第4話


 ここから逃げ出したかった。エミさんは、さっきから弘さんと話し込んでいる。なんでこんなところに来ちまったんだろう。啓二は観覧車の窓から外を眺めた。


 遊園地のウサギの着ぐるみが、色とりどりの風船を手にしている。無意味に笑っているあの大きな目の桃色ウサギになりたい。少なくとも今の啓二よりは、心地の良い場所がある。


 観覧車がのぼっていくにつれて、子どもたちの歓声も、ジェットコースターからの悲鳴もウサギも遮断された。空は灼けた鋼のように銀色である。観覧車は、少し揺れている。眼下の景色も豆粒のようになっていく。


 向かい側に啓二を配した弘さんは、エミさんを隣に、彼の不幸を話している。


 弘さんは相変らず舌が達者だ。まだ冬なのに、蝉のようによくしゃべる。啓二は少し、憎悪を感じた。彼に打ち明けたことを、後悔した。

 しかし、エミさんは楽観的だ。


「啓二さん、これからは、きっといいことがあるわよ。坂もくだれば終わりだもの」

「観覧車も、もうじき終わるね」

 啓二は、ソワソワしはじめている。

 弘さんは、意味ありげにニヤついている。


「美波里には、デートのことはナイショにしておこう」

 一人でうなずいて、何やら納得している。



「ポップコーンを買ってくる」

 観覧車を降りるなり、弘さんはまっしぐらに、お化け屋敷近くにある売店のほうへと足を向けていく。二人はあとを追いかけたが、見失ってしまった。

 啓二が振り返ると、観覧車の輪は彼の大嫌いな蜘蛛が巨大になり、巣の中心で見張っているように見えた。啓二は急に息苦しさを感じた。


 エミさんは、なにかを訴えるようなまなざしを啓二に向けてくる。

 落ち着かない様子で、

「LINE、教えてください」

 スマホを取り出した。啓二は、彼女の隣に身を寄せた

「僕のLINEのアイコンを見て、どう思いましたか?」

 啓二の質問にエミさんは、顔を赤らめてうつむいた。

「え、漫画の女の子は可愛いって思いましたけど」

 エミさんは、ますますソワソワしている。啓二は、自分が中二病だと批判されなかったので、ホッとした。


「エミさんは、猫の写真のアイコンなんですね」

「可愛がってた飼い猫のミケなのですが、もう死んじゃったんです」

「そ、それは……」啓二は絶句してしまった。沈黙が落ちる。


「ミケが死んでから、ずっとペットを飼うのがこわくて」

 その気持はわかるが言えなかった。

 耐えられないほどの沈黙が続いた。

「そろそろ帰りますか」

 啓二は、おずおずと言った。

 エミさんはパッと両手で顔を覆い、駆け去って行った。


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