10話 ぬ、ぬいぐるみが喋った……!

 ──夜の帳もすっかり降り、人通りの少ない通りをフェリシアは辺りをキョロキョロと見回しながら歩いていた。背中に背負ったざらつく感触の安っぽいリュックサックに俺は収まり、一緒に詰め込まれた木の杖と共に行き先への到着を待つ。


「なぁ、フェリシア」


「ッ!!ちょっとシュート!顔出さないで!……動く魔法道具は、結構珍しいんだよ?誰かに見られたら騒ぎになるかもしれないから」


「わかったわかった、じゃあ中から話すから」


「……出来れば黙ってて欲しいんだけども」


 そう言って目線だけは左右に振り向けるフェリシアの警戒感は半端が無い。日が暮れるとすぐにリュックサックと杖の調達に一人で向かったフェリシアだったが、帰ってくるなりベッドにへたりこんでしまった。


 ──もう、この街にステラが居るかもしれない。


 冬眠から目覚めた熊がうろつく山林に、素人が一人でキノコ狩りに向かう様な心境なのだろう。いつ、どこで、ステラと鉢合わせるかもしれない。むしろすでにこちらの居場所を把握されて、襲撃のタイミングを計っているのかもしれない。心ここにあらずとは良く言ったものだ。フェリシアはもう気が気ではないのだ。


流石さすがにこの段階まできて、お前のやろうとしている事を俺が知らないのはまずいだろ。着いたその場で、俺は何をすればいい?」


「そっか、ごめん。まだ詳しくは何も話していなかったね。……シュートには、私に魔力を送って欲しいの。異界人のシュートには、膨大な魔力がある。ジェラルドを倒した時だって、多分ステラ様の『可動』の術式を利用してシュートが二重魔法サードを使ったのだと思う。要は、その要領だよ」


「……は?」


 なに言っちゃってんのこの娘。


 魔法だの魔力って。送る?その要領?要領って、なんだ。具体的に、どうやって?核心を聞いてみてわかったが、このフェリシアという娘、案外考え無しなのでは……。


「えっ?わかってて使ったんじゃないの?あの、ジェラルドの三重魔法サードを操った時。違うの?えっ?」


「はぁ?え?」


「え?」


「え?」


 ……………………………………………。


「……だから、最初から言ってるだろ……俺は何をすればいい?ってよ……」


「だっ、だって!じゃあシュートの世界の魔法はどうやって動かしてるの!?『機械人形ギア・ゴーレム』だって一杯いるんでしょ!?そんな、今さら魔法の『ま』の字も知りませんみたいな事言われても……」


「はい。わたくし魔法の『ま』の字も存じ上げません。その、『機械人形』の件に関しても、スケールが大分違うのであります。……お前、最初から俺がこの世界フェスティリアと似たような世界から来たと思い込んでやがったな?ったく……呆れた」


「ちがっ!違うもの!シュートと話しをしていても、あんまり違和感なかったし……シュートも聞いてこないし……」


「俺は何度も聞いてる。その度流された。結果がコレ。OK?フェリシア嬢よ、ここまで事態の風呂敷を広げておいて難なんだが、……クソガキとオッサンに、詫びを入れた方が得策だと年長者のお兄さんは思うぞ」


「う、う~~~~」


 既にまばらな人通りとは言え、一人で騒ぎ立てている様に見えるフェリシアは衆目の目を集めてしまっている。さらにその場にしゃがみこんでしまったフェリシアは、栗毛色の頭を抱えて牛の様に鳴く。自業自得な部分が多過ぎるこの醜態に、俺はあまり同情は出来ない。これが俺も納得、理解出来る話しならさぁ行くぞ!となるのだが、ほとんど他力本願で、実際確認してみればそうでなかったなどというこの事態は、アポイントメントを取らずに企業の門戸を叩く事に等しい。営業セールスとして、これ以上非効率な方法は無いのだ。彼女フェリシアはそれを地でいってしまったというのだから、始末に終えない。


「どうしよう……どうしよう……駄目だ、きっと殺される……もう、もう、もう~~」


「ほんとに牛みたいに鳴くなって。実際、オッサンとの戦いの時俺が何かやったって事は事実だろう?ソレを上手く使えないのか?」


「わかんないよ……さっきも言ったけど、おそらくアレはステラ様の二重魔法可動で動いてるシュートが、範囲を広げて木の人形を支配したのだと思うんだけど……今、それが出来る気がする?シュート?」


「そう言われてもな……あの時は気付いたらああなっていた訳だし……こう、こうか?」


 俺はリュックサックに収まる木の杖を抱え込み、念じる。


「俺は杖だ……杖なんだ……杖だっ!」


「……どう?」


「……そう簡単にいくか」


「だよね……」


 リュックサックの暗闇の中で杖を抱き締めている俺は、その行為に意味があるとはそもそも到底思えなかった。ジェラルドの発した魔法から現れた木人に乗り移った時は、俺自身の感情の高まりがあった事は間違いない。半ばトランス状態と言っていいあの感覚は、今この場で再現しろと言われてもそう簡単に出来るものではない。それが『魔法』を使うという事に結び付くと言うのなら、その敷居は今の俺には遥かに高い。


「もう、どうしよう……」


 リュックサックの中に居ながら、フェリシアの愕然とした表情を感じる。勢い数多でここまで飛び出して来たものの、肝心の頼みの綱がこの体たらくなのだ。彼女の絶望は計り知れないものなのだろう。しかし、あまりにもフェリシアの今に至った行動は先も後も見据えていない突発的なものに思えて、俺は思わずどうでも良い様な普遍的な質問をぶつけてしまう。

 

「……フェリシア、お前、今年でいくつになる?」


「え?……15歳だけど……なんで?」


「いや、そうか、そうか、そうかぁ……」


 犯罪だった。俺、柊木柊人ひいらぎしゅうとは今年で30になる。少しでも彼女に淡い恋心を抱いたのは間違いでは無い。だが、現代日本においてそれを行なうのは、計らずとも犯罪なのだ。女性が婚約出来る最低年数は16歳から。今のぬいぐるみの俺が思っても説得力に欠けるだろうが、俺は結構フェリシアの事を、これで好いていたのだ。かけ離れた歳に、今まで何をしていたんだという自責の念を感じ、俺は賢者タイムに似たテンションの落胆を知る。……あれ?俺、結局は女絡みの男なのか?


