20話 この国──何もかもを忘れて、過ちも罪も知らない呑気なゴミ虫の巣を──一匹残らず、駆除してやる。
──ひとまずのところは、ステラに害意が無いのはわかった。だが、かといって好意的でもない悪辣とした態度に安堵と疑念を織り混ぜながら俺は、ぼろ雑巾の様にしわくちゃになった体を起こそうとして、気付く。
「……右腕と足がねぇ……」
明るい陽射しが窓辺から入り込むことを察するに、あの二人の兄弟との戦いは昨夜の出来事なのだろう。そして泥沼と言って相違ないどろどろした灰茶色の男達の怨嗟から逃れるまさに一手、その結果がこれなのだ。この
「今さら?もうわかっていると思うけど、お前の魂はその頭辺りに定着してるわけ。別なものをくっつけてお前が“腕”だと認識すれば、簡単に治るでしょ。フェリシア、後で適当になんか付けてあげて」
「お前そんな、人を物みたいな言い方」
「またもや今さら。お前はぬいぐるみでしょうが」
きっぱりと言い切って放つステラの声音には情も糞も無い。俺自身もはや現在の境遇に人間らしい対応を求めている訳では無いのだが、中身には意思ある人間が入っているのだ。あまり態度に出されて人間扱いされないのも面白くはない。
「というか……ステラ」
突然名前を呼ばれたステラがピクリと体を揺する。流石の俺も、あからさまに悪意のある“クソガキ”で他人を呼称する程大人げないことはない。必要ならきちんと名前で呼ぶ事はいとわない。例えそれが、信用ならない相手だったとしても……。
「情報を整理してくれ。まず俺は、前世……お前らで言うとこの“異界”で死んだはずだ。そしてこの家で目覚めた。ちょうどそこのソファーでな」
俺が目をやるのは最初に座らせられていたソファー。
「あの時はまだ動けなかった。そんで何が起こってるかもわからなかった。今俺が理解しているのは、お前達は俺のような存在を幾つも作っては捨ててを繰り返してきた、そんな悪夢のような現実って話しだ。フェリシアの一件は勢いであそこまで行っちまったが……それとこの話しは無関係だ。お前ら、俺をどうするつもりだ?」
すらすらと言い分を述べる俺に、傍らのフェリシアは気落ちしたように目を伏せている。対して直立不動で固まったままのステラは、浅く溜め息を一つ作ると腕組みをし、床に転がる俺を見下げてきた。
「アタシ達、いや、アタシの目的が知りたいって事か。さて、ここでそれをお前に打ち明けても無くても、やること結果になんの支障はないんだけどな。そもそもお前に打ち込んだ『
そう言って窓の外の景色を眺めるステラの双眸には、生い茂る緑の木々が映り込んだ。だがそんな少女を下から見上げた俺には、その視線は映る景色を貫いて遥か彼方を見定めているように思える。どことなく不鮮明で、
「──ぶっ殺す。そんでぶち壊す。この
ステラの声音には途方もない憎悪と、深い悪意と害意が擦りきれ、ぐずぐずに煮詰められた糞便のようなおよそ平和な世界観で生きてきた俺が、聞いたこともないような嫌悪感を抱かせる感情が滲み出ていた。視線を合わせて定められていた俺は、出来得ることならさっさと目蓋を閉じるか、目を背けたい。しかし、それは叶わない願いだ。
「……あの王都を含めて……この国を滅ぼすってことか……?」
年端もいかない見た目をしているステラに、俺は恐る恐るとしか口を開けない。オウム返しに近いその返答に、ステラは、
「滅ぼすってこと?──言い方がどっか他人行儀くさいなぁウッサー。違う違う、アタシとお前で──老若男女、立場もなんも関係ない──妊婦の腹に籠るガキもまとめて……生物だった痕跡すら残さず、ぶち殺してやるんだよ」
はっきりと、そう言い放った。
「……待てよ、おい。なんだお前ら。実際俺みたいなヤツをゴミみたいに作っちゃ捨てを繰り返してきたのは百歩譲って事情があるって思えてた。少なくとも俺は前世じゃ死んでた身だ、こうしてぬいぐるみの体でも生き返らせてもらえたことに、ぶっちゃけ感謝してたんだ。で、なんだ?フェリシア」
呼ばれた栗毛色のエルフがビクリと身を震わせる。
「お前も──そうなのか?」
冗談では済まされない。この
せめて、フェリシアだけは。そう思えたのは、今まで一緒に過ごしてきた時間の長さが生んだ信頼の結果だった。そして、ようやっと窺い知れた、彼女の性格に対する善悪の取捨の質問だった。
「私は──」
一拍開けたフェリシアの唇は、僅かに震え、その瞳はゆっくりと俺のガラス玉の目を捕らえていく。まばたきを忘れたように彼女の双眸は時間をかけて俺を見詰め、何かを探る、探しているような時間を取った。──なんだ?迷っているのか?お前はやっぱり──。
そう俺に思わせたのもつかの間、
「ステラ様と、
声音を引き締めるように、浮わついた考えを断罪するように、冷たく研ぎ澄ました言葉を俺に突き付けてきた。
「そう、かよ……」
彼女ですらそう言うのなら、言わずもがなジェラルドも同意見なのだろう。一体なんだ、この国家滅亡を画策するテロリストの集団達は。そもそもステラには好印象を持ってはいなかったのだが、悪い意味で予感は的中した。この重苦しい雰囲気、彼女達は、本気だ。
