前日談 レオン

(これは誰だっただろうか)


 レオンが城に戻ってからもうすぐ一年が経とうとしている。王とは戻ってきて以来音沙汰なしで、コゼットが訪ねてくることもなく、日々を過ごしていた。


 レオンに付いている使用人は定期的に入れ替わる。最初のうちは魔力の暴走を嫌がって異動を願い出ていたのだが、今は我儘に耐えきれなかったり、コゼットの采配だったりと様々な理由により長く勤めている者がいない状態だ。


 魔法の才が発現してからというもの、レオンはどうにも人を覚えるのが苦手になっていた。

 それでも最初のうちは覚えようと努力はしていたのだが、入れ代わり立ち代わり消えていく相手を覚えたところでどうにもならないと切り捨てた。


 今日の予定を話す侍女を見上げながら、レオンはぼんやりと胸元を飾る鮮やかな青いリボンに目をやる。


(そういえば父上直属の使用人はどこかに青い色を持っていると……母上が言っていたな)


 だからその相手には従うようにと言い含められた。

 ならばこの青いリボンを持つ者も父の配下なのだろうと、レオンは大人しく予定を聞き頷いた。



 相手の顔を覚えるのが苦手というのが知られれば、王になるにあたって不利になることはレオンもわかっていた。そのため、レオンは誰に対しても同じ態度で接する。

 例外は王の配下にある使用人だけだ。



 ある日、レオンの予定に婚約者との顔合わせが組み込まれた。


(そういえば、少し前にそんなことを言っていたな)


 だがレオンの周囲にいる者はすぐにいなくなる。そのため、この婚約者も使用人と同じようにどうせすぐ消えるだろうとレオンはいつものように接した。



 それから数日後、茶会の予定があると聞かされて向かった先にいたドレス姿の令嬢にレオンは眉をひそめる。


(前の婚約者候補とやらは消えたか? それとも、同じ相手か?)


 消えて新しい者が宛がわれたのか、それともまだ消えていないのかレオンにはわからない。

 そのため、とくにこれといって声をかけることもなく令嬢の横を通り過ぎて椅子に座る。


(どちらにしても、関係ないか)


 わざわざ覚える気のない名前を聞くこともなく、覚える気のない会話をすることもなく、同じテーブルに座り茶を飲み、茶菓子を食べた。



 それからも何度か同じことが繰り返された。相手は変わっているような気もするが、変わっていないような気もする。

 そんな曖昧さで親交を深めることができるはずもなく、たまに茶菓子を強奪したりする程度の付き合いしかもたなかった。


 ただ同じような時間を繰り返す中で、変化が起きた。婚約者との顔合わせからいくばくもせず、王がレオンを次代の王にすると宣言したことだ。

 王になれると喜んだレオンは、時折聞こえてくるレオンとミハイルをを比較するような声を、覚える価値のないものだと切り捨てる。

 そして、両親とこれといったやり取りがないことついては、きっとなにか理由があるのだろうと考えない振りをした。


「まったく、女という奴はどうしてそう髪を伸ばしたがる」


 袖口に引っかかった髪を解こうと四苦八苦しているのを見て、レオンはうんざりとしながら言った。

 深い意味があったわけではない。いつもどおり、ただ思ったことを口にしただけだ。


 だが手を止め、こちらを見上げた目が爛々と輝いているのを見て、息を呑む。


「かしこまりました」


 冷ややかな声でそう言い切ると、長かった髪をナイフでばっさりと切り落とした。



 呆気に取られ、レオンはそこでようやく自分の婚約者を覚えた。



 それからは、王子との茶会に刃物を持ち込んだことが大問題になった。公爵家の令嬢で、しかも頻繁に来る幼い子供だからと城内に入るときの検査が緩くなっていたことが判明し、上から下への大騒ぎ。


 久しぶりに覚えた相手だったが、こうなっては婚約も破談になるだろう。


(たしか、アル……なんだったか)


 最初の頃に聞いた気がするのだが、どうしてもそれ以降が思い出せなかった。

(まあ、今さらか)


 これ以降名前を呼ぶ機会もないだろうと、レオンの中でアルミラはアルなんとかになった。


「レオン」


 そうしてまた、いつもと変わらない日々を過ごしていたある日、廊下を歩いていたら聞き覚えのある声に呼ばれ、レオンは肩を跳ねさせた。


「父上」


 振り返り、少し離れた場所に立つ父親の姿にレオンの目が輝く。

 レオンと共に歩いていた侍女は、王の登場に少しだけ距離を離し壁際に控えた。


「君の婚約者のことだけどね、変えたほうがいいと言っている者がいるけど……どうしたい?」


 穏やかに微笑みながら紡がれた問いかけに、レオンは首を傾げる。


「父上に従います」

「レオン。僕は君の意見が聞きたいんだよ」


 王は膝を折り、レオンに目線を合わせた。はしばみ色の瞳に見つめられ、レオンは少しだけ視線を逸らす。こうして向かい合ったのは久しぶりのことで、気恥ずかしく思ったからだ。


