「レオン様! 怖かった……!」

 目が節穴でできているような者が見れば、愛の逃避行と表現してもおかしくない逃亡劇を目の前で繰り広げられ、レオンの怒りは頂点に達した。自分の命令に従わず、あまつさえ抱き合っての逃亡なのだから、怒らないはずがない。レオンの目は節穴でできていた。


「俺を虚仮にしたな……!」


 感情のたかぶりによって魔力が暴走してもおかしくはないのだが、レオンは自身を王と自負する人間だ。魔力もまた自分に従うと信じて疑わないため、意識せずとも魔力を制御するという器用なことをやってのけている。

 その器用さを別のことに回してくれればと涙する者もいるほど、レオンの魔力制御は常人の域を超えていた。


 だが魔力は制御できても、自分の感情は制御できないのがレオンという男だ。机を蹴飛ばし、荒々しく教室を出る。向かう先は言わずもがなアルミラとミハイルが落下した地点だ。

 障害物も得物もない状態ならば、ミハイル相手だろうと遠方からの攻撃ができるレオンのほうが有利だ。怒りの化身と化したレオンはどうしてやろうかと頭の中でシミュレーションしていたのだが、ある地点で足が止まった。


「いたいけな少女に足をかけるなど、なにを考えているんだ……!」

「あら、わたくしがそのようなことをした証拠がどこにありまして?」

「あの! 私は大丈夫なので穏便に――」

「君たちをかばう彼女を見て痛む良心はないのか!」


 床に座りこむレイシアとそれを冷めた目で見下ろす数人の令嬢。そしてその間でわめいている令息が一人。


 そこにこれまでにないほど苛立ったレオンが加わればどうなるか――



「なにをしている」


 一声かけただけで震えあがり、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。残されたのはぽかんと口を開けているレイシアただ一人。

 

「俺はなにをしているのかと聞いたのだがな」


 逃げていった方向に鋭い視線を向けるレオンを見て、レイシアは慌てて立ち上がりレオンに縋りついた。


「レオン様! 怖かった……!」


 冷たい手を両手で包みこみ、潤んだ瞳で見上げる。怖いのは目の前に立つレオンなのだが、さすがにそれを馬鹿正直に口に出すほどレイシアも馬鹿ではない。


 そして自分をかばってくれた令息もそうだが、足を引っかけただけの令嬢にレオンがなにかしてはたまらないという一心で、レオンの機嫌を取ろうと言葉を重ねる。


「来てくれてありがとうございます。どうか今は私のそばから離れないで、一緒にいてくれませんか?」


 ふるりと体を震わせ小首をかしげる姿は庇護欲ひごよくを駆り立てるには十分なものだ。レオンはとまどうように瞳を震わせてから、そっと笑みを浮かべた。


「ああ、もちろんだとも。お前を怖がらせたあいつらは、もう二度とお前に手を出せないようにしてやろう」

「いいえ! レオン様。私はあなたに人を傷つけてほしくはありません。殴られたほうはもちろんですが、殴るあなたの手も痛みます。私のために傷ついてほしくはないのです」


 ぎゅっと包み込んだ手に力をこめる。これがアルミラならば砕かれると戦々恐々せんせんきょうきょうとするところだが、レイシアはただのか弱い少女だ。伝わる温もりと柔らかな感触に、レオンは自然と気持ちが和らぐのを感じた。


 レイシアがレオンの怒りをしずめるのは、なにも彼女たちを思ってのことではない。かばってくれた令息がとがめられるのはもちろん嫌だが、なによりもレオンが令嬢たちになにかすれば、その怒りの矛先はレイシアに向く。

 しかも間違いなくレイシアよりも高位の令嬢だ。ただの子爵家の娘にすぎないレイシアの命はもちろん、家自体が風前の灯火となってしまう。


 レオンが守ってくれる――と信じきれるほど、甘い夢には浸れない。夢見がちなレイシアだったが、ことこれに関しては夢見る少女ではいられなかった。


 レオンにとってこれはただの一過性の火遊びにすぎず、いつかは冷めてしまう、まやかしのような恋情だ。少なくともレイシアはそう思っている。

 なにせただの子爵家の娘で、可愛い顔はしているが絶世の美貌というわけではない。一体全体なにがレオンの琴線に触れたのか、当人であるレイシアにすら不可解なのだ。

 そのような不可解な現象に縋り甘え、なんとかなると全幅の信頼を寄せるのは難しいだろう。


「レオン様、どうか私から離れないでください。放課後も、休憩時間も、どうか一緒に過ごしてくれませんか?」


 だからレオンが飽きるそのときまでそばに侍り、彼の問題行動を少しでも減らして、自分に累が及ばないようにすることしかレイシアにはできない。


 常軌を逸した天上の存在たちに巻きこまれた凡人の苦悩を知る者はいない。今は、まだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る