18話 ありがとうございますありがとうございますありがとうございます……。

 ──そこは、中央の噴水から流れ出る清流が四方縦横無尽に細長い水路を形作り、花々が咲き乱れる花園。ちょうど真上に昇った日の光が、せせらぎを反射して宝石の様な輝きを映していた。


「あらぁ、おはようございます。エルヴィラ様ぁ」


 にこにこと口角を無理矢理上げた、とでも表現出来る歪な微笑みをたたえた朱殷しゅあん色の女が、場違いで間の抜けた声音で声をかける。


「珍しいものね。貴方が日の昇る間に外に出てるところを初めて見たわ。シャーロット姫」


 木造りのベンチに腰掛け、絵画の様に花園の景色に溶け込んでいた純白の女、エルヴィラが無表情に近い反応を示して朱殷を見やった。


「姫、はやめてくださいな。そんな歳じゃあぁ、ありませんものぉ。うふふふふふ……」


「あらそう?私から見れば誰だって、いつまでも子供の様なものよ。ふふふふ」


「怖いですわぁ、“百年”を生きたなんて言われてますけどぉ、本当はもっとお歳を召しているんじゃあぁないんですかぁ?お言葉に、シワが寄ってますよぉ」


「……年季、と言って欲しいものね」


「ごめんなさぁい。エルヴィラ様ぁ」


 言いながらくるりとエルヴィラに背を向けた朱殷色の女シャーロットは、背中越の彼女に向けて、


「そう言えばぁ昨晩、ステラ様がお越しになられてぇ。なにやら大慌てで飛び出して行ってしまいましたぁ。……お話し、わかりますよね?貴女ならばぁ」


「そう、ね。上手くいったのではないのかしら?あの娘は元々“魔法使い”すら目指せる天才。こと術式魔法において、やって、やれない事など一つもないわ」


「天才……うふふふふ……そう、そうですわぁ……天才、ですものねぇ。だからこそぉ」


「…………!」


 エルヴィラは気付く。花園を囲う回廊かいろうの隅、全身をコンクリートにも似るにび色の鎧で武装した騎士の存在に。


「わたしもぉ、打てる手はぁ、打っとかないと思ってぇ」


「……“剣”の力に頼ると言うの?貴女には魔導師としての誇りはないの、シャーロット」


「ホコリぃ?わたしは毎日、お風呂に入っておりますよぉ、エルヴィラ様ぁ」


 馬鹿にしたようなシャーロットの捨て台詞と共に、朱殷の彼女は歩き出す。先に居る鈍色の騎士はガシャリと鎧を鳴らしてシャーロットの行き先へと続いて行った。


「ふぅ。王族の血は、どこまで堕ちても王の血かしらね」


 一人嘆息したエルヴィラは、摘んだ花の香りを楽しみながら、目を瞑る。


「シャーロット姫だけなら私がなんとでもしてあげられるのだけれど……魔導騎士が介入したとあっては、難しいわ。ごめんなさい、ステラ。でも、期待してるわ。ここで終わるような子では、ないでしょう?」


 ゆっくりと目蓋を開いたエルヴィラは、花を愛おしそうに見つめ──。


 口にほうり込んで、一息に飲み込んだ。



────────────────────



 ──目が覚めた、と言って良いのかどうか、いまいち自分の体に対する言い回しが難しいと思いながら、俺はいつか見たソファーからの景色に茫然自失となっていた。


「意識があるのかわかりずらいね、コイツ」


 そう言ってこちらに背を向けた椅子に股がりながら足をぶらぶらさせているのはステラ。相変わらず小憎たらしい童で俺を眺める彼女は、隣で正座をしながらうつむく女性、フェリシアに眼球だけを動かして呟く。


「おい、お前に言ってんだよ、フェリシア」


「!?あっ、はい、そうですね、どうなんでしょうか……」


「ハァ……ちょっとそいつ、暖炉に放り投げてみて」


「えっ!?で、でも、そんなことしたら……」


「うるさい。やれ」


「は、はい…………」


 よろよろと、足が痺れたのかふらつくフェリシアはおもむろに俺の頭部を鷲掴みにすると(またか)、重い足取りで炎が爆ぜる暖炉の前に立った。


「しゅ、シュート……?」


 瞳を潤ませながら俺の黒ずんだガラス玉の眼球を見詰めるフェリシア。わかってる。、俺は暖炉へ放り込められるのだろう。だが、何故だろう。目覚めたここへきて俺は、


 ──動けないじゃん!


