよ」

「おう」


 手元の書類に目を落としながら、リベルトはまた溜息をついた。

 魔女姉妹が城に滞在するなら、きっと何かにつけて接触させようとしてくるだろう。それを思うだけで疲れてしまいそうだ。


 顔を上げると、窓に四角く切り取られた空が目に映る。

 柔らかな日差しが差し込む、穏やかな春の日。八年前もこんな日だったと思った時、リベルトの胸が微かに軋んだ。忘れられない歌声がいまも耳に残っている。

 

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