「私もあなたが嫌いです」

 必死な顔でこちらを見るミハイルに、アルミラは仮面の奥で顔をしかめた。


「……私の知っていることなんてたかが知れていますよ」

「それでもいい。君が知っていることを教えてほしい」


 アルミラはマリエンヌと直接関わりがあったわけではない。

 ただ色々な人から話を聞いただけだ。


「マリエンヌ様はあの日、王に呼ばれて塔に向かいました。そして、身を投げ……丁度下にいたレオン殿下がそれを目撃した。それしか知りません」

「父上に……? そんなことは誰も言っていなかったが……」

「フェイ様もその場にいたはずですが、彼からはなにも?」

「……身を投げたことは聞いたけど、それだけだよ」


 アルミラは心の中で舌打ちし、中途半端な情報を与えたフェイに悪態を吐く。

 もしもフェイが原因がなにかをもっと早くミハイルに話していれば、ミハイルとレオンの関係も多少は変わっていたことだろう。


「王はマリエンヌ様に帰郷を命じました。それだけのことです」


 だが今さら言ったところで、長年のわだかまりはそう簡単には払しょくできないだろう。

 アルミラが簡潔に言うと、ミハイルは「そうか」と呟きうなだれた。


「私はずっと不思議だったんだ。どうして母上が自分を置いていこうとしたのか……母上はずっと、父上しか見ていなかったんだな。そばにいられなくなるだけで死を選ぶほどに……」


 悲しそうに目を伏せ自嘲する姿にアルミラの眉根が寄る。


(……まったく、馬鹿馬鹿しい)


 アルミラからしてみればマリエンヌは恋に浮かれ、愛した男性の内面すら読み取れなかった女性だ。

 だというのに、彼女はコゼットに多大な影響を与え、その死はレオンに毎朝悪夢を見せている。

 コゼットとレオン、そして息子であるミハイルもまたマリエンヌに囚われている。


「マリエンヌ様がどうして死んだかなど、どうでもいいではないですか」


 思いのほか冷たくなった声色に、ミハイルが驚いたように俯けていた顔を上げる。


「今さらそんなことを気にしたところで、なにも変わりません。彼女は死んだ、それだけです」

「……私は、そんな簡単には割り切れないよ」


 アルミラは本来気が長いほうではない。

 ハロルドのことやコゼットのことがなければレオンに対して、もっと手っ取り早く直接的な手段で泣かせにかかっていたことだろう。

 沈んだ顔でいるミハイルに詰め寄り、仮面を外して見上げる。


「あなたは王になる方です。采配一つで人の命を左右する立場になるというのに、十年以上も前に死んだ方に囚われていてはなりません」

「……君の言いたいこともわかるよ。だけど、私は君ほど強くはない」


 苦笑しながら視線を逸らされ、アルミラはミハイルの襟を掴んで引き寄せる。

 そして間近にある青い瞳を睨むように見つめた。


「たしかにあなたは日和見で、風見鶏と揶揄されるような方かもしれません」


 アルミラがミハイルを王にと望んだのは、なにもレオンが駄目すぎるせいではない。

 境遇に左右されることなく努力し、なにかできないかと模索する精神を見込んだからだ。

 そして独学でありながら国で三番目の強さと、学者には劣るものの優秀と呼ばれるほどの知識を手に入れた。

 後はそれに見合うだけの自信と、精神が備われば賢王とまではいかなくともそれなりの王にはなれるはずだ。


「ですが、あなたはフェイ様の前に立ちはだかりました。それはそうそうできるものではありません」

「あれは……咄嗟だったからだよ。普段の私にはできない」


 アルミラは強い。守られる経験などしたことがないほどに。


 アルミラの両親は貴族らしい貴族だ。娘であるアルミラは道具にすぎず、彼らの関心は跡取りである病弱な兄に向いていた。

 身を挺して庇われるようなことはなく、レオンの我儘がアルミラに向こうと――影でこそこそとレオンを悪しざまに言うことはあっても――庇い立てるようなことを口にした者はいない。


