21話 手で千切るのは、魔法と違うよ。

 様々な書類と資料が乱雑に放られた机の上に突っ伏した女性が一人、寝巻き姿のままで寝惚けた顔を上げてその瞳孔を勢い良く開いた。


「──ッ!……この神出鬼没め」


「そんな親の仇みたいな顔、しないでくださいよフー様」


「やめろやめろ!その名で呼ぶな!鳥肌が立つ!」


 肩を両腕で抱いて拒否反応全開の女性は、目の錯覚かと思わせる程、原色に染まった紅蓮色の長髪をボサボサに振り撒きながら仰け反る。そんな女性の態度に頬を掻いた男、バルムンクは、


「……騎士職が板についたのは喜ばしいですが、あまり露骨に嫌がられると……幼なじみとしては少々ショックかな、フーちゃん」


「ふ、ふ、ふざけるな!お前のおふざけ癖はいつになったら直るんだ!いい歳だろうがバルムンク!少しは己の立場と見られ方を考えろ!」


「……まったく、昔から極端なんだから……。と、それは置いといて」


 金細工のように細く枝分かれした髪を細い手指でたくしあげた碧眼の騎士は、未だにぶるぶると警戒心を解かない紅蓮の女性に剣呑さを含ませた口調を向けた。


「昨晩の出来事、そして魔力の規模。我々“剣”側の者でも、大方理解は出来ているでしょう?」


「……ああ。あれだけの術式と魔力を抑えもせず、ぶちまけて垂れ流すような真似……夜分遅いのもあったな。私も剣を取ったところだった」


「それは他の騎士達も同じことでしょう。だが、有事の命は王から下されなかった」


「何故だ!?」


 ドンッ!と机を叩いて立ち上がった紅蓮の女性は、歯軋りをしながら頭一つ分は高いバルムンクの碧眼にきつい視線を送る。


「その理由わけは貴女も知るところでしょう。一つは場所があの“ルーヴァンス家”ということ。そしてもう一つ」


 バルムンクの返す視線にふざけた色はまったくない。どころか軽口を叩いた相手を前にしているにも関わらず、打って変わったその雰囲気にはむしろ圧迫感すら漂わせていた。


「──もう一つ、何か理由があるのでしょう。これはあくまでもボクの推察でしかないわけですがね」


「はあっ!?なんだそれは!お前は何のためにここへ来たんだ!?」


「何のために?そうですね……」


 ふっ、と砕けた表情を繕うように顔に広げたバルムンクは、先ほどの剣呑さが嘘に思えるフランクな声音で茶化すように、


「フレイの寝顔を見に来た、じゃ駄目かな?」


 小首を傾げてニッコリと微笑む。


「ッ、ッ!」


「あれ?」


 返答のない紅蓮の女性の姿に困惑の声を漏らしたバルムンクの眼前に、飛んで来た。


「し、」


 分厚い、このローラン全土の地理情報で埋め尽くされた地図帳が、


「しねぇーーーーーーーーーーーーー!!」


 ポカンとアホ口を開けるバルムンクの鼻先にめり込んで、吹っ飛ばした。


「ばか!」


 仰向けに倒れ込んだバルムンクの下半身を蹴っ飛ばし、勢い良く扉を閉めた紅蓮の女性は、


「……なんか」


 ずるずると背にした扉にもたれ掛かりながら座り込む。


「なんか、変」


 板一枚を隔てた向こうに転がっている、この国で唯一無二と言って良い、信頼出来るはずの人間ですら──その真意がわからない時が増えてきた。 


 


 窓際から眩しく射し込む日差しに目を細めながら、紅蓮の女性は困惑と疑念を思考の炎の薪にくべて、目を閉じた。



────────────────────



 太陽が真上に昇る小高い山の開けた空き地で、桜色のポニーテールが元気良く揺れる。


「じゃあ、いっちょやってみようか!」


 そう言って手を突き上げたステラの動きに合わせて、勢い良く俺が跳び跳ねた。……違うぞ?別に何かが楽しくて俺が跳び跳ねる事があるものか。さしあたってあれだけシリアスな話しをした後に、和気あいあいと和む訳がないだろう。


「ぐっげっ」


「ありゃ」


 跳び跳ねた、もとい跳び跳ねさせられた俺は、そのまま無様に地面へダイブ。土埃を上げてそのままフリーズ。


「ごめんごめん、忘れてた」


「こ、この野郎……」


 弱々しく起き上がる俺の布の首にはささくれ立った縄が首輪になって巻き付いていた。その縄を辿った先には無邪気な表情で半笑いな少女の姿がある。つまり、犬だ。俺は犬だ。犬扱いなのだ、俺は今現在。


「だってぇーしょーがないじゃん。フェリシアの件もあったし、お前自身私達に反感を持ってるみたいじゃん?逃げ出されたら面倒くさいし。……それに」


「ぐぅ、げぇっ」


「ちょっと面白い……」


「遊ぶなよ……くそっ」


 クイクイとやたらと引っ張り上げるステラの動きに合わせて、俺は操り人形のように踊り狂うしかない。なんだったか、履くと踊り死ぬまで脱げない靴があるなんて話しを童話で見た記憶があったが、自分の意思に関係なく動かされるという意味では、飼い犬も似たような気持ちなんじゃなかろうか。俺は人間だが。…………違った、ぬいぐるみだった。


