禁止事項

ためひまし

第1話 禁止事項

 この村には絶対にしてはいけないことが三つある。この禁忌を犯せば村の歴々にたちまち運ばれていく。その後、帰ってきた者は口を開こうとはしない。その凄惨さに禁忌のことを口に出すことは憚れた。それに誰も禁忌を犯そうとしないのは、『神』とか『しきたり』とか『帰ってこない者』のようなある種の潮流があるからだろう。ぼくもそのうちの一人。このうちの何に呑まれているかは知らないが、禁忌を犯そう、危ない橋を渡ろうという気は起きなかった。それでも、まったくなかったというわけでもない。一度だけ、たった一度だけその禁忌の一つを犯そうとしたことがあった。ぼくと友達のケンとナオトと一緒に。考案者はケン。

 

 「禁忌ってさ破るとどうなるのかな……」

 「そんなん知らねえよ」

 「でもさ、気になるじゃん」

 「やめとけって、変なことに首突っ込むもんじゃないぞ」

 「えー、俺も興味あるけどなー」

 「マジで言ってんのかお前ら」

 「決まったな」

 「だね」

 「どうなっても知らねえぞ。遺書の一つや二つ用意した方がいいよ」


 彼らは若気の至りでどんどんと計画を進めていった。最初のうちは反対していたぼくも計画を進めていくうちにこの平凡な話し合いとスリルのある会議の風景が楽しくなっていってしまって、誰もこの計画を止める人はいなくなっていしまっていた。このうちに止めておけばよかったんだ。あんなことになるなら。

 ケンとナオトは二人で結束を固めてどんどんと深くて暗いところへ行ってしまうそんな気がして、二人がいなくなるのは嫌で、でも怖くて、恐る恐るその暗くて深い禁忌へ入っていってしまった。


 「禁忌ってさ三つあるやんか」

 「そうだね」

 「どれが一番罪が重いとかあるのかな」

 「えー、さすがに三つともやるのがやばいでしょ」

 「そりゃあ、そうだろ。違くてさ、三つの中でどれが一番やばいのかってこと」

 「うーん……」

 「多分、それは三つ目じゃないかな。『掟の書』が家にあるでしょ。あれの三つ目だと思うよ」

 「なんで?」

 「だって、あれだけ太い文字だし、じいちゃんが三つ目だけは口を開かないんだ」

 「どゆこと?」

 「まあ、とりあえず三つ目だけはやるなってこと」

 「じゃあ、一つ目だけでいいか」


 この村には一家に一冊『掟の書』が置いてある。それはとても古くて大爺曾祖父に聞いても『わしのじいちゃんの時代からあった』と言うくらいだから、相当古いのは間違いないものだ。でも、なぜ一家に一冊置いてあるのかとか謎だらけの書物だった。父ちゃんに聞いてもいつも話をはぐらかされるし、じいちゃんに聞いても禁忌に触れるのは危ないからとかなんとかで話してくれなかった。多分じいちゃんもわからないんだ。そんな謎だらけの掟だ、書物だ子供の僕らが興味津々になるのも無理はない。だからこその掟だったのかもしれない。


 「まず、どうやって大人の目をかいくぐる?」

 「無茶言うなよ、あそこの前には民家だらけだし、いつどこで誰が見てるかもわからないよ」

 「そうだよな、でもあそこを通らないと行けなくないか?」

 「いや、もしかしたらあの塀なら超えられるんじゃない?」

 「それこそ無茶言うな、三メートルはあるぞ。周りに何もないんだから厳しいにもほどがある」

 「そうか……」

 「別に、バレなきゃあの道通ってもいいんじゃない?」

 「どうやったらバレずにいけるんだよ」

 「さすがに厳しいんじゃ」

 「じゃあ、禁忌変える?」

 「二つ目にするの?」

 「ありかも、少なくとも行くときにバレることはないな。あとは、帰って来る時だな」

 「仕方ない。そういうときはノリで行こう。でも一応作戦は決めておこうか」


 子供ながら禁忌に対する怖さを持っていたぼくらはただの作戦をこれでもかと緻密に綿密に組み込んでいた。ぼくらの脳みそで考えるだけ考えた後に実行に移した。おそらく半日は作戦会議に費やした。