 だが王自ら目線を合わせてくれたのに逸らすのはあまりにも不敬だ。しかし控えている侍女も王もそれを咎めなかった。


「僕は君の意思を尊重したい。だから教えてくれるかな? 君は婚約者を変えたい? それとも、彼女のままがいい?」


 ゆっくりとした声色に、レオンは自分がどうしたいのかを考える。

 レオンは今の婚約者に対してなにかしらの情を抱いているわけではない。どうせ消えると思っていた相手なのだから当然だろう。


(だが、また覚えなおすのは面倒だな)


 次の婚約者の顔をレオンが覚えられるかどうかはわからない。相手が変わったかどうかもわからないまま過ごせば、いつかは人を覚えていないことが発覚するだろう。

 それならば、すでに覚えている顔が婚約者のほうが――刃物を持ち込んだ相手とはいえ――マシだろうと、考えた。


「……俺は、彼女がいいです」

「そうか。なら彼女のままにしよう」


 あっさりとそう決めると、王は立ち上がりレオンの頭を撫でる。


「僕の選んだ婚約者を気に入ってくれて、嬉しいよ」


 柔らかな手つきに、レオンはこそばゆくなり相好を崩した。



 そうして茶会が前と同じように開かれるようになった。


(父上が嬉しいなら、こいつと仲よくしたほうがいいかもしれないな)


 茶会に来るまではそう思っていたレオンだが、いざこうして本人を前にするとなにを話せばいいのかわからなかった。


(そもそも、話すことなんてあるのか?)


 これまでレオンの周囲にいたのは、両親と使用人だけだ。使用人相手には命令するだけで、王は公務で忙しいため話す機会はそう多くなく、コゼットとも雑談を交わしたりしたことはあまりない。

 友人だった者はすぐに消えたので、レオンの対人スキルは皆無に等しいと言っても過言ではなかった。


「なあ、お前」

「なんでしょうか」

「……お前の分の茶菓子もよこせ」


 これといった話題が見つかるはずもなく、いつもどおりのやり取りをして茶会は終わった。


 それから数日もせずコゼットがレオンを訪ねてくるようになり、茶会で悩んだことなどいとも容易く吹き飛んだ。


 会話の少ない茶会こそあるが、レオンの生活は日々順調に回っていた。

 

 自分の婚約者が男装をはじめるまでは。



「なんなんだ、あいつは!」


 苛々と怒鳴るが、それで解決するわけがない。


(今さらあんな奴いやだと言えるわけがない)


 アルミラを婚約者にと王に望んだのはレオン自身だ。こんなことなら、あの場ですぐに変えてほしいと頼めばよかったと思っても、後の祭り。


(……それに、もしも父上が頷いてくれなかったら)


 あの日、アルミラについて聞いてきて以来レオンは王と密なやり取りができずにいた。王は日々公務で忙しく、声をかける暇すらない。

 あのときは意思を尊重したいと言っていたが、今も同じとは限らない。


 王になると自負しながらも、胸のうちに潜む不安から、レオンは王にもコゼットにも、なにも言えずにいた。


 そのためアルミラをどうにかすることもできず、レオンは日々不満を募らせた。

 だが皮肉なことに、この一件がきっかけとなり二人の間に会話が増えた。

 そのほとんどがレオンからの無茶振りだったが、アルミラはそれに難なく応え、それどころか揚げ足を取るようなことまでしはじめる。


「レオン殿下」

「なんだ」

「裸の王様ってご存じですか?」


 あの刃物事件以来、アルミラとレオンが会うときには騎士が同伴するようになったのだが、今では侍女がそばに控える程度にまでなっていた。

 少し離れた場所にいる侍女に聞こえないように声をひそめるアルミラに、レオンは不審そうに眉をひそめる。


「知らん」

「子供向けの物語です。王様が馬鹿には見えない服を詐欺師に売りつけられ、自分は馬鹿ではないと証明するために街中を裸でねり歩く……そんな話ですよ」

「……なんだ、その話は」


 出だしから荒唐無稽すぎる話に、レオンの眉間の皺がより深くなる。アルミラはその様子に面白そうに喉の奥で笑った。


「興味があれば調べてみてください。私はこの話、レオン殿下にとても似合いの話だと思いますので」


 子供に読み聞かせるような物語をわざわざ調べている暇はない。魔力の制御はいまだ完璧ではなく、毎朝のように暴走している。それをどうにかする方法を模索するので精一杯だった。

 そのため、レオンはこのやり取りを他愛もない、些細なものだと片付けた。



「レオン殿下は裸の王様という物語をご存じですか?」

「知らん」


 そうして切り捨ててきた記憶が抜け落ちていることに、レオンは気がつかなかった。

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