「どこまで真実かわからない」


 ミハイルはあの後、学園に戻ることなくハロルドの葬儀を終えてすぐ戴冠式を行い、そのまま城で執務をこなしている。

 そしてレオンは退校処分となっていたのだが、冤罪だったということがわかり再度学園に戻ることになった。

 とはいっても、王と正妃がいなくなったことにより国は混乱状態だ。ミハイルの補佐として王城に留まり、授業の時間になると転移魔法で学園に移動している。


 レイシアは一般学生のため普通に学園に戻り普通に授業を受けているのだが、授業が終わり次第レオンに連れられて城に戻り、城で一夜を明かして朝になると、レオンと共に学園に戻っていた。


「あの、さすがにこの待遇はおかしいのでは」


 思わず異議を唱えたレイシアに、ミハイルは「君がいるとレオンの寝起きがいいんだ」と苦笑しながら言った。


 そうして月日は流れ、年度が変わっても、アルミラの消息は掴めないままだ。


「アルミラ様についてなにか進展は?」


 ミハイルの執務室で過ごすレオンと共にお茶をして、毎日のように同じことを聞く。

 返ってくるのは、首を横に振るという動作だけだった。


「状況は悪いな。数年前に行方不明になっていた侍女が、あいつに拐されたと出てきた」

「レオン……!」

「黙っていたところで変わらんだろう。毎日聞かれるくらいなら、教えたほうが面倒でなくていい」


 慌てるミハイルにレオンは鼻で笑いながら言う。そしてレイシアはしょんぼりと肩を落とした。


「一応レイシア嬢は無関係という体になっているんだから、情報を与えるわけにはいかないんだよ」

「そんなことを俺が気にすると思うか」

「気にしてくれないと困るんだけどね……」


 溜息を零すミハイルの顔は疲れ切っていて、これまでの心労がうかがえる。

 おとなしく補佐を務めているとはいえ、レオンの我儘や横暴が収まったわけではない。周囲と対立することも多く、その度にミハイルは仲裁役を買って出ている。

 他にも処理しなければいけない仕事も山積みだというのに、アルミラの捜索やレオンの我儘、そしてコゼットとフェイについても調べなければいけない。


「母上の……正妃の日記が見つかった。王がしていたとされる悪行が記されていたから、それの証拠が掴めれば情けくらいはかけてやれるかもしれん」

「だから、それも教えてはいけない情報だよ」


 コゼットとハロルドの寝室だった場所に隠されていた日記には、ハロルドが脅したと思われる人の名前や、人質に取ったと思わしき人物についても書かれていた。

 だが、そのほとんどはすでに故人だったり、行方知れずとなっている。


「……それにあれは、どこまで真実かわからない」


 ミハイルもその日記には目を通したが、あまりにも信憑性に欠けていた。

 ハロルドに対する恨み言が綴られていただけでなく、まるでつい最近までマリエンヌが生きていたかのような書き方をされていた。

 そして、ミハイルがあの日記を疑わしく思っている理由はそれだけではない。


 ミハイルとマリエンヌについても嫌いだなんだと書かれていたが、その内容はまるで――


「……私たちのことを気にかけているようだった」


 ぽつりと漏れたぼやきにレイシアが首を傾げる。


「それが真実かどうかわからない理由ですか?」

「あ、ああ」


 無意識だったのだろう。指摘されて、ミハイルの目が泳ぐ。レイシアはそれを気にせず、にっこりと笑みを浮かべた。


「アルミラ様と仲のよかった方ですよ。悪い人じゃないに決まっているじゃないですか」


 根拠としてはあまりにも弱い主張に、レオンが鼻で笑った。

 レイシアが口を尖らせて不満を露わにすると、まるで今のは気のせいだとでも言わんばかりに言葉を尽くそうとする。


「あいつの性格は悪いぞ。お前がどう思っているのかは知らんが、それは間違いだと断言できる」

「アルミラ様はいい人です!」


 だがこれまで人を気遣ったことのないレオンの言葉は、レイシアをよりいっそう怒らせるだけだった。


「正妃様が悪女と呼ばれていることは知っていますし、我儘も多かったと聞いています。でもだからって、側妃様やミハイル陛下を厭っていたとは限らないじゃないですか」

「……父上の子ではないのではと、直接言われたことがある」

「うううん……正妃様は王様を嫌っていたのですよね? でしたら、それはきっと褒め言葉だったのでは!」


 両手を叩きはつらつと笑うレイシアに、ミハイルは「だといいけど」と力なく微笑んだ。

 ちなみにレオンは、先ほどまで怒っていたのが嘘のように明るく笑う姿を見て、口元を綻ばせていた。


 そうしてほぼ雑談場と化している執務室に、扉を叩く音が響いた。城勤めの使用人が客人が来たと告げると、ミハイルが困ったように眉を下げた。


「ああ、しまった……今日だったか。レイシア嬢、レオン、申し訳ないけど」

「あ、はい! 大丈夫です。レオン様とそこらへんを散歩してきます」


 慌てて立ち上がり、スカートの皺を伸ばしながら一礼する。今日は休暇日なので朝からレオンに連れてこられたレイシアだったが、学園に戻るにしてもレオンと一緒でなければ戻れない。