「……シュート。……もしかして、私の事、なんか思ってる?」


「な、なにがだよ?」


「知らない。もう、いい」


「あっ!?」


 瞬間、立ち上がったであろう上昇する勢いと共に、俺は頭部を鷲掴みにされる感覚を再度味わう。


「ここまでやっちゃったんだもの。後には引けないの。……シュートには期待してたけど、貴方まで私を……もういい」


「ちょっ、フェリシア、お前、なにを……!」


 端から見れば、リュックサックからうさぎのぬいぐるみを引き出しただけに過ぎない光景。だが俺は、フェリシアのその行為が次に何を意味しているのかを、けっこう明確に理解して、懇願する。


「やめろ、フェリシア!俺は、俺は……!」


「もう大丈夫だよ。ありがとう。柊人さん」


 その声音はどこか冷たく、やっぱりフェリシアが俺の事を信用していないという事を浮き彫りにさせる様だった。


「私は一人でも、やれる」


 そう言ったフェリシアは、俺を掴んだ右腕を大きく振りかぶると、


「さようなら、シュート」


 俺を、漆黒の夜空に向けて、ほうり投げた。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」


 俺の体は夜風を切って宙を舞う。それなりに勢い良く投げ飛ばされたせいか、通りに面する家の屋根を軽く飛び越え、しかし次第に重力に引かれて下へ引かれていく。きりもみしながら回転する俺の視界に入ったフェリシアは、弾かれた様に駆け出し、栗毛色の長髪を慌ただしく揺らす、切羽詰まった後ろ姿。


「あンの馬鹿野郎……!見た目だけか、大人なのは……!どいつもこいつもクソガキって事かよ!!」


 桜色の少女、ステラもしかり、どうやらこの世界フェスティリアで出会った女性はすべて、自己中心的なところがあるのかもしれない。首をもがれるわ投げ飛ばされるわ。お前らどっちも、俺を必要としてるって最初に言ってなかったか?なんだよこの仕打ちの数々は。勝手だ、身勝手過ぎるだろ。


 ポテリ。とどこかの路上に軽く着地した俺の体に痛みは無い。当たり前か。俺は今ぬいぐるみなのだから。


「……あぁそうか。人間同士の信頼関係なんて、そりゃ一日足らずで作れる訳も無い、か。……この場合、エルフとぬいぐるみで人間なんて一人もいないんだが」


 砂利が背中をくすぐる路上に仰向けになる俺は、見上げた連なる街灯の光の先、漆黒の夜空に朧気な月光を降り注がせる赤い月を、見る。


「くっくっ………ははっ」


 何故だか、笑える。こうしてこの異世界フェスティリアでたった一人になってみると、込み上げてくるものがある。見るもの、聞くもの、感じたもの。離れた異国の、知りもしない未開の部族の村に行ったとしても、そこが地球上のどこかであるという『臭い』とでも言うのか、『雰囲気』とでも言うのか。俺はそこが地球だという確信が出来ると思う。だが。


 この見上げた赤い月はどうだ。散りばめられた星々の圧倒的な煌めきはなんだ。空気が澄んでいるからとか、地上の灯りが少ないからとか、そんな分かりやすい理由で納得なんて出来るか。俺はもう日本人、いや、地球人『柊木柊人ひいらぎしゅうと』ではないのだ。こうして実感となった哀愁にも似た感情が、綿の詰まった胸にじわじわと溢れてくるのは何故だろう。


「……そうか」


 前世日本ではこんな時、板垣いたがきもそうだが回りの同僚に相談をして、気持ちの整理や解決法を探っていた気がする。どうすれば上手くいくのか。次善の策は何なのか。だが、俺は今一人だ。あれだけ傍に居たフェリシアにも見捨てられ、一体俺は何をすれば良いと言うのか。


「俺、一人じゃなにも出来ないヤツだったのか」


 世界日本でも、異世界フェスティリアでも。ただ無数に存在する一般庶民の一つとして、俺は在り続ける。人の形をしていた頃も、ぬいぐるみとなった今も、それは変わらない。


 ──変わらないのか?


 

 ──一人でも、やれないのか?


 ここが、正念場なのかもしれない。今までの人生で一度も結果らしい結果を出せなかったもうすぐ三十のオッサンに与えられた異世界転生の好機チャンスに、最初の壁。俺の物語は、コイツを乗り越えなくては、始まらない。


「…………」


 そんな俺の自問自答の思考の片隅に、いつの間にか入っていた見知らぬ顔。仰向けになる俺を、遥か高くから見下す様に視線だけを落とすは、金細工の様なブロンドの髪と、夜闇の中で発光しているかの様な異次元の煌めきを湛える碧眼の双眸をそのままに、まるで台所に出たチャバネゴキブリを見付けた主婦にも似る、引きつった口角を上げて、


「ぬ、ぬいぐるみが喋った……!」


 路上に転がるうさぎのぬいぐるみたる俺を指差し、眉目秀麗とも言えようその表情を歪ませ、全身をワナワナと震えさせていた。



 その邂逅は、ある意味運命だったのかもしれない。

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