17話 魔法使い、フェリシアだ。

 ──ジクジクとした鈍い痛みが、全身から発している。


 体重を支えている両足が、重い鉛の棒の様になって動きずらい。


 それでも、に、俺は体中の血の巡りと解放感を感じて、旨い空気を吸い込んで吐いた。


「……今度はお前に移っちまったな、フェリシア」


 二度目だ。ジェラルドとの戦いで、あの木人に意識が移って以来、二回目の視点の高さ。俺は、フェリシアの見る景色を自分の視界として今、見ている。


「大丈夫だ。今なら俺は、何でも出来る気がする」


 彼女フェリシアに乗り移った俺を取り巻く群青色と桜色の文字列の螺旋。


 その光の列は、俺の手足の様に自由に動かせる、そんな万能感と確信を感じて俺は思い付くままにその言葉を口にした。


「『ヒール』」


 瞬間、光の文字列がその光度を上げて舞い上がり、俺の全身を包む乱流となって輝く。群青と桜の花吹雪に抱かれた俺は、眩い光の濁流の中で、体中の痛みが薄らいでいくのを感じる。そうだ、そうなるようにイメージしたんだ。俺にとって明確な“回復”のビジョンを現すのは、RPGに登場するような、ゲームの呪文しかない。この世界フェスティリアでの魔法というのは総じて呪文通りの意味と現象を起こしていた。ならばと思ってやってみたが、間違い無い。


「すごいな、これは」


 徐々に散っていく光の文字列の中から現れた俺の姿は、シミ一つ無い、と言っても過言でも無いほどに健康そのもので、炎に焼けた肌も、重かった体も、嘘の様に元のフェリシアのソレとなっていた。燃えて途切れ途切れになった髪だけは元通りになっておらず、自分の唱えた魔法のイメージの範囲外だったのか、と思いながら後ろ髪を撫で付けた。


「リシア……なのか?」


 さっきまで死んでいた。そう確信して場を離れようとしていたスコットが驚愕に声を震わせる。


「そんな、まさか。どういうことなんだぁ?」


 ウェルチも同様だ。見開いた先に毅然として立つフェリシアの姿に、幽霊でも見た様な恐怖に表情を歪めていた。


「馬鹿な!嘘だ!俺の術式はお前を殺すだけの威力があったんだ!……殺そうと、したのに!」


 獣の様に叫び立てるスコットは、未だに信じられないものを見た、といった表情で俺に戸惑いの視線を送ってくる。無理もない、全身をほとんど黒焦げにされた生物が、何事も無かった様に立ち上がってそこに居る。幽霊か何かでなければ一体なんなんだという話しだ。だが、現実は真実としてここにある。


「出来なかったな、お兄様。お前らはこのフィールドで最大の手札カードを甘く見すぎた。……もっとも、俺自身理解不能なジョーカーだった訳だが」


「その声……ぬいぐるみの……!?」


「そうだ。切り札がフェリシアの魔法だったとしたら……差し詰め俺は、奥の手か。とにもかくにも」


 群青と桜の文字列が、再び舞い起こって場を支配する。輝きに照らされたすべてが、意のままに操れる、そんな期待感と自信を持って、俺は断言した。


「王手、チエックだ。──今の俺は、フェリシアは──無敵さ」


 是が非でも、それをひっくり返す事も出来る。体中にみなぎる充実感と溢れ出る文字列の螺旋。それがフェリシアの群青色だけでなく、ステラの桜色も入り交じっている事に一抹の不安はあるものの、現状それらは俺の味方であると思えた。この光の文字は、俺の意思のままに形を造る。あとは俺がイメージを言葉にするだけ。それだけで目の前の二人を蹴散らす事が出来る。それだけの確信が、沸いてくる。


「ぐっ……ウェルチィ!お前が、やれ!!」


「む、無理だよぉ……なんかおかしいよリシア……術式も使わずにあの量の魔力を出し続けるなんて……あれじゃあ、一重魔法ファーストでもボクじゃ対抗出来ないよぉ」


「黙れ!ちっ……オヤジだ、オヤジを呼ばないと……!」


「絶対、気付いてるはずだって……ここに来ないのは、そういう事だよぉ、スコット兄さん……」


「うるさいうるさいうるさい!!じゃあなにか!?お前は素直に負けを認めろと?あり得ない、今さらあいつに勝手な事は……!」

 

