15話 見下すのは俺だ!リシアァ!お前じゃ、ねぇ!!

 ──状況を整理しよう。今、俺とフェリシアが居るのは屋敷の入口から離れたフェリシアの寝室。スコット、ウェルチの兄弟が俺達を探すにしても、廊下を挟む様に幾つもあった部屋の数を考えるに、まだ時間はあるかもしれない。いや、むしろフェリシアと兄弟が見知った仲だというのなら、真っ先に来そうなのはここなのかもしれないが……。


「察するに、あいつら二人を倒す……って事でいいんだよな?殺す、とか穏やかじゃない話しではないんだろ?」


「……向こうはわかんないけどね……特にスコットお兄様は……私の事、すごく嫌ってるから」


「やっぱりお前ら兄妹なのか、似てないもんだな。男二人は髪の色からお揃いなのに」


「まぁ、ね……」


 二人並んでベッドに腰かけた俺とフェリシアは、息を殺して扉の向こうに耳を澄ましてした。新しいローブに着替えたフェリシアの髪は、整える時間も無くボサボサのままだ。


「よし、どちらにせよもう逃げられないだろ?あのポニテのクソガキもお前の事を探してるみたいだし、白髪のオッサンも吹っ飛ばしてそのままだ。ここから逃げても簡単にはいかない。……何か策はあるか?」


「うん。お父様は二階から降りて来ないと思うし、スコットお兄様は二重魔法サードに相当魔力を使ってるから、あの規模の術式はもう構築出来ないはず。問題はウェルチお兄様だけど……多分、私でも相手になるはず、だと、思ぅ……」


「オイオイオイ、そこ!自信を持てって。安心しろよ、お前には不死身のぬいぐるみ、ウッサーが付いているんだぜ?いざとなったら捨て身でなんとでもできらぁ」


「できらぁって……」


 フェリシアが心配気に目を落としたのは俺の千切れた右腕の断面のほつれ。ウェルチの捕縛から脱出するために引きちぎった名誉の負傷なのだが、正直違和感が半端ない。痛みも無くという事実は、例えようの無いものだ。無理に比喩するとすれば、長袖のアウターの右腕部分だけが無くなっているというか……とにもかくにも、まともな感覚ではない。


「一応、コイツを借りておくからな」


「そんな小さいので良いの?」


 スポンと俺が右腕の断面の中に押し込めてあった抜き身の果物ナイフを引き抜いて見せる。この部屋の鏡台の引き出しに入っていた一品だが、赤い糊の様なものが薄っすらと付着しているのを考えるに、フェリシアが口紅を整えるのに使っていたのだろう。詰まるところ、切れ味に期待は出来ない。それでも仕込み刀の様に綿の中にしまっておけば、役に立つ時は必ずくるだろう。


「ああ。無いよりマシだ。……時にフェリシア、魔法はまだ使えるのか?」


「それは全然大丈夫だよ。多分一日中使いっぱなしでもいけるかも。でも……」


「でも?」


「ごめんなさい私、あまり術式魔法の才能は無くて……今使えるのは、光と熱を産み出す『ともしび』、一点に圧力をかける『穿せん』、あとは……本当は二重魔法サードとは呼べないんだけど……『一灯いっとう』。目眩ましの術式だね。これだけ」


「なるほど……手札カードは三枚、他にジョーカーが一枚、クイーンが一枚ってとこだな」


「なにそれ?」


「いやこっちの話しだ、わかった。作戦らしい作戦もないが……一つやってみるか、フェリシア!」


「うん。私、頑張ります!」


 手にした杖を高々と掲げたフェリシアを見て、この娘のなんと変わり身の速い事だ、と内心ほくそ笑む俺。


 だがまだ十五歳足らずの子供に、裏腹な見た目通りのものを期待しても仕方ないし、なんとなくだが俺は彼女の事をわかってきたと思える。


 フェリシアというエルフの女の子は、まだ『皮』だけの中身の無い存在なのだ。それは丁度、中学、高校と段階を上げるにつれて広がる視野に、手を伸ばそうと足りない実力にもがく青少年のソレなのかもしれないと。