 動けないのであった。


「ほらー異界人。このままだと焼かれて死んじゃうよ?別にお前は不死身でもなんでもないんだから。魂の定着してる依り代そのものがすべて形を失えば……お前は死ぬ」


 面倒くさそうな声音と共に、ステラは椅子の位置を暖炉に向けて顎を背もたれに乗せる。


「せーっかくお前達の結合を剥がしてやったのに……情けなんてかけるんじゃなかった。そのまま異界人、お前がフェリシアとして生きれば良かった。アタシの優しさを返せ」


「そ、そんな、ステラ様……」


「お前は黙ってろ」


「はっはい……」


 しゅんとなってやっぱり俯くフェリシア。確かに俺は、あの屋敷で彼女に乗り移った、彼女フェリシアになった。それはジェラルドの繰り出した木人に乗り移った時と同じで、どちらもほとんど無意識に近い状態の中、いつの間にか変わっていた結果だ。木人の時は睡魔に襲われて元に戻っていたが、今回の件に関しては記憶がまったく無い。最後に覚えているのは、桜色の文字列の濁流の景色──だけだった。


「ちなみにアタシは慈善家でもなんでもない。仮に異界人、お前がこのまま目覚めないというのなら、そこの駄目エルフ共々──挽き肉にしてやる」


「ひえっ」


 フェリシアが青ざめた顔をしながらびくりと跳ねた。今日日きょうびそんな声を出してるヤツを初めてみたが……。申し訳ないことに俺は既に目覚めているのだ。だが、動けない、喋れない。意識は有るのに何故?これではこの世界フェスティリアに来た時と同じじゃないか。


「じゃっ、じゃあシュート……せーので投げるよ……?大丈夫、だよね……?」


 大丈夫では、全然ない。いやもう少し待て、待ってくれ。時間をかければもしかしたら……。


「えいっ」


 ──おい。“せーの”はどうした。どうした?ど、う、し、た……?


「きたっ」


 焦れるのを嫌ったのか、一思いに俺を暖炉に放り投げたフェリシアを見て、ステラが目を丸くして暖炉へ視線を集める。


 そして、俺は────。



「あっっっっつぅぅぅぅぅぅぅぅ!!??」



 大砲に打ち出された弾の様に跳び跳ねた火ダルマとなって、


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 いつの日かやったように、ゴロゴロと床を転がり回りながら消火作業へと突入する。わかってる、わかっていた。“危機感”だこれは。俺の体にかけられた魔法は、危機感に反応して作動しているのだ。何かに、誰かに乗り移る時も、こうしてぬいぐるみの体を動かす時も。決まって場面シチュエーションは危機的状況なのだ。それをわかって、あのクソガキは……。


「この舐めガキが!ちくしょう、なかなか消えねぇぞこの火!?」


 火の付方がまずかったのか、ほぼ全身に燃え移った炎は俺の柔らかな布の体躯を燃料にさかる。やばい、このままでは──。


 冗談抜きで、フェリシアにごみ捨て場に捨てられる事になる。かくなる上は……。


「死なば、もろともだぁーーーーー!!」


 この俺を異世界へと転生させた元凶、そもそも何もかもこのクソガキの手筈が元で全てが始まったのだ。どうせ死ぬなら、コイツを道連れにでもしないと気が済まない。俺は転がる勢いをそのままに立ち上がると、一気にステラへと飛び上がり──そのニヤついた余裕綽々の態度へ──炎のパンチを繰り出した、


