「なんでこういう日に来るかねぇ」

 通路で待っているようにと命じられ、壁に背を預けながらハロルドを待っている間、フェイはレオンがいる部屋の隣の扉に視線を向ける。


 同じ部屋ではなく、あえて別の部屋にレオンを入れたのには理由があるのかもしれない。さすがに同じ部屋では可哀相、などという慈悲の心がハロルドにあるはずがない。


(……どうしてこうなった)


 だがその理由をいくら考えても答えに行き着くはずもなく、フェイはすぐに別のことを考えはじめた。


 フェイは物心ついた頃から孤児院にいた。

 下の子の世話をしたり、手伝いをしたりして生活していたある日、マリエンヌとコゼットが慰問だとかで孤児院を訪ねてきた。

粗相のないようにと朝から言われ続け、辟易して虫の居所が悪かったフェイは、マリエンヌに話しかけられたのに無視するという粗相を働いた。

 護衛としてついてきていた騎士がその態度を咎めようとしたところを、マリエンヌが止める。


「子供のすることだから、大目にみてあげて」


 慈愛溢れるような笑みを向けられ、騎士は渋々ながらも頷いたが、フェイに向ける視線は刺々しいものだった。

 マリエンヌが騎士に甲斐甲斐しく世話を焼かれている間コゼットがなにをしていたのかというと、眉をひそめ煩わしそうに子供たちを見ていただけだ。


 その日の思い出はフェイの中に残り続け、あの人を守れるように騎士になろうと決意する。

 孤児院で力仕事をしているから腕力や体力には自信がある。剣についてはまったく知らないが、なんとかなるだろうと子供らしく甘い考えを抱いた。


 そして慰問からおよそ二年後、フェイはハロルドの寝所に忍び込むという暴挙を気に入られ、騎士になった。


 そこまではよかった。いささか力技なところはあれど、それでも騎士にはなれた。

 だがフェイの目指していたものは、マリエンヌが死んだ日に崩れ去った。



 マリエンヌが窓から身を投げ、騒音が聞こえ、フェイは急いで塔を飛び出した。途中で階段を降りるのが面倒になって窓から降りたため、ハロルドよりもずいぶんと早くそこに辿りついた。


 そこでは、魔力が渦となり地を削り、木を倒し、塔の壁を抉っていた。石も木も土も気にすることなく猛威を振るう魔力の渦は当然、人の体すらもたやすく抉り削っていた。


 その中心で座りこんでいるレオンに声をかけるが反応しない。ただ虚ろな目で宙を見つめていた。


(この中に飛びこむか……?)


 自分は強いと自信を持って言える程度にはなっていたが、それでも騎士になって一年の新参者だ。渦の中に入ってレオンをどうにかできるだけの実力が自分にあるのかどうかわからなかった。


 フェイが躊躇している間に人が増え、気づけばその場にコゼットまでが加わっていた。


「どきなさい」


 最前でどうすればいいのかと悩むフェイに、厳しく冷たい声が向けられる。

 条件反射で思わず一歩横に動いてから、それが誰なのかを理解し、そしてなにをしようとしているのかがわかって、慌てて腕を掴んだ。


「コゼット様、駄目です」

「……私に触れていいと言った覚えはないわよ。離しなさい、無礼者」

「駄目です、離せません。あなたをマリエンヌ様と同じ目に合わせるわけには」

「そう。やっぱりあれはあの子なのね」


 失言だった、と気づくには遅すぎた。ドレスの切れ端や散らばる髪でおおよその予想はできても、それがマリエンヌであると断言するには、あまりにも原型を留めていない。言わなければ確信を得ることはできなかっただろう。

