2話 親交を深めよう。お前の名前を教えて?

「……フェリシア、いつも言ってるよね?さっさと捨てろって。捨てられないならその辺に埋めちゃっても良いって。ナニ?お前は何の為にここにいるの?」


「すっ、すみませんすみません。私、私……」


「そーいうのはもう聞き飽きた。これはアタシが処分しとく。で、」


 怒気を孕んだ語調で振り向いた少女の目線が俺へと落ちる。その零れ落ちそうな大きな瞳と年相応に柔らかな肉付きの良い顔が、苦過ぎるコーヒーを飲んだかの様に渋くなる。まるで使えない部下を見下げる時の上司の顔だ。俺の良く見た表情でもある。この状況で一方的にそんな顔をされても困るのだが……。


「コイツにも一応『可動』の術式をかけとくから」


 そう言って俺の頭を鷲掴みにする桜色の髪色の少女。だから何故お前はそんな深々と爪を立てる様に力を入れるんだ。これが生身の体なら脳漿が噴き出して即死だろう。まぁ現在俺はぬいぐるみの体なのだが。


「──さすが異界人、今回も大きなモノをお持ちで。『可動』」


(な、なんだ!?)


 少女がその言葉を呟くと同時に、見知らぬ文字の文面が光る桜色の羅列となって俺を包んだ。相変わらず鷲掴みにされている頭から熱いお湯を流し込まれているの様な錯覚に陥りそうになる。その湯の様なナニかは、俺の頭を流れてその奥へと辿り着く。


(まっ、眩しい!なんだこの光はっ!?)


 俺の意識が、視界が、桜色の光に包まれる。まるで自分が光の大海に落ちたかのような感覚。右も左も上も下も無い。どこまでも果ての無い浮遊感と眩し過ぎる光量。


(やっやばい!これは、今度こそか……!?板垣いたがき、すまん!)


 永遠に続くとも思える桜色の光一面の世界。肉体と精神の境目が無く、意識だけがふわふわと浮かび光に焼かれ続ける感覚。今だかつて味わった事の無い体験に、俺の思考はオーバーヒート。最後に切れる意識の寸前、思い出したのがあの板垣こうはいの細長の目付きだったのは、あまり面白くなかった。



────────────────────



「……ふぅ。バックにあるのがでっかいから、干渉するのも冷や汗ものだ。慣れない」


「は、はいすみません」


「……じゃあフェリシア。コイツが目覚め無い、目覚めても駄目だったら暖炉で燃やして。そろそろ慣れなさい。アタシ達のやっている事を鬼畜の所業と罵る者もいるけど、結果さえ出せば黙るよ、そんな奴等は。わかるでしょ?わかっててアタシに付いて来たんじゃないの?お前」


「そっそれは、はい。おっしゃる通りですステラ様……」


 冷たい空気感を漂わせながら、ステラと呼ばれた桜の髪色の少女は、小さく縮こまるフェリシアと呼ばれた栗毛色の女性にキツく細めた視線を送る。


「……はぁ。まぁ良いよ。じゃあジェラルド、アタシはコレ、捨ててくるから。引き続きそっちの事はお願い。なるべく悲惨な死に方なのは避けてね」


「……わかっている」


 と、ここに来て初めて口を開いた痩せぎすで白髪の男ジェラルドが、俺へと戻した視線に先ほどまでの剣呑さを更に上乗せして射抜く様なトゲトゲしさを向けてきた。こんな武骨な爺さんにここまで睨まれると空気を吸うのも重苦しく感じてしまう。と、思いたいところだが、当の俺本人の意識は今だ目覚めていなかった。


「──座標は……まぁ、あそこで良いか。じゃ、行ってくる」


 瞬間、またも桜色の光の文字がステラの周囲を漂い始め、


「範囲はソイツら。『転送』」


 一気にその光の束が蠢くぬいぐるみ達を囲う様に広がった。そして、まったく突然に不意に、ステラとぬいぐるみ達の姿が忽然と消えた。残ったのは、少し舞い上がった砂埃だけ。

 

「……はぁ~~また怒られちゃった」


「…………」


「ねぇ、ジェラルド?私、ステラ様と相性悪いよね……。これからも一緒にやってけるか、ちょっと不安」


 そう言って椅子に座り崩れ混む様にテーブルに突っ伏したフェリシアは、隣で黙々と残りのシチューを口に運ぶ無口な老体に愚痴る。対するジェラルドはそんなフェリシアを一瞥もすること無く食事に一心不乱と言っていい具合に完全スルー状態だった。