 そしてレオンが戻るのは今日の分の執務が終わってからだ。


 そのため、どうしても城内で時間を潰さなくてはいけなくなる。


「すまない、ではまた後ほど」


 レオンと共に執務室を出たレイシアが向かったのは、色とりどりの花が咲き誇る中庭だ。腕のよい庭師が手入れしているのだろう。どの花も瑞々しい。


「ミハイル様は……大丈夫でしょうか」


 だがレイシアの目は花ではなく、遠くに見える執務室の窓に向いている。


「知らん」


 それに対してレオンは素っ気なく答える。


「冷たいです」

「……アルミラが見つからないことにはどうにもならん」


 レイシアがむっとしたように口を尖らせると、レオンの視線が気まずそうに逸れ、苦々しい表情を浮かべた。

 レイシアに対してだけは甘く弱いレオンだが、さすがにミハイルの心理状態まではどうにもできない。


 そもそも、レオンはミハイルがアルミラのなにをそんなに気にしているのかが不思議でならなかった。

 アルミラを罪人として追っているにしては、あまりにも気を落としすぎている。そして個人的に気に入るには、アルミラの性格には難がありすぎるとレオンは思っていた。


「数年前から計画し、城内にまで侵入したんだ。それでいて逃げているとなれば、疑うしかないだろう」

「……侵入したのはレオン様を助けるためです」

「俺が頼んだわけではない」

「レオン様!」


 眦を吊り上げて怒りを露わにするレイシアにレオンの眉が下がる。

 だがそれでも主張を曲げるつもりはないのだろう。叱られた犬のように肩を落としているが、沈黙を貫いた。


「レオン様は冷たすぎます! アルミラ様にもっとこう、情とかはないんですか!」

「……そんなものあるわけがないだろう」


 一体どれほどの苦汁をなめさせられてきたことか。

 なにをやってもアルミラはレオンを上回り、その度に馬鹿にするような顔をしていた。

 そのことを思い出したレオンの眉間に皺が刻まれる。


「いっそのこと死罪にでもなれば気が休まるというものだ」

「レオン様!」


 再度叱責されるが、今度ばかりはレオンも気を落とすことなくむっと顔をしかめた。


「くだらん。どうして俺がお前とあいつの話をせねばならない。どうせ殺しても死なないような奴だ。気にするだけ時間の無駄だろう」

「殺して死なない人なんていません! もういいです。そんな冷たいことを言う人なんて知りません!」


 ぷいとそっぽを向いて歩きはじめるレイシアの後を、レオンが慌てて追う。


「待て、そう怒るな。そうだ、お前が俺の婚約者になるのなら手を尽くしてやろう」

「そんなことを言う人の婚約者になんてなりません!」

「ならば望みを言え、なんでも叶えてやる」


 手と言葉を尽くすレオンとそれを無視して歩くレイシア。



 そんな二人を、ミハイルは窓から眺めていた。声が聞こえるわけではないが、遠くに見える二人の様子からして、レオンがレイシアを怒らせたことはすぐにわかった。

 仲睦まじい、と言っていいのかはわからないが、あの日から二人の関係は少し変わった。


 学園で思ったことを口にせず、レオンを増長させてしまったことを反省したレイシアは、これからは友人として言いにくいことも言っていくとレオンに向けて宣言した。

