第2話
介護士の仕事は、老人の身体を拭くことや、食事の供与、入浴などである。啓二が美波里さんの服を脱がせてやると、美波里さんは身をくねらせて喜ぶ。
美波里さんは寝たきりだったから、バレンタインになにがいいか、なんていう質問は、無意味なのである。もし、元気だとしても、こんなおばあちゃんからチョコをもらうことがあるんだろうか。啓二はかるいめまいを感じた。
「老いらくの恋? 冗談でしょう? ぼくはまだ三十四ですよ。相手は八十じゃないですか」
啓二の抗議に、エミは、ニヤッと笑った。
「愛があれば、年の差なんてかんけーないじゃん?」
「げ……」
馬鹿げてる。エミさんみたいにネアカな外見で、優しい性格ならチョコがほしい。
口先まで出かかったことばを、啓二は飲み込んだ。職場の人間に、この気持を悟られたら、まだ元気が残っている老人たちの耳に入るかもしれない。職場恋愛を口実に辞めさせられることはない、と思いたいが、今までが今までだからな、と啓二は自戒した。
「啓二さん、啓二さん。背中がかゆいんです。かゆいんです」
美波里さんが、背後から声を張り上げる。
「あははは、美波里おばあちゃんったら、妬いてる」
エミさんは笑いながら、仕事に戻っていった。
啓二は、義憤を感じた。美波里さんには、
ということで、啓二は、それから一週間ほどしてやってきた弘に、このことを告げた。
弘は、それを聞いても顔色一つ、変えなかった。
「あなたは、わたしの若い頃に似てますからな。勘違いしているんでしょう」
弘は、重々しく言った。
「そんなことより、もっとだいじなことがあります。あなた、エミさんのことを、どう思ってるんですか?」
啓二は、氷水をかけられたような顔になって押し黙った。エミさんについては、特別な感情を抱いている。しかし、悟られてはならないのだ。
弘はその表情を見て、ため息をついた。
「エミは、わたしの親戚の子でしてね。あなたのことを、憎からず思っていると、親戚から教えてもらいました。しかしその様子じゃ、脈なしってところでしょうな」
「余計なお世話だ」
啓二は言い捨てた。身が引き裂かれる思いだった。ウソを言うのは、彼の信条に反することだが、恋で職を失うのはこわかった。自分の思いを悟られれば、きっと介護士の間で噂になる。美波里おばあちゃんがキレて、暴れるかもしれない。なにより、大切に育んでいきたいこの気持が、めちゃくちゃになるのは耐えられなかった。エミさんが自分のことを好いてくれているのなら、なおさら隠さねばならない。
自分のような、不運な男と恋人同士になれば、きっとエミさんも不幸になる。自分はともかく、好きな人まで不幸にする権利は、おれにはない。
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