 決行は二日後の日没後。家から出るだけでもなかなかに難しいけれど、なんとかするとだけ決めた。作戦自体はよかったのにここだけは相当手抜きがすぎる。

 翌日には両親や祖父母に見つからないように当日の準備をした。ぼくの担当は懐中電灯と念のための麻縄。ケンも懐中電灯。ナオトは平凡な一日を過ごすという任務があった。楽しみでもあったけれど心のどこかでは今なら止められるという気持ちとがぶつかっていた。

 鳥のさえずりで起きたぼく。さあ、いくぞと意気込んでからの記憶は一切としてない。


 じいちゃんがぼくに怒鳴りつけているところで記憶が再開した。どうなっているのか分からないけど、ぼくの目にはじいちゃんの脇でかすかに筋となり父ちゃんの目から零れ落ちる何かが見えた。ケンやナオトはどうなっているのか。ぼくは今何しているのか。何で怒られているのか。今の状況がちっとも伝わってこない。それに、じいちゃんが激しく怒鳴りつけているのだろうけど何も聞こえやしない。そのあとに、ぎゅっと人の温かみが伝わって来る。後ろから母親の腕がぼくの胸辺りに巻き付くようにするりと伸びてきた。苦しいとさえ思う程の力で何秒も何十秒もぼくを抱き寄せた。その間もじいちゃんは何かを訴えかけているが僕には一切として伝わらない。父ちゃんはじいちゃんの横で深刻そうに考え込んでいた。

 少し時間が経てば、諦めたように、じいちゃんも話さなくなっていた。母親の力も弱まり簡単に振りほどけるようになっていた。ケンとナオトのところへ行かなければ。ぼくは誰にでもなく問う。


 「ケンとナオトはどこか」と。


 両親はまず、首をかしげる。じいちゃんは何かがつっかえている様に眉間にしわを寄せる。今度はじいちゃんに問う。


 「ケンとナオトはどこ」


 今度は口が開いた。何かが分かったのか。それとも何かを話しているのか。わからない。けれど、口は完全に動いている。何かを話している。けれど、わからない。ふと後ろの気配が動いた気がした。振り返ると母ちゃんがなにやら紙に書いている。十数秒の感覚の硬直の後、紙がぼくの方へ向く。


 『ケンとナオトって誰?』


 「は?」


 急いで家から飛び出してぼくの家から近くにある。ナオトの家へ向かう。そこは空き地だった。何もない荒野。家があった形跡さえも残していなかった。状況を整理する前にケンの家へ向かう。ここには家があった。けれど、つい最近まで何者かが暮らしていた様子を残して人が一人もいない荒れ地になっていた。絶対に昨日まで誰かが暮らしていた。ぼくの青春のケンとナオトはどこへ行ったんだ。今あったことを整理するために座りこむ。まず、禁忌を破ろうとして、ケンとナオトと計画して実行に移した。そうしたら、なぜかじいちゃんに怒られていて、家に居て、何も聞こえなくて。

 ぐらりと地面が傾いた。そんな気が下へ。


 ぼくは立っていた。夜が輝く、月が神々しく光る下に。ケンとナオトと共に。


 「さあ、本番だぞ」

 「うん、一応この時間なら誰もいないのは確認したよ」


 ぼくは言葉を無しに彼らにただついて行く。ナオトが先導して誰にも見つからない夜道を歩く。それでも、足音はなるべく立てずにゆっくり慎重に草木に身長を合わせかがんで歩く。ここで見つかってしまっては今まで立てた計画は無駄になり、それどころかぼくらは二度と会うことは不可能になるだろう。だからこそもっと誰にも見つからないようにゆっくりと歩みを進めていく。なんとかついた。ここが二つ目の掟の場所だ。三人の手が急にぐっと握られる。三人がお互いに緊張を理解した様だった。


 「大丈夫か?」

 「ここまで来て怖気づいたか?」


 一人で言葉を区切って話していたケンはみんなをなんとか持ち上げようとしているようだったがケンも見るからに緊張していた。ぼくらには全て分かった。ナオトが提案をする。


 「俺が先に行くよ。次にケンがついてきて、最後はよろしくね」


 ナオトはそう言うとケンの声のない手先だけの静止を聞かずにたいして高くもない塀のてっぺんにジャンプでしがみつく。懸垂をするように体を持ち上げて足をてっぺんにかける。勢いで乗り越えることもできたがそれはせずに一度両足を持ち上げてからゆっくりと敷地に足を下ろす。ついでケンの番だ。ケンも軽く跳んで塀のてっぺんに手をかけるとナオトと同じ要領で片足を塀にかけたところで闇夜のなか一筋に伸びる光がぼくの顔を照らす。