「ちょっ、ステラ様!あんまりいじめてあげないでください……」


「……ありゃ、そう?アタシ、いじめてるように見える?そんでお前がそれを言える立場にあったっけ?」


「あっ、あぁ……」


 虎の尾を踏んだ、みたいな青ざめた顔で後ずさりを始めたフェリシアを横目に俺は、


「お前らの上下関係もある種のコントに見えてきたわ……」


 ぱしぱしと我が愛らしいピンクの肢体についた土を払いのけながら、溜め息混じりにそう呟いた。余談だが、失った右腕はほとんど寸分の狂いなく以前付いていたものと同じ材質、色味で修復されている。一つ違っているのは、指先が単なる楕円形ではなく人の指をかたどるように多少のがある点だ。フェリシアの気遣いなのか、おかげで物を掴むという概念がこの体でも可能になったのだった。


「……まぁいいや。それじゃウッサー、まずはお前の命運を左右するテストといこうじゃないの」


「テストぉ?」


「そう、テスト。まぁ何も考えずやってみてって。別に捕って喰おうって話しじゃないからさ。まずは、イメージ」


 両指をこめかみに当てて目を瞑ったステラは、小難しい顔をしながら唸るように呟く。


「何をするか、何を、したいか……そして“想像”に対して直結する“言葉”は簡潔であればあるほど良い……お前がイメージするのは“壊れる”イメージ……はいっ」


 ステラが懐から取り出したのはメモ帳くらいの紙一枚。ひらひらと風になびかせながら、俺に見せ付けてくる。


「この紙を“壊して”みて。もちろん物理的にじゃなくて、魔力的に、ね。──こんな風に!」


 ステラが語気を荒げた刹那、紙に亀裂が走って粉々に千切れていった。紙の破片と共に微かに舞い散るのは、もはや見慣れた桜色の光。これは術式魔法の一種なのだろうか。


「そう言われたってお前……要は魔法を使ってみろって話しだろ……?んなもん簡単に出来たら、超能力者どころの話しじゃないだろ」


 念じて魔法が使えたら、地球は魔法使いだらけになっているだろう。揶揄やら比喩で魔法使いだなんて言われる事はあるだろうが、所詮物理的に起き得ない現象を起こすには種も仕掛けもあるものだ。触っただけで紙を粉々にしたステラの行為は、この異世界だからこそ当たり前に看過されるのであって、俺の世界では物理法則なにそれ美味しいの?レベルでトンデモマジックも良いところなのだ。散々“魔法”とやらを体験した(むしろ使った覚えすらある)俺だったが、実際に落ち着いて理解をしようとするとかなりの違和感を感じてしまう。


「シュート、こう、こうだよ」


 ステラから紙を貰うのは気が引けたのか、落ち葉を拾って指で摘まんだフェリシアが、その葉がぐしゃりと朽ち果てる結果を見せてくる。破砕面から溢れる光が群青を滲ませ、やっぱりソレが術式魔法によるものだと思わせる。


「いやな、お前……」


 ステラから渡された紙を手にし、じっと見詰めてみるがどうしようもない。あれか?やっぱり切れろ!壊れろ!朽ちろ!とか念じなきゃ駄目なのか?


「コツは、その紙がシュートが三日間何も食べてないお腹ペコペコの時に出された大好物を……先に全部食べちゃったヤツだと思ってみて。私はそうしてる」


「お前の魔法の原動力は食い意地かよ……」


 誇らしげにそう語るFさんは置いといて、さてどうしたものか。


「速く、速く」


 何やら目を輝かせているステラ嬢のキラキラ視線が鬱陶しいが、彼女はこれをテストだと言った。俺にかけられている過剰な期待がある手前、これをクリア出来ないと何をされるかたまったものじゃない。何しろステラは俺を強制的に操れるのだ。意識ごと奪われたりすればその瞬間に俺の異世界生活は終わりを告げる。ここは何としてでもこの紙を砕かないことには……!


「むっうっ!」


 念じろ。念じれば事は起きる。すべては思いの力で成せる業だ!成せば成る。成さねばならぬ、何事も!


「ハッァァァァァァァァァァァァッ!!」


 力が漲るのがわかる。今、俺の右手には人生史上最も滾った血流が流れているのがわかるのだ(ぬいぐるみだが)。そうだこれだ、本気さだ!きっと俺の元居た世界でも誰しも魔法を使えたのだ!ただきっと、皆本気さがほんの少し足りなかったのだ!


「おりゃぁ!」


 だってほら、こんなしがないいちサラリーマンだった俺でも……魔法が使えたのだから。


「ど、どうだっ!?魔法、魔法だろ!?使えただろうが俺も!」


「………………………………………………」


「………………………………………………」


 ビリビリに破れた紙吹雪舞う白昼の中、桜色の少女と栗毛色の少女は息を合わせたように、示し合わせたように黙りこくって、肩で息をするぬいぐるみに白目と光の無い冷ややかな視線を送った。



「シュート」


「あん!?」



「手で千切るのは、魔法と違うよ」


「あんん!!??」



 申し訳程度のフェリシアの突っ込みに、俺は誤魔化しの叫び声を上げて睨みをキツくしてみる。


 そんな目付きをした気になっていても、このガラス玉の二つの黒い眼球は、いつまでもいつまでもクリクリとした愛らしさで二人の少女を視界におさめていたのだった。

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