「それで?見たとこ相当にでかい国じゃないか。王国ってんなら、他にも街や村もあるんだろう?例の術式魔法とやらと俺に秘められた力?の合わせ技で災害でも起こして、一人残さず殺していくってか?」
「半分当たり、半分は見当違いってやつ。このローランの国は
「魔力……言葉から察するに、術式魔法を使う代償、動力源ってとこか」
「なんだ、お前の異界にも似たような概念があるの?そう、およそすべての生物、もとい自然界にも存在する、ある意味大気と同源とも言える不可視の燃料、それが魔力。その一個体の蓄えられる上限と、生成出来る速度にはバラつきはあるけど、有限でしかない。どんな優れた魔導士も、それこそ魔法使いであったとしても、限界値は必ず存在する。そこで、異界人ウッサー。お前の出番というわけ」
いつもの調子と表情に戻っていくステラのハキハキとした口調に、俺はこの
「こと、この
「神話の世界だな、それは。俺の世界でもそういう類いの伝説話しはいくらでもあった。──もっとも、根拠も証拠も存在しない、荒唐無稽な与太話しってのが現代人の理解の行きつくところだがな。信じている人間がいるとすれば、宗教だよ。それは」
「荒唐無稽と言い切らせない、超常の法則が存在するのは理解してるでしょ?だからこそ、魔人ハルクの存在には現実味が出るの。──そして、ハルクの行った“創造”の魔法は、誰にだって行える安易な術式でしかなかった。ほら、例えば」
スッと人差し指を俺に向けたステラは、桜色の文字列を小さく纏わせて、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「『正常』、『帰属』、『正当』、『分離』、『再生』」
ステラの指先を離れた文字列の輪は、幾重にも折り重なり俺を包んで回転を始める。
「お、おい、なんだよこりゃ」
「ん?お前を元の人の形に戻せるか、手当たり次第に術式をかけてみたんだけど。さて、多分お前の存在をいじくるのは……」
「がぁっ!?」
壮絶な、そして唐突な、痛み。心臓がこの体にあったとしたら、まさにソレを雑巾のように捻り潰されるような感覚と激痛。だけではない、これは。この脳内がスクランブルエッグのように纏まらない思考の撹乱は……!
「あがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
もう、いっそのこと殺してくれ。
そう願う事も許されない永遠にも思えた究極的な痛覚の深海に沈んだ俺は、溺れ死ぬ事も許されず、自ら左右出来ないただただ満たされるだけの“痛み”に身悶えしながら、声を枯らして叫び声を上げることしか出来なかった。
「やっぱり無理だったか。でもこれで身をもって体験してわかったでしょ?術式魔法は万能じゃない。ある一線を越えた術式は、“ハルクの呪い”を受けて掻き乱される。他者の生命を弄ぶ術式は特に“呪い”に引っ掛かりやすいね。これはある種のストッパーの役割だと言われてるわけ」
「お、お前……!」
息も絶え絶えになり、桜色の文字列の消失と共に軽くなった頭と体を、崩れるように地面にへばりつけさせながら俺は、腰掛けた椅子ので足組みをしたステラを睨め付ける。
「怒らない怒らない。だからわかったでしょ?仮に度を越えた術式魔法を構築して作動させた場合、術者の持つ魔力の範疇を飛び抜け暴走し、死に至る事だってある。だから術式は『一重』から『四重』と、言葉の数で縛りを設け、なおかつ“意味”を持たせて体を成すの。──そこで話しは元に戻る。異界人の魔力」
「くそっがっ……!」
「しゅ、シュート」
正直、味わった激痛が凄まじ過ぎてステラの話しが入ってこない。淡々と言葉を並べ立てられても、ビリビリと痺れるような痛みは未だ全身に残っているのだ。思わず俺の背に手を乗せて擦るフェリシアだったが、気休めにもならなかった。
「“魔人ハルク”が世界の創造なんていう途方もない術式魔法を使ったのだとしたら……それを実際に今、アタシが再現したとすれば……一秒とかからず魔力は枯渇して、即死するでしょーね。でも、“異界人”たるハルクにはそれが出来た。つまり要所は一つ、その魔力の内包量、もしくは生成速度の桁が違うってところ。そんでウッサー、お前がフェリシアに乗り移ったあの時」
指先をくるくると回しながら桜色の光を遊ばせるステラの表情は、欲しい玩具を手に入れた、満足気な子供のソレと言って差し支えないだろう。
「お前は何でも出来るなんて、そう思ったんじゃない?そう、あの時そこの駄目エルフを媒体に引き出された魔力……不可抗力としてもあんまり褒められたもんじゃないんだけど。察した魔導士達は皆思い出したんじゃないない?ねぇ?フェリシア」
そこでステラはきつめの視線をフェリシアへと向け、その詰問するような圧力に潰された声を彼女は微かに漏らして俯く。
「……魔法使い」
その返答の声色は、単純な単語を口にする以上の意味と困惑と後ろめたさを織り混ぜた、混沌とした暗いイメージを聞く者に与えたのだった。
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