 マリエンヌだったものを見て顔をしかめるコゼットに、フェイもまた顔を歪ませた。


「……私が行くか、あなたが行くか選びなさい。行けないのなら――」

「俺が行きます」


 即答だった。言葉を遮るのは不敬だが、そんなことを考える余裕はフェイにはない。

 ただ、あの中に行かせてはいけないと、それだけを考えていた。


 だが結局、渦の中に飛びこんだのはコゼットだった。掴んでいた腕を離し、中に入ろうとした瞬間、先を越された。

 魔力によって肉が抉られようと構わずコゼットは前進し、振り上げた手でレオンの頬を打った。


「魔法の才なんて……なんてことを!」


 怒りを露わにしながら言うコゼットをレオンは瞬きを繰り返しながら見上げていた。

 だがそんなレオンを気遣うことはフェイにはできなかった。傾ぐコゼットの体を支え、傷の手当をしなければと、そのことだけで頭がいっぱいだったからだ。


 コゼットを抱え城に走る中、塔の前で穏やかに笑うハロルドの姿が見えたが気にする余裕もなかった。

 呆然と座りこむレオンと騒ぎで集まってきていた者たちだけがその場に残された。

 

 フェイはそれからについてを詳しくは知らない。

 わかっていることはレオンは組合に送られ、コゼットはそのときの傷が原因で寝込み――起きたときには、壊れていたことだけだった。


 そうしてさらに月日が経ち、フェイはある日突然ハロルドの護衛騎士に抜擢された。騎士団の中では頭一つ飛び抜けて強くはあるが、身分も素養もない。

 それなのになぜ自分なのかと問うフェイにハロルドは穏やかな笑みを向ける。


「僕は壊れた玩具には興味がないんだ」


 脈略のない台詞にフェイがとまどうのも気にせず、さらに言葉を続けた。


「だけど君はそうではないだろう? 彼女の正妃としての立場を守るために、君は僕を守らないといけない。だから選んだ……それだけだよ」


 もしもその提案を跳ねのけていたら、なにかが違っていたことだろう。

 だがフェイには、壊れてしまった世界がこれ以上壊れないようにする道しか選べなかった。



 バタンと扉の閉まる音で沈んでいた意識が戻る。


「それじゃあ行こうか」


 部屋でなにをしていたのか聞いても答えてはくれないだろう。フェイは頷き、ハロルドの後を追う。

 そしてなにかがぶつかるような音が、ハロルドが出てきた部屋から聞こえてきた。


「レオンにも困ったものだ。いまだに魔力を制御できないなんてね」


 あの日の光景がフェイの脳裏をよぎる。守りたいと思ったのに、結局守れなかった日のことを。


「落ち着くまではここには誰も近づけないほうがいいね。塔の前で警備してくれるかい?」

「俺は護衛ですよ。それは他の人にやらせればいいんじゃないですかね」


 フェイがへらへらと笑うと、ハロルドは足を止め振り返った。


「もしもあの子がまた誰かを傷つけたら、彼女はどう思うかな」


 フェイに選択肢など最初からない。ただ言われたことを、するだけだ。

 あの日壊れてしまったのはコゼットだけではない。かつてフェイが抱いた、守るために騎士になりたいという思いも歪んでしまった。



 塔の前を陣取るように地面に座り、青い空を見上げる。降り注ぐ太陽の光は痛いほどで、遮る雲一つない晴天だ。


(なにか企んでるんだろうな)


 時折ハロルドは護衛であるはずのフェイをどこかに置いていくことがある。

 そういうときは大抵、ろくでもないことをしている。


(せめて室内だったらなぁ)


 あくびを噛み殺しながら、暇つぶしに剣の手入れでもしようかと横に置いておいた大剣を膝の上に置き直す。

 手入れといっても、磨くことくらいしかすることはない。

 だがそれでもなにもしないよりはと、ただひたすら磨いて――どれだけ経っただろうか。


 土を踏む音が聞こえ、ぴかぴかになった大剣から顔を上げる。


「なんでこういう日に来るかねぇ」


 かつて剣を教えた愛弟子の姿に、頭を掻きながら立ち上がった。

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