 こんな時は、保護者たる親が、教師が、その道を示してやって、中身の熟成を一緒に育むものなのだろう。


 まさか。まさかこの異世界に来て、俺が子供のおもりに近い事をするなんて、思いもよらなかった。だが、悪くない。


 そう思えるほどには、俺はフェリシアへ情を移してしまっているのだろう。



────────────────────



「…………なに、してんだ?お前ら」


 灰茶色の短髪を揺らして、スコットが手にした杖を握り締めて爪を食い込ませる。


「これは……『ともしび』だなぁ。この数と光量を維持出来るようになったんだ。やるじゃあないかリシア」


「黙れウェルチ!うざってぇ!なんなんだってんだ!こんな!一重魔法ファーストをいくらばら蒔いたところで!何が出来るってんだよ!」


 猛り吠えるスコットの見やる先の空間は、群青の光で溢れていた。


 フェリシアの寝室を中心にして、囲う様に廊下中に浮かんでいる無数の光球。フェリシアが『ともしび』と言っていた光を放つ魔法だ。最初の小屋で見たソレは、ただ単に明かりの代わり程度の認識だったが、ここにあるものは時折小さな炎を上げる熱量を持ったもの。明らかな敵意の混じった光の塊。


「……お兄様、これが私の力です」


 そんな群青色の輝きの中心に出で立つフェリシアは、一本筋の通った声音でスコットを制した。その瞳は群青色を映し込んで彼女の信念の炎の様に揺らめいて煌めく。


「そうかよ……のこのこ戻って来やがったと思ったら……今度は照明代わりの雑魚術式を垂れ流してその言い草かよ……てめぇ、リシア、良く、俺に喧嘩なんて売るもんだ……わかった」


 瞬間、灰茶の文字列が渦巻く。まるでスコットの怒りに呼応するかの様な、さながら暴風にも似た灰茶色の輝きは、かすったフェリシアの『ともしび』の光球と焼けた摩擦音を立てながら辺りを埋め尽くす勢いを持ってスコットの杖へと収束を始めて──、


「はあっ!」


「がうっ!?」


 フェリシアのほとんど突進に近い勢いの右ストレートで、灰茶の光は散って消えた。


「あぐっ?な、おまえぇ……」


 殴られた頬を押さえよろけたスコットが、眼前にそそり立つフェリシアを信じられないものを見た、とでもいう様に、歯軋りを一つ。


「お兄様。この『ともしび』の数が見えない?全部、私の詰めれるだけの魔力を入れてあるの。下手に触ると誘爆して──本当に、死んじゃうかも」


「…………!」


 声音。フェリシア声の色が、今まで聞いたどれよりも、軽い。寝室の前で事の成り行きを見守っていた俺にしてみればやはり、と言うかそうだな、と言うか。これでいて彼女フェリシア、実はSの気が少しあるのではないかと──。


「ス、スコット兄さん、もう止めようよぉ。そもそも兄さんの魔力だってそんなに残ってないだろぉ?多分リシアはあのヘンテコなぬいぐるみの入れ知恵で──」


「……黙れ!──このっ、クソエルフがあっ!」


「…………」


 スコットのがむしゃらな拳に軽く身をかわしたフェリシアは、侮蔑に近い表情を双眸に乗せてスコットを見下ろす。


「くそがっ……!違うだろうがよ……!お前は出来損ないの期待はずれだったんだろうがよ……!お前の存在がっ、『ルーヴァンス』の名を陥れたんだ!!」


 光の文字列が、滲み出る。


「どれだけ……どれだけお前にかけられていた期待が……俺達を苦しめたか……わかるかっ!?フェリシア!!」


「スコット、お兄様……?」


 名指しで罵声を浴びたフェリシアが、流石に顔色を曇らせて後退り始める。スコットの怒りの噴出は、ただ事ではない。地を這う様な灰茶の文字列の流れを見ても、スコットはまだ何かをするつもりだ。これは、ひとまず──、


「フェリシア!そいつから離れろ!なにかヤバ──」


 イ、とまで言えなかった。重ねる様に連なったスコットの呪詛に近い言の葉で、俺の声はフェリシアには届かず、そして、



「見下すのは俺だ!リシアァ!お前じゃ、ねぇ!!」

 


 地のそこから沸き上がる様な熱気が、この刹那の間、跳ね上がる様にフェリシアへと飛んだ俺の足裏を舐めて、俺は見た。


「──『情炎じょうえん』。焼けろ、フェリシア」



 嬲る様な高温の温度と熱量を持つ、ねっとりとした灰茶色の豪炎が、廊下一帯から噴き出して上がるのを──。


 フェリシアの姿は、群青色の輝きは、灰茶の炎に揉まれてまみれて、俺の視界から消えて無くなっていった。

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