16話 ──どこへ、行くの?まだ何も終わってないよ?……俺は、優しくないぜ。──お兄様

 ──爆発的な光が地上で打ち上げられた花火の様に王都の一画を照し、今まさにその方向へと向かって駆けていたステラは苦虫を噛み潰した様な顔になる。


「派手にやってんじゃないのフェリシア……」


 灰茶と群青の輝き。予想通りの光景に、ステラがスピードをさらに上げて走り始めた、時。


「っ!」


 金色のぼかした様な光に包まれた、羽が舞い降りてくるのを、見た。


「あいつ……!」


 思わず、黒一色に塗りたくられた夜空を仰いだステラは、遥か彼方の中空に点となって輝く光の移動に目を細める。


「いちいち目障りなヤツ……!」


 構わず通りを駆け抜けていくステラは、金の羽を振り払いながら豪奢な屋敷の立ち並ぶ一画を目指す。


 上空でそんな桜色のポニーテールを揺らしながら走る少女に目をやりながら、金細工の様なブロンドと煌めく碧眼を携えた青年は、おもんぱかる様にステラの後ろ姿に呟く。


「……異界人魂転生作戦、失敗かもしれませんよ、先生」


 ステラの向かう先、うさぎのぬいぐるみの姿をした異界人に思いを馳せてバルムンクは、小さく微笑んだ。



────────────────────




 ──燃やされるのはこれで二度目か。


 灰茶色の豪炎が足元から立ち上ぼり、俺の視界を焼いて閉ざした。辺りに浮遊していたフェリシアの魔法、『ともしび』もその炎に飲み込まれて消えてしまったのだろうか。俺は静寂に包まれた屋敷の廊下で、何かが爆ぜる音に目を覚ます。


「くっ……」


 全身に力が入らない。いや、これは違う。無いのだ。俺の胴体から下半分が、焼け焦げた様に抉り取られて焼失していたのだ。痛みはこのぬいぐるみになってから元より感じない。だが、立とうとしても、動こうとしても、まったく体が言うことを聞かないのだ。


「フェリ、シア……フェリシア……?」


 呼び掛けに言葉は返って来ない。熱に炙られたのか、歪んだガラス玉の瞳は俺の視力を低下させる。目の前の、人の形は、フェリシアなのか?


「…………うが、て」


 ドンッ!と石を砕く様な破砕音がすると同時に、砂煙が舞ってさらに俺の視界を遮って隠す。状況を確認出来ない。あの二人の兄弟、スコットとウェルチはどこにいる?フェリシアは──無事なのか!?


「にげ、にげ、て」


 その声音が目の前に倒れ込む人影から発せられたのを知って、俺は微かに宙に跡を残す群青色の光の筋に吠えた。


「馬鹿野郎ぉぉぉぉぉっ!!」


 それは俺の傲慢な願いだったのかもしれなかった。まだフェリシアは戦える、やれると一方的に押し付けた希望的観測を持ち、奮う言葉を投げ付ける。それでもこの場で手足をもがれた俺に出来る事など何があるのか。彼女が立ち上がってくれなければ、俺は……。


「ごめん、ね……ごめんなさい」


「……謝るなよ……謝るのは俺の方だってんだよ……なにも……なにも出来ねぇ……出来なかった……」


「そんなこと、ないよ……」


「っ、お前……!」


 手を伸ばせば届く距離だった。フェリシアの手に掴まれた俺は優しく、その懐へと抱きしめられた。女性特有の甘い香りとか、平均より少し大きめな胸の感触なんか、有るわけがない。感じるのは、焼肉屋で嗅ぐ様な白煙の脂臭さと、焦げ臭さ。ザリザリとした煤か炭の様な触り心地の胸の中で、俺は視界がぼやけている事に感謝すらしてしまっていた。それ程までに、フェリシアの姿は悲惨な状態のはず。考えたくもないが、生きているのも、不思議なくらいなのかも、しれない。


「私、ワガママでしょ……?自分勝手でしょ……?わかって、るの、ぜんぶ。いままでいろんな人にも迷惑をかけてきたのに、それでもどこかで自分の考え方を捨て切れなかった……お兄様も、お父様も、そんなわたしをとっくに見限ってた。じゃあ、なんで?」


 そこで言葉を切ったフェリシアは、俺を抱く両腕に力を込めていく。


「シュート……貴方はなんでここまで一緒に来てくれたの……?わかってて、やってるの?私について来たのは、多分この世界フェスティリアで最大の間違いだったんだ、ょ……」


 言葉尻から涙声が混じって言葉にならない。わかっていないのはフェリシアの方だ。逃げろとおそらく、屋敷の壁に穴でも開けたのだろうが、こうして俺を抱き締め上げている事が何よりも証拠。この短い間行動を共にして、俺は俺なりに彼女フェリシアのことをわかったつもりではいる。一人で補助輪無しの自転車を初めて乗る、我が子を支える親の様に、俺はその細い腕に頭を乗せて呟いた。


「そんなこと言ってるお前が、実はぜんぜん心が折れても無きゃ、またあいつらに噛み付いていくと思ってるからだ。──この俺を、信じさせろ。立ち上がろうぜ、フェリシア。もう一発、もう一発やつらをぶっ飛ばして、そっからじゃないか。やりきろう、フェリシア」