「ちょっとぉ……酷いよぉ……無視しないでよぉ……」


「…………」


「も~~~~!」


 がばりと身を起こしたフェリシアは、案外主張する胸の膨らみを揺らしながら、最早空気と同化している俺に向かって歩み寄って来た。


「捨てれば!燃やせば良いんでしょ!こんなもの……!」


 ムギュリとまたもや(三度目)頭を鷲掴みにされた俺は、掴まれた勢いのそのままに燃え盛る暖炉の前まで連れて来られる。


「さぁ!うさちゃん!キミの事だよ!起きてるんでしょ?聞こえてるんでしょ?今から十数えるからね!もしゼロになるまでに何の反応も見せなかったら……燃やす、よ?」


 フェリシアの言った、最後の単語だけは静かな声音となっていた。それは、彼女の罪悪感から来る感情が出ているのであろうか。


「はい!じゃあ数えるね。じゅーう!きゅーう!」


 始まったのは俺の命のカウントダウン。勿論意識の無い俺には、俺生きています!とか叫び声を上げる事は出来ないし、そもそも動けない事に変わりはなかった。どちらにせよこのままでは、


「はーち、……七六五四三二」


 俺はこの暖炉の薪の一部となってこの家の暖となって霧散していくだろう。というか突然早口に数字を読み上げ始めたフェリシアの瞳が、黒い。ぬいぐるみを燃やす後ろめたい心を殺しているのだろうか。声音も一段と低くなる。


「いち」


 スッと、俺の力無い布と綿だけの体が片手で持ち上げられる。光の無い俺のクリクリとしたガラスの目玉に映るのは、不規則に形を変える赤とオレンジのうねる炎。


 このまま、このまま俺が意識を取り戻して何かを一つ、俺がここに存在している事実を彼女に伝えない限り、俺は終わる。


「……ぜ、ろ。ごめんね」


 それはおそらくジェットコースターで頂点から落下する時の無重力感にさぞかし似ている体験だったのだろう。絶叫系は一度乗った事があったが、アレは初見殺しも良いところだ。その時『死んだ』と思った以来敬遠していたので今、意識が無かったのは大いに助かる。だが。


 ふわりと軽く浮かんだ俺のぬいぐるみの体がゆっくりと弧を描きながらその着地点の炎に辿り着き、爆ぜた薪が崩れて火の粉を無数に飛ばし、火勢が上がったその瞬間。


「あつっ」


「…………?」


 テーブルに戻ろうと踵を返していたフェリシアが、誰かに呼ばれた様な気がした、とでも言いたげな惚けた表情でこちらを振り向く。その瞳に映ったものは……。



「あっちぃーーーーーーーーーーー!!」



 絶え間なく焼ける炎から飛び上がる、


 全長にしておよそ30cm。


 淡いピンクとつぶらな黒い瞳。


 短めのうさ耳をこれでもかと携えた、


 

 ──燃え盛るうさぎのぬいぐるみだった。



────────────────────



「えっ?えっ?」


 信じられないものを見た、と、その文そのままの驚愕の表情でフェリシアは異様な光景を見ていた。


「うおぉーーーーーーーーーーー!!」


 燃えてる燃えてる俺の体!というか動く!暖炉の中で突然目覚めた俺の意識は、その眼前の体験したこともない近さの燃え盛る炎と熱気、温度に全身の毛穴が総立ち(ぬいぐるみだが)するのを覚えた。これはマズイ、多分いや間違いない、俺、燃える!超燃えるじゃない!


 自分がぬいぐるみの体となっている事をもはや自覚していた俺は、その材質の天敵が今まさにその柔らかな布と綿を喰らい尽くそうと燃え移る瞬間、暖炉から飛び出した。


「うおぉーーーーーーーーーーー!!うおぉーーーーーーーーーーー!!」


 年甲斐も無く(俺はまだ二十代だ)叫び声を上げながら俺は室内をゴロゴロと転げ回る!敷かれたカーペットの刺繍が煤で黒くなろうが知った事では無い。これは一大事だ。とにかくこの燃え移った火を消さない事には。


「あっあぁ……!なに、なんなの、やめてよ……!ステラ様に怒られちゃうよ……!」


 おろおろと後ろであの栗毛色の女性、フェリシアの泣き声の様なものが聞こえてくるが関係ない。俺は落としたペットボトルの蓋の様に不規則にそれでいて回転力をぐんぐん上げて身に纏う火の消火にあたる。俺の心の119番はとっくの昔に消防出動中なのだ。


「よし!よし!もう少しだーーー!!」


 煽る様な熱と、ジリジリと布を焼く異音が無くなっていくのが解る。どうやらローリング消火方は功を奏した様だ。漫画で良く見る消火方法だが、まさか本当に実践することになるとは、人間わからない。俺はもう人間ではないのかも知れないが。


「あぁもうあぁもう……!お願いだから止まって、止まってよ!もう火は消えてるよ!ねぇ!うさ!」


「うおぉーーーーーーーーーーー!!うおぉーーーーーーーーーーー!!うおぉーーーーーーーーーーー!!うおぉーーーーーーーーーーー!!」


 うさ!って俺の事か?さっきちゃん付けてただろうがお前。そこは統一しろよ、と内心すでに冷静な思考を取り戻していた俺が、わざとらしく誇張表現気味に部屋を転げ回るのを止めない。俺は、おフェリシアが困り果てるまで、転がり回る事を、止めない!

