桜花は一片の約束

まっく

桜花は一片の約束

「おはよう」


 私は、ダイチの顔を上から覗き込んで、挨拶をする。

 ダイチは寝惚け眼を擦り、うんと一つ伸びをして、装置から離脱する。


「なかなか起きないから、ちょっと心配したよ」


 窓の外を見ると、紫黒しこくの海が、どこまでも広がっている。

 景色が全く変わらないので、とても光の速度で移動しているようには思えない。厳密に言えば、徐々に速度を落としているので、光の速度で移動してはいないのだけど。


「ごめん、二度寝しちゃってた」


「コールドスリープからの二度寝って、どんだけ神経太いのよ」


 ただの馬鹿か、とんでもない大物か。

 ダイチの表情を見ていると、馬鹿の可能性が高いと思えてしまう。


「ところで今、本当に百五十年後? 一日しか経ってないように思うけど」


 ダイチは軽くストレッチをしながら言う。


「寝て起きたら今日だからね」


 私も同じ様に軽く体を動かす。


「もう知っている人間はみんな死んじゃってるな」


 ダイチは遠い目で窓の外を見る。


「……だね」


 覚悟を決めてきたつもりだったが、そう思うと寂しい気持ちが泡立つ。

 日々、科学は進歩しているが、心臓が止まるのを防ぐ事は出来ていない。


「あっ、そうだ。はじめまして、竹崎ダイチです」


 ダイチは私の方に向き直り、左手を差し出す。


「いやいや、コールドスリープ入る前にも、少し話したじゃない」


「百五十年前の事だし、記憶が」


「さっき、一日しか経ってないみたいって、言ってたじゃん!」


 こんなとぼけた男が最初のパートナーだなんて、先行きが不安になる。

 でも、そんなやり取りの間も、差し出した手を下げなかったのだけは、プラスポイントかな。


「星川サキです。これから、よろしくお願いします」


 仕方ないので、私はそう言って、手を握り返し、ぎこちない握手を交わした。



 まずは、久々の食事。定番の宇宙食カレーを食べてみる。


「思ったよりも、カレーだね」


 二人して笑い合う。


「デザートにアイスもあるよ。全然、冷たくないけど」


 私は袋を振ってみせる。


「こんなのとサプリばっかじゃ飽きそう」


「近々、水耕栽培のシステムを、試験も兼ねて稼働させるから、一か月もすれば、新鮮なレタスも食べられるよ」


 今から一年をかけて、人類未踏、第二の地球にするべく選ばれた星に、降り立つ準備を整える。


「で、さっきから、ずっと気になってるんだけど、ダイチ、右手になに持ってるの?」


「バレた?」


「だって、初めてスプーン持った子供みたいだもん」


 ダイチは「失敗したなぁ」と小声で言いながら、左手で頭を掻いている。

 ダイチが起きてきた時から、ずっと違和感を感じていた。それが、ようやく分かった。


「ひょっとして、申請した以外の物を持ち込んだんじゃないでしょうね」


「持ってきちゃった」


 ダイチは、そう言って、握り締めていた右手を開く。

 そこには、少し潰れた花びらが一片ひとひら


「ちゃんと、説明してもらうわよ」


 ダイチは、渋々といった表情で口を開く。




 ────2020年、夏。


 閉め切った窓から滲み出る蝉の声が、病室をうっすらと満たす。

 ベッドの上、たくさんのチューブに繋がれたヨシノが、しばらくぶりに目を覚ました。


「ダイチ、来てくれてたんだ」


「面会時間の間は、ずっといるよ。夏休みだし、どうせ家にいても、本を読んでるくらいだし、ここの方が涼しいし」


 読んでいた本を椅子の上に置き、柔らかさを失ってしまった手を握る。

 それでも、まだ笑顔の優しさは失われていない。


「もう、桜の花は見れないかもしれないなぁ。それだけが、ちょっと残念」


 なんと答えていいのか、言葉に窮する。

 ヨシノは、今では数日に一度しか目覚めない状態だった。


「ダイチって、なんか将来の夢とかないの?」


 荒唐無稽な夢で、恥ずかしくて誰にも言っていなかったが、系外惑星に新たに人類が住める場所を造りたいと思っていた。人口爆発にも、資源の枯渇にも歯止めが掛からない。このままでは、地球の終焉は、太陽が寿命を迎えるよりも、早くなってしまう。

 ヨシノは僕の言葉一つ一つに、うんうんと小さく頷きながら聞いた。


「その夢、叶うといいな。ダイチは新しい地球のアダムだね」


 ヨシノは窓を見やりながら「イブは誰になるんだろ」と呟いた。

 それから、僕の目を見て「そこの林檎食べていって」と見舞いに貰ったであろう果物のカゴを指差す。

 その時に見せたヨシノの悪戯っぽい笑顔より美しいものを、僕はまだ見つけていない。


「一つだけ、わがまま言っていい?」


「もちろん」


「その星に満開の桜を咲かせて」


 そう言うと、ヨシノは僕の答えを聞かず、再び眠りについた。

 ヨシノは夏休みの終わりを待たずに、その短い生涯を閉じた。




「まさか、その十五年後に、本当に宇宙に旅立つとは思ってなかったけど」


 ダイチは立ち上がり、食べ終わった宇宙食の袋を、私の分も一緒に手にし、屑かごへと入れた。


「話は分かった。ソメイヨシノは果実も食用に向かないし、申請は通らなかっただろうね」


 文化的価値のある植物も持って行くべきとの声もあったが、持って行ける数も限られているし、その星の既存の植物に新たなる文化的価値を見出だすべきだという結論が出ていた。


「こんな物だけ持って来ても、仕方ないんだけどね」


 ダイチは自分の右手を見つめると、またギュッと握り締めた。

 正直、いきなり厄介事を抱え込むのは勘弁だったが、ダイチの話を聞いたら、二人の想いを成就させてあげたいと思ってしまった。


「その花びら、私に預けてくれない?」


「大丈夫だよ。絶対に誰にもバレないようにするし」


 ダイチは、私に背を向ける。丸くなった背中が、まるで座った猫の後ろ姿みたいに見えた。


「じゃなくて、私がなんとかしてあげる」


「なにを?」


「私、遺伝子工学の専門家なの。新しい星に満開の桜を咲かせちゃおうよ」


 私の仕事は、地球から持ち込んだ農作物を、現地の気候、微生物や害虫に適応出来るように遺伝子を組み換えたり、または自生する果実や野菜類を、人間が食べても害がないように遺伝子操作するのが、主になる。


「そんな事、ほんとに出来るの?」


 ダイチが少年のような顔をして言う。

 あの夏も、こんな顔をしていたのかと思うと、ほんの少しだけいとおしさが芽生える。


「私の名前は、咲くって漢字から付けられたんだから」


 胸を張る私に、じっと目で「それ、関係なくない?」とダイチが言い、二人してころころと笑った。

 同一属のさくらんぼの木は複数種持って来ているはずだし、ダイチの持ってきたソメイヨシノの花びらから遺伝子を抽出して、なんとかしてみるつもりだ。


「ありがとう、サキ」


 そう言って、ダイチはソメイヨシノの花びらを、慎重に私の手のひらに乗せた。


「ところで、ダイチの仕事は?」


「小説家。新しい星の始まりの物語を紡いでいく。で、地球に発信するのが、僕の仕事」


 ダイチは「主人公はキミだ!」と、私を指差している。

 創世記のヒロインが、私なんかでいいはずがないとは思ったが、気分は悪くない。


 窓の外に、初めて星の光が見えた。

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