9話 あらぁ、お上手で。
「ジェラルド?」
早朝、と言うには日も上がりかかった頃。桜色の小さなポニーテールを藤色のリボンで纏めた少女、ステラが表情を変えずに倒れ込む白髪痩身の男の前に立っていた。
「なんで?お前が居ながらこの
年端もいかない少女のものとは思えない怨嗟の籠りきった重い声音で、ステラは薄く血を流しながらほうほうの
「す、まん……慢心……傲慢だったのは、自分の方、だった……」
「いい。謝罪の言葉なんて今はいらない。……王都ね?あの小娘のやりそうな事だよまったく。入れ違いでこの仕打ちなんて、むかつく」
「大分、経った……。もうヤツらは王都に居るはず……行ってくれ、ステラ」
「……すぐに戻ってくる。異界人の事が知れたら、何もかも無駄になるし。──っほんとに!あの駄目エルフが……!!リオナの頼みだからって居させてやってんのに……!親不孝もいいところってやつだよ」
「……性格は」
「なに?」
「いや、性格だけは……がはっ……母譲りの一途さはあると思ってな……」
「……知らない。力量も伴わないヤツがそんなんでも、誰も認めない。あの娘は、ブランドモノのシールを貼られた紛い物ってやつだよ。
桜吹雪とも見違える、桜色の光を舞い起こしステラはその姿を消す。一人取り残されたジェラルドは、何本か折れているであろうあばら骨を労る様に腹を擦ると、血濡れた唇に薄い笑みを滲ませた。
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(こりゃ、ドッキリにしちゃ流石におおげさ過ぎるわな。特殊メイクって訳でもあるまいし。……頭に角?一体何人だよあれ)
──俺は宿屋の二階の窓際から見下ろす光景に、感嘆と衝撃を受けていた。
「はい。終わったよ。違和感無い?」
そう言って俺がもいだ左腕と胴体部分を紡いだ糸を抜いたフェリシアが、俺を膝に乗せたまま優しく見下ろす。
「……おう、動くな。なんかこう、寝違えて血流が止まって感覚の無い腕に、血が行き渡っていく感じ」
「良かった」
そのまま俺を抱き締め上げるフェリシアのふくよかな胸と甘い女性の香りに埋もれ、実に数時間ぶりに生きてる実感を俺は感じた。
ジェラルドを倒し、我に返った俺は徐々に体の力が抜けていく様な感覚と、重く引きずり込まれる睡魔に意識を奪われた。チクリと肌に食い込む樹皮のトゲの感触に薄ら目を開けて見た光景は、あの木人に掴まれたままのぬいぐるみの目線のソレ。俺はまたもや、このうさぎのぬいぐるみの体に舞い戻っていたのだった。
俺を何とか引き抜いて、逃げ出す様にその場を後にしたフェリシアと俺は、こうして王都に辿り着く事が出来た。町外れの宿屋に駆け込む様に身を寄せた俺達は、ひとときの休息の中、お互いの無事を案じて言葉を交わす。
「……ありがとうね、シュート。私、なんにも出来なくって……きっと大丈夫だと、思ってた、のに」
「謝んな。いい。結果的に上手く行ったじゃねーか。……お前こそ、大丈夫かよ?」
「えっ、なにが?」
キョトンとその大きな瞳を丸くするフェリシアに、俺はああ、と苦虫を潰した様な気分になる。もちろん俺の心配は、ジェラルドのフェリシアへの言い様の事だ。あれだけの罵詈雑言を言い放たれて、
「いや、なんでもない。それよりこれからどうする?俺を連れて行きたい所ってのは、今日行くのか?なんだかんだもう夕方だしな」
フェリシアの膝に座る俺の黒い目玉に映り込む陽の光は、暮れ掛けの斜陽のくすんだオレンジ色だった。
「そうだね……きっとジェラルドの事はもう、ステラ様も気付いていると思うし。だからこそ、やるなら早くやらないと。夜になったら行こう」
「そうだな。半ば殺されかけてるもんな、お前。あのチビのクソガキだって親玉みたいなもんだろ?今頃血眼になってお前の事探してんじゃないのか?」
「……考えさせないでよ」
「ッ!」
考え足らずだった。今、この場でゆっくりと会話を交わしている二人だったが、事態は急を要するのだ。そもそもジェラルドの真に迫った威圧感も含め、今回フェリシアが
「……フェリシア。今回俺がお前に付いているのは、お前がこの
思い出すのは、部屋の扉から溢れ出したゾンビにも似た呻きと動きの種々様々なぬいぐるみ達の無惨な姿。今の俺の有り様を考えるに、あれもみんな、俺と同じ異世界人なのだろうか。一歩間違えたら、俺も同じ目にあっていたのだろうか。
「ありがとうシュート。私の事が終わって、全部上手くいって、それでも生き残れたら……今度は貴方の為に、私が出来る事をやってあげるからね。約束」
そう言って白い肌の艶やかな細い小指を、後ろから俺の右手に絡めたフェリシアに、俺は振り向けなかった。
──生き残れたら?
これからフェリシアが行おうとしている行動を、俺は未だ良くは知らない。
わかっているのは、フェリシアの言葉はずっと目の前の俺ではなく、やはりどこか遠くの先に目掛け、曖昧で輪郭の無いぼんやりとした形で俺を透過しているという実感だけだった。
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「あんらぁ、ステラ様じゃあないですかぁ」
──間の抜けた女性の声が、勢い良く螺旋階段を掛け降りていた少女に投げ掛けられる。
「行ったり来たり……こんな時間ですよぉ?何か問題でもぉ?良ければ、お手伝いしましょうか」
女性は、真っ赤だった。
正確には、くすんだ血色。
身に纏う豪奢なドレスも、ピアス等の装飾品、ハイヒールも全て落ち着いた
「悪いわね、シャーロット。アタシ急いでるの」
「そうですかぁ。今度の『査定』絡みですかぁ?ご健闘を~」
「言われなくとも。アンタもうかうかしてると『称号』、剥奪もんだよ今回は」
「あらぁ怖い。さっすがぁ元『賢者』のお言葉は重みがありますねぇ」
掛け降りていた螺旋階段の最下層でピタリと止まった桜色の髪の少女は、藤色のリボンを微動だにさせずに姿の見えない朱殷色の女に、細い目付きの視線をギッ。と送った。
「あぁ~楽しみ楽しみ。老兵は死なず唯消え去るのみ。……誰が考えた言葉かしらぁ。こういう時、使うのねぇ」
「ちっ!!」
「あはははははは。あはははははは。あはははははは。あはははははは。あはははははは。あはははははは。あはははははは!」
煽る様なシャーロットと呼ばれた女の笑声を振り切る様にステラは再び駆け出すと、門戸に配置された衛兵を撥ね飛ばす勢いで、夜の街へ向かう。ギリギリと歯ぎしりを立てたステラの唇からは、真っ赤な筈の血液が、夜に光を吸い取られ、朱殷色の黒々しさを滲ませて顎から垂れて落ちる。
「……くそっ、くそっ!絶対、絶対アタシは……!」
後ろを振り返る事も出来ずただ走り続けるステラは、ほとんど闇雲に、逃げ出す様に雑踏にぶつかりながら、速度を緩める事も無く賑わいを見せる夜の城下町へと消えて行く。
「あらぁ、お上手で」
そんな居なくなったステラに、満足気なシャーロットは、右目を歪な半月に曲げて誰にも見えない笑みを作っていた。
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