「げふんっ」


 はずだった俺は、横やりに打ち付けられた大量の水に吹っ飛ばされてべちゃくちゃと床を跳ねて転がった。


「……………」


「あ、あんた…………」


 水気を吸って重くなった無様な俺を鋭く見下すのは、白髪痩身の男、ジェラルド。森の中で俺に打ち抜かれた腹の傷のダメージも感じさせない背筋の通った立ち姿に、俺は戦慄して身構える。曲がりなりにも、この男は俺達に殺意を持って襲ってきたのだ。俺の警戒心はステラへのソレと比べて格段に高い。


 そんな俺の精一杯の交戦体勢に一瞥をする事もなく、手に持った大鍋をテーブルに置いたジェラルドは、身を翻すとさっさと部屋を出て行ってしまった。


「ありがと、ジェラルド。……さて」


 両足に力を入れてようやっと立ち上がったステラは、水浸しになった俺を掴み上げてその両端を持って横にする。


「ようやくゆっくり話せるね。ウッサー」


「……ウン!ボクも、キミとお話しシタカッタ!ウン、ウン!」


「………………………………………………」


 ぎゅっ、ぎゅぅ~~~~~っと、まるで雑巾の様にステラの両手が、絞る。


「ちょっ、おい、待てよ、なぁっ!」


 絞る絞る。ぎゅるぎゅると捻れ始めた俺のぬいぐるみは水分を漏らしながら一本の棒の様になっていく。


「わかった、わかった!話そう、話し合おう!俺達にはまだ、会話による平和的交渉が出来る可能性が残っているはずだ!」


「…………アタシは別に」


「あぁあぁ…………」


「お前と交渉しようだなんて思ってない」


「なん、だと……?」


 唐突に手を離された俺の体はポスンと床に落ちる。俺の姿はまるで脱水機にかけた洗濯物の様相をていしていた。


「この際だから言っておく。フェリシア、お前もだよ!」


「はっはい!」


 遠巻きにびくついていたフェリシアが背筋を伸ばしてステラへ駆け寄る。しわくちゃになった俺と二人、流す様に視線を移らせたステラは、聞こえるか聞こえないか、そんな微妙な声量でぼそりと何かを呟く。


「?」


 小首を傾げたフェリシアが問うより早く、俺がその真意をで知ってしまう。


「がっ…………!?」


 全身を駆け巡る、突き刺す様な激痛。この体になってからというものの、痛覚というものに無縁だったというのに、なんだこの痛みは。


「あぐっ!?」


 同時に、フェリシアもしゃがみ込んで両肩を押さえて震え出してしまう。一体これは……?


「どう?死ぬほど痛いでしょ?お前達がおねんねしてる間に、仕込ませてもらった。お前達の魔力の“核”に、アタシの術式が縛りをかけた。──わかる?その術式の名は……」


 得意気にべらべらとのたまうステラに呼応するように、俺とフェリシアの体がとあるポーズを形作り始めた。何となくわかる形へ移行しつつある全身の動きを、俺は止めることが出来ない。


「『糸繰人形マリオネット』。このアタシが直々にかけた“四重魔法フォース”、どう?……ウッサーさん?」


「こ、の、やろー…………」


 両手を前に合わせ、頭を地へ擦り付ける。足は正座のキレイな形。すなわちその姿は、土下座の呼吸。


「ぶっ、情なっ。ねぇウッサー。今、どんな気持ち?」


「サイッコーに楽しい気分だよ……ありがとうよステラ様……」


 それは俺の本音かどうか。少なくとも低い恨めしい声音で喋れた事に、俺は少し安堵する。


「ありがとうございますありがとうございますありがとうございます……」


「……………………」


 隣で床に頭を擦り付けまくっている、守りたいと思ったエルフの姿を見た俺は、多分それがわりと本心に近い事を感じて、冷ややかな視線を向けて土下座の行に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る