12話 お母さんを、馬鹿にしないでっ!

 ──暗闇に包まれる王都の中心部で、並び立つ豪奢な造りの屋敷の一つの前に、彼女は居た。


「フェリシア様……!?」


 息を切らせて汗を滲ませるフェリシアの姿に、門番をしていた老人が慌てて詰め所から飛び出して来た。重苦しい鉄の門戸脇もんとわきの、小さな扉から顔を覗かせた老人は、血相を変えているフェリシアの表情にただならぬものを感じる。


「ステラ様と何かあったので……!?」


 おろおろとする老人を尻目に、戻ってきたいつもの呼吸に合わせて、フェリシアは睨め付ける様な視線を明かりの灯る屋敷に向けて、放った。


「お兄様達は、いるの?」


「は、はい。もちろん。旦那様も奥様も居られます。丁度、晩餐の時間かと……」


「だよね。わかった、ありがとう」


「ふぇ、フェリシア様!?」


 老人が叫ぶ間も無く、フェリシアは締め切った重々しい鉄の門戸に杖を振りかざすと、


「──『ともしび』──!!」


 群青色に発光する、ミラーボールの様な塊が出現した。大きさはサッカーボール程で、発する光度は蝋燭の火の様に小さく、立ち上る群青色の炎が揺らめくソレは、フェリシアが最初に出現させた魔法とはかなり度の違う代物だった。チリチリと空気を焼く音が中空に爆ぜ、それなりの温度を持っている事を示していた。


「……見せてあげるよ……この二年間、私がどれだけ成長したのかって事を!──穿て!『穿せん』!!」


 フェリシアが叫ぶと刹那、その場で燃え盛るだけだった群青色の炎の塊が、突如としてその形を変える。


 それは槍のように先端を細く、鋭く尖らせ、爆発的な勢いを持って、


 ──をぶち抜いて、轟音を上げた。


 フェリシアと老人の眼前に有る鉄の門戸は紙切れの様に中心を抉り溶かされ、そのていを無惨なものへと変容させる。


 敷地外の鉄の門戸と屋敷本体の両扉を貫通して弾けた群青色の槍は、扉の先で炸裂して燃え盛る炎を上げ始めた。まるで、電磁砲レールガン、グレネードランチャーを撃ち込まれたかの様な威力と、惨状。舞い上がる砂埃を一払いしたフェリシアは、溶けて赤く色付く鉄の門戸の穴をくぐって敷地へと入っていく。


「あ、あぁ……貴女は、なんという事を……」


 その場にへたりこんだ老人に一瞥もくれずに、フェリシアは破壊されて大穴の開いた玄関と、メラメラと火の粉を散らす群青色の残り火を睨み付けながら進んだ。その瞳に映った群青に、目を細めながら。


「お母さんの……痛みを知れ……!」


 握った杖に力を籠めながら、屋敷に足を踏み入れた。と、


「あっ!?」


 崩れ掛けた螺旋階段から、数を数える様に降り立つ、重く鋭い眼光を湛えた相貌の──


「おっ、おと──」


「フム。『色』でそうだとわかっていたが……どうしたリシア。まさか──逃げ出して来た、とでも言うのか?」


「あっ、あっ」


「やれやれ……扉の向こうに誰か居たらどうする……お前は我らを──殺しに来たのか」


「ひきゅっ!」


 軽くフェリシアを威圧して一蹴する老人は、門番の男やジェラルドよりも遥かに歳を重ねた、シワを寄せる顔付きであった。体のラインを完全に消している厚手のローブに身を包んだ老人はしかし、決して唯の『老人』という風体で終わらせない刃物の様な緊張感を撒き散らしてフェリシアを圧倒する。


「しかし一重魔法ファーストの二段使用は、褒めてやろう。中々の威力ではないか。……では、他も見せてみろ」


「うっ……!」


 螺旋階段を降りきって瓦礫の玄関口を踏み締めながら突き進んで来る男に、少しずつ後ずさりするフェリシア。


「どうした?ワシが怖いのか?そうかそうか、それならば──スコット!ウェルチ!降りてこい」


 そう声を上げた男に反応して、


「そうこなくっちゃ!」


「え~~面倒くさいんだなぁ」


 ドテドテと螺旋階段を転がり落ちる様にして現れた二人。


「おっ、やっぱりリシアじゃん!お前おっぱい大きくなったなぁ~!」


「おぉ。本当だぁ。変わったなぁリシアぁ」


「お、お兄様……」


 灰茶色の髪色を揃えて、ひょろりとした細身の青年と、恰幅の良いそばかすだらけの青年が声を揃えてフェリシアに見入る。どちらもフェリシアからそこまで離れていない歳に見える。


「息子達。久しぶりの妹の帰省だ、しっかりともてなせ。──気が済んだら……あの御方の元へ送り返すといい」


 青年達の父親であろう男は、二人の間をすり抜ける様に屋敷の中へと姿を消そうとした。


「おっ、お父様!!」


「──どうしたリシア?お前は『立派になったら』帰って来るのではなかったのか?ワシにはお前が、怨嗟えんさを持って襲撃に来たようにしか見えん。ワシと話しをつけたいのならば、息子達を乗り越えてみせよ」


 言葉だけで追い縋るフェリシアに振り向きもせず、男の姿は見えなくなる。残されたのは、フェリシアと、二人の青年。


「だってさ。つーかお前、何様?何の用?知ってるだろ?貴族の屋敷内の出来事は、王都不介入って。殺されに来たの?お前。……なぁ!ウェルチ!?」


「殺すって、物騒だなぁ。父さんのあの言い方だったら、遂にお許しが出たって事だろうけどぉ……。ほどほどにして、ステラ様にまたこき使ってもらおうよぉ、スコット兄さん」


