スプライト編 始まり1
通路の真ん中、一人の男性が床に膝を着き、全身をカタカタと震わせ顔色が青白くなっていた。
男性は全身真っ黒いスーツに身を包み、流線型のサングラスをかけている。
その格好からしてボディガードが雇われた人物だとわかる。
彼の周りには同じような格好をした人物が四、五人倒れていた。
死んでいるように見えるがみんなちゃんと息をしており、気絶しているだけだった。
膝を突き、震えている男は右の肩から出血し、血はとめどなく流れていた。
そんな状況に中学生くらいの女の子が男の回りをスキップしていた。
「るん、るん、るるん、るん、るん、るるん」
鼻歌交じりでその足取りは軽やかだ。
オモチャを手にしたときの子供と変わらない。
黒服の男はその女の子を見ながら肩を押さえているが激痛を抑えているため、意識が遠のきそうになるのを必死に押さえているのか息が荒い。
「ねぇ、ケント! こいつら全員、食っていい?」
女の子はスキップしながら上機嫌に言うと近くにいた別の男を見て黒服の男を指差す。
その言葉に反応し、黒服の男がビクッと萎縮したように体をちぢこませる。
「ダメだ。彼らは関係のない人間だ。殺害の許可は出ていない」
ケントと呼ばれた男は少女を一瞥すると彼女が言ったことにぴしゃりと反対した。
彼は顔を黒いマスクとマジックミラーのゴーグルで覆っているが少し不機嫌なのが雰囲気に出ていた。
「えー、せっかく傷つけたんだから食べようよー」
女の子は黒服の男の髪の毛をつかむと自分の方に引きよせ、臭いをかいだ。
そして恍惚の表情を浮かべ、待ちきれないといわんばかりにケントと呼ばれた男を見つめた。餌を前にした猛獣のような表情にも見え、それは暴力的な笑みでもある。
「ダメだ!」
「ちぇっ」
少女はむすっと不満げな顔をし、黒服の男から勢いよく手を離した。
黒服の男は近くの壁に側頭部をぶつけ、床に倒れ動かなくなった。
健人は呆れたようにため息をつく。
「僕たちの目的はこの先の部屋にいる人物だ。関係ないものにかまっている時間はないよ」
「ケントって頭が堅くてつまらない」
ふてくされたように少女は顔を膨らませると、踊るように一回転し、絹のような白い髪を揺らしながら歩き始めた。
「そりゃあ、どうも」
彼は興味なさそうに返事をすると手にしていたベレッタを両手で構えなおし、進行方向に向け、歩き出す。
ベレッタの銃口には長細い筒型のサイレンサーが取り付けられ、この館内に発砲音が響かないようにされていた。
「それにしてもやけに警備が少ないな」
「いいじゃん。 ケントの負担もへるし、僕が戦う回数も増えるよ」
少女は穢れのない無邪気な笑顔をし、楽だなぁといった。
君は気楽でいいなと健人は少女を見ることなく言った。
健人と少女は通路を進む。
「ねぇ、ケントー。この通路、長いよ」
少女は不満げにぼやいた。
「仕方ないよ。この洋館はもともとホテルとして建設されたものだからね。一個人が住むにはいささか大きすぎるよ。目的の部屋まであと五十メートル以上はあるね」
「ふーん……」
少女は興味なさそうにつぶやくと窓の外を一瞥する。
外界は闇に包まれ、明かりが届く範囲でしかこちら側から見えない。
洋館の周りには民家や街灯がなく、世界全体が暗闇に覆われているようにも感じられる。
それに比べて、洋館の中は明るく逆に明るすぎるくらいだった。
少女と健人は無言だったが、健人は口を開くといった。
「ちょっと待ってくれ。轡」
彼は少女の名を呼び、立ち止まる。
少女は何も言わずにその場で止まった。
健人は天井を見上げる。
その視線の先には監視カメラが壁から生えるように取り付けられていた。
監視カメラは全体だけでなく完全に彼らを認識し監視していた。
「優ちゃん、聞こえるかい?」
健人は監視カメラの方に向かい、言った。
そして右の耳の辺りをマスクの上から押さえ、耳を澄ます。
彼の耳には小型の無線機がつけられていた。
「聞こえてる……」
健人の耳に抑揚がなく感情の読み取れない、少女の声が聞こえてきた。
「よかった。そっちはどうだい?」