 ぼくも塀に手を立てかけていて、どうしても逃げ出すことはできなかった。それに、ナオトはもう敷地内にいるからぼくだけ逃げ出すことなんてこの場においてはできなかった。眩しかった光を顔から外し、光のもとをたどるとケンの父親がそこには立っていた。禁忌を犯そうとしているのがぼくらだと分かった途端ケンの父親はいままでにないくらい走って駆け寄ってくる。かなり焦っている様子だ。ケンの父親はぶらりと垂れ下がったケンの左足を強引に引っ張って、塀の中にいたナオトも見捨ててぼくの目の前を風を切って走り去っていく。一瞬のうちに平静がやってきた夜にナオトの声が聞こえてくる。


 「おい、聞こえるか。約束だ。こっちには来るな。絶対に来るな。マジで来るな。嫌だ」


 震えているのか、泣いているのかわからない声で訴えかける。ぼくにはその状況がちっともつかめなかった。


 「お前だけは忘れるなよ。多分ケンもいなくなる。俺は絶対にいなくなる。頼りは

お前だけだ。これから、俺はお前の返答がなくても話し続ける。俺の声がなくなったらいなくなったと思えよ、俺の存在がこの世から抹消されたと思えよ。声がなくなったら全速力で逃げるんだ。わかったな。それじゃあ、今からお前の役割を言う。これから先、子孫にあたる人間に、禁忌に触れるようなことはさせるな。絶対にだ。俺は今怖くてちびりそうな状況のなか話してるんだ。少しは聞いてくれよな。少なくともこの塀の中はこの世の場所なんかじゃない。行ったことはないけど地獄みたいな空間だよ。足が何かに取られていくんだ。引っ張られていくんだ。何かわからない怖くて黒い空間に。マジで今までで感じたことのない恐怖だ。肝試しじゃ味わえない恐怖だよ。まあ、俺は今から死ぬ事になるんだから恐怖なんてものじゃ済まされないんだけど。けど、言葉じゃ伝わらないとしても怖い。今、俺の下半身はもうない状態だ。なんていうか地面に埋まっていくような感じで痛みはない。見えないっていうのが正しいのかな。なんていうか別の次元に行ってしまうような気もするけど、全然分からん状況だ。今、胸までなくなった。あとちょっとで俺の声はなくなる。なくなった瞬間にきっと『コイツら』はお前のことを狙い始めるに違いない。ただ、お前がビビッて小便でも漏らしてなきゃ逃げられるような奴だ。ただ、捕まっちゃだめだから……」


 「グハッゴホッコポッ」


 ぼくはナオトの話を一語一句聞き逃さなかった。今までにないくらいの真剣さでぼくに語り掛けていたからだ。けれど、そのせいで『コイツら』に捕まっちゃったみたいだ。ぼくも逃げなければならない。急がないと。


 じいちゃんがぼくに怒鳴りつけているところで記憶が再開した。どうなっているのか分からないけど、ぼくの目にはかすかに筋になり父ちゃんの目から零れ落ちる何かが見えた。ケンやナオトはどうなっているのか。ぼくは今何しているのか。何で怒られているのか。今の状況がちっとも伝わってこない。それに、じいちゃんが激しく怒鳴りつけているのだろうけど何も聞こえやしない。そのあとに、ぎゅっと人の温かみが伝わって来る。後ろから母親の腕がぼくの胸辺りに巻き付くように伸びてきた。苦しいとさえ思う程の力で何秒も何十秒もぼくを抱き寄せた。その間もじいちゃんは何かを訴えかけているがぼくには一切として伝わらない。父ちゃんはじいちゃんの横で深刻そうに考え込んでいた。

 少し時間が経てば、諦めたように、じいちゃんも話さなくなっていた。母親の力も弱まり簡単に振りほどけるようになっていた。ケンとナオトのところへ行かなければ。ぼくは誰にでもなく問う。


 「ケンとナオトはどこか」と。


 両親はまず、首をかしげる。じいちゃんは何かがつっかえている様に眉間にしわを寄せる。今度はじいちゃんに問う。


 「ケンとナオトはどこ」


 今度は口が開いた。何かが分かったのか。それとも何かを話しているのか。わからない。けれど、口は完全に動いている。何かを話している。けれど、わからない。ふと後ろの気配が動いた気がした。振り返ると母ちゃんがなにやら紙に書いている。十数秒の感覚の硬直の後、紙がぼくの方へ向く。