「…………いいのかな」


「ぶっ、それがお前の本音だよ」


 思わず吹き出した俺の顔に、自分の顔面を突っ込んで埋もれさせたフェリシアは、もごもごと布と綿の暗闇の中で、染み着ける様に、俺の中へ心の一部を流して込ませる。


「任せて、シュート」


「こちらこそだ、フェリシア」


 初めて彼女の本当の言葉が聞けた気がする。今まではどこかで、利用している者とされている者の関係性の壁があったのかもしれないし、そもそも出会ってそれほど時間も経っていない二人なのだ、無理もない。


 だが、彼女は間違い無く変わってきている。『俺』というきっかけを手にしたフェリシアは半ば暴走に近いレベルの無謀な賭けを幾度も行ってきた。彼女が本当に筋の入っていない弱い女なのであれば、ジェラルドとの戦いでそれ以上のことを考えて行動するのであろうか。否、フェリシアは一人でもここまで来たのだ。そこに俺の存在は無いのに。


 フェリシアの目的の全容は俺にわからない。だが、ステラからの扱い、ジェラルドからの殺意、兄弟二人からの侮蔑。ここまで客観的に傍に居た俺でも、彼女がどれほどの敵意を持たれてこの世界を生きてきたのかは、わかる。ならば。


 ──せめてせっかく転生してきたこの世界フェスティリアで、俺くらいは、彼女の味方に全力でなってやろうと。それが俺のこの世界での最初の試練になろうと。やり遂げなければ前世日本と同じ、何も成せない人間になってしまうと。そう思ったんだ、俺は、柊木柊人ひいらぎしゅうとは。


 だから。


「……フェリシア?」


「…………」


 俺の顔に埋もらせたフェリシアがまったく呼吸をしていない事が。


「おい、おい、おい!!」


 今の俺にはとてつもない絶望となって、震えない体が悪寒に震え、かけない汗が冷や汗となり、


「やめ、ろよ……ふざけんなよ……」


 全身を支配した時。俺の感情は負の怒涛となって荒れ狂った。



「フェリシアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」



 その叫びは多分、俺の人生で一番大きな音量と声量だったのかもしれない。もはや感触も、生者のソレとは思えないフェリシアの顔に向けて発した俺の声に、彼女は何の反応も示さない。いけない。このままでは、駄目だ。


「死ぬな……ここで死んで、どうするんだ……!お前も俺も」


 藁をも掴む思いでしかないのはわかってる。だが、俺に出来る事は──。


「まだ、何も!成しちゃいない!」


 ただ、叫び声を上げる事だけだ。芯の抜けた、冷たささえ感じるフェリシアの肌の感触に、溢れ出る絶望を蝋燭の光の様な希望を捻り込んで俺はすがる。まだ、まだ、まだ──。



「終わりだろうが、お前ら」



 声がした。あのスコットとかいうクソガキのものか。


「俺の全力だ……ったく全部使っちまった。お前には過ぎた術式だったな、リシア。おいウェルチ、肩を貸せ」


「……兄さん、それで良かったの……?」


「黙れ!お前はオヤジと同じだ!『ルーヴァンス』の家名に泥を塗られてなお、どこかであいつに甘い……けど、それももう終わりだ。俺が、ついに終わらせてやった。そうだ、俺だ。俺が、やったんだ!ざまあ見ろ!!」


「……わかった。行こう兄さん。父さんに伝えないと」


「……あぁ……」


 二人の声音が離れていく。せめて、せめて、フェリシアの治療をと思っていたとてつもなく小さな希望も今、潰えた。


 フェリシアの顔と繋がった暗闇の視界の中で、俺は思う。このまま眠ってしまえれば、そして目が覚めた時には、何もかもが夢であったと──ワンルームマンションの自分のベッドの上で起きれたら、どれほど良いのだろうと。


 すべて、無かった事にしたかった。でも、いつまでも感じるフェリシアの重みが、俺を現実と逃避の狭間で引き止まらせて、動けない。


「……フェリシア……俺達って、なんだったんだろうな」


 今度は俺が。フェリシアの唇に重なる様に、動かない口を震えさせる俺は、眠る様に意識を微睡みに落としていき──。


 

 

 視界を埋め尽くす輝きの濁流を見る。


 それは丁度、動ける様になる前に、ステラと接触した時に見た光景に良く似ていて──それでいて見知った群青の安心感が俺の思考を緩めさせ──俺は感じた。


 少女ステラと……彼女フェリシアの存在を。


 大丈夫だ。


 きっと、まだ、終わってない。


 そう確信した俺は、群青と桜色の輝く文字列の怒涛の中、、瞳孔を最大限に開いてこちらを振り返る兄弟二人を確認して薄く笑えた。




「──どこへ、行くの?まだ何も終わってないよ?……俺は、優しくないぜ。──お兄様」




 そこにいたのはフェリシアか俺か。


 全身を薄黒く変色させ、もはや言葉を発せる事さえ奇跡的な風貌の、死にかけのエルフたる存在はしかし、力強く立ち上がって兄弟を見据えていた。


 その身に群青と桜の、光の螺旋を纏いながら。


 

 ──俺達は、まだ、終わっちゃいない。



 ──俺は、フェリシアは、一つになった。

 

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