 そしてレオンは、そんなレイシアの機嫌を取ろうと躍起になっている。元々の性格が性格なので失敗しているが、それでも努力しようとしていることは誰の目にも明らかだ。


「呼ばれたのに放っておかれたのは、初めての経験です」


 それを少しだけ羨ましく思って見ていたミハイルの耳に、くすりと笑う客人の声が届く。


「ああ、すまない」

「いえ、構いませんよ。陛下には妹のことで迷惑をかけていますから」


 口を付けていたお茶の入ったカップを机の上に置き、柔らかく微笑むのはフェスティマ家の当主である、アルミラの兄だ。

 アルミラのしでかした責任を取る形で先代当主夫妻は引退し、今は彼が当主を務めている。


「陛下もたまには心休まるときを過ごしたいことでしょう」


 使用人がお茶を注ぐほんの一瞬の間にミハイルの意識は窓の外に向き、お茶を淹れ終わっても戻ってこれなかった。

 それをミハイルは反省しながら、彼の向いに腰を下ろす。これで窓の外に意識が向くことはない。


「それで、僕に聞きたいことがあるそうですが……妹のことでしたら、すでにお話したはずですよ」

「フェティスマ家の娘については聞いたから、今度は兄から見た妹について知りたいと思ってね」


 顔の造形はアルミラと似ているが、発している雰囲気のせいか彼のほうが儚げで、今にも消えうせそうな印象を与える。

 だが実際にはアルミラの兄らしく中々の胆力の持ち主だということをミハイルは知っていた。

 先代当主が退き、妹は罪人として追われている。力のある家柄とはいえ、ここまでの醜聞が重なれば他の貴族に食い物にされるところだ。

 だが彼はのらりくらりと政敵をやり過ごし、フェスティマ家を立て直した。


「僕と妹は親しい間柄ではなかったので、お話できるようなことはありませんよ」


 穏やかに微笑み、底をうかがわせない目をした男から、どうやって情報を絞り出すかが問題だ。


(脅しや甘言に屈しはしないだろうな。なにしろ、アルミラの兄だ)


 アルミラに対する謎の信頼から、ミハイルは彼を侮ることなく言葉を選ぶ。


「私は君の妹に焦がれている」


 そして出てきた直球すぎる言葉に、彼の目がぱちくりと瞬いた。


「悪いようにするつもりはない。だから、君が知る情報を教えてほしい」

「陛下、それはいけませんよ。王殺しの罪を不問にすれば、困るのは次代の王です」


 窘めるような口振りに、善き王にと望んだアルミラの喋り方を思い出し、ミハイルの口元に笑みが浮かぶ。


「私は彼女がしたとは思っていない」

「それは困りましたね。僕はあの子がしたと思っていますよ」

「自分の妹なのにか……?」

「僕の妹だからですよ。あの子は令嬢らしくないことばかり好む子でしたからね。王殺しなんて、令嬢らしくないでしょう?」


 くすくすと笑う姿にミハイルは顔をしかめた。


「そんなあの子がいるとしたら、令嬢らしくないところでしょうね」


 一体なにがそんなに面白いのかと詰め寄りそうになるミハイルだったが、続いた穏やかな声に憤りかけた気持ちが引っ込んだ。

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