 地団駄じたんだを踏むように声を荒げるスコットは、気付く。


 俺の、フェリシアの眼光が、決して屈しない鋭さと強さを伴って二人を射抜いている事に。もはやこの場は、この戦いの勝敗は、わかっているはずだ。魔法などというファンタジーの代物が実在し、効力を発揮するこの世界フェスティリアの事情をこの日本人たる俺が理解出来るはずもない。だが、唸る光の文字列の力強さを感じるに、その籠められた威力はスコットのソレとはおそらく、比べ物にならないのはわかる。今の俺がやつらを“殺せ”と念じるだけで、破壊的な現象が顕現するは容易に予想出来た。だからこそ、ここは威圧的な態度で様子を見る。俺だって、誰かを不用意に傷付けたくはない。それが例え、フェリシアを一度、殺した相手だったとしても……。


「──誓え」


 ならば、と。俺はこの後に続く彼女フェリシアの生き方が、人生が、少しでも軽くなればと。そう願って思って、害意を取り除く選択肢を選ぶ。


「フェリシアを認めることを。そして──認めろ。フェリシアに敗北したことを。お前達は、負けたんだ」


 彼女の意識が感じられない今、俺がやらなくてはならない。少なくとも、この二人の兄弟をフェリシアに屈伏させる事で、得られる平穏があるかもしれないから。その為になら、俺はなんだってする。


「殺しはしない。だが……納得出来ないってのなら、お前らが小便ちびってビビる結果が起き得る。どうする?今、ここで、フェリシアを認めろ!あいつの存在を……理解する事を、誓え」


 それは、俺の本音だった。


 フェリシアの姿を借りてその口から出る言葉は、彼女をおもんぱかる事ばかりだ。フェリシアは誰からも必要性とされていない。誰からも認められていない。俺がこの異世界に来てから、彼女が誰かに優しい言葉をかけられた時はあったのだろうか。……ぬけぬけと思うが、多分俺を置いて他にはいないのだ。それだけ、フェリシアは疎外されている。この好機を逆手に取って、無理矢理でも周囲の人間の考えをねじ曲げでもしないと、彼女は変われない。救われない。そう思えたから、俺は兄弟に突き付けた指を刃物の様に尖らせて伸ばす。


「さぁ、理解しろ。今、お前達は誰を前に相手をしている?俺は……そうだな──」


 思い当たる。この万能感と文字列の螺旋。引いては世界フェスティリアにおける魔法への影響。それこそ、その名がふさわしい。それは、



使、フェリシアだぞ」



 日本でいうなら、それはたかだかゲームや空想の職業の一つで、ごくありふれた名詞でしかないだろう。しかし俺は瞬時に理解する。スコットとウェルチの表情が見る間に剣呑としたものに変貌していき、気の触れた異常者を見た様なものになっていることに。


「……聞いたか?ウェルチ」


「うん……」


「魔法使いだって……?その称号を名乗る意味もわからないってのか……お前、やっぱりリシアじゃねぇな」


「そうだ。俺はフェリシアじゃない。けどそれでも、お前達よりはこの子の事を良くわかっているだろうよ」


「…………お前に、なにがわかるってんだ。わかってないのはてめぇの方さ。その女が、どれだけの憎しみと、悪意の渦中で生きてきたのを、知らないだろ」


「なんだと?」


「せいぜいてめぇが想像してるのは、腹違いの妹だからとか、術式魔法もろくに扱えない、出来損ないだから、とかだろ?違うね。そいつは、そのクソエルフは……」


 鼻にかかる様な声音で、煽るスコットは返す様に俺を指差して、血走った眼球を見開かせた。



「『賢者』が命を捨ててまで!それこそてめぇの言った『魔法使い』の襲来から!国一つ見殺しにして救われた、存在そのものが“悪意”の!どうしようもない女なんだよっ!!」



 その叫びは、とてつもない憎悪が籠められているように俺には聞こえた。生半可な訳も理由も無い。彼女フェリシアの生い立ちから今日日きょうびまで、すべては人々の怨嗟に呪われていたのか。これは、もしかすると、言葉で、感情論で、どうにも出来ない問題なのか。どうする。力業で捩じ伏せられると思えたこの場で、もはや力など意味を失ってしまっていた。例えこの兄弟をどうにか出来たとしても、広がる世界フェスティリアにはステラやジェラルド、そして──。


「……世界フェスティリアそのものが敵だってのかよ」


 初めて口にした異世界の名。仮にそうだとすれば何故フェリシアはここまで生きてこられたのか。青ざめた俺の脳裏を掠めるのは、最悪の結末──そして。



「………みつけた」



 聞こえた幼い子供の声音にゆっくりと振り向いた俺が見た先に、居るのは。



「やってくれたじゃない。異界人」



 瞬間、ほとんど収まっていた群青と桜の文字列の螺旋の内、桜色の文字列だけが爆発的に、それこそ花吹雪の様に俺の周囲を掻き混ぜ舞い上がり、辺りを桜色一色に塗り潰す


 俺の視界にちらちらと入るその姿はあの、ステラ《クソガキ》の冷酷な薄ら笑いだった。

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