 『ケンとナオトって誰?』


 「は?」


 急いで家から飛び出して僕の家から近くにある。ナオトの家へ向かう。そこは空き地だった。何もない平野。家があった形跡さえも残していなかった。状況を整理する前にケンの家へ向かう。ここには家があった。けれど、つい最近まで何者かが暮らしていた様子を残して人が一人もいない荒れ地になっていた。絶対に昨日まで誰かが暮らしていた。まだ夕食すらも残してあった。その夕食は冷たくとても食べれたものではないが蠅がたかっているところを見ると最近まで、いや昨日まで人がいたことがわかる。

 ぼくの青春のケンとナオトはどこへ行ったんだ。今あったことを整理するため切り株に座りこむ。まず、禁忌を破ろうとして、ケンとナオトと計画してあの場所へ、ナオトが敷地へ入ってケンが足をかけたところでケンの父親にバレて、いなくなって、ぼくとナオトは何かを少しの間何かの話をしていた。その話が終わったらなぜかじいちゃんの怒られていて、家に居て、何も聞こえなくて。

 ぐらりと地面が傾いた。そんな気が下へ。


 記憶の片鱗は埋め込んだ。


 ぼくにはもうかれこれ十年は音が聞こえない。何も聞こえない日々はとてもつまらない日々だった。けれど、その日々に残月をさしてくれたのは。

 ぼくに愛する人が出来た。この人さえ幸せにできればぼくはどうだっていいと思えるほどのそんな人が出来た。ぼくの暗い夜に明かりを射してくれた存在だ。ぼくにはこの人がいなければ生きていけない。そんな人だ。

 愛する人が増えた。心の底から幸せと呼べる日々が訪れた。今までの夜はやっと明けた。昼の明るい陽でも見える月だ。彼女は月、この子は太陽。ぼくはたまに映る夜。彼女らがいなければぼくはきっとやっていけないだろう。そんな存在に出会えたんだ。幸せさ。未だに声は、音は聞こえないけれど、愛する者の笑顔がここにある。ぼくは幸せ者だ。

 ぼくの目に映る彼女らにはいつも救われる。太陽はまだまだ上手ではないけれど少しだけぼくに伝わる言葉を覚えた。一つは飛び切りの笑顔。二つ目は思い切りのハグ。三つ目はしどろもどろの手話。彼女はこれらを使い分けて僕に愛情を分けてくれる。ぼくも生き残った抑揚のない声と、温もりのある全身で愛情をアピールする。この腕の中でこの二人が幸せであればそれでいい。それだけで何もいらない。何も知らなくていい。



 「逃がしはしないよ」

 何かが聞こえた。聞こえるはずのない声が。

 ぐらりと地面が傾いた。そんな気が下へ。

 

 宵闇に立つぼくは恐ろしさを覚えた。ぼくの目には、はっきりとあの敷地がある。ぼくを手招いている。黒い影がぼくを手招いている。地面からはナオトがゆっくりと浮かび上がってくる。地面に埋もれていたせいか、全体的に泥まみれで頭に髪の毛らしいものはなかった。それに頭は乾燥しきった砂漠のようにひび割れて目も真っ白くてとてもじゃないがこの世のものではない。怖い。少しずつ後ずさるが、ナオトだったモノがぼくへ向かってゆっくりと歩いてくる。


 「君は……俺の言うことを……聞いていれば……よかったのに……」


 そう言うナオトの声はかすれて聞き取りにくいものだった。


 「俺は……つらかったのに……お前だけ……」


 やっと思い出してきた。ナオトのことも、ナオトと約束したことも。適切な言葉をと探す思考も絡まって仕方がない。後ろへと下がる歩幅もどんどんと狭まっていく。しかし、ナオトの歩幅は反比例するように広がっていく。行き場を失くしたぼくの足は歩みを止め、息をのんだ。






 「いいか君たち絶対に禁忌は犯してはならんぞ。一度犯してしまえば、犯そうとしてしまえば、大事なものを全てなくす。わしも全てなくした。だからこの村の宝までなくすわけにはいかんのじゃ」

 「なにそれこわーい」

 「怖いじゃろう。わしも本当に怖い。今でも思い出すわ、少しだけ昔話をしてやろう」

 「おー、じっちゃんの昔話だー」



 「一つ、広目天にある森には民

  二つ、村を牛耳る長の上は龍

  三つ、勝手な出入り口を禁ず

  これらを犯す、即ち亡羊の嘆」

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