「それでも、私は嬉しく思いました」


 アルミラのなにがそこまで気に入ったのかはわからないが、庇われたのは事実だ。

 それに心を動かされないほど、アルミラの心は凍てついてはいなかった。


 間近にある顔に自身の顔を寄せ、そして少ししてから離れた。


「あなたの中に強さはちゃんとあります。今は無理でも、いつかはマリエンヌ様のことを乗り越えられるだけの強さが」


 目を見開き完全に硬直しているミハイルに苦笑しながら、襟を掴んでいた手を離す。

 

「あなたが善き王になる日を楽しみにしてます」


 そして微動だにしないミハイルを置いて部屋を出た。





 それからほどなくして、アルミラは玉座の間に足を踏み入れた。

 城の外では騎士がそこら中を走り回り、レオンがレイシアを抱えたまま指示を出しながら魔法を使っていた。

 ここまで人に見つからず来るのは大変だったが、それだけの甲斐があったようだと床に転がるハロルドを見て満足そうに笑みを浮かべる。


「生きてはいるようですね。しぶとい方だ」


 ハロルドの横に膝をつき、天井を見上げるはしばみ色の瞳を見下ろした。


「……君か」


 掠れた声はひどく弱弱しい。動くだけの力が入らないのか、目だけを動かしてアルミラに視線を合わせる。


「もっと早く君を排除するべきだったかな」

「たとえそうだとしても、なにも変わらなかったでしょうね」


 ハロルドにとってアルミラは人質にすぎなかったことだろう。

 突飛な行動はするが、それだけでなんの力も持たない令嬢として映っていたはずだ。


「あなたは十年以上も前に負けが決まっていたんですよ」

「……マリエンヌか」


 用意周到にコゼットを追い詰めてきたハロルドがたった一度した失敗。

 それがマリエンヌだった。その死はハロルドにとって予想外だったことだろう。


 本来どうするつもりだったのかは簡単に想像がつく。

 どうしてあの場に連れていったのが、破天荒とはいえ騎士になって日の浅い――騎士としては未熟なフェイだったのかを考えれば明白だった。


「マリエンヌ様の思いを読み切れなかったあなたに、他の方の他者を愛する気持ちが読み切れるとは思いませんからね」


 逆上させハロルドに牙を向けるのならそのままフェイに切り捨てさせればいい。もしもその牙がコゼットに向けば、それでも構わなかったのだろう。

 だがマリエンヌが選んだのは別の道だった。


「まあ、私も人のことは言えませんが」


 レオンがレイシアに思いを寄せたことによって予定が狂ったことを思い出し、苦笑する。

 しかもレイシアのために捕まるほどだ。もしもレオンがあそこで逃げていれば、もっと楽に進んだだろう。


「そんなことを言うためにわざわざここまで来たのかな?」

「いいえ。あなたと雑談するほど暇ではありません」


 立ち上がり、壁に備えつけられている燭台を取り絨毯の上に放る。

 コゼットが点けたであろう火は部屋の中にまで回り切っていないが、こうすればより早くこの部屋は火に包まれることだろう。


「あなたに選ばせてさしあげようと思いまして」


 そして次に、腰に差していた剣をハロルドの横に置いた。


「火に包まれて惨たらしく死ぬか、その剣で自らの胸を貫くか。お好きなほうをどうぞ」

「……僕は君が嫌いだよ」

「奇遇ですね。私もあなたが嫌いです」


 どちらを選ぼうとアルミラには関係ない。たとえ痛む体で剣を取れずとも、どうでもよかった。

 ただこの場でハロルドが死に、そしてその近くにアルミラの剣があればそれでいい。


 アルミラにとって重要なのは、それだけだ。


 ハロルドの決断を見届けることなくその場を去った。

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