スプライト編 自身という存在

時刻はすでに午後二十二時を回り、日付が変わるまで残り、二時間弱。

持田は医務室の壁にかけられた時計を眺めていた。

「もういいわよ」

唐嗣は持田の体から聴診器を離す。

机に置いてあるカルテにペンを走らせる。

「体の調子はいいみたいね。脈拍、血圧は正常。完全な健康と言いたいところなんだけれど……」

唐嗣は言葉を切り、机から持田の方向に向き直る。

「細胞の検査で引っかかったわ」

彼女は真剣な目つきで持田を見る。「何が引っかかったんですか?」

「貴方の細胞の成長速度を検査したの。今は細胞の成長の速度を下げる薬を服用しているでしょう?」

「ああ、あれですか」

持田は煙草に似た形を思いだした。

「あれには薬だけでなく、ナノマシンも体に害にならないよう適度にまぜているの。薬とそのナノマシンがあるおかげで細胞が臓器の一部になる前に成長の速度を遅くすることが出来るの」

「それがどうしたんですか? 効果なら聞いたことありますけど」

唐嗣は机の上のカルテの横においてあった紙を取り、持田に見せる。

持田は差し出された紙に目を通す。

紙には写真が二枚貼ってあり、どうやら検査の結果だった。

「この右側に写っているのが一ヶ月前の検査結果。で隣にあるのが今回の検査で出た結果。これは細胞の具合を見ているんだけれど、一ヶ月前の細胞の状態と今、現在の状態。比較してみると薬を使っているのにも関わらず、細胞の老化のスピードが早いの」

「それは、薬が効いていないってことなんですか」

持田は顎に指を当て考える仕草をする。

「そんなことはないわ。薬の作用は正常に働いている。けれど貴方の細胞の老化がそれを上回っているの」

唐嗣は机に紙を置く。

「ということはもう手段がないっていうことですか」

持田は表情を変えることなく言った。

唐嗣は目を伏せ、静かに口を開く。

「今の状況ではなんとも言えないわ」

「…………。僕と同じようなことになっている人はいるんですか?」

「今のところ貴方だけ。他の子たちも薬を使っているけれど細胞の老化は通常の人と変わらないわ」

「そうですか」

彼は悲しむこともなく、ただ淡々とその事実を受け止めていた。

持田の中ではどうでもいいことだった。

自分の死に対して無感情、無関心になるほど自分の理想に埋没していた。

組織の為でもなく、自分のために。

持田健人。

彼の肉体はこの世に一つではなく、他にも彼、持田健人と同じ肉体を所有するものがいた。

持田健人という人物はとある人物のクローンであり、本当の人間ではなかった。

そして組織に所属する曳船武蔵と他、数名を除き、ほとんどの能力者はクローンだった。

クローンの元になった人物たちも超能力者だった。

「でもよかった。優ちゃんは長く生きられるんですね」

持田は制服のボタンをかけながら、微笑んだ。

「あら、珍しいわね。君が他人を心配するなんて」

唐嗣はクスリと口角をあげる。

「やめてください。僕にだって優しさはありますよ」

「へぇ。それは彼、オリジナルと自分は違うという意識から来るのかしら?」

唐嗣は持田をジッと見据える。

彼を見つめる瞳は何か、探りを入れるような雰囲気が含まれていた。

 しかし、持田は気にした様子を見せずに答えた。

「どうでしょうね。僕は僕自身でしかないですからわかりませんよ。まぁ、チャラさは僕のほうが上でしょうね」

持田はクスリと微笑んだ。

唐嗣はそれにつられるように表情が崩れ、微笑んだ。

「フフ、面白いこと言うわね。冗談が言える所と軽薄なところはオリジナルと違うわね」

「メイさんは知ってるんですか、オリジナルのことを?」

「ええ、知っているわ。まぁ、貴方が思い描くような深い関係ではなかったわ。その頃は何せ、旦那とすでに付き合ってたし。まぁ、友人といったほうがいいかもね」

「意外ですね」

持田は予想外の事実に感嘆の息を漏らした。

唐嗣は表情を引き締める。

「確かに貴方はオリジナルのクローンかもしれないけど、貴方が考えたことは貴方自身で考えたことでしかない。それだけは勘違いしないでね」

「…………」

持田はただ黙り、唐嗣を見るだけだった。

「少し意地悪な質問しちゃったわね。時間をとらせて悪かったわ」

持田は椅子から立ち上がり、医務室のドアまで歩く。

「今は何も出来ないけれど必ず貴方の細胞の老化を正常に戻せるようにするわ。だから時間を頂戴」

唐嗣は椅子から立ち上がり持田の背中に言葉を発した。

持田は首をひねり顔の半分が見えるような状態になる。

彼は微笑んだ。

「分かりました。楽しみに待ってます」

そのままドアを開け、医務室から姿を消した。

唐嗣は椅子に座り、背もたれに寄りかかる。

彼女は天井をあおぎ、深くため息をついた。

「笑い方はそっくりなのにね……」

一人、ポツリとはなった言葉は誰にも聞かれることなく消えた。

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