「変化なし……。監視カメラの映像も変わらない……。あたりに人の気配もない…」
「そうかい。これから目的の部屋にたどり着く。そのまま警戒を続けてくれ」
「了解……」
通信が終わり、健人は轡を見る。
「待たせたね。先へ進もう」
「わかったよー」
轡はそう返事すると歩き出し、それに続き健人も歩きだした。
数分後、健人と轡は木製のドアの前にいた。
木製のドアは彫刻を丹念に掘り込まれており、美術館や、展覧会などの展示されたものだといわれても納得するほどの出来。
ドアだけでなくその周りにも彫刻が施され、他の部屋と比べ、洗練された雰囲気をかもし出していた。
しかし、健人と轡はそれにも目をくれず、ただドアを見つめていた。
「ここが目的の部屋か…」
健人はポツリというと轡を一瞥する。
「轡」
「なんだい、健人?」
轡は無邪気に答える。
緊張感がなく、気の抜けた返事だった。
健人はそれに反応することなく、ただ淡々と続けるだけだった。
「右に寄ってくれ、僕が合図したらドアを開けてくれ」
「えー、なんで僕がやらなきゃいけないのー?」
「いいからやるんだ。すぐに終わる。そうすればまたボスにご飯おごってもらえるよ」
「ご飯はいらない。アイスがいい」
そう轡は文句をいいながらドアの右側により、身を潜める。
そしてドアノブに手を掛け、軽く押した。
健人はドアを蹴り勢いよく部屋の中に飛びこんだ。
それに続いて轡が入ってくる。
彼は銃を構えながらあたりをすかさず見回す。
しかし、部屋を見渡せど誰も折らず、ましてや動く生物らしきものも見当たらない。
部屋は洋風をイメージしているのか、ところどころそれらしき形で装飾されており、部屋の端にはダブルベッド、真ん中には小さい円形のテーブルが置かれていた。
「…………いない」
健人はベレッタを構えるのをやめ、腕をダランと下ろした。
轡は首をかしげて不思議そうな顔をしている。
健人は部屋に入り、各場所を探した。
洗面所、バスユニット、クローゼット、ベットなどを探しても人の気配などない。
捜すのをやめ、健人は耳に指をあて無線機に声を発した。
「優ちゃん。部屋にはたどりついたけど目的の人物がいないよ」
「そんなはずはない。ターゲットの存在が私にも感知できる。そこで感知できるのは確かに彼」
抑揚と感情のなくした声が淡々と向こう側から聞こえてきた。
ちらりと轡を見ると彼女はベットの上で寝転び、はしゃいでいた。
「優ちゃん、ここには人、ましてや動物なんていないよ」
「けれど、私の能力範囲(テリトリー)内には確かに彼の存在を感知している」
「確かに優ちゃんの能力は誰が何処にいるかを把握し的確に当てられる。それはみんなが知っていることだし、チームの僕はいつでも近くで見てるからそのすごさがわかる。それに…」
彼はそう言いかけると視線を別の場所に向けた。
「ちょっと待ってくれ優ちゃん」
健人はテーブルに近づくと身をかがめ、テーブルの裏を覗き込む。
テーブルの裏には包み紙にくるまれた文庫本ほどの大きさの物体がガムテープで取り付けられていた。
健人はそれに触れると何かを確認した。
「爆弾ではないみたいだね」
静かにテーブルから取り外すと、しげしげと眺めてからくるんでいた包み紙を破いた。
中には銀色に光る四角い物体が出てきた。
「これは……?」
健人が疑問に思い、四角い物体を取り出そうとしたときだった。
突然、ドンという轟音と共に館が振動した。
それは健人、轡の二人が感じられるほどだった。
「わぁ! 何だ?」
ベットで寝転んでいた轡は飛び起きた。
「な、なんだ?」
健人もいきなりのことで驚く。
手元の銀色の物体を見ると、一部分、ランプがついており赤く点滅していた。
「これは……」
何かを言いかけたとき、健人の耳に通信が入る。
「そっちに正体不明の何かが向かっている。気をつけて」
通信が切れると共に、何かが崩れる音がした。
始まりは小さく、しかし、段々と健人たちがいる部屋へと近づいてくる。
「まさか……」
健人は小さくつぶやいた。
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