 スコットと呼ばれた細身の青年は半ばウキウキと、


 ウェルチと呼ばれた恰幅の良い青年は少し飽きれ気味に。


 それでも両者共に明確な害意と悪意を持って杖を抜いた。その歪んだ切っ先は、フェリシアの方へ。


「……そうやって、昔みたいに私をいじめようとする。私が、エルフの娘だから?……お母さんの、娘、だから?」


「んなもん!どっちもそうに決まってんだろーが!!エルフの血が流れてるのに、『賢者』の娘のくせに!……二重魔法サードもまともに扱えないお前は、一族の恥さらしだ!!お前が居なくとも、俺達が『ルーヴァンス』の家名は盛り立てられるんだよ!!さっさと死んで、泥を拭え!!」


「す、スコット兄さん。とりあえずリシアの二年間の成果を見せてもらおうよぉ。もしかしたらすごく強くなってるかもだよぉ」


 激昂するスコットをなだめる様にウェルチが肩を叩く。


「そうだな。せっかくステラ様のお傍で二年も過ごせたんだ、さぞかしお強くなっている事だろうぜぇ!なぁ!フェリシアァ!」


 スコットが叫ぶと同時に、灰茶色の輝きを放つ文字列が宙に浮かぶ。杖に纏わり付くように徐々に収束する文字列に、フェリシアは自らの杖を構えた。


「まずは小手調べだ!歪め!『陽炎かげろう』!」


「──っ!爆ぜて!『ともしび』!!」

 

 薄く群青色の文字列を纏うフェリシアの杖から放たれたのは、屋敷の門戸を貫いた時に現れた群青の火球。一般的な大人が放り投げる程のスピードでスコットへと向かったソレは、少しずつ形を崩しながら風船の様に膨らんでいく。そして、


 術式を唱えたものの、微動だに一つしないスコットの眼前で、爆発した。


「……!?」


 群青色の噴煙の中を注視していたフェリシアは、空間的ごど煙りがグニャリと曲がる錯覚を見る。と同時に、先程までそこにあった二つの魔力が、左右に別れて移動を始めている事を感じる。


「──!!」


 フェリシアは知る。二つの魔力がのではない。兄二人の魔力の痕跡が、痕を引く様に自身の背後へと向かっていたことを。つまり、すでに、


「──そんなんで!そんな体たらくで!」


「あっ──!」


 スコットの叫びよりも先に後ろを振り向けたのは、フェリシアの今の実力といったところだろう。だが、彼女に出来た事と言えば。


「アホ面下げて、帰ってくんなやこのクソエルフがーー!!」


 振り抜けるスコットの横殴りの殴打に、左腕を構えるのが精一杯だった。


「ぎゃうっ!?」


「変わんねえな、お前は」


 紙切れの様に吹っ飛ばされたフェリシアは、擦り傷を作りながら地面と擦れて止まる。見上げる視界にスコットの冷徹な、汚物を見るような目付きを感じて背筋が凍る。


「次。次、術式を使う素振りを見せたら、手加減はしねぇ。起き上がっても駄目だ。……犬の様に這いつくばって、門を出ろ。おい!」


 呼び付けられた門番の老人が、ビクリと肩を震わせて半ば役目を果たしていない穴開きの門戸を開き始めた。


「くっ……うぅ……!」


「おとなしく帰るべきだよぉ、リシア。今は身の程を知るべきさ。ここでスコット兄さんを怒らせたら、本当に殺されるよぉ。……僕も居るわけだしさぁ」


 そばかすだらけの横顔に、剣呑とした表情を乗せてフェリシアを見下すウェルチもまた、言葉には出さないがスコットと似た圧力を放つ。彼女にとって強大過ぎる、二人の兄弟の壁に、フェリシアは──。


「なんで……なんでぇ……いっつも、私ばっかり……」


 ズリズリと、流す涙を土色に染めながら、這う。惨めな負け犬の様に、彼女は這いつくばって逃げるしかなかった。


「ったく……。次は何年後になるやらな。魔力が多くても、術式がこうも単調だと豚に真珠ってヤツじゃねぇか。なぁ!ウェルチ」


「そうだなぁ。だからと言って同情は出来ないなぁ。せっかくあの方の血を受け継いだ唯一の存在なのに……これじゃあ『賢者』も浮かばれないね」


「まったくだ。親父も何を考えてこんな出来損ないのエルフを引き入れたのやら。いや、違うか。と言う方が正しいか!死に損ないの『賢者』の頼みだ、断れなかったに違いないぜ!」


「…………」


「あぁん?」


 フェリシアが、止まる──。


 自らを散々馬鹿にしていた兄弟達に、いとも簡単にプライドを捨てて逃げ出そうとしていたフェリシアが、止まる。


「おいおい、なんのマネだ?行けよ!さっさと失せろ!お前が視界に入ると──」


「……お母さん」


「あぁ!?」


「お母さんを、」


 立ち、上がる。それでも背中は兄弟に向けたままで、彼女フェリシアは一番守りたいもののために立ち上った。



「お母さんを、馬鹿にしないでっ!」



 振り返ったフェリシアの顔面から、血に汚れた土が、落ちる。


 構えた杖が小刻みに震え、今、フェリシアを突き動かしているのがたった一つの、微かな意思でしかない事を示す。


 屋敷の玄関で燃え盛る群青色の炎が、一際昂って爆ぜた。

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