2.魔女の姉妹

「うぅん……嫌な予感がするわ」


 朝起きて早々の姉の呟きに、オリヴィアは苦笑いをするばかり。


 清々しい朝だった。小鳥の囀りが遠くで聞こえる。

 朝方まで降った雨のお陰で、花壇もささやかな畑もしっとりと濡れていた。これなら今日は水やりをしなくても良さそうだと、オリヴィアは外を見ながら思った。

 未だ湿った気配を残すけれど、吹き抜ける風は清涼だ。大きく窓を開け放ったオリヴィアは深呼吸を繰り返す。


「オリヴィア、聞いてるの? あたしの予感は当たるのよ」

【知ってるわ】

「夢を見たのよ。……あんたが黒竜を助けた時の夢を」


 オリヴィアは手にしていた魔法黒板から、姉のロザリアへと視線を向けた。

二人はとてもよく似ている姉妹だ。同じピンクゴールドの髪を持ち、可愛らしい顔立ちも似ている。異なるのは瞳の色くらいで、オリヴィアが青みがかった緑色なのに対し、ロザリアは鮮やかな青色だった。

ロザリアは沈痛な面持ちで深く溜息をつく。それからオリヴィアに歩み寄ると、その体をぎゅっと抱き締めた。


「あれからもう八年。今になってあの夢を見るなんて、きっと良くない事が起こるわ」

【姉さんはあの時の事、忘れられないって言ってたものね】

「そうよ。気を失ったあんたを黒竜が連れてきた時、血の気を失ったあんたを見て……死んでしまったのかと恐ろしかったんだもの」

【そんな事はなかったでしょ】

「でも声を失ってしまったじゃない。綺麗な声をしていたのに」

【もういいじゃない、その事は。あの黒竜、無事に国に帰れたかしら】

「どうでもいいわよ、そんなの。あたしはあんたの方が大事だもの。出来れば二度と関わらないで欲しいわ」


 辛辣な姉の言葉にオリヴィアは肩を揺らすばかり。

 声の出ないオリヴィアは、姉の作った魔法黒板を使って筆談をしている。専用の白墨でのみ書ける黒板で、さっと手を翳すとすぐに文字が消えてくれる。


【関わる事もないわよ。今日のお仕事は?】


 姉の背をぽんぽんと宥めるように撫でてから、黒板を姉に見せる。ロザリアは盛大な溜息をついてから、壁に貼り付けたメモを確認するべくそちらに視線をやった。


「町から薬を取りに来るから、その時にまた何か頼まれるかも。何もなかったら森にピクニックにでも行きましょうか」

【頼まれない事を祈るわ。ピクニックに行くならお弁当を作らなくちゃね】


 ピクニックと聞いてオリヴィアは嬉しそうに笑う。幼い時から森は彼女の遊び場で、森の動物は彼女の友達だ。

 朝の支度を始める姉のあとをついて、足取りも軽くオリヴィアは寝室から出ていった。



 ロザリアとオリヴィアの姉妹は、竜王国と人の国の間にある深い森に暮らしている。

 魔女の母と、普通の人間である父の間に生まれた姉妹は、魔女の家系らしくしっかりと強大な魔力を持って生まれてきた。

 両親は二年前、ロザリアが十八で成人したのを機に家督を譲り、ふたり仲良く旅に出ている。今年はオリヴィアが成人になり、ふたりは旅先からこれでもかとばかりに祝いの品を送って寄越した。

 姉妹はとても仲が良く、姉であるロザリアはオリヴィアを守り導き、妹であるオリヴィアは姉の事を支えている。



 町からの遣いに薬を渡し、それ以上の仕事はない日となった。オリヴィアは内心でほっとしながらお弁当を作る準備を始めている。

 ロザリアは手元の薬を確認して、必要なものを紙に記す作業をしている。きっと森で薬の材料を探すのだろうとオリヴィアは思った。

 動物達に手伝ってもらえば、きっとすぐに見つかるだろう。遊びに行くことを小鳥に頼んで動物達に伝えて貰った方がいいかもしれない。

 そんな事をオリヴィアが考えていた時だった。


 不意に、窓から射し込む陽光が翳った。

 姉の舌打ちが聞こえて、オリヴィアは振り返る。異質な気配が家の周りを満たしている。ひとではない、魔女でもない気配。オリヴィアはその異質感を持つ存在を知っていた。


「奥にいなさい、オリヴィア。出てきたらだめよ」


 険しいロザリアの声に、オリヴィアは首を横に振るばかり。魔法黒板に文字を書く手間さえ惜しく、オリヴィアは姉の手をしっかりと握った。


「もう……。あたしの後ろにいなさいね」


 離れる様子のないオリヴィアにロザリアは溜息をつく。それでもその表情は柔らかく、繋いだ手ごと妹を背に隠した。



 ――コンコンコン


 力強いノックが響く。

 ロザリアは警戒心も露に、扉へと近付いていく。魔力が彼女を包み込み、ピンクゴールドの髪がふわりと舞った。


「どちらさま?」

「竜王国よりの遣いのものでございます」


 聞こえた声は低く、丁寧な雰囲気を纏っている。オリヴィアとロザリアは思わず顔を見合わせていた。


「……ほら、あたしの予感は当たるのよ」


 苦々しげに吐き捨てるようなロザリアの声に、オリヴィアは苦笑いだ。握る手を軽く引っ張って嗜める事しか出来ない。

 未だに警戒をしたまま、ロザリアはゆっくりと扉を開いた。


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