「……俺は罪人ではありません」
城から少し離れた場所に聳え立つ塔の上階でレオンは時間を持て余していた。食事と湯が運ばれてくる以外に代わり映えのしない部屋の中で、ただ生きるのに必要な営みだけを繰り返している。
王になるためにと幼い頃からかかすことのなかった魔力を制御する練習も、こうなってはやる気もおきない。だが培ってきた技術からか、こうして起きている間は暴走することなく身の内に潜んでいる。
壁と床はあちこちが抉れ、欠けている。日を重ねるごとに増える傷跡は寝起きの悪さゆえだ。
城で生活していたときは都度修繕されていたのだが、ここで暮らすようになってからは一度として直されていない。
なにもすることがなく、増えていく自分の起こした惨状を眺めるしかない生活。いっそ気が狂えれば楽なのかもしれないが、今のところはその兆しすらない。
「レイシアはなにをしているだろうか」
ふとした瞬間に浮かぶのは、最後に見た泣きそうな顔をしているレイシアだ。そして同時にその場にいたアルミラのことも浮かびかけ、首を横に振る。
(どうせあいつのことだ、ろくでもないことをしているに決まっている)
考えるだけ無駄だとアルミラのことは振り払い、再度レイシアについて考えを巡らせた。
レオンの予想どおり、アルミラは城に侵入するというろくでもないことをしている真っ最中だ。
だが外の騒動がここまで届くはずもなく、レオンがそれに気づくことはない
「母上は……」
どうしているのかと口にしかけ、だが言葉にすることはできなかった。
幽閉されてから数日は自分のことを心配しているだろうかと考えもしたが、すでに一月近くが経過しているのに会いに来ることも、誰かが言伝を運んでくることもない。
だからそれが答えなのだろうと、とっくにわかっているのにそう思いたくなくてこうして時折コゼットのことを考えている。
「元気にしてたかい?」
そうして取りとめもなくただ考え続けていたらノックもなく扉が開かれた。そして状況にそぐわない穏やかな声が聞こえ、首だけをそちらに向ける。
「父上」
一体何日ぶりだろうか。こうしてハロルドがここに来るのはこれで二度目だ。前回はいい子にしているようにと言い含めて帰っていった。
「顔色が悪いね。食事はちゃんと食べているのかな?」
三食運ばれてきてはいるが、この状況で満足に喉を通るはずがない。半分ほど残していつも下げさせていた。
「駄目だろう? ちゃんと食べないと」
まるで好き嫌いをする子供をあやすような口振りにレオンは顔をしかめる。
どうして自分を罪人だと思っているのかと考えたこともあった。誰かに嵌められたのかと。
だがあの日みたハロルドは、これまでレオンが自身の中に築いてきた父としての、王としての姿からかけ離れていた。
いい子にしているなら誰か宛がうと言われてもなお、穏やかで優しい父親像が保てるはずもない。
「……母上は、どうしていますか」
これ以上崩したくなくて、父親ではなく母親に縋る。
ここに来ないのも、誰かを使いとして寄越さないのも、きっとなにか事情があるのだろうと、一縷の望みをかけて。
「コゼットかい? 彼女はいつもどおりにしているよ」
「俺のことはなにか……」
その問いかけにハロルドは小さく首を傾げ、困ったように眉を下げた。
「コゼットが罪人である君を気にするわけがないだろう?」
「……俺は罪人ではありません」
膝の上で握りしめた手が小刻みに震えているのは、理不尽な状況に対する怒りからか、あるいは省みられることのない自分の境遇を悲しんでのものか。
渦巻く感情の中で絞り出せた言葉は、それだけだった。
「罪人じゃない?」
心底不思議そうな声に俯きかけていた顔が上がる。すぐそこにるハロルドはいつものように、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「俺はなにもしていません」
一度だけ頭を撫でてくれたときと同じ表情に、縋りつくように言葉を重ねる。
意思を尊重したいと言い、婚約者についてどうしたいか問いかけてくれた。だから、自分の話を聞いてくれるのではないか――そう考えて。
「嘘はいけないな」
だが、縋ろうとした手は呆気なく払われる。
ハロルドが発した短い言葉はレオンを突き放すには十分だった。
「嘘、では……」
「それとも、忘れたとでも言うつもりかな?」
口を固く結び、レオンは困惑した表情を浮かべる。揺れる瞳にハロルドは「ふむ」と小さく呟いた。
「あれは、忘れたくても忘れられない思い出のはずだろう?」
「……なにを、俺はなにも……なにもしていないはずです」
罪人と呼ばれるほどのことはしていない。人に厳しく当たることは多かったが、それでも罪になるほどのものではないはずだ。
もしもそれが問題になるなら、もっと早く注意を受けていたことだろう。
ハロルドの言っている意味がわからず、レオンはただただ困惑する。
「あの日、僕は見ていたんだよ。ここの隣の部屋で」
「あの日……?」
「そう、マリエンヌが窓から落ちた日のことだよ。ここでなにがあったのか、君は覚えているはずだ」
マリエンヌ、それはミハイルの母親で、コゼットが嫌っている相手で、レオンとはほとんど話したこともない相手だ。
――また今度、ミハイルも交えて皆でお話しましょう?
そのはずなのに、どこかで聞いたことのあるような声が頭の中に響きレオンは顔をしかめた。
「マリエンヌも浮かばれないね。自分を害した相手が思い出さないようにしているなんて」
落ちてくるそれに手を伸ばして、だけど届かなくて、それでもなんとかしたくて。
間に合わないと、そう思った瞬間、意識が途切れた。
そして次に目を開けたとき目の前にあったのは、怒りの形相を浮かべたコゼットと、ぼろぼろに――元の形がなんだったのかわからないほどぼろぼろになった、
「俺は……俺は……」
血の気を失ったかのような青白い顔で、うわ言のように意味をなさない言葉を紡ぐ。
そんなレオンに向けて、ハロルドは穏やかに微笑んだ。
「ほら、お前は罪人だろう?」
その瞳はどこか愉しげだった。
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