 

 と、目覚めてから続く訳のわからない体験の連続の鬱憤を、フェリシアで晴らす様に俺は床を転がり続けた、その時。



「おいお前」


「がっ!?」



 がっしり、と速度の出ていたローリングする俺の頭を踏みつけてきたのは、


「元気じゃん。前世じゃ余程溜まってたんだね。アタシが発散させてあげよーか?」


「ま、た、このガキ……」


 いつの間にか戻って来ていた、桜色の髪色の少女、ステラだった。


「その声音、やっぱりお前男か。言っとくけど、アタシはお前の思ってる程の歳じゃないよ。次、ガキとか言ったら耳引きちぎる」


「………………」


「で、どう?最初から意識はあったんでしょ?状況は飲み込めてんの?」


「状、況って……」


 飲み込めてる。今、お前に超踏まれてる。まずは俺の顔を半分潰してるその足をどかしてもらいたいものだ、と、思っていても言える雰囲気では無かった。ステラの顔は決して笑っていない。終始真顔で俺を見定めている様にも見える。ここから先の俺の返答次第ではリアルに全身を引きちぎられる事も、あのぬいぐるみ達の様な目に合わせられるのも、容易に想像が出来る。


「訳が、解るわけ無いだろ……何でおれはぬいぐるみなんかに……。夢じゃないのかこれは」


「夢?夢ねぇ……そうかもね。それで言ったらお前の見てる夢は悪夢で、正夢だよ」


「うそ、だろ?」


「嘘だと思うなら、よいしょっ」


「あ?あぁ?」


 俺の顔を踏み潰している足はそのままに、屈んだステラは両手で俺の胴体を掴む。内臓まで抉られる様な力加減なのだが、今の俺の中には綿くらいしか詰まっていないのであろう。痛みは感じなかった。そしてその体勢のまま、グリッと俺の顔を潰す足に力が入る。何を、まさか?


「えいっ⭐️」


 ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶち!!


 何とも言えない布が引きちぎられる音と共に、俺の顔と、胴体は……。


「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 真っ二つに別れて綿が飛び散った。切断面から伸びる縫合の糸が、まるで神経の様に力無く垂れる。……終わった。まさか首を引きちぎられるとは。俺の胴体部分を掲げる様に持ち上げるステラの狂気の沙汰に、俺は絶叫した。


「あーうるさいなぁ。少し黙りな」


「ふがっ!?」


 体勢を変えたステラは、その小ぶりな尻を頭部だけとなった俺の顔に付けて、やはり押し潰してくる。ハタから見ると、小さなクッションに座っている少女に見えないことはないが、俺からすれば息苦しいやらどっかへいった胴体部分に思考が錯綜してそんな思案をするどころではまったく無い。


「痛くないでしょ?息も出来るでしょ?こんだけされてもお前、生きてるでしょ?……何でだと思う?」


 言いながら、二つぶら下げた三つ編みのおさげをほどいていくステラ。


 確かに首をもがれた時はどうなる事かと思ったが特に痛みは無く、こうして口を尻で塞がれていても酸欠になることもない。そもそもあれだけ炎に巻かれたにも関わらず、火傷の痛みすら感じない(火傷する皮膚が無いのでそれはそうなのだが)。


「……俺が、ぬいぐるみだから、なのか」


「そう。お前の魂はその布と綿の入れ物に定着してる。主に頭の部分にね」


「……そんな簡単に言われてもな」


「事実だよ。ここに居るフェリシア、ジェラルドとこのアタシ、ステラは、まさに今の、お前の様な存在の完成を待ってたんだ。……やっと、出来た」


 シュルシュルと何処から出したのか、一旦ほどいた腰ほどまである桜色の髪を、藤色のリボンでポニーテールに纏めたステラは、にっこりと満面の笑顔で、ゆったりと立ち上がった。


「さぁ、お前はようやく出来たアタシ達の努力と根気の結晶だ。親交を深めよう。お前の名前を教えて?」


 首だけとなり所々煤の黒々とした汚れにまみれる俺に、差し伸べる様にその手をやるステラ。そんな彼女の歳相応の愛らしい立ち居振舞いに、俺に思わず笑みが零れ、やれやれと言った風体でぬいぐるみの俺は応える。


「……ボク」


「???」


 ん?と小首を傾げたステラに構わず、




「ボク、うさぎのぬいぐるみ、ウッサー!」




 小気味良くハキハキと、まるでスマホの人工知能の様な整った声音で、嫌みったらしくこの世界での、俺に付けられたその名前を答えてやった。


「…………お前、ひねくれてる」


 

 


 黙れクソガキ。


 俺をその名で呼んだのは、お前だ畜生。

 

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